17話 カミングアウト
「……私、耳が聞こえないの」
ついにアダムにカミングアウトしてしまった。出来ることなら、ずっとずっと秘密にしておきたかった。でも、彼には秘密に出来ないと本能的に思った。
彼の顔を見ることが出来ない。だけど、見ないわけにはいかない。
――怖い……。
恐怖心がどんどん込み上げてくる。だが、グッとその感情を押し殺し、恐る恐るアダムの顔を見ると彼は衝撃を受けたように目を見開き、それ以外は感情が抜け落ちたように真顔になっていた。
その表情のまま、私の顔からアダムはまったく目を逸らさない。
――嫌われたらどうしよう。
また、今までみたいなことになったら……。
アダムにそんなことされたら、耐えられないっ……。
想像するだけで、怖くなって涙が止まらなくなる。止めようと思い、必死に唇を噛むが涙は勝手に流れてきてしまう。
本当はアダムの顔を見られる心境じゃない。だけど、彼が何か言う可能性があるからには目を逸らすわけにはいかない。本来の時間よりも、ずっと時間が長く感じる。
耳が聞こえないということが、本当に……本当にきつく感じた。早く何か言ってくれと思いながらアダムの口を見つめると、彼は同じ表情を維持したまま口だけを動かした。
「耳が……聞こえない? けど、君は今までもだし、今も僕と普通に会話しているよ、ね?」
――それが狙いだったから。
耳が聞こえないことがばれたくなかったから、普通に会話出来ているように見せていたのよ。
アダムの考えを知り、思った通り作戦は今まで成功していたのだということが明確に分かった。疑われてすらいなかったのだ。
成功して嬉しいはずなのに、全然笑えない。それどころか、苦しい。何でこんな気持ちになってしまったのだろうか。皮肉なものだ。
衝撃を受けたような顔から、少し困惑を孕んだ顔へと変わっているアダムに、このからくりについて説明する時が来た。そのため、何とか平静を保つため一呼吸を置き、腹を括って告げた。
「間違いなく、私は耳が聞こえない。だけど、私は耳が聞こえないということを、誰にも……知られたくなかった」
そこまで言うと、彼はハッと目を見開き何か言いたげに口を動かそうとした。
「私がアダムと会話出来ている理由が気になるでしょう?」
そう彼に尋ねると、彼は前のめりになり1度深く頷いた。
「読唇術を使ったの。読唇術は、口の動きで何を話しているか読み取る技術で、私は長い年月をかけてその技術を身に付けた。だけど、読唇術には欠点があるの」
ふぅ、と一呼吸置き続けた。
「口が見えない人は、何を言っているか分からない」
そこまで言うと、彼は眉間に皺をよせ驚嘆の表情になり息をのんだ。アダムにも耳が聞こえる人のように話せるからくりが完全に理解できたようだ。
――ここまで説明したんだから、もうアダムには全部言おう。
親身になってくれていたアダムにはきちんと説明しよう。そう思い、覚悟を決めて話を続けた。
「実は、私が傷付けた人は職場の人でね……。その人はどうしてか分からないけど仮面を付けてるの。それで読唇術が使えない相手だから、私には彼の話していることが全く分からなくて……」
そこまで話し、自身が言い訳をしているように感じ気が滅入ってしまう。だが、私は続きを話した。
「だから、一緒にいたり話しかけられたりしたときに、耳が聞こえないことがばれると思って、そういう状況にならいように彼から逃げ回ってたの。そしたら、その行動が無視したりあからさまに避けたりしてるみたいになってしまってたの。昨日オーナーに改善してって言われてから、本当に酷いことをしてしまったと思って……。本人はもちろんだけど、オーナーたちにも嫌な思いさせてしまってたの……」
長々と話している私の話を、アダムは真っ直ぐに見つめて聞いてくれる。そして、話を聞き終わると口を動かした。
「そうだったのか……」
たった一言そう言う彼は、綺麗な顔を歪め険しい顔をしている。
――ああ、耳が聞こえないからまた嫌われたかもしれない。
アダムのあんな顔初めて見た……。
嫌われたくないのに、どうしようっ……。
ああ、終わった。そんな気持ちになり、彼が何を言い出すかと思うとあまりにも怖すぎて、つい目を伏せてしまった。
するとベンチに座ったまま、突然上半身を強い力で引き寄せられた。そうかと思うと、ギュッと強い力で抱き締められた。
――え? どういうこと?
戸惑いを禁じ得ない。だって、この状況で彼が私のことを抱き締めるなんて考えても見なかったからだ。
何で彼は私のことを抱き締めているのか。どれだけ考えても全く答えは分からない。耳が聞こえないことを知った人に、こんな反応されたこと無い。
いつもは皆、突然今までの思い出などすべて無かったかのように、手のひらを返して突き放してきた。だから、アダムが今何を考えて私のことを抱き締めているのか、皆目見当もつかない。
初めての反応に困惑していると、アダムはガバッと私から剥がれるように離れた。そうかと思うと、昨日のメアリーさんのように肩を掴むように手を添え、私に向かって口を動かした。
「少し目を閉じてくれないか……! 見て欲しいものがある。肩を3回叩いたら目を開けて欲しい」
そう言う彼は、今までに見たことが無いほど緊迫した顔をしていた。今日はアダムの見たこと無い顔ばかりを見ている。
切羽詰まっているうえに、真剣そのものといった様子で目を閉じてくれと言う彼に、私は完全に圧倒されてしまった。そして、私は言われるがまま素直に目を閉じた。
こんなに沈黙が怖いと思ったのは久しぶりだ。彼はいつ合図を出すんだろうか。そう思いながら、私は肩に全神経を集中させた。
早かったのか、時間がかかっていたのかは分からない。ただ、緊張して硬直している私の肩に、そっと優しい手が3回合図を送った。
いざ合図を送られると、開けたかった目を開けることに緊張してしまう。だが、言われた通りそっと目を開けた。すると、衝撃の光景が目の前にあった。
私は自身の目を疑った。なぜなら、私の目の前には先程話していた仮面の男性がいたからだ。
あまりの衝撃に、驚きのあまり口が開いた。口を開いた瞬間、空気が喉に入ってくる感覚があったから、もしかしたら喉の奥がひゅっと鳴ったかもしれない。
――何で、この人がここにいるの……?
予想だにしない人物が目の前に突如として表れた。そのことに、動揺が隠せない。
「な、な、な、んで……」
驚きすぎて呂律も回らない状態で、勝手に言葉が口から零れる。耳が聞こえなくても普段から喋っていたら、自然と出るもんなんだと驚くが、それどころじゃない。
――アダムは?
そう思っていると、突然目の前の仮面の男がごそごそと動き出した。そして、今まで外すことの無かったその仮面を目の前で外したのだ。
――うそ……でしょ……。
目の前の男が仮面を外した。そして、その仮面を外した男性の顔は紛れもなくアダム・ハルフォード、その本人だった。
――え?
どういうこと?
ア、アダムが……。
目の前の光景が信じられない。咄嗟にアダムの左手を確認した。すると、仮面の男の人が付けている特徴的な形をした革製の手袋が、アダムその左手にはめられていた。
――何が起こっているの……?
もう完全に脳内処理が追い付かない。そんな状況で、何とか言葉を繰り出して目の前のアダムに尋ねた。
「アダム、あっあなたが……、かめんの、おとこのひと、なの……?」
そう言うと、アダムは意を決したような表情で告げてきた。
「ああ、そうだ。仮面の男は……僕だよ」