たいむ・うぃる・てる
たいむ・うぃる・てる
二月中旬の金曜日の放課後。部室には僕以外だれもいなかった。森城と松尾が、三月末に開催される、カナツ市ハーフマラソン大会への出場準備の練習で校庭グラウンドを走っている。文芸部の部室の窓から、森城が青色のウィンドブレーカーでトラックをジョグしているのをしばらく眺めていた。風が強そうだった。窓辺の振り子の置物は静止している。あんず色の夕焼けに静止したそれは銀色の発色であらがったいた。
透明なビニール袋に入れるのは秋桜の花クロールのみず
ゆきのしたまりあ 「第一レイン」
今日は、部室にゆきのしたまりあの第三歌集「第一レイン」と昨年、丸川短歌賞に佳作入選した歌人、四宮むうんの第一歌集「タイマーみかん」をもってきていた。
最近、着想した「短歌四面体論」をできるだけはっきりさせたくて、この時間を「短歌四面体論」のアイデアを練る時間にしたいとおもっていた。
たとえば、歌人 穗村弘の一首
目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき
穗村弘 「手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)」
を引用してみる。
ずーっとモヤモヤしているんだけど、なぜ短歌が魔力をもつのか。ブルースハープ理論では、歌人が製作したブルースハープ、つまり一首を、詠む人が吹き鳴らしてよい。その一首で、好きなメロディー、情景を奏でればよい。その人の「生活」「経験」や「思想」「哲学」をその基盤にしていればいいんだ。
穗村弘の一首だって、詠む人で、目覚めた場所は「布団」それも「赤色の布団」だったり「ベット」だったり。でも、その無限の自由度のなかに核となる構造がみえる気がする。そしてその構造ゆえに、短歌の一首は、誰の心にも到達する「切っ先」、「魔力」をもっているんだ。
僕の着想は、その「切っ先構造」を、「四面体」で説明することだ。四面体の四つの面に、穂村弘の上の一首を対応させると、
「目覚めたら」を第一面、「息まっしろで」を第二、そして第三、第四を「これはもう」、「ほんかくてきよ、ほんかくてき」に割り振って、一首が四面体を成しているという説だ。
詰将棋には、たとえば十一手詰めの問題でも、正解は一つだけだ。だけど、あれこれ思う悩むのは何通りもある。四面体は「球面」とおなじとみなせるそうだ。ほおり投げれば、それがだす面は、裏とか表とはじゃなく、ころころ転がっていく。短歌もそうだ。心の基底にほおり込んでも、ひとつの面だけを見せるわけじゃなくて、取り扱い不可能な「景色」を描き出す。
「目覚めたら」なら、それは、「なん時に」「どこで」「どんな状態で」と「面」を張るんだ。「息まっしろで」も、単独にその「面」を眺めれば、「『まっしろ』ってなんで白。小麦粉でも吹いたの」「牛乳でも吹いたの」「いや、吐息の気化と凝集か」とイメージを膨らませることができて、それが、第一面、第三面、第四面と、順不同に接続し、また、対向しているんだ。
つまり、なにもない中空の四面体の内部こそが短歌なんだ。その帰結の一つが散文として
「わたしはタンザニアのホテルの一室で目が覚めた。夜明け。息が白い。赤道直下の街なのにこれは錯覚だ。エクトプラズム。窓の外はキリマンジャロの山頂が白い。厳格じゃなかったのだ。この目覚めは、まさに後戻りのない目覚めなのだ」
と、表現することもできる。
四面体を展開してしまえば、四つの要素が縦に並んだ四角形、ひし形の平面になってしまい心の基底に沈めても、その面しか見せない。一方、短歌の表現形式なら、四面体のまま、無限の「万華鏡」となる。
先に書き下した散文以外にも、なんとおりもの散文、つまり万華鏡の文様が、陽炎のように心のなかで揺れるんだ。だから、短歌は短歌でこそ景色であって、魔法なんだ。
こんなことを、ノートに綴っていいたら、姉妹部長代行が部室に入ってきた。
「おっ、やってるね」「わたしも、部のノートパソコン使いたくて今日は長居するわよ」
「例の『カレーまん』構文だけど、あれって、「一人のひとがカレーまんにありつく」と「その以外のN人の人がカレーまんにありつく」の二つの文でできてるじゃない」
「『一人の命の成立』と『N人の命の成立』が両立することを要請してるじゃない」
「その構図って、物理で習った『ソリトン波』の解構造と同じじゃないかっておもって」「カレーまん構文が、ソリトン理論といっちしたら面白いわよ」
そう言いながら姉妹部長代行はノートパソコンを立ち上げた。
「だから、ちょっとネットで調べたいのよ。どこのとこを」
