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文芸部 ほたる短歌班  作者: はあとのええす
13/13

虹デレ

虹デレ


 森城に勝利した日、つまり森城の塩対応がエスカレートしていった日の晩、僕は短歌投稿サイトの「短歌たんかタンカ」の最上位の歌で虹を詠った一首を見つけた。



  太陽を七つに分かつ雨だれを虹とながめる日の当たる場所  かのうぷす子



 雨にぬれる場所で、太陽はその素性をあらわにされる。恋人の嫌いな部分をみつけたときの雨だれ。そして今は太陽の、もとの太陽の陽の光をあびている。恋人への幻滅が修復された歌。。。に違いない。

 翌日、放課後恐る恐る部室に入ると、森城はもう来ていた。米利先輩、姉妹先輩、松尾もすでに席についていた。

 「水辺君、遅いよ。ドリルやるよ。ドリル。」米利先輩が甲高くさけぶ。

 「今日は、森城ちゃんと松尾ちゃん、水辺くんの短歌班三人にドリルをこなしてもらうわ」

 「わたしは、週末にそなえて、エッセイの構想を練るわ」姉妹先輩は自分の道をゆく

 「今日は、村上春樹の「ノルウェイの森」を使うわ。パラパラめくって出たページの漢字がお題よ」

 米利先輩が、部室の本棚から「ノルウェイの森」を取り出しながら言った。


 今日のスケッチの場所はどこにしよう。この間は第二校舎までの廊下を往復して功を奏した。


 「ノルウェイの森」から米利先輩が選んだ漢字は「言」だった。

 「さあ、三十分あげるから一首作りなさい」


 松尾はインフルエンザ上がりだが、顔を紅潮させていた。ウイルスがまだ残っているのか。笑顔だった。熱があるにちがいない。

 森城がまた屋上に行ってますと言い残しまっ先に部室を出ていく。松尾が続けて出ていった。森城は僕と言葉を交わさないし目も向けない。今日も塩対応な様子だ。

 「言」か。なんとなく体育館まで散策しようと思いついた。僕たちは三十分の戦いに旅立った。


 体育館で語られるのは、生徒会長の演説、県大会とかに出場する部の決意表明、そんな言葉に僕は、そのフレーズに感銘を受ける。そして、言葉、フレーズといえば、ジェイポップの歌詞、そして現代短歌の詩句。それらは、僕の進む方向を指し示す。そしてそれは僕への励ましであり、その返答として僕は彼らに「がんばれ」と言いたい。しかし、今の僕、「短歌フェスティバル」には落選し、短歌班のなかでは最下位の僕にその資格はあるのか。

 そんなことはどうでもいい。あの、かのうぷす子の一首はなんだったんだ。マグカップ級の怒りを解いたということじゃないのか。でも、森城は、僕が、彼女のことをかのうぷす子だと知っていることは知らないんだし。塩対応はつづくのか。この後のディスカッションが怖い。

 部室にもどると、三人のうちで僕が一番だった。


 「おっ。帰ってきたわね。」「じゃあ、ホワイトボードに君の歌を書きだして」米利先輩にうながされ、ぼくは歌を書き綴った。そうしているうちに二人が帰ってきて、ホワイトボードには三首の歌が綴られた。



 がんばれと言いたいならば今ここで頑張らなければならないのです   水辺果実



 一行の言葉にペンを走らせて そう生きたいと思う思春期       松尾響子



 航海に星の並びが要るように君の言葉が必要である          ほたる



 ディスカッションは、森城の独り舞台だった。そして、僕への塩なことばの数々。

 「ひらがなと漢字で『頑張れ』をあらわしたのは、ひらがなでの「がんばれ」が幼いものから、年長のものへの「がんばれ」のように詠めてしまい失敗だと思います。対等なものどうしの言葉の交換とすべきでした。

