さようなら さようなら
さようなら さようなら
『きみのまぼろしを守りたいいいいっ』と、佐野元春の『ガラスのジェネレーション』の一節を頭の中で口ずさみながら部室に入っていくと、米利門子先輩がひとりっきりで大机についてノートパソコンを覗き込んでいた。
先輩はノートパソコンで文芸部のメンバーの六人、つまり、姉妹もくじゅ部長代行、森城いずみ、松尾響子、そして、僕、水辺果実と本人であるところの米利門子、今年の夏にイギリス留学から復学予定の桜並木かをる先輩の、それぞれの瞳の涙せんのとこを超拡大した画像をつくっていた。
「みんなの写真、さがすのにくろうしちゃったわ」
「これ、今度の文化祭でプリントアウトして展示しなさいよ」
「あと、夏目漱石とかヘミングウェイとか石川啄木なんかのも」
「モンゴメリは忘れちゃいけないわね」
涙せんの画像が、展示会場の壁一面に貼りだされる様子が眼に浮かんだ。柿本人麻呂と山上憶良は、まんが研究会の小笠原夕実に描いてもらおう。
米利先輩の卒業。
小学校の卒業文集の最後のページに担任の小松先生がひと言「がんばれ。みんななかよく」って書いてたけど、これは当たり前なんかじゃない。涙せんが似てるやつらばかりだったら話は早いだろうけど。涙がしょっぱいのは哀戦士が背負っている十字架のせいだ。ぼくらは哀戦士、愛戦士だ。
「心臓って、心を収めた器のことよね」
「こころはどこにあるのかしら」
ノートパソコンのかたわらにはヘルマンヘッセの『ラテン語学校生』が置いてあった。
「ヘッセの『ラテン語学校生』を読んでたってのを、高校生活の最後の思い出にしたかったのよ」
「三月の卒業の部室でね」
うそつけ。部員の涙せんの分析研究してたくせに。
米利先輩はヘッセを手に取ると、しばらく行を追っていた。僕はようやく、いつもの窓辺の席に腰をおろした。すると、米利先輩は「ふーっ」と息継ぎするようにヘッセから顔を上げ、また話し出した。
「学生の分際で水やりをした花たちとも今日でお別れよ」「PTAの皆さんが草むしりしてくれたプールサイドも二度と立つことはないでしょう」
「わたしの座学は終わりよ」」
「商業作家をめざすわ」
「昔読んだ物語をおもいだしたの」
そして、米利先輩は、その物語の記憶を語りだした。
「男の子ふたりと、女の子ふたりの四人が、サツマイモの種芋をさずかって、干ばつで飢饉のふるさとに種芋をもちかえって畑をおこすっていう話よ。
種芋を手にいれた彼らの行く手を大河がさえぎるわ。ふるさとへの道はその大河を渡らなけらばならないのよ。
でも、渡るには、岸にあった二艘の船、一隻はちゃんとした船、もう一隻は泥でできた泥船。その二隻に乗り込まなくちゃならないのよ。それぞれ定員はふたり。男の子と女の子、ひとりづつの二組にわかれて河をわたりはじめるわ。泥船は沈むさだめにあるけれど、どっちが泥船かは判別できないの。種芋をわけあった二組は濃霧のたちこめる渡航で、お互いの無事を確かめるように「声」をだしあって、恐怖にあらがって、勇気をあたえあってわたっていくわ。
でも、やがてどちらかの声は途絶えてしまうのよ。悲しみにあらがって、残された二人は、でも、やがて戦乱で矢じりのとびかうなか、ふるさとの大地を耕し、その畑に干ばつでも育つというサツマイモを植え続ける。」
「という話よ。」
「小学生の時、学研の『四年の読み物特集でよんだ物語よ。」
「私たちは、泥船かもしれない船に乗り込んで、「声」をかけあって、そして、いつの日か仲間が「ふるさと」の「畑」に「種芋」を持ち帰る日を信じて、マザーシップに乗り込むのよ。」
「この話を読んだ九歳のときは「声」はきこえなかったわ。けど、今なら心にきこえてくるわ。商業デビューという罰ゲームの悲しみの構図のなかで、カレーまん構文を運んでいくのよ。ヘッセやダンテをひらけば長い年月がたってるんだなって実感するわ」
サツマイモの話がはじまるころに部室に入ってきていた森城いずみと松尾響子が口をひらいた。
「悲しみの、涙の河を泳いでわたるんですね」
「「声」をかけあって」 ふたりはなんか興奮ぎみだった。
「そうよ、応えてほしいわ。「そこ」にいるなら。」
「ここは、紀元前4年のイスラエルじゃないのよ。大衆向けの通信手段がいっぱいある現代よ。」
米利先輩が珍しくまじめな目つきになっている。
「私にはサツマイモの葉が生繁って、夏の風にそよいでいる濃緑の大地がみえるわ。」
さようならいつかおしっこした花だんさようなら息継ぎをしないクロール
山崎聡子「手のひらの花火」
「『悲しみ』に気づいっちゃったのは果実くんや短歌班のせいよ。」米利先輩が元の笑みをふくんだ表情で僕たちの方を見て言った。
