人助けのち雪女
「見付けましたよ影弥真君!」
「はっ――」
どう見てもそれどころじゃないはずなのに彼女は俺の名前を叫んで側へ寄ってきた。声の聞こえた方へ視線を移し、言葉を失う。彼女はそれが当たり前と言わんばかりに空を飛び、俺の鞄を両手で握っていた。
「私の鞄を返してください!」
お前が間違えて持っていったんだろうと言いたいが、今の状況で声を出してしまえば男を下手に刺激してしまうだろう。いっそ彼女のように空気の読めない、やつ、に――そこでようやく気がつく。かなりの大声で叫んでいるにも関わらず、俺以外彼女の声に反応している気配がない。
集めた情報で辿り着ける結論はひとつしかない。俺は野次馬の輪の中から離れると、空から近付いてくる彼女に近付いた。そこでようやく彼女も周りの状況に気が付いたらしく、俺の側へと寄ってきた。
「え、何ですかあれ……?なんで妖怪が人を堂々と襲っているの?」
「って事はお前の仲間じゃないんだな」
出来る限り小声で少女に話し、鞄を肩から外す。
「すまん、お前が俺の鞄持ってっちまったから俺もお前を探していた。鞄返すよ」
「あ、はい……でもそれどころじゃないのでは……」
「それはその通りだが、誰かが助けなきゃいけないだろ。捕まっている子があんなに助けて欲しそうな顔をしているんだ」
「……」
とは口にしたものの、返してもらった鞄の中に役に立つ道具は入っていないし、かと言って飛びかかれば男が勢い余って彼女の命を奪う可能性がある。下手に動けないのが現状だ。
「あの……私がお手伝いしましょうか?」
「え、良いの?」
「えぇ、ここで会ったのも何かの縁という事で」
「お前、妖怪だよな?妖怪同士の仲間意識……的なの無いの?」
「皆無ですね」
彼女は背筋が凍る程冷たいトーンでそう言うと、俺の脇を抜けて野次馬の頭上へと移動した。片手を取り憑かれている男へと向ける。
刹那、瞬きの間もなく野次馬から驚いた様な声が聞こえる。俺も急いで野次馬の間から顔を出して中の様子を見る。
「ゴホッゴホッ」
ナイフを突きつけていた彼女は男の腕を逃れ、同じ制服を来た女性に抱えられていた。友達だったのか2人で涙を流し抱き合っている。
男の手足にどこからか現れた氷がびっしりと張り付き、自由を奪っていた。顔まで氷漬けになり、声を発する事さえ出来ない状況だ。ようやくその場にいる全員が状況を理解し歓声をあげる。
俺は野次馬の輪から離れ、逃げようとしている彼女の背を追った。
「おい待てよ!助けてくれてありがとうな」
「いえいえお礼を言われる程の事じゃないのでお疲れ様でしたさようならー」
「いやちょっ……」
「あ、まだ何かありました?いいえないですよねさようなら!」
「その肩に背負った鞄返せ!」
「これ私のですさようなら!」
「黒い鞄だよ!」
「そうでした!ではこちらお返しさようなら!」
「いや投げんな投げんな!?」
そこまでここに来た理由が大事なのかと聞こうとしたところで、ようやく彼女の視線が受け取った俺の鞄に釘付けなのが分かった。そういえば――
「さっきお前影弥真君って……」
「ギクッ!」
「俺の鞄を持ってたはず……」
「ギクギクッ!」
「お前さては……」
「ギクギクギクッ!!」
「鞄の中身見たろお前!?」
「ごめんなさぁい!何か手がかりになるかと思ったんです!」
鞄の中には俺の学生証も入っていた。恐らく学生証を見てしまった罪悪感からではなく、俺も陰陽師になろうとしているとバレたから逃げようとしているのだろう。
別に殺る気は無いと伝えてもかえって不安にさせるだけかもしれない。2人で互いの距離感を悩みあっていると――
「あ、あのっ!」
俺達に声をかけてくる女性がいた。先程迄泣き腫らしていた目元は赤くなり、歪んでいた口元には笑顔が戻っている。
「助けてくれてありがとうございます!」
「いや、俺何もしてないよ」
「そちらの飛んでいる女性にお願いしていたじゃないですか、見えていましたよ」
「えっ――」
「あんたこの子見えんの?」
「えぇ、昔から霊感だけはあるので……本当にありがとうございました!」
彼女は言いたい事だけ言うと、まだ少し残っている人混みの中へ消えていった。きっと先程の友人の元へ帰ったのだろう。
互いに言葉を失い顔を見合せる時間が数秒、何故か見つめ合っている状況を飲み込んで慌てて顔を逸らし合う数秒。
「鞄、投げてすみません」
「や、まぁ大丈夫」
沈黙に耐えかねてか、女性が顔を逸らしながら俺に言った。俺も彼女に続いて生返事。
「俺からも改めて、助けてくれてありがとう」
「いえいえ、真君の言葉が理由ですから」
「俺の?」
「えぇ、助けて欲しそうな顔をしているから助けたいなんて、かっこいいなと」
「そうかね」
妙に照れくさく感じ、また適当な返事で誤魔化す。
「私は雪女の雪撫と申します。雪の撫子で雪撫です」
「俺は知ってるだろうけど影弥真。人間だよ」
「やっぱり人間からすると私は敵……ですよね」
「別に誰に言い付けるでもないし、悪行もしてない奴を敵だとは思わないさ。なんならお前の『ここに来た目的』も手伝おうか?」
「え――」
ようやく雪撫も俺の方へ顔を戻した。驚いて見開かれた瞳の中に雪の結晶が見える。やっぱり美人だ。
雪撫は言われた内容に頭が追いついていないのか、俺の顔を見つめたまま凍ったように固まっている。
「行くあてもなく探すよりは俺みたいに妖怪に関わりのある人間といた方が探しやすいんじゃないか?」
「それはそうですが……」
「今日助けてくれたお礼もしたいからな、お前さえ良ければだけどな」
「……うーん」
雪撫は少し悩んでから満面の笑みを浮かべた。
「では力を貸してください影弥真君」
「あぁ、分かったよ雪撫」
何となく名前を呼び返そうとして、さん付けにするのも照れくさく、呼び捨てにしてしまった。
しかし、雪撫は嫌な顔ひとつせずに大きく頷いた。