二話目
中間テストが終わって、始めの月曜日。六月も終わりに近づいたその日はテストで臨時休業となった部活動が一斉に開始される日でもある。六限目が終わり、彼、船月英都はゆったりと三階校舎を歩いていた。三年生が使う303教室がオカルト部の部室である。彼はそこに向かっている。ゆったりと歩いているのは、何処の廊下もまだ帰宅途中の生徒たちでごった返しているからだ。だが、廊下に人が誰も居なくとも彼は視界に映る景色を眺めながらゆったりと歩くだろう。彼はそう言う性質の人間だ。廊下ではそのほとんどの生徒が、誰かを待ち、誰かと話をしている。三年生の廊下も例外ではない。英都は303教室まで来ると、部室の一番前の扉を開けた。
すぐに、時計を確認する。
十五時五十五分。
部活動開始時間の五分前だった。
「おお。やっほー、英都君。二人目だね」
教壇と黒板の間に部長・睦月有香が立っていた。彼女は左手首を教壇の上に乗せ、前のめりになって首だけをこちらに向けている。夕日が照らす教室内は閑散としていて、他に風雅先輩が教壇の前から二列目の席で本を読んでいるだけだった。本にはカバーがかけられており、表紙も題名も分からない。ただ、彼がライトノベル以外の本を読んでいることは、予想できた。彼は、専門書か時代小説しか読まない主義を持っている。
「来たね」風雅先輩が顔を上げずに言う。
二人とも三年生である。
英都は彼の右隣に座った。後ろの机に、黒いリュックを置く。
「二人とも、やっぱり似てる」急に、有香が前のめりになって言った。
「何処がですか?」英都が微笑を浮かべた。
彼は余り表情を動かさない。それは、動かさないと自ら意識しているのか、無自覚に動かないのか、彼自身にも分からないものだった。自分に感情の起伏がかけていると感じたのは、中学二年の時である。それ以降、彼は表情を変えるほど感情を動かされたことは無い。隣にいる風雅はまだ文字に目を落としている。その姿は、マネキンのように動かない。
「表情が」有香が優しい笑みを浮かべる。
「顔が違う」風雅が顔を上げて言った。「表情はみんな同じだろ?」
「無表情じゃん、二人とも」有香は風雅の方を見る。「でも、まだ、英都君の方が可愛げがあるな。ちゃんと笑おうとしているから」
「俺は笑わないって?」風雅が笑った。
「あ、そんな顔出来るんだ!」有香が本当に驚いていた。
「何年の付き合いだ?」風雅が怒った風に言う。
二人は幼馴染である。だが、もう何年も遊んでいないらしい。趣味が違う、と風雅が以前言っていた。
「後、一人ですね」英都が時計を見ながら言う。
「千草ちゃんだね」優香が答える。「彼女、委員会だったっけ?」
後ろから扉が開く音が聞えた。
英都は後ろを向く。扉の近くに、灰色のリュックを背負った少女が立っていた。
「あ、私が最後ですか」彼女はひ弱そうな声を出した。
彼女は戸口千草一年生である。腰まである黒髪が夜のように漆黒に染まっている。前髪で目元が確認できなかった。
「来た」英都が声をかける。「最後だね」
「ええ…」千草はゆっくりと前に進む。英都の隣に座ると、リュックを隣の机の上に置いた。
これで、教壇に優香、中央左から風雅、英都、千草、と部員全員が揃ったこととなる。
顧問の高木先生はまだ姿を見せない。彼は、五十代後半の教師で、温厚な人格をしていた。また、時間にルーズであり、基本、この部活に姿を見せない。
「それで、今日は何するんだ?」風雅が本を閉じて優香に問う。
有香は黒板に文字を書いていた。本来、この部活は名前だけで、内容としては『歴史』の自習をする場となっている。本校が自称進学校と言う理由か、はたまた、過去にこの部活を廻った生徒と教師の論争があったせいか、内容がないのに名前と部室だけは未だに残っていた。部室と部活の創設が学校の創業の年数と同じと言う伝説を持っている。それくらい古く、しかし、余り人気がない。
ここ二年で変わったことと言えば、有香が入部してから本格的に、オカルトについての何かしらの活動を始めた、と言う事だ。
ほとんどが優香の単独行動でしかないが、彼女のおかげで、幼馴染である風雅が集まり、後輩が二人入って今年は何とか廃部にならずにすんでいる。つまり、学校側から見ても、あってもなくても良い部活動であることは明白であった。ただ、伝統が意地を見せているだけである。