 「『今ここで』は、言葉かずをあわす安易な選択だと思います。『この時を』と普遍な表現をもっと探るべきです。」

 「『ならないのです』の結句も安直です。『のです』で済まさず、『僕ら』のように、誰もが持つ共通の感情として詠ってほしかったです。」「以上です」


 そして、米利先輩と姉妹部長代行の討議の結果、三位が松尾の歌、二位、森城、そして僕の一首が一位を獲得した。

 「じゃあ、わたし達失礼します」森城と松尾が部室を出ていった。姉妹先輩はエッセイの準備に戻っていた。

 「週末は、カナツ高校文芸部恒例の『年末進行』よ」

 「年明けに発表する『部誌 ほたる』の完成を目指して、現役部員が合宿所いりするのよ」


 「年末進行」あるいは「かんづめ」

 カナツ高校文芸部に伝統的に存在する「部誌 ほたる」の執筆を、第三校舎裏の合宿所で泊まり込みで行う。実際には、部誌の記事の執筆なんてこの一日だけのことだ。短歌班は、おのおのが選んだテーマのプロの歌人の歌を観賞する趣向でいく。僕が「あの夏」で、松尾が「雨」。森城は教えてくれなかった。

 

 帰宅して、短歌投稿サイトの「短歌たんかタンカ」をのぞくと、かのうぷす子の一首が首位になっていた。



  傘を持つ左手 右のからっぽの指であなたは虹を示した   かのうぷす子



 「虹」の歌の連続だ。

 「虹」は、あの雨の日にふたりであるいたときに見た虹じゃないのか。森城はあいかわらすの塩対応なのに、短歌でだけデレるってどういうことだよ。雨は止んだんじゃないのか。こっちはかのうぷす子が「森城いずみ」だってわかってるんだぞ。本心なのか、歌人のあそびごころ、歌ごころなのか。わかんね。

 かのうぷす子の正体を知ったいま、「あの夏」みたいにランデブーするなんて度胸は僕にはなかった。




       人々の頭上を二羽の鳩がとび青空にある空の濁点   ゆきのしたまりあ

                                「麦風のあなた」




       漂着し岩間にひかる自販機が傾きながら水平を売る  ゆきのしたまりあ

                                「たこ公園時代」





 「それじゃあ、おのおののテーマで作業にはいって。あっ。執筆の作業よ」

 合宿所の会議室で、姉妹部長代行が叫ぶ。米利先輩みたいだ。そして引退した米利先輩は、夕方、夕食を作りにきてくれるのだという。受験勉強もそこそこに。

 

 昼食を弁当ですまし、作業は続いた。そして午後三時に終了した。

 完成した原稿を、短歌班三人で回し読みした。



       タイトル「『あの夏』 短歌の切符として」  水辺果実

 


 逆立ちしておまへがおれを眺めてた たった一度きりのあの夏のこと  

                        河野裕子「森のやうに獣のやうに」

 


 誰にでも「あの夏」がある。河野のこの歌では、相聞歌として「おまえ」が「逆立ち」をしていたという「夏」だ。景色として、じっさい「おまえ」が草はらで逆立ちしていたのかもしれない。そんなおどけたふたりの時間の歌。しかし、歌ったのは女性であって「おれ」ではない。彼女の視座から、「たった一度」の瞬間の「彼女」の「彼」への思いの機微をとりあげているのではないだろうか。「逆立ち」というのは「彼女」の「彼」への想いが百八十度、反転してしまった、それを「彼」が悟ったのを「彼女」は知っていた。そんな「夏」の景色。好転か暗転かはわからないが、わたしは陰りのある「あの夏」を感じ取るのである。



 あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ

                        小野茂樹「羊雲離散」



 一つの夏の季節のあいだに、何回もふたりは会っていたのだろう。彼からみた彼女の表情は、ひと夏に有限だったはずだ。しかし、追憶のなかではそれは無限にめぐり始めてしまう。苦しまされるのである。そして、それは決して写真のように鮮明ではなく、とりとめがない。しかし、「共通項」としての「たった一つの」表情があったはずである。「あの夏」をつらぬいた「気持ち」、ひとつの「気持ち」があったのである。「あの夏の本当の気持ちをもういちど取り戻してほしい」ととらえる。



