飛ぶ教室
飛ぶ教室
もう少しで三時間目が終わる。昼休みが始まる。キンコンカンコン。チャイムだ。世界史の先生の動きが止まる。
「キュイーン」
教室中にハウリングが響く。
「文芸部 短歌班 水辺果実 森城いずみ 松尾響子は至急 部室に集合してください」
教室のスピーカーで、僕は聞き覚えのある声、米利先輩の声に呼び出された。みんなの視線が僕に集中する。僕はそれから逃げ出すように、先生の挨拶も無視して教室から飛び出した。
廊下に出ると、はるか遠くの1年F組の教室から森城が飛び出してきた。その小さい影が僕に向かって走り出した。手を振った。でも僕にじゃない。振り向くと反対側の1年A組から松尾が飛び出していた。授業の余韻を残した廊下は、まだ静まり返っている。だんだん近づく森城が「ワケワカンナイ」のゼスチャーで、僕たちの進むべき方向を指し示し、そのまま中央廊下に右折していく。それを追って僕と松尾も中央廊下へと走り込む。
昼休み。僕は購買の業者さんのパンを買わなければならない。弁当はふだんからもってこない。業者さんが来るのは南校舎三階の空き教室。部室とは正反対の方角だ。
「なにがあったのかしら」
教室がある中央校舎からはなれると、松尾が話し出した。きっとジョギングの成果にちがいない。走っているのに息がきれていない。
「米利先輩の声だったわ」「でも録音みだいな感じだった」
僕がまっさきに部室に辿り着いた。二人は何か話し込みながら後からジョグでやってきた。
扉をあける。まだ日が差し込まないから部室は薄暗い。誰もいない。
「ホワイトボードに何か書いてあるわ」 森城が眼を細めて探るような口ぶりでささやいた。
” アテンション・プリーズ
ようこそ皆さん
わたしは フライトアテンダントの 米利門子 です
これから数十分 空の旅をお楽しみください ”
「どういうことかしら」
松尾が不安そうに声を絞り出した。
「あそこに紙ヒコーキがあるわ」
森城がホワイトボードの下に、紙ヒコーキを見つけ出して指さした。それは、ノートをいちページ破って折った簡単な紙ヒコーキだった。
何がはじまったんだ。数十分。パンが買えないじゃないか。
松尾が紙ヒコーキを拾い上げ、ためらいもなくひろげる。
” 僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、
その子をつかまえてやることなんだ ”
「サリンジャーだわ。『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンのセリフよ」
あきらかに米利先輩の筆跡でかかれていたのは、『ライ麦畑でつかまえて』のなかの一節だった。
森城がまっさきにそれに気づいてさけんだ。間をおくことなく、すぐに僕たちも気づいた。
いまやノートの切れ端と化した紙ヒコーキの裏側には”つぎは図書室よ”と書かれていた。
「わけわかんない」森城が愚痴る。
「おもしろそうじゃない」「『空の旅』。楽しみましょうよ」松尾が頬を紅潮させている。一月の校舎は冷え切っていた。
「つぎの問題をみれば、『方針』がみえてくるよ」ぼくは、なぞ解きを楽しみだしていた。パンのことは忘れてしまっていた。
先が見えないから、急ぎ足にならざるを得ない。はや足というよりはジョグペースで図書室についた。
「あったわ」「紙ヒコーキよ」森城が、図書室にはいってすぐのところの大机の上を指さす。図書室はまだ誰もいない。
” 他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。
他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ。 ”
紙ヒコーキをひろげて森城が叫ぶ
「誰だったっけ」「誰かの名言よ」
「トルストイよ」「アンナ・カレーニナ」のトルストイよ」
これは、森城以外、僕と松尾にはわからなかった。”他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない”あたりまえのことじゃないか。僕にはそう思えた。
” 次は生徒玄関よ 走りなさい ”
生徒玄関には、黒板がある。月度の生徒会のメッセージや、行事内容が散漫と書かれている。普段なら。
だが、僕たちが生徒玄関につくと、黒板に書かれた、普段の言葉はすべて消されていた。
” 下ノ畑ニ居リマス ”
「下の畑って、畑っていったら『園芸部』のキャベツ畑のことじゃないかしら」松尾が独り言のようにつぶやく。わけがわからないにだ。
「米利先輩が、キャベツ畑にいるってことかな」僕がとりあえずという感じで言葉をはさむ。森城は黙ったままで黒板を見つめていて、ちょっと首をかしげる。
「この言葉 どこかで 」
あたりには紙ヒコーキはみつからない。僕らは園芸部のキャベツ畑をめざして走り出す。カナツ高校は上履きも下履きもない。下履きオールだ。玄関からでてそのまま目的地へ行ける。
キャベツ畑は、職員室の南側、窓辺のスペースに設けられている。その横には花壇がつくられている。今は、なにもみえない整地された土の露出だ。
紙ヒコーキはすぐに見つかった。キャベツ畑の端っこ。米利先輩の姿はなかった。ここは放送室の真下に位置する。