優香が文字を書き終わった。
『心霊スポットめぐり』
「何それ?」風雅が言う。
「来週の話だよ諸君」
「巡るんですか?」千草が言った。「あの、私、怖いので、その、来週の一回だけがいいんですけど」
「うそぉ!」優香が盛大に言う。「夏休み、みんなで回らない?」彼女は全体を見渡した。
「来週の廃墟に行ってから決めます」英都がすぐに言う。「幽霊って、本当に居ますからね。以前は何もなかったとはいえ、危険があったらすぐに逃げます」
彼は冬休みに行った、湖の心霊スポットを例に挙げた。
「そう!英都君は霊感があるから、同行は確定だ」
「確定…」英都がため息を吐く。
英都が霊感に目覚めたのは、中学一年の時である。祖父母が死に、墓場に行った時、彼は二対の黒い影を見た。それ以降、幽霊が無意識的に見えるようになってしまったのだ。
「先輩は心霊スポット行ったことないんですか?」千草が優香に訊いた。
「ないよ」優香はにこりと答える。「私はみんなと行きたいの」
「怖いだけだろ?」風雅が薄く笑う。
「さあ、ね」優香が少し怒った声を出した。
前の扉から高木先生が入ってくる。
「やあ。みんな元気かな?」
彼は柔和な顔に黒縁の眼鏡をかけていた。
「先生、心霊スポット連れてってくれません?」優香がすぐに訊いた。
「え?」彼は戸惑う。「心霊スポット?」
「顧問でしょ?車出してください」
「無理だよ」高木はゆっくりと答える。「学校を出たら、部活じゃないんだからね。大会とかは別だけど」
「ケチ」優香が囁く。
「元気そうだね」彼は微笑む。「夜に行くのかな?危険だから、大人の人と行きなね」
彼はそう言うと、静かに教室を出ていった。
「子供じゃないんだけど」優香が不満そうに呟いた。
「まだ高校生ですよ」英都が真面目に言う。
「先生。当てにならないな」風雅が呟いた。「山んとこだろ?電車で行けるのか?」
「うん。それ私も考えてたんだ」優香が呟く。「風雅、お兄さんいるじゃない。大学生の。車、出して貰えない?」
「兄貴に?」風雅は少し厭そうな顔をする。「うーん…まあ、訊いてみるよ」
「持ち物とかは?」千草が訊いた。
「懐中電灯とか、色々みんな持ってきていいよ」優香はすぐに答える。
「それで、今日は何するんだ?」風雅がまた言った。「また雑談か?」
「主に私の怪談話」優香が得意そうに笑う。「訊きたい?今日もってきたのはこの学校の怪談だよ」
「へぇ…」英都が頷く。
「みんなも、昔に話したよね。この部活がどうやって存続したのか」
「はい…。生徒と教師の間で結託?があったとか」千草が答えた。
「うん。そう、そうなの。よく覚えてたね」優香は笑う。「でも、結託の内容は分からなかった。まあ、文献が残ってるわけじゃないから、私が訊いたのも噂でしかないんだけどさ。でも、なんと、私、文献見つけたんだ」
「文献?あったのかそんなの?」風雅が言う。
「あったんだよ」優香が嬉しそうに口を開く。「いやぁ、校長先生に直接問いかけたのが良かったね」
「え…校長先生と話したんですか?」千草が驚きの声を上げる。声が、少し高くなっていた。
「うん。意外と話せる先生だったよ」優香が微笑む。「まだ、六十代だし」
「え?まだ?」風雅が驚く。「もう年寄りだ」
「そうかな?」有香が微笑む。「私はそうは思わないね」
「どうして?」
「うちのおじいちゃん、七十三だけど全然元気だよ?」
「ああ、実例が居るのか」風雅が頷く。「なら、しょうがないな」
「まあ、そんなことはさておき。文献ね、校長先生が過去の記録?っていうのをあさってくれて、当時の部活動記録に残されてたみたいなんだよ」
「昔って?いつ?」
「九年前くらい」
「意外と最近…」千草が呟く。
「そう。でね、その日記みたいなものに書かれてた内容なんだけど、これが驚きの内容でさ」有香は辺りを見渡した。
「うん」英都が頷く。
「なんと、殺人事件が原因でオカルト部が存続危機になったんだ」
「え?」千草がわずかに声を出す。
「殺人?」風雅が言う。
