20話 カード
アダムとメアリーさん、そしてジェイスさんに秘密を打ち明けた次の日は、アダムは仕事が休みだった。そのため、私は今まで通り働いた。そして次の日、仮面の男性がアダムと分かってから、初めて仮面を付けたアダムと一緒に働くときがやって来た。
今までは仮面というだけで避けてばかりだったけど、正体がアダムと分かってからもう仮面を見ても怖くなることは無かった。避ける必要もなくなった。だから、私は彼の後ろ姿を見つけて自分から声をかけた。
「アダム! おはよう!」
いつもだったら、アダムが振り返り切る前に逃げていた。しかし、今日からはもう逃げる必要はない。
アダムは私の声に気付き振り返ってくれた。すると、アダムはポケットからリングを通した小さい手のひらサイズのメッセージカードの束を取り出し、手を振りながら近付いてきた。
そして、その束ねられてカードのうち1枚を見せてきた。そこには、文字が綴られていた。
『おはよう』
アダムは仮面を付けた状態でコミュニケーションが出来るように、わざわざ準備してくれていたのだ。この心遣いに、嬉しい気持ちが込み上げてくる。
「これ、一昨日別れてから作ってくれたの?」
そう尋ねると、彼は先程とは別のカードを見せてきた。
『うん!』
――すごい! ちゃんと会話が出来てるわ!
アダムのこの優しさに、本当に心温まる気持ちになる。そのカードの束には、他にもいろいろと何かを書いているようだ。
「ねえ、アダム。そのカードちょっと見せてもらってもいいかしら?」
そう尋ねると、彼は右手を首の側面に持って行きながら、少しためらうような様子でカードを持った右手を差し出してきた。今までこういう風に彼とコミュニケーションを取ったことが無いから、彼のしぐさに気付くことが出来なかった。
しかし、こうしてコミュニケーションを取ってみると、話していることが分からなくても、少し恥ずかしそうにしているということが伝わってくる。
「ありがとう」
そう言いながら、彼からカードを受け取ると、彼はうん! と言うように深く頷いた。言っていることは分からなくても、その人のしぐさやジェスチャーで思っていることが伝わることもあると、改めて気付かされた瞬間だった。
そして、彼に借りたカードを捲って見てみると、様々な言葉が用意されていた。先ほどのように、簡易的なはい、いいえに関する受け答えの言葉やおはよう、お疲れ様と言った挨拶の言葉、ありがとうと言った感謝の言葉などが、カードの色によって分類され綴られていた。
――どおりで早く捲れていたわけね。
すごい、こんなに作ってくれたんだ……。
感動しながらカードを捲る。すると、ミント色のカードのゾーンに突入した。そこには、先ほどまでの言葉とは一風変わったことが綴られていた。
『何か困ってることはない?』『大丈夫?』『助けが必要だったら呼んでね』『助かるよ』『無理し過ぎないでね』『いつもありがとう』
このミントのカードは、どれも私を気遣ったり労ったりするような言葉が綴られていた。大丈夫に至っては疑問形を用意してくれているし、ありがとうに関しても【いつも】を追加したありがとうを用意してくれている。
アダムがこんなに私のことを考えて気遣ってくれているのだと思うと、お客さんが入る前だというのに、思わず涙が込み上げてきそうになった。だが、仕事のためグッと涙を堪え、アダムにカードを返した。
「っ本当にありがとう……。このカードが素敵すぎて、嬉しくて感動しちゃったっ。これから、改めてよろしくね、アダム!」
そう言って、アダムの前に手を差し出した。すると、アダムはその手をとった。
今日の私はもう俯いたりしない。彼の顔を真っ直ぐに見つめ、初めて仮面を付けたアダムと会った日のように、私たちは再び握手を交わした。
この日から働き始めて数日経った。その日々の中で、私たちは2人の間だけで通じるジェスチャーを作った。
そのジェスチャーとアダムが作ってくれたカードを活用することで、連携プレーで円滑に仕事をすることが出来るようになった。びくびくしていた以前と比べ、もっと楽しく働けるようになり、仕事ももっと好きになった。
こうして働き始めると、何人かのお客さんから同じことを言われるようになった。
