彼女は幽霊?
……なぜ分かったのだ。
確かに、私は22時から夜勤を控えている。この公園に近いコンビニの夜勤だ。
しかしこの少女にその事実は明かしていない。これから夜勤があること。夜勤の前に気分転換も兼ねて公園へ寄ったことなど、言った覚えはない。
「どうやら当たっていたみたい」
「なぜ私がコンビニ店員だと?」
私がコンビニの制服でも着ていたら分かるかもしれないが、勿論今の私は私服だ。
「別に、大したことではありませんよ。ただの予想です」
人が夜の公園に来る理由…予想といっても、可能性なら無限にあるはずだ。
「大したことではありませんが、お話ししましょうか。
一番重要なのは、あなたが散歩を目的に公園へ来たのではないということです」
「…なぜそんなことが言えるのですか。公園といえば散歩でしょう。見ての通り私は私服です。ふらっと公園へ散歩しにきたのかもしれませんよ」
「ふらっと散歩しに来る人は腕時計などつけませんよ。言ってましたよね『私の時計だと22時近い』って」
思わず手首を見る。手の平の側を上へ向けて、そこに撒かれた腕時計を見る。時刻は午後21時50分弱。
「腕時計をつけて散歩する人ぐらいいるでしょう。それに、私はこの腕時計がお気に入りなのかもしれませんよ」
別にお気に入りでもなんでもなかったが。
「可能性の話なら無限にありますが。
しかしわざわざ腕時計をつけてくる人は少ないのではないか、と考えたのです。
今の時代、時計が気になるならスマートホンで確認すればいい。逆に散歩する時でもスマホぐらい持ってくるものでしょう。
しかしあなたは腕時計をしている。つまりあえて腕時計をしなくてはならない状況にあった。可能性は無限ですが、『これから仕事へ行くから』が最も可能性が高いと思えました。仕事中にスマホを見るのは少々躊躇われますから」
彼女の言い分は当たっていた。私が腕時計をつけてきた理由は、コンビニでの仕事中に時間を確認する為だった。仕事中にスマホを触るのは躊躇われるし、バックヤードでの作業中は近くに時計がないのだ。腕時計ならどこでも確実に時間を知ることが出来る上、見た目も悪くない。まさか腕時計をしていることを怒る上司や客はいないだろう。
「それに先程バッグを置く音がしました。あなたはバッグを持ってきていますね」
「それがどうかしましたか?」
「バッグを持って散歩に来る人もあまりいないと思いました」
……どうだろうか。確かに、バッグを持って散歩に来る人は多くないだろう。正確には、散歩する目的のためにバッグを持って来る人はあまりいないだろう。何かのついでならまだしも。
「なるほど、確かにバッグを持ってきたということは、何かしら目的があると言えるかもしれませんね。散歩するだけならばバッグは必要ないですから。
しかし、目的の特定は出来ませんよ。どこかに買物へ行くのかもしれない」
「今は22時ですよ。田舎の夜22時にどこへ買い物へ行くのですか。
それに、この公園の近くには住宅数軒とコンビニしかありません。ならば、目的地はコンビニとなります」
「友達や親戚の家に行くのかも…」
「夜の22時にですか」
…友人や親戚がこんな時間に訪ねてきたらちょっと迷惑かもしれない。
「それに、あなたは公園でこうして私と話している。
取り留めのない会話を続けている。
取り留めのない会話とはつまり、時間調整ですよ。
あなたは夜勤に行く途中だがあまり気が乗らずこの公園で22時まで時間調整をしているんです。人間関係に悩んでいる、というのも予想の補強になります」
ふん。よく当たるものだ。
バッグを持っているということは公園ではなくどこかへ行く目的があるということ。
腕時計をしているということは仕事が控えているということ。
雑談しているということは時間をもてあましているということ。
そしてこの公園周辺は住宅以外にコンビニしかない。
時間は22時前。つまり、夜勤の時間。
レトリックに彩られてはいるものの、こう並べられてみると、私がコンビニ店員だと予想できても不思議ではないように思える。
「見事です。探偵になれますよ」
煽てる様に言った。悔しかったからだ。別に悔しがる必要はないのだけど。
「そんなに悔しがることもないでしょう」