” 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない ”
「わかったわ」「賢治よ。宮沢賢治だわ」森城が大声でうれしそうに声を上げた。
「生徒玄関の黒板の言葉も、紙ヒコーキの言葉も、宮沢賢治のものだわ」
アメリカ、ロシア、日本、そして時間軸は何世紀なんだろう。三つの言葉を僕たちは抱え込んだ。
” カナツ教会に走れ ”
僕たちは、三枚目の紙ヒコーキの裏のかかれた指示にしたがって、学校の敷地を飛び出した。カナツ教会は、裏門の路地を三百メートルぐらい走ったところにある。カナツ教会につくと、玄関の扉につづく階段の七段目に紙ヒコーキが置かれていた。
” 隣人を自分のように愛しなさい。 ”
「わたし これ知ってるわ。」松尾が、はーはー言いながら謎を解く。
「「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように
愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」マタイ22-37~40」
「聖書の言葉よ」
紙ヒコーキは、いっきに二千年前、紀元元年へとさかのぼった。
”カナツ寺 へ 走りなさい ”
” 南無阿弥陀仏 ”
” 中央校舎の屋上でまってるわ”
カナツ寺は、カナツ教会から西の方角のちょっとした丘の街並みを抜けていくと出くわす。
「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依することを表す言葉。「私は阿弥陀仏にすべてをお任せします」という意味をもっている。「わたし」という自己の利己と、阿弥陀仏という「他者」への利他的行動。僕たちはいよいよ、米利先輩がいる中央校舎屋上へと、ふたたび学校の敷地へとふみいった。
「非常階段からいこうよ」「そのほうが早いわ」「昼休みはあとニ十分しかないわ」松尾が、まだまだスタミナ十分の雰囲気で僕たちに言った。
「非常階段」「いっきに駆け抜けるわ」森城が興奮して叫ぶ
カンカンカンカン 三人の足音が金属の非常階段を響かせる。
放送部の昼の番組放送が校舎の外まで聞こえてくる。
” つぎは三年D組 米利門子さんのリクエストで ジョン・レノンの『イマジン』をお送りします」
じゃんじゃんじゃん じゃじゃじゃじゃーん 『イマジン』のイントロのなか、三人は屋上を目指して止まることは無い。
” Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine ・・・. ”
時刻は12時30分を指していた。北校舎の大時計だ。あと15分で昼休みが終わる。パンの販売が終わる。
非常階段の最後の踊り場から、米利先輩の姿が見えた。僕たちを手すりから見下ろしている。ビートルズのレコードのジャケットみたいに。
「キューイン」再び ひどいハウリング。米利先輩がもっている拡声器にスイッチが入っのだ。
「あー あー おっほん」
「よくここまでのぼってきたわね」
”想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...”
『イマジン』が響く。そして屋上は静まり返った。
僕たち短歌班は、ぜーぜー言っている。いや、正確には僕一人か。森城と松尾の二人はけろっとしている。
米利先輩が右手で何かの紙袋を差し出した。
「本日はご搭乗いただき誠にありがとうございました」「でも、あいにくあなたたちは、何も口にすることができなかったわね。昼休みはもうお弁当を食べている時間は無いわ。」「あなたたちにこの『カレーまん』をサービスするわ。」
そういって、米利先輩は、ひとつのカレーまんを差し出さしたのだ。コンビニのやつのだ。
「一個だけじゃたりません」「すくなくとも一人に一個ずつじゃないと足りません」松尾が叫ぶ
「わたし、お弁当食べたかったです」「オムライス風ホワイトソース仕立てだったのに」
「わたしも、スコッチエッグ作ったのに」森城がすねたように付け加えた。
弁当を持ってきていないのは僕だけだ。パンの販売はもうない。森城、松尾は放課後、部室で自分の弁当を食べればいいんだ。カレーまんは僕にふさわしい。
「カレーまんは僕がもらうよ」「ふたりは どこかのタイミングで自分の弁当を食べなよ」
「放課後しかないし、放課後までまてないわ」「私たちはジョギングしてるからお腹が君よりすいているのよ」「水辺君は、ジョギングしていないから、カレーまんを食べる資格は無いわ」森城の僕への塩対応がまだ続いているのを確認した僕は黙り込んでしまった。
「ジョギングしている私たちと、水辺君では見ている景色が違うのよ」「カレーまんは松尾ちゃんと二人でわけるわ」
「僕だって腹が減っているし食べる資格だってあるよ」「資格なんて誰にだってあるんだ」
はっ。この時僕の目の前に二行の文章があらわれた。第一の文章は
「僕はカレーまんを食べる資格がある」 そして第二の文章は