「魔王討伐の旅にあなたたちも加わりなさい。」
僕もスターシップに乗り込みたいと思った。「沈黙の艦隊」の一隻のポパイ・ザ・セーラーマンになりたい。
「じゃあ、わたしはそろそろ行くわ。二時間待ったけど、もくじゅがきたら本棚の本を増やしなさいって言ってたって伝えて。」「あれじゃあ、本棚が寂しすぎるわ。」
米利先輩と短歌班メンバーの計四人で校門まで行くと、姉妹部長代行が立っていた。手には四月に発行予定の部誌の原稿の束があった。
「米利先輩、受け取ってください。来年度に発行予定の部誌に掲載予定の作品たちです」
手渡された作品群のなかに、自分の小論「河という河が流れ込むところ:海」をみつけて米利先輩は、はっとした様子だった。その小論は、カレーまん構文の発見を導いた問題作だ。そして話し出した。
「わたし達、文芸部の間にカレーまん構文がみつかったように、広い社会でもカレーまん構文は成立すると信じたいわ。」
「米利先輩の信念は裏切られることはないでしょう。」姉妹部長代行が応えた。
「カレーまん構文の社会実装というスイミングスタイル。わたしは自由形でいくわ。」「文芸部で過ごした三年間を生涯、忘れないでしょう。」「この愛に泳ぎ疲れても流されないように勇気を与えてね。」
松尾響子が笑いながら話し出す。「文芸部の作品、姉妹先輩の小編、わたしたち短歌班の短歌たち、それらの中で、どれが一番よかったですか。」
米利先輩が神妙な顔で返答した。「どの作品も、それぞれ良さがあって。。。。」「うーん、水辺君のあの一首かな。」
ジェラードを舐めるあなたは石段で迷子のくせに自由だという
水辺果実
「ええ。米利先輩は『河研究』に没頭してたんじゃないですか」森城がおどろいて叫んだ。
米利先輩が、さらに神妙な顔になって答える。
「まあ、なんていうか、短歌の愛と愛の競争の構図に着目出来たってことが一番ね」
そう言うと、「それじゃあ、またね」と言い残し校門を独り出ていった。
追憶のもつとも明るきひとつにてま夏弟のドルフィンキック
今野寿美「花絆」
『食事代は部費から出るので、お弁当は持ってこないように』
旅のしおりのプリントにはこんな一行があった。絶対、あやしいだろ。また何かしかけがある。いや、みえみえだ。僕は小遣いを多めに持って集合場所のカナツ駅にむかった。
七時十五分。駅前には、姉妹部長代行と松尾響子がなにか話していた。
「朝食は、特急の中で食べるってしおりに書いてありましたけど、姉妹先輩の荷物、ずいぶん身軽じゃないですか。みんなのお弁当なんて、入ってないでしょう。」
「もう、わかってんでしょう。響子ちゃん。」
そこに、ロードバイクに乗った森城が、ぴゅーっと通り過ぎ、僕たちは森城が、自転車置き場で自転車を停めこっちに走ってくるのを眺めていた。
「いろんなことを想定して早めにきたけど、みんなはもっと早かったね。」
そうなんだ。僕もいろんなことを想定しているのだ。「今 何時」森城が叫ぶ。カナツ駅前には僕たち四人の姿しかない。
「七時半よ。」姉妹部長代行が応える。「もうわかってると思うけど、じゃーん。短歌班三人分のお弁当は、このエビフライセット弁当一個だけでーす。」「きみたちはどうするかな。」
森城が叫ぶ。「そんなことだと思って、わたしお小遣い余分にもってきてまーす。」
「わたしも、もってきてるわ。」「いずみちゃん。商店街に買い出しにいこう。」「まだ乗車まで三十分あるわ。」
ふたりは日ごろのジョギングで鍛えた健脚で、まだ、数件しか開いていない商店街へ走っていった。
おいてけぼりを喰らった僕に、エビフライセット弁当が手渡された。
森城は、鮮魚店のまかない弁当、「海鮮フライ弁当」を買ってきた。
松尾は、早朝営業のパン屋さんの「サンドイッチアンドハムカツセット」を手に入れたんだ。
石段に真昼の影はきざまれつ 戦い方を教えてほしい
吉川宏志「曳舟」
技を競い合う社会で、情動の影という争いの側面をもったランニングレース。そのルールって。走り方って。
カレーまん構文を前にしたとき、人々は社会を形成する。ホッブズの秩序問題、トロッコ問題の正解は「社会の形成」だ。この駅前は「ハイ・ハーバー」なんだ。森城と松尾は、ハイ・ハーバーの小麦畑で収穫された小麦をコナンと取引して、パンを。ジムシ―と取引してハムを、ガルおじさんの生けすから魚を買って、それぞれの朝食を賄ったんだ。
しかし、うーん。話が出来すぎてんじゃない。姉妹先輩と森城、松尾はとっくに昨夜、話をつけていて僕にいっぱい食わしてんじゃないか。うそついてんじゃないのか。うーん。
発車の時刻、八時ちょうど。僕たちは銀河の路線をえらんだ。
駅前の信号待ちで、僕たちの目の前を、山川運輸のトレーラーが通過していった。
