夢とドラゴンと女神
私は今、変な夢を見ている。
何だか神殿のような厳かな雰囲気の場所。
私の目の前では女の人が「私はこの世界の女神メリーです」とか何とか言っていた気がするんだけど、頭がボンヤリしていてあんまり聞いていなかった。
「⋯⋯ですので、一刻も早く邪悪なドラゴンを倒してください。」
「⋯⋯⋯⋯なんで?」
寝起きでいきなり意味不明な事を説明されても困るんだけど⋯⋯。
「ですから! ユウさんは、英雄の剣に選ばれし者なんです!」
ハイハイ。私は宝島ユウ。小さな工場で働いている23歳の女ですよ。なに? エイユウノケンって。
「⋯⋯ん~と、なんで選んじゃったの? クジ引きとか?」
「え? わかんないです。と言うか、剣なのでクジ引きはしないと思います⋯⋯」
自称・女神メリーは困惑している様子。でも私にはどうでも良くって。
「ドラゴンを、倒す? やっぱり変な夢⋯⋯」
「⋯⋯あの、ユウさん? 私、10分以上説明していたはずですけど。今まで夢の中だと思って⋯⋯?」
返事をするのも面倒だったので、代わりにサムズアップで返した。
「⋯⋯ふふふ」
メリーは静かに微笑んだまま、私の胸ぐらを掴んだ。
く、苦しい。一気に目が覚めた。どうやら夢じゃ無いらしい。
「おいテメェ! こっちも暇じゃねえんだよ! もういいからとっとと行って来いや!」
ズシャア!
ブチ切れたメリーの腕力は凄まじく、私をすごい力で床に転がした。
「オラ、コレ読んどけ」
床に尻もちを着いた状態の私に分厚い本を無造作に投げて寄越した。
表紙には『召喚されたその日から読む本』と書いてある。
『召喚』て、何だっけ?
メリーに質問しようと思ったけど、まだ険しいカオしてこっちを見下しているので、これ以上聞かないことにした。
「今回の件はそこに全部書いてあるから」だって。私、本読むの苦手なんだよね⋯⋯。
これ以上怒られるのは面倒だからすぐ読んだ。
不思議な事にページをめくる度に頭に内容が入り込んでくる。膨大な情報量でめまいがしそうだ。
どうやら別の次元の世界に呼ばれてしまったらしい。
本の内容からわかったのは英雄の剣は、今では誰も作り出すことができないほど強力な『力』を持つ魔導器である事。
また、自我があるらしく、自分を手にするだけの『力あるもの』をあらゆる時間、あらゆる次元を超えて探し出す一種の召喚器でもあるらしい。
それでも見つからなかった場合、それならそれで何とか出来るかも知れないがそれなりの犠牲を払う事になりそうだという事で。
それなら絶対に何とか出来る人にやってもらった方が良いという事で、この世界の神々は昔から、世界が危機に陥るたびに召喚を繰り返してしてきたという。
いきなり呼ばれた方からすれば迷惑でしか無いが、おそらくそれがこの世界の『神』というものなんだろう。
「それでは行ってらっしゃいませ救世主さま⋯⋯ふふふ」
先ほどとは別人のように、ニコニコ笑顔で私を送り出すパワハラ女神。
私はコイツの事を生涯忘れはしないだろう。もちろん悪い意味で。
さて、特に気になる事がひとつ。
「あの〜。剣以外で何か装備は無いんですか?」
そうなのだ。
私の現在の装備は、『普通のパーカー』、『普通のジーンズ』、『おしゃれなスニーカー』の超軽装備である。まさかコレでドラゴン退治はあり得ないのでは?
そんな私の不安をよそに、メリーは返事をする代わりに聞き慣れない言葉を紡ぎだした。
次の瞬間、私の周囲の景色がグニャリと歪み始めた。
これってまさか魔法の呪文ってヤツ?
「⋯⋯この者を⋯⋯ドラゴンのもとへ⋯⋯」
今からすぐに行けと?