「僕以外の誰もがカレーまんを食べる資格がある」 だ。これは、短歌における「愛の歌」と「愛の歌」ラブソングの悲しい闘いの構図。年末進行の合宿所のパエリアは秩序のもとで五等分されたが、一皿は一人前に十分だった。だが、今日のカレーまんは、三人で三等分したら一口で終わってしまう。みなが、空腹のくるしい午後授業を受けることになる。カレーまん構図。このカレーまん構図は、第一のヒコーキの言葉
” 僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、
その子をつかまえてやることなんだ ”
そして、続くいくつものスパークル
” 他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。
他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ。 ”
” 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない ”
” 隣人を自分のように愛しなさい。 ”
” 南無阿弥陀仏 ”
そして
”想像してごらん みんなが世界を分かち合うんだって”という、ジョン・レノンの夢
歴史という時間軸上、そして、世界という空間軸上の『軌跡』この軌跡は、カレーまん構図
第一文「僕はカレーまんを食べる資格がある」
第二文「僕以外の誰もがカレーまんを食べる資格がある」
二つの文章を両立させる世界をはしっていく『銀河の鉄道』
そして、そのエクスカリバー構図は「タフでなければ生きていけない 優しくなければ生きていく価値は無い」だ。勇者コメリは「石から引き抜いて血筋を証明した剣」「湖の乙女から与えられた魔法の剣」エクスカリバーを手にしたんだ。そして、その血筋は僕たちにも流れている。
「短歌班 今日、あなたたちにはカレーまん一個しかないわ」「このカレーまんをめぐって争うか、それとも正解をみつけるか。これはわたしからあなたたちへの宿題よ」
しかし、ぼくたちには、答えが一つあった。それは『短歌マンシップ』
「米利先輩」「僕たちは短歌マンです」「たがいを悲しませるようなことはしません」「あの悲しみは置き去りにしません。三等分します」
「駄目よ」「レディーファーストがその先に立つわ」森城はなおも僕を攻め続ける。「私たちジョギングしてるし」
松尾が気の毒そうに僕をみている。米利先輩はにこにこしている。
「それじゃあ、短歌で決着することにしなさい」「テーマは『屋上』」「五分あげるわ」
屋上の近づく雲と太陽の不明なままの微細構造 松尾響子
大粒と小雨のわけをしりたくて非常階段のぼる 雨天に 森城いずみ
屋上を授業のあいまに感じたい 給水塔が浴びる太陽 水辺果実
「わたしには優劣がつけられないわ」「カレーまんはわたしがいただくわ」
そう言い残しそして「あしたから私試験なのよ」と付け加えて米利先輩は去っていった。
放課後、部室でもしゃもしゃと自分たちの弁当を食んでいる森城と松尾を置き去りにして、部活は休む旨を姉妹部長代行に告げると僕は校門をでた。駅前のスーパーで焼きそばパンをかって電車のなかで食べよう。
家につき、自室のパソコンで「短歌たんかタンカ」をチェックすると、新着の、かのうぷす子の一首がランク一位に表示されていた。
虹がでるきっとでるから横にいる雨のち晴れの予報の時に かのうぷす子
これ・・・『デレ』じゃないの。
ぼくは ゆきのしたまりあ の一首を思い出した。
雨粒のひとつひとつを数えれば道路にできる いっぱい 水平
ゆきのしたまりあ「たこ公園時代」
月曜の放課後、部室に行くと姉妹部長代行が一人だけだった。僕が合宿のとき部誌に寄稿した一首
あの夏と呼ぶ夏になると悟りつつ教室の窓が光を通す
武田穂佳
を引いて、「私たちはデビルズマウンテンの高度一万メートルの雲上にいるのよ。聞こえるのは五音階。そして、ウルフマン・ジャックの「この声」だわ」
僕はカレーまん問題を解けない、どじでのろまなカメだけど、短歌をやっていきたいと思った。「魔法使いになりたいんです」
「それならこの詩集を詠めばいいわ」姉妹先輩が、部の本棚から一冊の詩集を僕に差し出した。
「雪の日に」
吉野弘
ー誠実でありたい。
そんなねがいを
どこから手に入れた。
それは すでに
欺くことでしかないのに。
それが突然わかってしまった雪の
かなしみの上に 新しい雪が ひたひたと
かさなっている。
雪は 一度 世界を包んでしまうと
そのあと 限りなく降りつづけなければならない。
純白をあとからあとからかさねてゆかないと
雪のよごれをかくすことが出来ないのだ
誠実が 誠実を
どうしたら欺かないでいることが出来るか
それが もはや
誠実の手に負えなくなってしまったかのように
雪は今日も降っている
雪の上に雪が
その上から雪が
たとえようのない重さで
ひたひたと かさねられていく。
かさなっていく。
新人勧誘号一月号が部室のドアに貼りだされた。
さよならは言わないそれにさよならじゃない人がいる卒業の時 米利門子
あの夏の吾のクロールの息継ぎのCO2が古古米になる 姉妹もくじゅ
ソプラノの声で朝日のあいさつをする人とよくすれ違う道 ほたる
目薬の成分表を比べれば精製水の共通がある 松尾響子
ドラえもんとふたりで逃げた何かからジャイアンよりももっと大きな 水辺果実




