26話 許せない過去
お父さんお母さんたちと別れ、私たちは帰り方向の辻馬車を探すべく、馬車が集まっている方へと歩いていた。すると、見覚えのある顔と目が合った。
それはかつての同級生の男だった。この男は、耳が聞こえなくなってから私をいじめてきたうちの1人だった。
「シェリー! シェリー・スフィアだろ!?」
そう口を動かしながら、こっちに走ってきている。
――何で走ってくるの!?
会いたくなかったのに……。
そう思っていたが、その男はあっという間に私の目の前に辿り着いた。アダムは私の怯えている表情に気付き、庇うように前に出てくれている。
「久しぶりだな! シェリー元気にしてたか? 前お前に会ったやつが、お前が話せるようになったって言ってたから……」
そう話しかけてきた男だったが、突然アダムに顔を向けた。私を庇うようにアダムが前に立っているため、アダムが何を話しているのかは分からないが、どうやら男に何かを言っているようだ。
そしてアダムが何か言い終わると、男は気まずそうな顔をした。そしてすぐに私の方へ向くと、口を動かし始めた。
「ごっ、ごめん……実はシェリーに会ったら言いたいことがあったんだよ」
言いたいことが何なのかが私にはまったく見当がつかない。それよりもこの場を早く去りたい気持ちが大きかったため、さっさと喋らせて帰ろうと思い目の前の男に言った。
「言いたいことって何?」
すると、男は安心したように笑うと、頬を人差し指で掻きながら話し始めた。
「めちゃくちゃ恥ずかしいんだけどさ、昔おま、じゃなかった……シェリーのことが好きだったんだよ。だけど、耳が聞こえなくなっただろ? 俺、急に好きな子の耳が聞こえなくなったって知って戸惑ってよ……どう声かけたらいいか分かんなくて、お前のこと虐めちまったんだ」
戸惑ったから虐めたなんて、正直理解不能だ。意味が分からない。そんなことを思っていると、男は言葉を続けた。
「俺、まだまだ子どもだったからさー」
そう言いながら、懐かしそうに笑っている男にイライラする。こんなことを言うくらいだったら、一生話しかけてこなかった方がまだマシだったのにと腹が立ってくる。
「まあ、あのときは悪かったな! ごめん!」
そう言うと、目の前の男は気まずそうに笑いながら謝ってきた。さっさと話しを聞くだけ聞いて帰ろうと思っていた。しかし、この半笑いのような顔を見た途端どうしても我慢が出なかったため、思わず本音が漏れた。
「……過去の傷は一生消えないわ。大人になったのに、今でもされたことは心に残ってる。子どもだったからって、簡単に許せない。ただ、もう同じ過ちを繰り返さないで。それしかあなたに返す言葉は無いわ」
私はごめんと言われてじゃあいいよと許せるほど優しい人間にはなれなかった。すると、男は私の言葉を聞き、突然目尻をキッと上げて逆切れし始めた。
「この年齢でそんなことするわけないだろ、馬鹿にしてるのか!? 子どもがしたちょっとの嫌がらせで被害者面して、こっちに嫌な思いさせて楽しいか!? 人がせっかく謝ってやったのに上から目線で偉そうにしやがって……!」
――ああ、性根は変わってなかったのね……。
そう残念に思いながら、私はアダムの手を握った。
「アダム、もう行きましょう」
そう言いながら、私は握ったアダムのその手を引っ張った。そんな私に対し、逆切れをしている男は歩き出した私たちを追いかけ、まだ何かグチグチと罵詈雑言を吐いてくる。
私はチラチラと視界に入る男が何を言っているのかを見たくなくて、その男から目を逸らした。すると、男は私が目を逸らしたのに腹が立ったのか、走って正面に回ると私の肩を掴もうとしてきた。
だが、男が私の肩を掴むことは無かった。アダムが庇ってくれたからだ。すると、アダムは男が見えないように私の前に立ち、男に何かを話し出した。どうやら何かを言い返しているようだ。
「アダム、良いから行こ――」
そう言いかけたが、一瞬アダムが振り向いてちょっと待っててと口を動かした。そしてしばらく話しをしていたかと思うと、男が突然怒りを露わにしたままその場から立ち去ろうと歩き出した。
――何が起こったの?
アダムは何て言ったの?
アダムは大丈夫かしら?
心配になりまずは、アダムの横に駆け寄った。そして、男が遠くに行くのを確認しようと男の方を見ると男が叫ぶように口を動かした。
「似た者同士でくっついとけ! 傷者同士おにあ――」
そこまで見えたが、突然私の視界はアダムの手によって遮られた。でも、もう何を言っていたのかはほとんど分かった。そして意外とすぐに視界は明るくなり、アダムが私の正面に回り、向かい合う位置になるよう移動した。
――ああ、私のせいでアダムのことまで傷つけてしまったわ……。
最後の最後に本当に申し訳ないことをしてしまった。
何でアダムはあの男に言い返したの?
「アダム、何で言い返したの! 無視したら良かったでしょ? あんなやつ本気にしても、アダムが嫌な思いをするだけなのに……。私は大丈夫だからっ……」
申し訳なさがあったからこそ、アダムに強く言ってしまった。そんな私に対し、アダムは真剣な顔で口を動かした。
「シェリーがあんなに言われてるのに、黙って聞けるわけないだろう。ただ横で突っ立ってるだけなんて無理だよ」
「でも、あなたを巻き込みたくなくて行こうとしたのに何で止まったの? そうなってほしくないから、あの男から離れようって言ったのに! 私のせいでアダムに嫌な思いをさせてごめんなさい……」
アダムに怒りたくはなかった。だけど、私のせいで傷つけてしまった負いう罪悪感と心配でつい怒ってしまう。すると、アダムはそんな私の左手を右手で掴み、指輪を撫でながら口を開いた。
「君に悪いところなんて何1つ無いよ! 僕の大切な君があんなやつに色々言われて、黙っていられるわけないじゃないか。……でも、確かに君の言う通り、取り合わずに去った方が利口だったと思う……。僕も頭に血が上って……心配かけてごめんね」
そう言われて、私は目から涙が零れそうになった。こんなにも私を想ってくれている人がいることが、本当に奇跡だと思えた。
「私の方こそごめんなさい……。あなたまで傷ついて欲しくなかっただけなの。それなのに、守ってくれたアダムを怒るなんて、本当にごめんね……」
「シェリーが謝ること無いよ。ちゃんとシェリーの気持ちは分かってるから……」
「うん……ありがとう……」
以前、私がアダムの悪口を言われてショックを受けていた時、アダムは相手に怒るというよりも、私を傷付ける原因になったと自分のことを責めて謝ってきた。そのとき、私は何故アダムが謝るのか、アダムは何も悪くないだろと思っていた。
もちろんそれはその通りなのだが、なぜあのときアダムが私にごめんと言ったのか、今なら分かる。そんな思いでアダムを見つめると、アダムは優しく微笑み話しかけてきた。
「あんな男のために落ち込むなんて勿体ないからさ、シェリー笑ってよ! 僕、シェリーの笑顔が大好きなんだ」
ね? と首を傾けながら可愛く微笑む彼につられて、つい笑みが零れる。さっきまで気分はどん底だったのに、一瞬で彼は私を笑顔にしてくれた。
私はもっとアダムのことが好きになった。