6話 変わった人
レイヴェールに到着し、私はまず町の喫茶店で腹拵えした。その後、町役場に向かい手続きを済ませ、直ぐに不動産屋へと赴いた。
すると、行ったその日にこれから私が住む家が見つかった。町の中心部からは少し離れているが、だからと言って遠いわけではない、程よい立地の家だと思う。
こうして、私は新しい家での暮らしを始めることが出来た。ここが私のこれから住む町になるのだ。それなら、きちんと家の周辺や、この町の情報を知っておかなければならない。
――どうやって情報収集しよう……?
そう考えた結果、方法として散歩が思い浮かんだ。散歩をしていると、どんな店があるのかが分かるし、私に合った仕事も見つけられるかもしれない。
それに、町の地図を頭に入れたほうが、早くこの町にもなれることができるだろう。
――秘密を隠したまま接客ができそうな仕事を見つけられるかも……!
そんな期待を抱き散歩をしようと思ったが、見慣れない顔の人がいたら声をかけてくる人がいるかもしれない。最初はあまり人がいない時間に散歩をしよう。そう考え、朝の内に出かけることにした。
不動産屋さんが、どの道に行っても余程の細道でない限り、基本的に行き止まりはないと言っていた。だからこそ、もし迷子になっても何とかなるだろうと思い、いろいろなルートを散歩することにしていた。
そして、今日は記念すべき最初の散歩道のため、最も家から近い角を曲がり道なりに進んでいった。
進んでいくと最初に郵便局が見えた。お父さんとお母さんには定期的に手紙を書く予定だ。だからこそ、頻繁に利用することになるであろう郵便局が近いというのはラッキーだ。
そこから少し先に進むと、手芸店があった。耳が聞こえなくなってからというもの、私は読書の他に手芸も趣味になっていた。そのため、手芸店が家から近いということにとても喜びを感じた。
新しい家になったし、家の雰囲気に合わせて新しいランチョンマットとコースターでも作ろうかしら、冬になったら新しいマフラーとセーター、靴下と手袋も編もうかしら、と楽しい想像が止まらない。朝だから店は閉まっているが、空いている時間に絶対来ようと決め、足を進めた。
もっと先に進むと、そこには家具屋か雑貨屋らしき店があった。ここに来て借りられた家は家具付きだったが、お金が溜まれば自分が好きな家具にカスタマイズするのも楽しいだろう。
でも、しばらくこの店は雑貨でしかお世話にならないな。そんなことを考えながら、周りの景色を目に移した。
自分の住んでいる村とはまた違った店が並んでいるため、見ているだけで楽しい。しかし、歩みを進めて行くと、道自体は綺麗に整備されているものの、店が全くと言っていいほど無くなった。建物自体も見当たらない。
――ここは余り人がいない区域なのかしら?
建物を見かけなくなり、不思議に思いながら3分ほど歩くと、視界の先に1軒の家が見えてきた。私はその家に目を奪われた。
――わあ! すごく綺麗な花!
こんなに色とりどりの花が、見られるだなんて!
もう何もないだろうと思いながら歩いていた。だからこそ、突然綺麗な花々が目に入ってきてついテンションが上がる。
もっと近くで見たい。そう思い、近くで花を見るため歩みを速めたところで、花の近くにある人影に気付いた。少し歩みを緩めながら近付いて行くと、その人物の姿が見えてきた。
その人物は私と同い年くらいだろうか。優しいミルクティーのような綺麗な髪色をしている。角度の問題もあり、目元は髪でちょうど隠れているため、鼻や口元しか見えない。
そんな彼は、顔の見える範囲の一部と、首の正面から左側や左手などの見える範囲にかけて、火傷のような深い傷を負っていた。古傷だろうが、痛そうな彼のその姿に胸が痛んだ。
彼の姿を完全に確認し、私の足は自然と歩みが止まっていた。しかし、そんな私の姿に気付く様子はなく、彼は口元を緩ませ微笑みながら花に水をあげていた。
そして、何やら花に話しかけているようだ。そんな彼を見て、私は考えた。ここで自分から挨拶したら、まさか耳が聞こえない人とは思わないだろうと。
――きっとそうに違いない!
