第3章 さよならは言わない 1
「これからどうする気なんですか、先輩」
どうもこうも……。
「そもそも、先輩は本当に成仏する気があるんですか?」
それは……どうなんだろう。
「どうなんだろうって。わかってるんですか? このまま残っていてもなにもいいことないですよ」
だから、わかってるって。いつまでもこの世にいるべきじゃないってことはわかってる。だけどやっぱり心配なんだ、睦美のことが。
ここは学校の女子便所だ。あれから三日後、中間試験を翌週に控えた金曜の休み時間に、また個室で俺は津軽さんと話している。
「心の問題ですから、そう簡単に解決するものではないのはわかるんですが。堂々巡りですよ、これでは」
と、言われてもね。なにかこう、解決策はないもんかね。
「そうですねえ」
津軽さんは目を閉じ、腕を組んで考える。
「……そろそろか」
ど、どうしたの。
「こうなったら、父に相談してみるしかないかもしれません」
父って?
「男親のことです」
いやそうじゃなくて。
「冗談です。私の父親のことですよ」
そんな冗談はいらない。しかし、津軽さんの父親……。なんで?
「うちの父親も霊が見えるんです。何か良い知恵を貸してくれるかもしれません」
「で、でっかーいっ!」
「豪邸! 豪邸だよ、むっちゃん! 今まで見たことのない豪邸だよこの家は!」
睦美と藤崎さんが揃ってオーバーなリアクションをとった。だがその気持ちはよくわかる。
「そうかしら……」
津軽さんは不思議そうに俺たちを見ている。この娘の感覚はよくわからん。
土曜日、俺たちは津軽さんの家の前に初めて来ていた。三人一緒に試験勉強をしよう、ということで津軽さんが睦美と藤崎さんを誘ったのだが、本当の理由は違っていた。
俺と津軽さんのお父さんを会わせるためだ。俺が睦美から遠く離れられない以上、睦美を津軽さんの家に連れてくるのが自然だろうということになったのだ。
「ひい、門もでかいよ」
「庭も広い!」
二人は屋敷の門の前でまだ騒いでいる。それも仕方ないことだ。だって本当にでかいのだ。津軽さんがこんなお嬢様だとはね。
「別にお嬢様ではありません」
二人からやや離れた位置にいる津軽さんが、俺だけに聞こえる声で反論した。そう言われてもな。すごいぜ、こりゃあ。俺たちの目の前にある津軽さんの家は、まさにお屋敷という表現がふさわしい。時代劇に出てきそうな、というか……。
と、突然屋敷の戸が開いた。
「わっ!」
驚いた二人があわてて後ろに下がる。中から出てきたのは、着物を着た男性だった。見た感じ、五〇代だろうか。白髪交じりの髪に、猫のような瞳。一目見て津軽さんの父親だとわかる。
「どちら様でしょう?」
津軽さんも妙な迫力があるが、このおじさんはその比ではない。声が低くて渋いということもあるだろうか。
「あの、私たちは……」
睦美が説明しようとしたところに、津軽さんが割って入った。
「この子たちが私のお友達です、お父さん」
津軽さんの言葉を聞き、お父さんが睦美を見て、藤崎さんを見て、最後に俺を見た。そう、俺を見た。津軽さんの言っていた通り、俺のような存在を見ることができるのだ。
睦美たちは挨拶をすると、さっそく二階にある津軽さんの部屋へと向かった。みんな真面目に勉強する気はあるようだ。とりあえず俺も睦美たちについていこうとしたところ、津軽さんのお父さんに黙って手招きされた。そして階段を上がらず、奥へと向かう。ついてこいということか。
俺は、居間へ腰を下ろしたお父さんの真正面に立った。どうも、初めまして。黒石朋彦といいます。いつもお嬢さんにはお世話になって……。
「すまないが、君が何かを話しているのはわかるけど、僕には言葉として認識できないから。話しかけてくれても無駄だよ」
は?