 あの夏と呼ぶ夏になると悟りつつ教室の窓が光を通す   

                        武田穂佳

 


 ひとつのシーズンとしての「学生」時代が終わり、そのことを知っていてもなお「光」はなおも「教室」を「窓」を通じて差し込む。つぎの時代の「学生」に差し込む。光の照射は、この「時代」には無駄だったかもしれない。顧みられなかったかもしれない。しかし、いつかの世代で「光」つまり「タフでなければ生きていけない やさしくなければ生きていく価値はない」「隣人を自分のように愛する」といった、文学や哲学、映画やアニメ、ジェイポップの底に隠れてるディープスタイル 五十億の願い渦巻くワールドはいつかきっと誰かに届くのである。そして愛の世代が慣れない足取りで始まる「あの夏」。




 そして、松尾のテーマは「雨」だった。



      タイトル 「雨」そしてそれをあつめるMという河 あつめて早し 松尾響子




 好きだった雨、雨だったあの頃の日々、あのころの日々だった君

                         枡野浩一「枡野浩一全短歌集」



 詩歌で雨といえば、まっさきは「悲しみ」だ。第一に語られるものだ。この一首を三段論法としての主張ととらえると、「雨」イコール「日々」イコール「君」という形になっている。「わたし」は「君」が好きで、「君」は「雨」だ。雨を好むのは樹木だ。わたしは高山地帯のガスの雨にけむる「ブナ」を思い浮かべる。進化論的に、「雨」が適量の土地に「ブナ」は立つのだろう。そんな「雨」を「ブナ」はこのむのだろう。そうでなかったらブナはとっくの昔に脚をはやし移動能力を獲得進化させていたはずだから。身動きの取れないブナが高山の霧雨の中浮かんでいる景色。一方的な愛を享受した日々。そして愛をかえすことはできない。高々一本のブナが空に愛を返すことはできない。無力さ。わたしはひとりの男子を思い出す。晴れた日には校庭にでていっていまう彼のいない教室の昼休み。でも雨の日にはその笑顔は教室の向こう側で揺れていた。そして私はとおくから君の存在を感じているだけ。この一首はそんな相聞歌に思える。



 ゼラチンの 菓子をすくえば 今満ちる 雨の匂いに包まれひとり

                         穗村弘「シンジケート」

 


 ゼリー菓子とは、おそらく「社会」のことだ。いろいろな事象をそのなかに浮かべ固めたゼリー菓子。そのゼラチンという端っこの透明質なところ。オレンジやメロン、サクランボ、パインといった華やかなビジネス界に対して、詩というマーケットを選んだ自分は、愛を詠う。そして詠うこと、生きることには悲しみがどうしても含まれている。道にはエンドレスレインが降っている。わたしには「この声」が聞こえる。ゼラチンはゼリー菓子の主原料だ。わたしも吟遊歌人として「この声」を発したい。



 

 ビニール傘の雨つぶに触れきみに触れ生涯をひるかえるてのひら

                         大森静佳「カミーユ」

 


ビニール傘、安物の、でも空がよくみえる傘をさしてどれだけの距離をふたりはあるいたのだろう。一本いくらのコンビニ傘の恋、人生かもしれない。ビニール傘のような恋、そしてきみに辿り着いた。雨にうたえばその手のひらには銃口が赤熱の光を発する、レインドロップス・キープ・フォーリン・オン・マイ・ヘッドの二丁のみえないピストルだ。時代遅れの、でも時を超えた短歌というスタイルで。



 松尾の研究は僕のこころを熱くうった。短歌の世界で「みやくみやく」と貫かれる天使のテーゼ。

 続けて僕に、森城のペーパーがまわってきた。



 テーマ 「 無・題 」         ほたる



 一生を見とどけられぬ寂しさに振り向きながらゆく虹の橋 

                          俵万智 



 きみは教室の向こう側にいるね。わたしはきみを見つめていたいよ。もしきみがわたしを置いてどこかへいっていまったらどうだろう。それでもきみは、わたしの知らないところで誰かと話し、笑いあっているのでしょうか。愛し合っているのでしょうか。わたしの不在の家庭を築きほほえんでいるのでしょうか。どこにもいかないでください。