見透かされている。どうやらこの少女は、こういう遊戯が得意らしかった。
「だって悔しいじゃないですか。私はあなたのことをほとんど何も知らないのに、あなたは私のことをコンビニ店員だと知っているなんて」
アンフェアではないか、と思った。
「随分子供っぽいですね」
ふふっと彼女が声を出して笑う。ここまであまり声音を変えなかったから、彼女の笑い声が、妙に耳に残る。
悔しいけれど悪い気はしなかった。
「では、逆を、やってみますか?」
「逆?」
「ええ、つまり」
彼女がこちらを向く。暗い闇に彼女のシルエットが浮かぶように見えた。
「私がどういう人物か当ててみてください」
突然そんなことを言った。どういう人物か、と言われても、ピンとこない。
「それこそ解答は無限にあります。もう少し絞ってくれないと」
「では、こういうのはどうですか」
彼女はすっと向こうを向いてしまう。池の方を見ている。深く、暗い、夜の池の方…私もつられて正面を見る。目の前にはやはり大きい池。闇が広がっている。
「私が幽霊かどうか、当ててみてくれませんか」
また妙なことを要求する。
「言ってくれたじゃないですか。私のことを、幽霊みたいって」
「それは、思わず口に出てしまっただけで」
「本当に幽霊かもしれないですよ」
まさか。幽霊なんているはずがない。
今は夜。光の乏しい公園は闇に包まれており、中心に位置する大きな池もそんな闇夜を反射してどこまでも暗い。時期は冬。厚着はしているけれど冬の寒さは服の上から皮膚へ浸透し身を凍えさせる。
確かにこんなに暗くてこんなに寒い夜なんだから、幽霊が出てもいいのかもしれない。
しかし幽霊などいない。そんなことは20数年の人生で分かっている。
目の前の彼女にもまた、そんなことは分かっているはずだ。幽霊など…架空の存在に過ぎないのだ。良くも悪くも。
「馬鹿馬鹿しいとお思いですか」
私はしばらく固まっていたが、やがて黙って頷いた。
私が彼女のことを一目見て幽霊みたいだといったのは、つまるところその場の雰囲気だったのだ。夜という雰囲気。色白でセーラー服を着ている少女。その雰囲気がとても現実離れしているようで。幽霊みたいだなと思っただけだ。
それに、こうして話してみて、彼女は幽霊でないと確信している。目の前の少女は、れっきとした、人間だ。
「あなたが人間だと私は知っていますから」
「どうしてそう言えるんですか」
どうしてもこうしてもないだろう。
「だって私にはあなたが見えています。同じことをさっきも言いましたが」
「でも幽霊を見ることが出来る人はいますよ」
これでは先程と同じ流れになってしまうので、もう少し厳しく言ってみることにした。
「しかし、幽霊とは実体のない存在でしょう。
そして実体がないなら見ることなどできない。見る、とはつまり光を目で感じることですから。実体がない存在が光を反射するわけがない」
私達が普段見ているあらゆるモノは、光の反射の結果だ。一方、幽霊とは実体のない存在であり、実体のない存在が光を反射するわけがないのだから、光を感じる器官である「目」で観測することは出来ない。百歩譲ってそこに幽霊なるものが存在していても、見ることなどできないはずだ。
「思念。ではないでしょうか」
彼女はさほど間をおかずに答えた。
「思念?」
「幽霊とは思念で出来ているのです。思念は確かに目で見ることなどできない。しかし心で見ることはできる。だから幽霊を見ることが出来る人は、思念で幽霊を観測しているのですよ」
「それはつまり…心の目で見るってやつですか?」
彼女は力強く頷いた。口角が少し上がっている。
「そう。私は幽霊ですが、あなたは心の目で私を見ているのです」
「無茶な」
「しかし実際、幽霊が見える人は存在しているのですよ。だとしたら、思念を見ているとしか考えられない」
幽霊が見える人って…それは「自称」幽霊が見える人、だろう。
「思念なんて持ち出したら、なんでもありではないですか」
「そんなことはありません。ただ『見えているから幽霊ではない』なんて理屈は通らないというだけです」
…彼女の主張は首肯しかねるが、確かに幽霊なんて非科学的な存在なのだから「思念を見ているから見える」なんて馬鹿げた理屈もアリなのかもしれない。あくまで幽霊が存在するという前提の上でなら。