列車が、ふみきり前を通過するタイミングで、愛着交通のバスが僕たちの車窓をしばし並走した。
そんな景色を不思議な気持ちで見てたけど、僕は、誰かに今、話すのは違うと感じていた。
「水辺君、窓を見ると何が見える。」姉妹部長代行が話しかけてきた。
四人席には、森城と松尾が通路側で食べているポテチチップスにら餃子味の香りがすこししていた。
激しさをそっと忘れているような街並みが見えた。しかし、この景色も、愛と愛の戦いの結果、生まれた眺めだ。
カナツ市では、まだ蕾だった桜が南下したせいでひらひらと舞い散っている。昨年の部誌作成の年末進行の合宿の米利先輩の思いのたけの話が胸に聞こえてきた。あらわになった魔王。そして窓には僕の顔が写っていた。
僕ははっとした。魔王の正体は僕自身。自分の心の暗闇。スティーブン・ビンカーの内なる五人の悪魔、そして内なる四人の天使。
姉妹先輩がニコニコいている。僕が、少しわかりはじめた事を感じたのか。つまり、ランナウェイ。自分の弱さからのジャスト ア ランナウェイ。何が大事なのか。僕と魔王の毎日の追いかけっこ。
車窓には、春の海がひろがりだしていた。
由比ヶ浜の潮風はヴァンゲリスの調べ。海岸に魔王城なんか無くて、一本のチョコバットを奪い合い、分け合う森城と松尾の「こころ」があるだけっだった。
その二人が、「はんぶんこよ」「いやよ、全部わたしのものよ」とかなんとか叫びつつ、浜辺の波のなかを走りながら僕に近づいてくる。ブルマに着替えた、むきだしの脚の沈み具合から、結構な深場を走っているらしい。
僕のいるところは、寄せくる波がくるぶしまでのところ。水温はまだ低くて泳ぐにはまだ早い。
カレーまん構文は、僕らは決してひとつにはなれないことを示した。個々が自立してタフで優しい心で暮らしを営み、やがて社会が成立することが、自由、そして平等なんだ。
僕はまだ、文筆で食べていける自信なんて無い。夏がくるのが怖い。でも、今の社会は、ハイ・ハーバー。僕以外のみんなは、夏が来たように浮かれ気分みたいだった。
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
笹井宏之「えーえんとくちから」
走っていた森城がちょっとよろけた。僕は思わず手を差しのべた。
森城はキョトンとした様子で僕をみつめて、そしてニヤッっと笑みを浮かべて言った。
「気持ち悪い」「あははははっ」
そう言い放って、きゃらきゃら笑いながら松尾の跡を追って走って行ってしまった。
僕たち四人は、砂浜で期間限定のポテチチップスラー油しいたけ味をたべていた。
午後三時。真っ黒なスウェットスーツを着て、真っ白なサーフボードを抱えた長髪の女性が向こうから歩いてきた。
米利先輩だった。
「ホッタ イモ イジルナッ」
デンジマスク作り終えたる青年のハンダゴテ永遠に余熱を持てり
笹 公人「抒情の奇妙な冒険」
わたくしの海辺の歌のひとつですノルマンディーの解放による
ゆきのしたまりあ「第一レイン」
ひとびとの夜明けを告げるタイマーをつけたみかんの三度目の花
四宮むうん「タイマーみかん」
車窓には夜景がひろがる。この光のひとつひとつが愛と愛の戦いの暴風雨の中でかろうじて現実化している夢なんだ。この日常のかけがえのなさが、この胸にわかるまで、カレーまん構文の社会実装が、この日常なんだってことがわかるまで、心の旅が始まった。
隣の座席の森城いずみは、もってきたヘッドホンで音楽を聴きながらウトウトしている。ボブ。ディランの「風に吹かれて」が、かすかに漏れ聞こえる。”ハウメニ””ハウメニ”
森城いずみが何かつぶやいた。でも僕は何を言ったのか聞き取れなかった。でも、”ハウメニ”いつか思い出すだろう。
窓にもたれてそんなことを思っていると、姉妹部長代行が、手にした、ジューシー唐揚げマヨ弁当の包装紙の裏にすらすらとペンで何かを書いてぼくにさしだした。
「水辺君、これよこれ。」「ひとりで傷つくことは無いって、前にも話したでしょ」
分け入っても分け入っても青い山
種田山頭火
夜、二十三時。パソコンで「短歌たんかタンカ」を閲覧したら、かのうぷす子の一首がトップになっていた。
太陽に届かないきみ右肩は濡れても良いと思うんだ 虹
かのうぷす子
四月、新年度。三日目に早々と、新人勧誘号四月号が部室のドアに貼りだされた。
もし夢に余白があれば指先で折り目をつけて今夜探すよ
姉妹もくじゅ
海岸線 風のせいなの波のせい 足跡なんてみつからないよ
ほたる
カイ・シデンの声がきこえる操縦室の「ちゃんとやらなきゃいけないんだぞ」
松尾響子
高台にあるレストラン眺望とメニューときみの銀河の話
水辺果実