 わが恋は虹にもまして美しきいなづまとこそ似むと願ひむ

                          与謝野晶子



 虹。東洋では竜とされ西洋では希望の架け橋とされた虹。わたしは一本の木立です。果てしの無い草原にひとりぼっちのニレの樹です。あなたは虹であってはいけません。七つの色をもってして万人にむけた笑顔であってはならないのです。どうか天からのいかづちとして地上のわたしに落ちてほしいのです。



 あの虹を無視したら撃てあの虹に立ち止まったら撃つなゴジラを

                           木下龍也「きみを嫌いな奴はクズだよ」



 ゴジラ。嗚呼、きみはゴジラだ。わたしのこころのネットワーク、電線を、鉄道網を、港を、空港を、そしてわたしのキングギドラを蹂躙するゴジラだ。きみは滅びるべきだ。わたしの心から退場するべきだ。わたしは私の国防省を通じて軍を発動するでしょう。全力できみを仕留めるでしょう。わたしの心をこれ以上苛まないでほしいのです。わたしの心の虹を見よ。わざわざ七項目にカテゴライズしたわたしの雨滴の心情を知ってほしいのです。わたしの七色までにゆれる心をしってください。




 なんだこりゃ。




   水平線 自由にゆきかう貨物船 どうやらぼくらは海にきている

                             ゆきのしたまりあ

                               「たこ公園時代」




 パエリアのにおいが会議室のドアを開けるとただよっていた。合宿所のキッチンで、米利先輩がパエリアを、姉妹部長代行が、海老とイカの海鮮スープを作ってくれていた。森城と松尾も皿の準備をして手伝っている。昨今、男子も料理の手伝いぐらいはするのが愛の世代だ。皿洗いはすべてぼくに任せてほしい。

 米利先輩がパエリアを五等分しながら話し出した。

 「わたしたちがすむ世界は二通りあるわ。魔王のなきあと魔族が乱れ飛ぶ混乱の世界。万人が闘争する世界。もうひとつが人間のいとなみが支配する秩序社会の世界。」

 「ひとつのフライパンのなかのパエリアを奪い合う混沌の魔族社会と、等分に分け合うことを約束した、そんな心をもった人たちの秩序社会よ」

 「約束、契約をもたらすのは、人々のあいだの共感よ」「共感が、たえまない共感が、世代をこえていく共感の風が、いつしか秩序社会、共感の約束から、約束の地、そんな心境の境地にある人達からなる「プロミスド ランド」が生まれるのよ」

 「魔族の社会から、境地の社会にチェンジザワールドする要因をさぐる社会学にホッブス問題っていうのがあるのよ」「そのキーとなる「要因」はみいだされていないけど、わたしは「文学の共感」が、その機能をもっていると確信しているわ」

 「わたしは『絶対共感』ってあると思うの。人々が一人残らず解釈しあえる情景」「詩人ミラーは、これを『歓喜』となづけたわ」「トルストイの言葉『他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない 他人の幸福にこそ自分の幸福があるのだ」があるわ。これは『矛盾』を孕んだ言葉よ。短歌の愛と愛の戦いと同じよ。」

 これが、エクスカリバー構図か。導かれるのは、人々の間には約束が必要で、約束をうながすのは「歓喜」という翼をもつ必要がある。魔王討伐の背理の成立にはこの探究がかかせない。翼の描写が。

 限られたパエリアを分け合うしか僕たちに道はない。空からパエリアは降ってこない。マナのイマージュを現実社会に投影すれば、エクスカリバー構図となる。

 「わたしは、文学が、「歓喜に寄せて」の翼の、一枚の羽根だと思うのよ」米利先輩が結んだ。



 短歌歌いは魔法使いだ。パーティで重要な働きをするだろう。



 そら耳に生きろといった夏風をまたまっている一番ホーム 

                       ゆきのしたまりあ「麦風のあなた」




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