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第3章 さよならは言わない 3

 結局スカートをはいたまま、お父さんに車で寿司屋へ連れて行ってもらった。回らない寿司を食べたのは初めてかもしれない。

 スカートはどうしても落ち着かなかったが、寿司を食べるうちにそんなことは気にならなくなっていた。もう死ぬほどうまいんだ、これが。

「おいしいです、なんだか涙が出てきます……。ありがとうございます……」

「ははは、わさびがききすぎたんじゃないか」

「そんなんじゃないですよ。二年ぶりの食事で、さらにこんなにうまいものを食べさせていただいて、 俺は今、猛烈に感動しています……」

 俺が涙ながらにエンガワを口に運んでいると、津軽さんの声が水を差した。

(泣きながら食べるのはやめてください、恥ずかしい。それから俺って言うのも禁止! 一応、見た目は私なんですから)

「そうか、そうだな。メンゴメンゴ」

 俺の言葉を聞いて、お父さんが口から少しお茶を吹き出した。

「いや、すまない。メンゴメンゴって。何か冥紗に言われて謝ったんだろうが、冥紗の姿でそういうことを言われると面白いね」

 笑いながらハンカチで口を拭うお父さんを見ていると、

(ああ、私のキャラクターが崩れていく……)

 と、頭の中で津軽さんがぼやくのが聞こえた。


 食事を終えてお父さんの車に乗り込むと、運転席からお父さんがたずねてきた。

「他に何かやりたいことはないかい?」

「そうですねえ」

 腹は一杯になった。となると、次は。

「食後の運動に行きたいです!」


 キィン、という快音が響いた。ボールが真っ直ぐライナーで飛び、ネットに突き刺さる。

「おっし! 気持ちいいなあ」

 俺たちはバッティングセンターに来ていた。二年振りに握ったバットの感覚がたまらない。

(すごいですね)

 津軽さんの声は素直に俺を称賛してくれた。

「まあ一応、野球部ですから……ねっと!」

 続けてピッチングマシンが一二〇キロの直球を投げてきたので、俺はすぐに打ち返した。ホームラン性の当たりだ。我ながら見事だなあ。

 今のが最後だったようなので、俺はいったん打席から出た。いつの間にか、周囲の客が遠巻きに俺をじろじろ見ている。なんだなんだ、一体。

(スカートをはいた女の子があんなに打ちまくってたら、それは目立ちますよ)

「そうか。俺が津軽さんの姿になってることを忘れてたよ」

(別に構いませんけどね。あんまり激しく体を動かされると明日筋肉痛になりそうで、そっちのほうが心配です)

「運動不足っぽいからなあ、津軽さんは」

 俺が津軽さんと話していると(と言ってもはたから見ればブツブツ独り言をつぶやいているようにしか見えないだろうが)、お父さんが缶コーヒーを持ってこちらへやってきた。

「はい、お疲れさん」

 缶を手渡してくれる。俺は礼を言って受け取ると、一気に冷たいコーヒーを口の中へ流し込んだ。

「うめぇー!」

 思わず声を出した俺を見て、お父さんはなんだか嬉しそうな顔をしていた。

「な、なんですか」

「いやね、息子がいたらこんな感じなのかな……と、ふと思ってね」

「それを言うなら俺だって、津軽さんのお父さんがまるで自分の父親みたいに思えてきましたよ。子どものころに父さんは死んじゃったから、こうしていろんなところに連れて行ってくれたことが少ないんですよね。なんだか楽しいです」

「そうか……」

 それきり、俺がコーヒーを飲み終わるまで沈黙が続いたが、決して気まずいものではなかった。心地良かったと言っていい。

 ほんの一瞬ではあるけれど、俺たちはこのとき確かに家族だった。


 夜の九時ごろ、俺たちは津軽さんの家に帰り着いた。豪邸の前で車を降りると、津軽さんの声が話しかけてきた。

(そろそろ私の体から出ていってもらいましょうか)

「そうだな。今日は本当にありがとう。久しぶりに楽しい思いができた」

(いえいえ。じゃ、来週また学校で会いましょう。月曜から三日間は中間試験がありますから、それが終わったら、これからのことを本格的に相談しますか)

「わかったよ。……津軽さんのお父さんも、いろいろお世話になりました」

 心をこめて、運転席のお父さんに深々とお辞儀をした。もうこの人に会うことがないかもしれないと思うと、ちょっとさびしい。

 お父さんは車の窓を開けて、

「僕も楽しかったよ。君のことは忘れない」

 そう言って、こちらに手を伸ばしてきた。握手を求められているのだと気がついた俺も、そちらへ手を伸ばす。久しぶりに握った人の手は、暖かくて力強かった。

(それじゃ、先輩)

「ああ、わかってる。念じればいいんだよな」

 目を閉じ、ここから出て行くことだけを考える。と、すぐにあの掃除機に吸い込まれるような感覚が襲ってきた。来た来た来た。ちょっと気持ち悪っ……。

(我慢してください)

 津軽さんの冷静な声が聞こえた瞬間、俺は意識を失った。


 気がつくと、睦美の後ろ姿が目の前にあった。音楽を聴きながら、机に向かって真面目に勉強している。ここは見慣れた睦美の部屋だ。

 部屋にある時計を見ると、九時過ぎだった。うーん、仕組みはよくわからないけれど、津軽さんの体から出た瞬間に睦美の元に戻ったようだ。やはり俺の定位置は睦美のいるところなのか。ほとんどテレポートだな。

 がんばって試験勉強している睦美の背中を見ながら、俺は考える。中間試験が終わったら、いよいよ睦美に全てを伝える。睦美は俺や津軽さんのことを信じてくれるのだろうか。仮に信じてくれたとして、この世に未練が無くなったら俺はどうなるのだろう。消えてしまうのか、それとも天国に行くのだろうか。

 

その時は、思ったより早く来ることになった。

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