これは遊戯だ。ならば戯れに付き合うのも一興か。
彼女が幽霊かどうかを判断する遊び。
視覚が駄目なら聴覚はどうか。
「私は今あなたと会話しています。会話しているから幽霊ではない。これはどうですか?」
「幽霊と人が会話できないとなぜ決め付けるのです」
「決め付けではありません。
というのも、会話とはつまり音を発して音を聞く行為でしょう。
音を発するとは空気を震わせること。音を聞くとは空気の震えを鼓膜で感知すること。
もしあなたが幽霊で実体が存在しないならば、空気を震わせることも空気の震えを感知することも出来ないはずで、だから私と会話できるはずがありません」
「なるほど。会話とはつまり空気の震えのやりとりですか」
会話とは心のやりとりだ。しかし還元してしまえば振動のやりとりに過ぎない。
「言霊、という言葉をご存知ですか?」
また胡散臭い単語を持ち出してきた。
「『言葉』に『霊』と書いて言霊。言葉には魂が宿っています。それが言霊です。
人間の発する言葉には言霊が宿っている。
確かに会話が空気の震えのやり取りに過ぎないなら幽霊は会話できないかもしれませんが、幽霊は言霊なら感じることが出来る。そして人間もまた言霊を感じることが出来る。よって私とあなたは会話することが出来る。
会話とは空気の震えのやりとりではないのです。会話とはつまり、魂の交換なのです」
また無茶苦茶を言う。
頷けるところもないではない。私は自分で「会話とは空気の震えのやりとり」と言ったしそうに違いないとも思うのだが、それでも心のどこかでは、人と人との会話をそんなふうに定義してしまうことに若干の抵抗はある。会話とは心のやりとり。そう云いたい気持ちも分かる。
分かるが。
「しかしそれでは何でもありになってしまいます」
幽霊を見ることができるのは思念だから。幽霊と話せるのは言霊だから。
それは、もう、ほとんど、何でもありと同義だろう。
魔法使いみたいなものだ。魔法だから空を飛べる。魔法だから変身できる。それと同じ。幽霊だから思念で出来ている。幽霊だから言霊で会話できる。それはつまり、何でもありということだろう。
「卑怯と思いますか」
「思わないほうがどうかしています」
「しかし、私が幽霊でないとはいえないと思いませんか」
「だってそれは何でもありだから」
「確かに、幽霊という非科学的な存在はあまりに便利すぎます。しかしだからこそ、私が幽霊であるか幽霊でないかは確定できない。違いますか」
「…やはり卑怯ですよ」
彼女はまたふふっと笑った。
「確かにずるいかもしれませんね」
素直に認めた。
幽霊という概念は便利すぎる。便利すぎるが故に彼女が幽霊であるかそうでないか、特定することは難しそうだった。心、精神、そんな非科学的な根拠で説明できてしまう幽霊という存在。その存在は非科学的だからこそ、科学的に…あるいは理論的に証明することは難しそうだった。
彼女が幽霊であるかそうでないか。彼女が幽霊であるはずがないが、しかしそれを証明することは出来ないように思えた。
「思念とか言霊とか、そんなぼんやりした概念は卑怯です」
「仕方ないですよ。幽霊という存在そのものが卑怯なのですから」
ひどい開き直りだ。
彼女の横顔を見る。彼女の線の細い輪郭は頼りなくて、今にも闇に溶け込んで消えてしまいそうに思えた。そんな儚さが不覚にも幽霊っぽいなと思えてしまう。
しかし、どこか神秘的で頼りないからこそ、私は彼女が幽霊でないと証明したかった。彼女を幽霊でないと証明してこの場に留めておきたかった。そうでないと、彼女は消えてしまいそうだったから。それだけ儚げに見えたから。
もし、手を伸ばせたら。
手を伸ばして彼女に触れられたら、それは、幽霊でない証明になるだろう。幽霊は思念で見えるかもしれないが、実体がないのだから触ることはできない。むしろ実体がないというのは幽霊の定義の一つだから、彼女に触れることが出来たのなら、それは彼女が幽霊でないという一番の証明になるはずだった。
彼女は私のバッグを挟んで隣に座っている。手を伸ばせば届く距離にいる。
しかし私は、彼女に手を伸ばすことが出来なかった。
なぜ手を伸ばすことが出来ないのだろうか。
恥ずかしいから。それもある。
