雪女と気遣い
札を貼り付けると、夜空に白い亀裂が入った。一つの大きなヒビから枝分かれし、無限に広がった夜空に広がっていく。
牛鬼が札の中に封印されると、夜空から砕ける音がした。夜空の破片が空から降り注ぎ、白く眩しい光が俺達を照らす。その眩しさに思わず目を閉じた。
「……さんっ!お父さん!」
「はっ――」
父親の名を叫ぶ茶目の声で目を見開くと、見慣れない天井が視界に入ってきた。急いで体を起こし、ここが茶目の部屋である事に気が付く。自分の体に触れられ、隣にはあたふたとしている雪撫がいるという事は、体は返してもらったようだ。
茶目は傍で倒れた父親の肩を必死に揺らして意識を戻そうとしている。
「ど、どうしよう……パパが全然起きないよ。し、死なないよね⁉」
「だから死なないですって――あ、真君ようやく目が覚めたんだ。体は大丈夫?」
「あぁ、特に異常は無さそうだ。それでこれは……どういう状況?」
雪撫に質問をしたつもりだったのだが、茶目がすごい勢いでこちらを振り返った。その瞳にはうっすら敵意が感じ取れる為、おそらく俺達が父親をぶっ飛ばしたと思っているのだろう。間違っているようで言い切れないのが辛いところだ。
「訊きたいのはこっちだよ! お父さんが部屋に入ったと思ったら、二人して部屋に倒れていて……しかも入った直後だよ⁉」
茶目が大声で俺達に言い返す。結界の存在さえ知らない茶目からすると、本当に一瞬の出来事だったのだろう。
俺も学校で聞いた話でしかないが、妖怪の作り出す結界は時間と時間の隙間に作られる。その為、外にいるほとんどの人間は結界内で行われた事が一切見えず、結界内の時間を感じる事が出来ない。千宮司先輩なんかの例外はいるが。
「あ、あの、えっと……真君ヘルプ!」
どういう状況かという俺の質問に対し、大慌てのSOSで返された。やり取りの内容と持っている知識から何となく状況は飲み込めているが、二人の様子が面白いからもう少し見ていたい――
「真君で今から実演しようか?」
「妖怪が作り出す結界って、現実の時間と時間の境界に作られるものなんだ。だから、父親がすぐ倒れた音を聞いたんだ。もう父親に憑りついていた妖怪は封印したよ」
「本当⁉」
「分かっているなら言ってよね……全くもう」
雪撫が頬を膨らませてこちらに文句を言っている。まぁ、被害者からしたら嬉しくない行動だっただろう。大いに反省するべきだ。
「父親の方はもうしばらく目を覚まさないと思う。意識を一回食われたら戻ってくるのにかなり時間が必要らしいんだ」
「それって……一年とか、ちょっとしたら数十年かかるの?」
「いや、そこまでじゃないと思う。ただまぁ、数か月かかる可能性はある。その人の精神力によるかな」
想定されている年月よりも少ない年数を言うのは相手への嫌がらせでしかない。今の彼女にとって辛い言葉となってしまうが真実を言うべきだ。
「数か月⁉ そっか!」
「ん⁉」
彼女からしたら何か月も父親を失う事になるという辛い話をされただろうに、心配で強張っていた表情が笑顔に変わっている。
「だって、数か月したら戻ってくるんでしょ? 本当のお父さんがさ。それなら待つよ」
「ん……まぁそうだな。待ってくれていたって知ったらお父さんも喜ぶだろうよ。それじゃあ、俺達はもう行くよ。病院に電話して、お父さんの面倒見てもらいな。行こう、雪撫」
「あ、うん。大葉さんそれではまた――」
「あ、待って! 何かお礼とか……お金、少しならあるよ?」
「いらんいらん。そんなもん父親退院祝いのご馳走用に取っておけよ。そもそも俺はまだ学生だし、むしろ貴重な経験ありがとうな」
俺はそれ以上彼女の言葉を待とうとはせず、雪撫を連れて家を出る。
背後で彼女が扉を開ける気配を感じたが、何も気が付かなかったふりをしてエントランスへと向かった。
「……真君、大葉さん家に帰ったみたいだよ」
「あ、まじ? ようやく本心に戻れるかね」
「確かに、凄く無理して私達を心配させないようにしていたもんね。いやぁ、やっぱり人間は心が強いよ。それより真君はよかったの?」
「ん? 良かったって?」
「お礼とか貰わなくて本当に良かったのかなって。だって真君、全然お金持っていないでしょ?」
「へぇ、そこの雪女様は何故俺の財布の中身を知っているんだい?」
「あっ――⁉」
いや、『あっ』ではない。普通に怖い。ちなみに俺の財布に入っているのは小銭が数枚だから、確かに少ないと言っても間違いではない。
もし俺に再会出来ていなかった場合、所持金を何かに使われていたのだろうか……? 自販機で一本の飲み物しか買えないけどな。
「ま、冗談は置いといてだ。理由は勿論あいつに言った通りだよ。俺なんかに金を渡すくらいなら自分の家に使うべきだ。今日から大変になるのはあっちだからさ」
「そうなの?」
「父親が目を覚ますまでの間、父親の代わりに家事をしないといけなくなるだろ? あの家の様子からしてお母さんは既にいないだろうし、牛鬼がしていた事も全て背負うんだ。それを理解しながら受け取れん」
「失礼を承知で言うけどさ……真君ってさ、口は悪いけど優しい人なんだね」
「口の悪さはほっとけ」