異形のち雪女
「君は、娘の何かな?」
声色に疑念を抱いている感じはない。
敵意等という生温い感情も無い。言葉から漏れ出しているのは確かな『殺意』。冷や汗をかくだとか動揺するを通り越してニヤけてしまう、というよりも笑うしかないほど強烈な殺意が込められている。
「何って、友達っすよただの」
真に受けると飲み込まれてしまいそうなので、あくまで無知な友人を演じて受け流す。
「茶目の言葉が信じられないんすか?実の娘なのに?」
「娘の事は信じているけれど、君を信用していない」
「まぁ、初めましてだしね。それで?でも、父親は別に信用する必要ないでしょ。結婚前の挨拶でもあるまいし」
「十秒以内に出ていきたまえ。娘の害になりそうな人間は友達として不要だ」
「その思考が一番娘への害だと俺は思うがね。で、俺が扉のノブを動かせないと動揺している間に背後から食おうって?随分とセコい方法を使うんだなお父さんは」
「っ!お前、ただの人間では無いな?」
「化けの皮が、いや人の皮がもう剥がれてるなお父さん。中の妖怪はもうすぐか?」
「お前陰陽師か。やはり娘の害になる存在だったな。食ってやる、身体中ズタズタにして五臓六腑全てを引っ張り出し、爪の先まで味わってやろう」
「それじゃ、やるよこの体。見せてくれお前の実力」
俺は天井へ向けて手を伸ばした。
父親からすれば挑発に見えたのだろう。背中から蜘蛛のような脚を六本生やし、頭からは角が生え、顔が紅潮していく。
開いた口から見える犬歯が二倍程に伸び、槍のように先が尖る。爪も同様に伸び、床に刺さっている。
紅潮した肌が徐々に黒味を帯び、皮膚が硬質化していく。
数分後、父親の体は蜘蛛のような異形へと変貌していた。顔は硬質化した黒い牛だ。もう明らかに人間では無い。
「「舐めるな人間がぁ!」」
父親の声と、唸り声のような低い声が二重に聞こえる。
床から爪を引き抜いた彼は、俺の顔面目掛けて大きく腕を振ってきた。目前まで迫る爪を前に、最後に言いたい事を告げる。
「お前じゃねぇよ」
伸ばした手にヒヤリとした冷たい何かが触れた気がした。一瞬意識が遠のき、気が付けば俺のつむじが見える。
「「かっ――!?」」
父親からすれば何が起こったのか分からないだろう。
爪と髪の毛が触れる刹那、自分の体を覆うように氷塊が現れるのだから。床一面に現れた氷塊は、瞬きと共に壁や天井へと一瞬で広がった。
実力があるというのは嘘じゃなかったらしい。
「「き、さま、何者だ?妖界にもこんな妖力の密度が高い氷塊を出せる者はそういないぞ」」
驚いてはいるが、身体にダメージは無いのか冷静に氷塊を観察している。足を凍らせ、逃げ場を封じられて尚この余裕なのは自信の表れだろうか?
「「この部屋じゃ狭すぎるな」」
「私もそう思うよ」
「「私?そういう事か、お前も何か混じっているな?」」
「さぁどうでしょう?それより結界を移動させるなら早くしてください。出・来・る・な・ら」
「「舐めるなよ小物妖怪が!」」
雪撫の挑発にまんまと乗った父親は、怪しく目を光らせた。周辺の氷塊にヒビが入り、崩壊すると共に俺達の体が宙を舞っていた。周囲に光のない完全な闇の中で、二人の体が静かに落下を始める。慣れない状態で何とか雪撫の体を追う。
妖怪は結界を貼り、自分の優位なフィールドを作り出すのだと学校で学んだ。結界は中から壊す事も外から破壊する事も不可能な空間なんだそうだ。
と、余裕を見せて解説している暇はない。自由落下する体はどんどん加速している。俺の体も父親もそれに従い、真っ直ぐ落下していくが、着地点に何があるのか分からない。
徐々に加速に追いつけなくなり、空中を泳ぐようにして二人の後を追う。
距離が徐々に開き始めた時、ようやく下が見えてきた。不規則に揺れ、白い泡を浮かべて荒れ狂っている黒い水。周辺に土地が見当たらない大海原へと投げ出されそうになっている。
「雪撫!」
少し心配になり彼女の名を叫ぶが、彼女に声は届いていないようだ。近付いてくる海面を見つめたまま落下を続けている。
ゲーム感覚で水に落ちれば落下のダメージは無いなんて事は絶対に有り得ない。速度を考えると水面にぶつかった瞬間、俺の体は粉々に砕け散るだろう。茶目を助けるとか言っている場合では無い。
「大丈夫だよ真君」
もう距離が広がりすぎて俺の声等聞こえていない筈の距離。にも関わらず、雪撫のそんな言葉が聞こえた気がした。
「ほ――」
本当か?等と聞き返す時間はなかった。言葉を発する瞬間、足場の大海原が一瞬で氷漬けになった。過冷却された水を叩いた時のような状況だ。
雪撫の横には標高の高い氷山が現れ、雪撫はその山に氷で作り出した刃を突き立てた。
凄い音を周辺にたてながら雪撫は両手の刃に体重を預け続ける。落下の速度と俺の体重が重なり、腕への負担は相当なものだろう。現在は雪撫が俺の体に入っている為、その負担による痛みは彼女が受けることになる。
雪撫は動きが止まるまで耐え切ると、凍った足場へと降り立った。直ぐに薙刀のような武器を作り出して構えているところを見ると、腕への負担はそこまで痛くないようだ。いや、父親の前なので弱ったところを見えないようにしているのだろうか?
いや、よく考えると相当な腕力が無いと出来ない芸当だ。相当な力で刺さなければ武器を持った腕が反動で跳ね飛ばされ、身体ごと宙を舞うだろう。下に向けた刃を綺麗に氷山へ突き刺し、腕力だけでそれを耐え切る。俺の腕力でそんな芸当が出来るとはとても思えないのだが……