9話 初めての友達
「こ、こんにちは」
そう挨拶を返してくれたお兄さんは、どこか居心地悪そうな戸惑った表情をしている。そして、こんにちはと口を動かして以降、お兄さんから口を動かすことは無かった。
この丘に留まることを決めた私は、ベンチの前で立っているお兄さんに声をかけることにした。
「お隣、良いですか?」
「どっどうぞ」
お兄さんは、ハッと我に返った様子で隣に座る許可をくれた。
「じゃあ、失礼します」
そう言って座るが、お兄さんは立ち上がったままだ。
「座らないんですか……?」
「あっ! はい!」
そう言うと、お兄さんはベンチの際まで距離を離して私の隣に座った。そして、隣に座っているが、やはりお兄さんが口を開くことは無い。
耳が聞こえない分、無言だと分かりきっている人と一緒にいるのは楽だ。しかし、隣に座っていて2人きりのこの状況で、無言は気まずいし少し寂しい気分になる。
――それに、無言と決めつけているときに限って話し始めるかもしれないし……。
顔見ないと話しかけられたことに気付けないからって、ずっと顔を盗み見ていても2人きりなら視線に気付くだろうし……。
よし、ちょっと話しかけて見よう! そう思い、私はお兄さんの口元が見えるよう軽く座り直して、お兄さんに話しかけた。
「私実はこの町に引っ越してきてまだ一月弱くらいしか経っていないんです。だから、あまり人が来ない場所だと思っていたんですが、ここであなたに会うなんて驚きました」
話しかけた途端、お兄さんはビクッとしたが驚いた表情から落ち着いた表情へと変化した。そのとき、突然ブワっと強い風が吹いた。
すると、その風の勢いでお兄さんのミルクティー色の前髪が舞い上がり、彼のタンザナイトのような瞳が光を受けキラリと輝いた。彼は突然の風に驚いたようで、麗しいという言葉がピッタリな、彫が深く美しいアーモンドアイの目を瞬かせている。
――綺麗……。
この人、こんな顔もするんだ。
それに、こんなに美形だったとは……。
冷静にそんなことを考える。よくよく考えると、今初めてちゃんとお兄さんの顔を見た。傷跡はあるけど、綺麗な顔の造形をしている。まつ毛も長い。
目だけでなく、鼻も程よい高さで筋が通って綺麗だ。口や傷ばかりがつい目に入ってきて、ちゃんと他に目を向けてなかったな、なんて思っているとお兄さんが口を動かした。
「僕は生まれてからこの町に住んでいますが、ここ13年くらいの内で誰かとここで会うのは初めてですよ。だから、人が来ない場所という予想は正解です」
やっぱり人が来ない場所だったんだと、お兄さんの言葉で確信した。
――そんな場所でこのお兄さんと遭遇するというのもこれはきっと何かの縁よね。
そう思った途端、こんな機会2度とないんじゃないかという思いが込み上がってきた。今までの私だったら絶対に言わない。
だけど、何か本当に今じゃなきゃ言えない気がする。 そう思い、心臓飛び出そうなほど緊張しながら勇気を出して言ってみた。
「そんな場所で偶然出会うだなんて、これも何かのご縁ですね。実は……この町に来てからご近所さん以外で一番話しているのもあなたなんです。いや、ご近所さんよりも話してるかもっ? だからその……せっかくだし……! これも何かの縁ってことで、私たち、と、友達になったりしたりできませんか!」
緊張しすぎて、変な喋り方をしてしまった。声も恐らくひっくり返っていた箇所があっただろう。しかも、無駄に理由付けをしながら……。
自分が言われたら正直ドン引きだ。私の発言を聞いて、お兄さんも突然下を向いてしまった。
――やっちゃった……やっぱり困らせちゃった?
そう思ったが、それよりも今の問題はお兄さんの顔の角度だ。口元が隠れているから、何か喋っているとしても私にはぜんっぜん分からない。
お兄さんはまだ下を向いている。いきなりほぼ見ず知らずの人間が友達になろうだなんて、図々しいし馴れ馴れしいにもほどがあったんだ。
――普段は絶対にこんなこと言わない。何で今日は急に勇気が出てこんなことを言っちゃったの?
普段の自分からは信じられない発言に自分自身で焦り、急いで先程の発言を取り消そうとした。
「……って、お互いのことも知らないのに、私調子に乗り過ぎました! すみません! 今の発言は全部忘れて――」
一生懸命弁明をして無かったことにしようとしていたところ、突然ガバッと顔を上げたお兄さんが私の言葉を遮った。
「僕が、あなたと、とっ友達になってもいいんですか……?」
お兄さんは顔を赤らめ、まるで捨てられた子犬のように美しいタンザナイトの瞳を潤ませながらそう言った。
あまりにも予想していなかった反応過ぎて、心の中は絶叫状態である。本当に友達になってくれるの? 本当に? と自分で聞いたくせに驚いてしまう。
というか、何でそんなに泣きそうな顔をしてるかが謎過ぎる。私がお兄さんの発言を見間違ってしまったのかと思った。
しかし、そんなはずはない。あれだけはっきりと口元が見えて、間違えるわけがない。予想外の反応に戸惑ったが、お兄さんの質問に急いで答えた。
「お兄さんが友達になってくれたら嬉しいです!」
自分とは思えないほど、おかしな勇気が出た。これだけ縁があるのだし、せっかくなら友達にはなりたい。だからこそ、その願いも込めてそう告げた。すると、彼は顔を上げて口を動かした。
「僕なんかで良ければ……ぜひ」
そう言うと、彼は私に向かって宝石のようなその目をキラキラと輝かせながら微笑んでくれた。初めて向けられた彼の微笑みに、何とも言えない達成感に似た感じを覚え、嬉しい気分になってくる。私も自然と彼につられて笑顔になった。
しかし、ある問題に気付いた。
「……友達って何をするんですか?」
「僕もあんまり……分かりません」
うん、そんな気がした。私たちは何となく、似たような感じがするもの。そう思いながら、脳内で思考を巡らせ、まずは自己紹介することにした。友達なのに名前を知らないなんて、おかしな話だ。
「じゃあまずは自己紹介ですかね。私はシェリー・スフィアです。21歳です」
「僕はアダム・ハルフォードです。24歳です」
お兄さんとは呼んでいたが、若い男の人だからお兄さんと呼んでいただけで、年上とは思っていなかった。せいぜい同い年くらいだろうと思っていたが3歳上だったとは……。そんなことを思いながら、私は彼に提案した。
「アダムさんですね。私のことはぜひシェリーと呼んでください」
「シェリーさん?」
「ふふっ、良いですね。でも、さんは要りませんよ。シェリーでいいですし、敬語も不要です」
「わ、分かった。僕にもさんは要らないし、敬語は使わなくていいで……、いいよ。シェリー……さん」
すぐに適応するのは難しいだろう。そんな気はしていた。でも、これから仲良くなるんだから、焦らず少しずつでいいわよね。でも、自分から提案したんだから、私が積極的に頑張らないとっ! そんな気持ちで彼に言葉をかけた。
「お互い徐々に慣れていきましょうね。……人が来ない場所にいるということは、人が苦手かもしれないと思ってたから、友達になってくれて意外だったわ。ありがとう。アダムはこの町で出来た私の初めての友達ね」
「君の言う通り、僕は人付き合いがちょっと苦手で、人とはあまり関わらないんだ。でも、なぜか君なら友達になれそうな気がして……。こちらこそありがとう」
――やっぱりそうだったのね。なんだか、私たちは通じるところがあるみたい!
私はそんなシンパシーを彼から感じた。