第十話:第三の選別者
戦いの余韻は 長くは続かなかった。
「……静かすぎるな。嫌な予感しかしない」
廉が低く呟く。
無数の白い仮面を退けたはずの空間。だが 肌を刺すような違和感は消えるどころか より濃密に増していた。
「九条さん……」
ジャンヌもそれを敏感に察知している。
空気が 極端に 薄い 。
まるでこの世界そのものの存在確率が下がり どこか不安定に揺らいでいるような感覚。
「……来るぞ。上だ!」
その直後であった。
天が 音もなく裂けた。
衝撃波も 轟音もない。ただ 静かに 開いた のだ。
「――観測領域への不法侵入を確認。座標、確定」
声が響く。
だが それはこれまでの機構的な響きとは決定的に異なっていた。
単なる冷徹さではない。もっと――。
得体の知れない 人間的な温度 を帯びた響き。
「へぇ……」
軽い声が 天上から降ってきた。
「これが噂の バグ個体 か。実物は案外、普通なんだな」
二人は弾かれたように見上げた。
そこにいたのは――。
一人の男であった。
煤けたような黒いコート。無造作に跳ねた髪。
片手をポケットに突っ込み 退屈そうにこちらを見下ろしている。
「……何者だ、あんたは」
廉が険しく問う。
男は 面白そうに少しだけ笑った。
「自己紹介くらいはしておくか。礼儀だしな」
男は重力を無視して ゆっくりと地面に降り立つ。
「俺は 調整者 。そう呼ばれている」
その言葉が放たれた瞬間 世界の解像度が一段階跳ね上がった。
「名前は――カイン」
ジャンヌが 小さく息を呑んだ。
「……また 選別者 なのですか?」
「いやいや、勘弁してくれよ」
カインは面倒そうに手を振る。
「あんなガチガチの機械共と一緒にされちゃ困るな」
その瞳が 獲物を定める肉食獣のように鋭く光る。
「俺は 選別する側 じゃない。壊れたところを 整える側 だ」
男が一歩 歩み寄る。
意味は分からない。だが 生存本能が脳内で警報を鳴らし続けている。
(……コイツ、これまでの奴らとは次元が違う)
廉の背中に 冷たい汗がひと筋流れた。
「……何の用だ。調整とやらに来たのか」
カインは 少しだけ考える素振りを見せてから言った。
「んー……視察、かな。とりあえずは」
軽妙な口調。だが その言霊の裏にある重量は決して軽くはない。
「最近さ 予定外 のイレギュラーが増えてて困ってるんだよ」
その視線が ジャンヌへと向けられる。
「特に君だ。未来を いじりすぎ 」
その一言で 周囲の空気が凍りついた。
「……いじる、だと……?」
「そうだよ」
カインは肩をすくめる。
「壊して消すだけならまだしも 奪って勝手に使うとかさ。それ 設計外 なんだよね」
廉が ジャンヌを庇うように一歩前に出た。
「……それがどうした。俺たちの勝手だろ」
カインが 愉快そうに喉を鳴らして笑う。
その笑みは――どこか邪悪で 楽しげだ。
「別に? 面白いからさ しばらく放置してたんだよ」
ジャンヌが絶句する。
「……では 今は……」
「うん。そろそろ 調整 しようかなってね」
瞬間 大気が悲鳴を上げた。
圧倒的な 圧 。これまでの守護者たちとは 根源的な強度が違う。
「……来るぞ。構えろ!」
「はい……!」
ジャンヌが光を纏い 迎撃の態勢をとる。
だが――。
カインは動かない。ただ 愉悦を湛えた瞳で笑っているだけだ。
「安心していいよ。今日は戦いに来たわけじゃないからさ」
拍子抜けするほど軽く 男は手を振った。
沈黙。
「……は? 今更何を言ってやがる」
「いやいや。いきなりボス戦とか 物語としてつまんないでしょ」
その言葉に 廉は強い違和感を覚えた。
「……ボス、だと?」
「そ。あっさり言うけどさ」
カインは人差し指を立て 不敵に微笑む。
「俺 君らの 上位存在 だから。格が違うんだよ」
ジャンヌの表情が 驚愕に強張る。
「ま、でもさ。せっかくだから チャンス はあげるよ」
カインが指を鳴らすと 空間に奇妙な物体が浮かび上がった。
それは光の断片。だが 今まで見てきた未来の糸よりも はるかに 濃い 。
「……それは、何だ」
「 核 だよ。未来のコア」
カインの言葉に ジャンヌが息を呑む。
「それを手に入れれば。今の俺にも 一発くらいは入れられるかもね」
重い沈黙。その意味するところを 廉は即座に理解した。
「……どこにある。そのコアとやらは」
カインは 心底楽しそうに目を細めた。
「さあね。この世界のどこか としか言えないな」
ふざけているようでいて その瞳は完全に本気だ。
「自力で探してみなよ。期待してるからさ」
その言葉と同時に 空間が激しく捩れ始めた。
「ま、せいぜい頑張って。壊すのは 簡単 だからさ」
最後に残った不吉な一言。
そして――。場は完全な静寂へと戻された。
「……なんだよ、あいつ。ふざけやがって……」
廉が吐き捨てるように毒づく。
ジャンヌは まだ少し震える声で言った。
「……でも 九条さん。やるしかないですよね」
その瞳には すでに強い光が宿っていた。
「ああ。俺たちに 選択肢 なんて最初からねえよ」
廉は短く答え 虚空を見上げた。
そこにはもう何もない。だが 確かに 新しい壁 がその姿を現したのだ。
「……面白くなってきやがったな」
廉は 自嘲気味に笑った。
「次は 核 だ。あいつの喉元に食らいついてやる」
「はい!」
二人は 真っ直ぐに前を見据えた。
その先にあるのは まだ見ぬ力。まだ届かない領域。
「行くぞ!」
「はい!」
未来の 核 を求めて。
二人は 未知なる深淵へと再び踏み出した。