でも最大の理由は。
怖かったから。
もし触れることが出来なかったら、彼女が幽霊であると分かってしまう。
それが怖かった。
幽霊と確定した瞬間、彼女が消えてしまいそうで怖かった。
だから。
私は考える必要があった。
彼女に触れずに、彼女が幽霊でないと証明する方法。
彼女の言う幽霊の定義はあまりにも便利すぎ、それゆえに幽霊でないことを証明するのは難しそうだ。
しかしその定義の中に幽霊でないことを証明する糸口があるようにも思えた。
考える私を尻目に、彼女は延々と池を見ている。
横顔では彼女の表情を細かく知ることは出来ない。私も彼女につられて池を見る。
明かりが僅かに反射する池。暗いけれど僅かな光の反射は美しい。上空には夜空が広がる。冬の大三角に、オリオン座。田舎の夜空らしく、星の瞬きは深い光を放つ。眩しくはないけれど、どこか目に刻まれるくっきりとした光。解像度の高い光。その星空に、動く光が見えた。飛行機だろうか。子供の頃なら未確認飛行物体かとわくわくしたかもしれないが、今は、まあ飛行機だろうと思ってしまう。
本当に飛行機かUFOかなんて分かっていないくせに。
夜空を飛ぶ飛行機。はるか上空を飛んでいるから、耳を済ませても音は聞こえてこない。ごうごうと風を切る飛行機の音は聞こえない。
遠すぎるから、音は聞こえない。
かわりに聞こえるのは、池のわずかなせせらぎ。波うっているわけでもないだろうか、こうして夜の静寂に耳を澄ませると、心なしかさらさらと水の音が聞こえる気がする。
気のせいかもしれないけれど。水の音は、微かだから。
そこで気が付いた。
彼女が幽霊でないことに、やっと気が付いた。
「やはりあなたは幽霊ではありません」
先程の会話から随分間を置いたけれど、彼女は間髪を入れずに聞き返した。
「なぜそう言えるのですか」
「あなたは音を聞くことが出来るからです」
すっと、彼女がこちらを向く。あらためてみると、細く虚ろな目とぞっとするほど白い肌は、本当に幽霊みたいだ。
「先程言ったでしょう。幽霊は会話することが出来るのです」
「それは言霊を聞けるからでしょう」
「…どういう意味ですか」
「幽霊は言霊を聞くことは出来る。では言霊以外の音は聞こえるでしょうか」
「どんな会話にも言霊は宿るものですよ」
「確かに、人間の言葉には全て言霊が宿っていると言ってもいい。
しかし、水の音はどうでしょうか。水がぽちゃりと跳ねる音。それは人間や生物が発したものではない、純粋な空気の振動。ただの音ですよ。
言霊など宿らない。
そしてあなたは水の音を聞いた。
私がベンチに座ってすぐ、池の右手で水の跳ねる音がしました。私はそちらを振り向きましたが。
あなたも同時に振り向きました。音のした方へ首を向けたのですよ。
それはつまり、あなたが水の音を聞いたということ。
水の音を聞くことが出来た。だからあなたは幽霊ではありません」
最初にこのベンチに座ってすぐ、水の跳ねる音がして私はそちらを向いた。それに数瞬遅れて、彼女もそちらを向いた。数瞬遅れたから、振り向く直前の、彼女の白い頬が印象に残った。
彼女は音を聞くことが出来る。言霊という不可思議な概念ではない。空気の震えを感知することが出来る。空気の震えを感知するのは鼓膜であり、耳だ。
実体のない幽霊に空気の震えを感知することはできない。
だから、彼女は幽霊ではない。
考えてみれば、出会った瞬間から分かっていたことだったのだ。
「よく考えましたね」
彼女の声音は穏やかだった。悔しさが微塵もなかったのが、何だか残念に思えた。
「認めますか」
「そうですね。私は幽霊ではありません」
「…まあ、分かっていたことですけど」
「残念ですか」
「なにが」
「幽霊と出会えなかったことが」
ある意味、残念かもしれない。私が夜の公園に来た理由は、非日常を求めていたからだ。だから幽霊と出会えなかったこと、つまり、彼女が幽霊でないことを残念に思うべきかもしれない。
しかし残念な気持ちなど皆無であった。
「いいえ、私はあなたに会えて、よかったと思いますよ」
恥ずかしい台詞だったけれど、本心だった。
「そうですか。幽霊との邂逅がただのボーイミーツガールになってしまったのに」
それは…決定的ではないか。