「そう。殺人。生徒が一人殺されたんだ。その生徒、オカルト部の生徒だったんだけど、部活動中――つまり、オカルト部の活動として外に出たとき――ああ、これは顧問と行ったんじゃなくて、完全にプライベートだったんだけど――その時に亡くなったの。詳しいことは分からないけど、ある日の夜。オカルト部の部員六名全員で、山のふもとにある廃墟地の心霊スポットに行ったんだ。彼らは十分程そこにいて、幽霊が出た!という理由ですぐにとんぼ返りした。黒い少女の霊が見えたらしいんだ。全力疾走で最寄り駅まで辿り着いたとき、部員が五人に減っていることに彼らはようやく気が付いた。これは怪談ではよくあるパターンだね。実際に起きるとこれほど怖いものは無いよ。残された五人は、選択肢に迫られた。探すか、逃げるか――。当時の時刻は午後二時ごろで、辺りは真っ暗。当然、廃墟なんか明かり一つない。手持ちには懐中電灯があるけど、それも『怪異現象が起こった場所』に向かうにはそれほど心強いものでもない。ここでみんなに注意してほしいのは、当事者達が『怪異現象が起こったのだ』と心のどこかで思っていたこと。しかも、その怪異現象は、幽霊が出た、と人が一人居なくなった、と言う二点で、片方は怪異現象でなくとも、ちゃんとした事件であったこと。
でも、誰も探しに行こうとは言えなかった。一人が、『親を呼ぶ』と言い、その子の親が来た。すぐに警察にも通報して、彼らは見事朝帰りをした。そして、ひかりと言う居なくなった少女は後日、廃墟の裏手でバラバラ死体となって発見された。警察は殺人事件として、捜査を開始し、学校にも手が伸びた。当然学校側にも責任問題があるとされ、被害者遺族との議論にも発展した。学校側は、彼らに担任指導を儲け、オカルト部を廃止する形で体裁を保とうとした。もちろん、学校としても自分たちの生徒が『勝手に』起こしたことであるし『事故』でもあったわけだから、そう追及される覚えはないだろうけど――学校側は真摯に対応した。それだけの理由があったからだ。
この学校は、過去に一度生徒が殺害されている。これは当時あった噂で、それこそもう当時から見ても四十年以上前の話なんだけど――もうそのころの話になると何も書かれてなかったね。お手上げ。
で、その事件のことを取り上げて、オカルト部廃止に反発したのが、オカルト部の部員五名の生徒だった。『過去の事例もあるんだから別に廃止にしなくてもいいじゃないか、とね』その時の彼らには部活動をどうしても継続する理由があった。――ふふっ、ここからが本当の怪談なんだけどね。なんでも、ひかり、と言う少女がオカルト部員全員の夢の中に現れるというんだよ。不可解だねぇ。それで、みんなが何かに感化されたようにこういうんだ。『オカルト部を廃止することは許されない。私達が、許さない』とね。私達とは誰か?たぶん、それは四十年以上前に亡くなったとされる生徒と、そのひかりさんだろうね。そんな抗議が二週間あって、教師陣はすっかり折れた。そんなこんなで、毎年なんだかんだと最低部員人数が集まり、オカルト部は存続されて来た。まあ、こういった感じの話だよ」
「一ついいか?」風雅がいう。「俺達が行こうとしているその廃墟っていうのは、この話に出てきた廃墟のこと?」
「イエス」有香は微笑む。「そういうこと。学校からは大分離れているけどね」
「バラバラ死体――」英都が気味悪そうに呟く。「厭な言葉だね」
「あの…本当に行くんですか?それ、確実に出る奴じゃ…」千草が心配そうに声を出す。
「私は行くよ」有香は胸を張って答えた。「大丈夫。怖くないから」そして、彼女は不敵な笑みを浮かべる。それはもう、楽しみで仕方がないと言った表情だった。そう、彼女は以前冬休みに心霊スポットへ行ったっきり、少々心霊スポット好きになっている節がある(しかし、その心霊いスポットには幽霊はいなかった)。
「怖いやつですよ」千草がすねたように言い、顔を伏せる。「皆さんは、行くんですか?」
「俺は行く。有香を一人に出来ないからね。兄貴も連れてくよ。生贄だ」風雅が強気に言う。
「え…」千草は言葉を止める。「あ、英都先輩は…?」声が震えていた。
「僕は…」英都は少し気分が悪かった。思考が上手く出来ていない。「どうだろ…」
「いや、英都は連れてくよ」有香が大きな声を出す。「何せ、貴重な霊感持ちだからね」
某有名理系ミステリィ作家の文体を真似てみました(分かる人いる?}