「あの、盾とか鎧とか⋯⋯」
景色がどんどん溶けていき、別の何かへ変化する。
「せめて薬草とか⋯⋯」
メリーには私の言葉が届いてないのか、完全に無視しているのか知らないが、すっごく嬉しそうに微笑みながらこっちを見つめている。
「大丈夫、あなたには英雄の剣と神の加護がありますから。ドラゴンなんてただのトカゲも同じです」
その『神』が信じられないし、そもそもトカゲとかヘビとか苦手なんだけど⋯⋯。
文句のひとつでも言ってやろうとした瞬間、あたりが一気に暗くなった。
私にはここがどこなのかすぐにわかった。
ここはドラゴンの住むダンジョン最奥部。そして目の前には。
「なんだキサマは? いきなり我の前に現れおって、よほど礼儀を知らん輩とみえる」
真っ赤な鱗に覆われたでっかいトカゲ⋯⋯。いや、ドラゴン様が眼前におられるのだけどあのバカ女神! 本気でこっちの都合を考えてない。
「心の準備ってのがあるんだよーーー!」
思わず叫んでしまった⋯⋯。
「グルルルル⋯⋯」
と、これはドラゴンの苛立ちか。車のエンジン音のような低い音がダンジョン内にこだまする。
ああ、これは怒ってらっしゃる。頭からガブリと食べられてしまうのか?
私は一か八か剣を構えた。
当然、素人なものだから構えもなにもただ持ち上げただけ⋯⋯。
恐怖で身体が震える。汗が吹き出す。もう何が何だか分かりません!
「グカカカカ⋯⋯。その剣、そうか貴様あの女神にそそのかされたクチか⋯⋯」
わ、笑っている? いやいやそれより、そそのかされたってどーいう事?
困惑する私をさも可哀想なものを見るようにドラゴンは語りだした。
「大方、ワシのことを悪の権化のように吹き込まれているのだろうが実際はその逆だ。神々こそがこの世界の生命体を支配しようとしているのだ!」
「ああ、なるほど。それであんなに胡散臭かったんだ。あの女神、ずいぶんと偉そうだったし!」
私は何かすごく腑に落ちて剣を放り捨てた。暴力とか嫌いだし、何よりも扱いが雑過ぎるのも納得出来なかったから。
私の愚痴を黙って聞いていたドラゴンはさっきよりも愉快そうに笑いだした。
「グハハハハハッ! キサマには本質を見極めるだけの感覚が残っていたようだな。気に入ったぞ!」
もうドラゴンに恐怖は感じない。むしろ安心感さえある。
「私は家に帰りたい。何とかならない?」
聞かれたドラゴンは答えなかった。その代わり別の方向から声がした。
「⋯⋯その剣の役目を果たす事ですよ。初めに言ったでしょう? 邪悪な
ドラゴンを倒しなさいって」
振り返ると最初に出会ったあの女神メリーがいつの間にか背後に立っていた。
手には私が捨てた剣を持っている。
「駄目じゃないの。この英雄の剣はあなたにしか扱えないんだから」
笑顔だが、ひどく冷たい目。こ、怖い⋯⋯⋯⋯。
「相変わらずだな。もうお前達の時代では無いというのに⋯⋯」
ドラゴンが呆れたように首を振った。
「この世界の人間はもはや私たちを警戒してますからねえ。他の所から『私たちにとっての英雄』を探すしか無いでしょう⋯⋯あなたのせいですよ『救世主アーガス』様?」
メリーは丁寧だが明らかに憎悪を含んだ言葉を発している。
「アーガス⋯⋯、その名も久しいな。数百年前にお前達の支配から地上を解放して以来か」
えっ? 神のほうが悪者じゃん!
「それじゃあ私はまるっきり偽の情報を無理矢理刷り込まれたって事? 信じられない!」
憤慨する私をメリーは悪びれる様子も無く、バカにしたように見やる。
「まあ、そうね。でも、この世界の地理情報と英雄の剣の事くらいは本当だから全部っていう事は無いかなあ。それに⋯⋯」
メリーは一度、言葉を区切ると残念そうに嘆息して続けた。
「この召喚は失敗だったから、早くヤツを倒してほしかったんだよなあ⋯⋯⋯⋯」
この言葉を最後に私の意識は途絶えた。
気付くとそこは見慣れた古アパートの一室で寝ていた。
時計は午前三時を示していた。
ああ、そうか。昨日は残業で遅く帰って⋯⋯、着替えずにそのまま寝ちゃったんだ。
酷い夢を見ていた気がする。しかもかなり中途半端な終わり方をしたような。
でも覚えていない。何だっけ?
ただひとついえるのは、どんな世界地図にも載っていない謎の地理情報が、数日間頭から離れなかったという事だけである。