「シェリーちゃん、今まであの人と喋ってるの見たこと無かったけど、あの人ってメアリーやジェイス以外の人とも話すのね。今日見てびっくりしたわ」
――お客さんも、私がアダムとコミュニケーションを取っていないと思うくらい、私ってばアダムのことあからさまに避けてたのね……。
そう思うと、アダムに罪悪感が出てくる。しかし、これからを変えていこうと気持ちを切り替え、私は全力で働いた。
そんなある日、喫茶店の商品に使う材料を持ってきてくれる人物が話しかけてきた。
「来たよ~。こんにちは、シェリーちゃん。今日いつもより重いけど、大丈夫? 俺が運ぼうか?」
そう言ってくるのは、卵を配達してくれるクリスさんだ。彼は歳も近く、友達のような距離感でいつも話しかけてくる。そして、珍しいことに彼も他の街から18歳の頃に引っ越して来たという、数少ない人物なのだ。
「大丈夫ですよ。重かったら2回に分けて運べばいいだけですから」
そんなことを言っていると、アダムがやって来た。すると、クリスさんに見えない角度で『持って行くね』と書いたカードを見せてきた。
そうかと思うと、アダムは卵が入ったカゴを重ね、一気にすべての卵を軽々と持ち上げパントリーへと歩いて行った。
すると、クリスさんが驚いた声を上げた。
「俺、あの人の話し声初めて聞いたんだけど……。思ってた声と違い過ぎてびっくりしたよ!」
他の人に耳が聞こえないことがバレないように、聞こえてないと分かっていてもちゃんと声を出してくれていたことに気付き、感謝の気持ちでいっぱいになった。そんなことをしてくれていたなんてと、胸が熱くなる。
だが私は残念なことに、彼の声は分からない。だけど、耳が聞こえていた時期がある分、声の高い低い、掠れや透き通る感じといった想像は出来る。そのため、少し角度を変えてクリスさんに質問した。
「一体どんな声だと思ってたんですか?」
「いやー、もっとすっごく低くて、渋い荒々しい声だと思ってたんだよ。だけど、全然渋い声じゃないし、むしろ落ち着いてて優しい声じゃん? 不思議と耳に残るっつーか。見た目と違い過ぎて驚いたよ! それに、声が若かった!」
――アダムは優しい声をしているのね。
いいな……私も1度で良いから自分の耳で彼の声を聞いてみたかったわ。
そんなことを考えていたが、クリスさんのある言葉がひっかかった。
「クリスさん……声が若かったって、彼はまだ若い方だと思うんですけど……」
「え!? そうなの? 何歳!? 俺勝手にだいぶ年上だと思ってたんだけど」
「彼はまだ24歳ですよ」
そう言うと、クリスさんは驚いた顔で口を動かした。
「嘘だろっ……俺より1歳年上なだけじゃん。ずっと勘違いしてたよ。俺らの世代の集まりじゃ全然見かけないから気付かなかったよ。あ、シェリーちゃんも今度来る? 楽しいよ?」
「楽しそうではあるんですが、私は仕事が忙しいのでちょっと難しいと思います」
「そうなんだ。残念だな~。まっ、来たくなったらいつでも言って! それにしても、シェリーちゃん最近めちゃくちゃ楽しそうに働いてるよね! 何かいいことあったの? 教えてよ」
皆なんて観察力があるんだ。この楽しそうに働いているって声をかけられたのは何人目だろうか。
牛乳屋さんにパン屋さん、小麦屋さんにお肉屋さん、魚屋さんに、青果店の配達員さんと、少なくともこれだけの人数の人に同じことを言われた。
――私ってどれだけ顔や態度に出やすいんだろうか……。
そんなことを思いながら、私はクリスさんに答えた。
「確かにいいことはありましたが、秘密ですっ」
そう言うと、クリスさんはまた聞きに来るしかないかと笑いながら帰って行った。すると、アダムがパントリーから帰ってきた。
「ありがとう、アダム! おかげで助かったわ」
そう声をかけると、アダムはカードを捲り、そのうちの1枚を見せてきた。
『何かあったら、また声をかけてね』
優しいなと思いながらそのカードを見ていると、アダムはまたカードを捲り出した。よく見ると、新たな色が追加されている。そして、新たに新色のカードを1枚見せてきた。
そこには、可愛く笑う顔のイラストが描かれていた。きっと笑顔を表しているのだろう。アダムを見ると、気恥ずかしそうに首の側面を右手で触っている。
そんなアダムを見て、何だか胸がときめいたような気がした。