「僕は、霊と会話まではできないんだ。姿を見ることができるだけ。冥紗よりそういう能力は低いんだよね。どうやらうちの家系は女のほうが霊感が強いようでね」
そうなんですか……と、頭の中で考えても、津軽さんのようには伝わらないわけか。仕方ないので俺はこの後、身振り手振りだけでお父さんと会話することになった。基本的には、お父さんの話を一方的に聞くことになる。
津軽さんのお父さんから、簡単に身の上話を聞かされた。大学で民俗学の教授をしていること、奥さん(つまり津軽さんのお母さん)は、津軽さんがまだ幼いころに亡くなったこと、最近は俺や睦美の話を彼女がよくしてくれること、などなど。
俺はうなずきながら聞くことしかできなかったが、お父さんは楽しそうに話してくれた。
「普通の人にはこんなことは話せないからねえ」
そう言って穏やかに笑う。いい人だ。俺はこの人に好感を持った。
「さて、では本題に入ろうか。君の事情は冥紗から聞いている。自分のせいで君が死んだと妹さんが思い込み、自らを責め続けている。それをなんとかしたい、と」
俺は首を縦に振った。
「そのためには、君の気持ちを妹さんに伝えるのが一番だと思う。気持ちを伝えるだけなら話は簡単だ。君の言葉をそのまま冥紗が『あなたのお兄さんがこう言っている』と伝えてあげればいい。問題は、それを妹さんが信じてくれるか、ということだ」
確かに……。いくら友達とはいえ、睦美がそんな突拍子もないことを信じてくれるかどうか。津軽さんの頭がおかしくなったと思うかもしれない。
「だが、妹さんに、より真実味を感じさせる方法がひとつある」
……どういうことだ? 俺が次の言葉を待っていると、お父さんは子どもに言い聞かせるようにゆっくりとした口調で、
「君が直接妹さんに伝えればいいんだよ」
直接って……? 俺の目に?マークが浮かんでいるのを見たお父さんが、少し笑った。
「ははは、わかりにくかったか。黒石くん、イタコって知っているかな」
聞いたことはある。青森の恐山が有名な、霊を自分の体に乗り移らせて話す巫女のことだ。……って、まさか! お父さんは、俺の驚いた顔を見てうなづいた。
「わかったようだね。君の意識を、一時的に冥紗の体に乗り移らせる。そして君は、冥紗の体を借り て、君自身の言葉を妹さんに伝えることができる。それだけじゃない。借り物の体とはいえ、妹さんと触れ合うことだってできる。事前に十分な説明は必要だろうが、思いきり抱きしめて、語りかけてあげればいい」
……もしそんなことができるのなら、嬉しい。だけど、津軽さんに迷惑をかけないだろうか。
「その心配はご無用ですよ」
背後からの声に驚いて振り向くと、いつの間にか津軽さんが立っていた。ジュースの入ったコップを三つ、お盆に載せている。飲み物の準備をしに降りて来たらしい。
「先輩はどうでもいいけれど、むっちゃんのためですもの。やりますよ」
相変わらず一言多い。……でも、本当に津軽さんの体に負担がかかったりしないか?
俺の問いに彼女が答える。
「亡くなった祖母がやっているのを何度か見ました。一日一回が限度らしいですが、やってみますよ。私にとっても初めてなので不安はありますが」
初めてなのかよ!
「ええ。だから、今日はとりあえず練習にしておきましょう。先輩はむっちゃんから離れられませんし、先輩が私に乗り移った状態ですぐにむっちゃんたちと接するのも大変でしょうし、タイミングは限られます」
「帰るときくらいしかないだろうね」
お父さんの補足に、津軽さんがうなづいた。
帰るときね。わかった。しかし、乗り移るって言っても、どうすればいいんだかわからないんだけど。
「とにかく集中するしかないそうです。私は先輩に体を明け渡す、先輩は私に体を借りる、と必死に念じる。それしかない、と祖母が言っていました」
とにかく念じる、ね。了解。
「では、むっちゃんたちが帰るときに。夕方になると思いますが、それまでは大人しくしておいてください」
そう言うと、彼女は飲み物を持って二階へと向かった。
いつものように淡々としているが、一時的とは言っても霊に体を貸すというのは気持ちのいいものではないと思う。当の幽霊である俺がそんなことを考えるのもなんだけど。津軽さん、大丈夫なのだろうか。
俺の表情を見たからか、お父さんが話しかけてきた。
「心配してくれているようだね。実際、冥紗の心身に負担がかかるのは間違いない。僕だって本音を言えば反対だ。だけど、昨夜相談しに来たときの顔を見てしまったら、止められないよ。あの冥紗が泣きそうな顔をしていたんだ。二人の力になりたいってね」
二人の力に。そう言ってくれたのか、彼女は。俺は思わず天井を見上げた。