窓の外はもう真っ暗で、でも、トラックには森城がジョグってる人影が見えた。松尾もどこかにいるんだろう。風が強そうだった。部室の時計がチックタックと音を立てながら十七時を示そうとしていた。森城と松尾にしか見えない校庭の闇を忌み嫌うように僕は窓から離れた。二人はまだ夜に駆けていた。風が強そうだった。
僕はふたたび、短歌四面体論にとりかかった。この着想をもって、四宮むうんの歌を批評することを検討した。
あさってはリップ教わる予定だしこの席だけが約束の場所
わたくしは花の種です母さんは舗装道路でがんばりました
みんなよりスタートラインが後ろだし半周遅れも仕方ないじゃん
春 風に吹かれて転がって レットイットビー レットイットビー
四宮むうん 「タイマーみかん」
の中から一首目の歌を批評に用いることにした。
「あさっては」が第一面、続く面が「リップを教わる予定だし」、「この席だけが」、「約束の場所」と配置すると、「あさって」は「未来」「未定の将来」「未知の世界」なんかを暗示している。
「リップを教わる予定だし」が、「誰に、リップの何をどうやって、誰が、おしえてくれるんだ」ってなるし、「この席だけが」の「席」は、学校の教室の席なのか、通学の電車の座席なのかってメタなイメージがふくらむ。
そして「約束の場所」。誰との「約束」なんだ。そして「場所」って「席」の狭い空間なの。なんておもいまぐらしてしまう。
そしてそれを、散文のひし形の長方形に、つまり、四面体の展開図にしてしまうと、ひととおりの景色に収束してしまう。
四面体と、その長方形への収束。このへんを研究していきたいと思った。時間がたてばわかるんじゃないかな。
そうこうすると、「ふるさと」のメロディーがカナツ市に響き渡った。十八時だ。姉妹部長代行がノートパソコンから離れて僕の方を向いた。
「やっぱりそうよ。カレーまん構文は『ソリトン理論』や「Dブレイン理論』によって書くことができそうよ。」
「『カレーまん構文』という、ひとの生き方、『ひとの道』の文言が、宇宙論と見事に一致するわ。つまり、ありのままのレットイットビーな『自分を愛し、そのように他者も愛する』な生き方が、『他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない』という生き方が宇宙論で描写できるってことよ。これは、ノーム・チョムスキーの『普遍構文』だわ」
「『空とこの道出会うところ』つまり、カントの『恒久平和』、ホッブズの『秩序社会』が、宇宙論的な予測で、ビッグバンがやがて時を経て、今、私たちが見上げるプレアデス星団の配置に辿り着いたのとおなじ宿命として実現するってことよ。」
「『タイム・ウィル・テル』よ。約束の地だわ」
「コロナ禍でわたしたちは協調とかいろいろ愛を学んだわ」「ビッグバンが木星の大赤斑につながるように、わたしたち勇者一行の生業も辿り着くのよ」
「カレーまん構文と宇宙論のつながりは、『浄土』のかなりの確証よ」
「このつながりは、いわばローマの地下牢につながれて二千年の時を紡ぐ天使だわ。天使は二千年の間、幽閉されて、少しづつ金言を吐露しているのよ」
僕は思わず、クスっと微笑んでしまった。「まるで、その天使は姉妹部長代行のことみたいじゃないですか。地上にしばられて、それでもそんな詩編を綴るんだから」
アラっという感じで姉妹部長代行は瞳をパチクリさせた。
「アラっ、それは水辺君だってそうじゃない。みんな飛べない天使だわ」
カレーまん構文。天使であるにはタフでなければならない。この地球がどこにいこうとしているのかわからないけど、勇者一行の魔法使いとして短歌と対峙していこうと思った。
部室の窓はもう真っ暗だった。森城も松尾も帰宅したっぽかった。風はまだ強く吹いていた。僕と姉妹部長代行はふたりで部室を出てドアをしめた。姉妹部長代行がそのとき微笑をうかべながらささやいた。
「このクソみたいな世界でみつけたカレーまん構文。水辺君。良寛さんの辞世の句を教えてあげるわ」
裏をみせ表をみせて散るもみじ
良寛 辞世の句
新人勧誘号2月号が発行された。
全ガイド終えたる人が長髪を路面に垂らし脱ぐハイヒール 米利門子
ビニールは菓子を包んで破られて とたん世界のあっちとこっち 姉妹もくじゅ
日の当たるところに置いた 夢ひとつ くさかんむりを手掛かりとして ほたる
屋上で愛を告げたる風船のハートのかたち なんで なんで 松尾響子
ビニールがひっかかってる冬枯れのこずえに今日は南の風だ 水辺果実
傘をさす人たちの背よふるさとのいつかの日ならこんなんじゃない
四宮むうん 「タイマーみかん」
トラックの第一レインのウレタンの劣化のせいで長いレースだ
ゆきのしたまりあ 「第一レイン」