こうしてたまに会うかもしれないし、挨拶しておきましょう!
なんて良い策を思いついたんだろうと思いながら、改めて歩みを進め彼に近付き声をかけた。
「おはようございます」
そう声をかけた途端、彼は私の姿を確認するや否や、見てはいけないものを見たかのような、驚いた表情をした。
そうかと思うと、じょうろをその場に残しドタバタと転げそうになりながら、猫のように家の中に走り込んでいった。あまりにも予想外の彼の反応に、私も驚いてしまう。
――何で急に家の中に入り込んでいったのかしら? 変わった人ね。
もしかして、知らない人に突然声をかけられたから驚いたの?
声をかけただけで、こんなにも驚かれるとは思っていなかった。そのため、彼のこの行動に様々な可能性が浮かんでくる。
もしかして、寝起き姿だったことが恥ずかしかったということも有り得なくない。だけど、やはりただ単純に驚きすぎたということも考えられる。
――それか、私がすごい大声だった?
そんなはずないんだけど……。
そうは思うが、自身の声も聞こえないだけに確証が持てない。
そのほかにも様々な考えが浮かんでくる。しかし、どれだけ考えたとしても、結局真相は彼にしか分からない。いくら考えても埒が明かないため、そろそろ帰ろうと止めていた足を、再び前に踏み出した。
その瞬間、心地よいと思える程度の風がサーっと正面から吹いてきた。すると、花の良い香りが当たり一面をふわっと包み込んだ。
その香りにつられるように、もう一度私は自然と花に目を向けていた。彼が水をあげたばかりだからだろう。花びらや葉に少し水滴が付いている。
そして、その水滴が朝日に照らされ、色とりどりの花々がキラキラと輝きを放ち、彼の家の前には美しい光景が広がっていた。
――綺麗……花を見てこんな気持ちになったのって初めてかも……。
こんな景色初めて見たわ。
自身の記憶を振り返ると、道端に咲いている花やお花屋さんの花くらいでしか、花をちゃんと見たことが無かったような気がする。私の村では、家庭で花を育てる習慣のある家が無かったからだ。
キラキラと光る花々を見ていると、心が澄み癒されていくのが分かる。この光景を見た瞬間、あっという間にこの道を気に入ってしまった。
この景色が気に入り過ぎて、毎日でも見にきたいくらいだ。この花たちを見ていたら、自然と元気が出てくる。
そうは思うものの、私にとって1つ気がかりなことがある。先ほどの男性についてだ。家に帰るために再び歩き出し、彼について考えた。
あんなに驚いた猫みたいに家に入って行ったってことは、もしかしたらあまり人と関わりたくない人なのかもしれない。それか、私を不審者と思ったのかも。でも、私はこの花をまた見に来たい。
今日よりもっと早い時間なら、家の前を通っても彼と会わずに済むかもしれない。それなら、お互いきっと気まずい思いをしないはずだ。
今日よりももっと早い時間となると、いつもより少し早起きしなければならない。しかし、花のことを考えると、少し苦手な早起きも苦痛ではない。
今まで、こんなに花を気にしたことなんて無かったのに不思議なものだと自分でも驚く。私が変わったのか、レイヴェールが私をそうしたのか……なんて思う。
だがそれほどにまでに、あの家の花に魅了されてしまったということなのだろう。
とりあえず、あのお兄さんとは鉢合わせしない方が互いのためになる気がする。そう判断した結果、その家の前を通るときは今日よりも早い時間に家を出ようと心に決めた。
あの花はきちんと手入れされているのだろう。彼の手により生き生きと美しく、そして凛と咲くその姿は、レイヴェールで新たな暮らしを始める私の心を勇気付けてくれた。