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四十一膳目 「鯵の鹿の子造り」

 日曜の朝、朝早くから目が覚めた陽平は、和樹を連れ立って市場に来ていた。

 「いつもは絶対起きないのに、今日は珍しいね」

 簡単な朝食を支度しながら和樹を市場に誘うと、そう言って和樹は目を丸くした。確かにまだ日も昇りきらない内から、陽平がガサゴソと動き出すのは珍しいことだった。朝食を摂り終えた二人は、身支度を調えて海沿いの市場まで出向いたのだった。

 二人は並んで賑やかな市場の中を見て歩いている。

 「休日の早朝から出かける先が市場なんて、ホント色気ないよね」

 「なに? もっといかにもって感じのデートスポット行きたかった?」

 「いや…、俺はそういう場所苦手だからいいけどさ」

 「でしょ? 有意義に買い物してる方が楽しいよ」

 「これはもうデートじゃないよね」

 「だね。でも俺ら、つき合った当初からあんまりそーゆー場所いってなくない?」

 「ハハッ、それはそうかも」

 台所では大きく聞こえる和樹の笑い声も、喧騒の中ではすぐにかき消された。

 「で、陽平さんは何買いに来たの?」

 「今日はねぇ、これ」

 陽平は一軒の魚屋の前で足を止めた。軒先にはやや小ぶり魚が無造作にカゴに積まれている。

 「これは…、アジ?」

 「そう」

 「また十品やる気なの?」

 さすがに四回も繰り返すと、鈍感な和樹でもすぐに気づいたようだ。

 「ダメ?」

 「陽平さん、俺が止めても聞かないでしょ?」

 「よく分かってるじゃん」

 「という訳なんで、どーぞご勝手に」

 陽平の買い物には興味がないらしく、和樹はプラプラと他の店を見ている。

 「和樹、買い物終わったよー」

 大きなビニール袋を提げた陽平が、少し離れたところいた和樹を呼んだ。

 「これで買い物は終わり?」

 「そう」

 「ホントにこのために来たんだね」

 「足りない物あったら、後でスーパーいこうかなって感じ。さ、帰ろ」

 陽平は和樹を気にすることなく、足早に市場を後にした。その後を、和樹が小走りで追っていく。



 ところ変わって、いつもの台所。

 陽平は早速買ってきた鯵の下ごしらえを始めようとしているところだった。

 「さ、鯵捌いてこっか」

 「俺何か手伝った方がいいの?」

 「いや、これは全部俺がやる」

 そう言うと陽平は流しで鯵の表面を丁寧に洗い、まな板の上にのせた。出刃包丁を手に、まずは側面の中央部にある「セイゴ」と呼ばれる部分を削いでいく。一本の細い線のようになっているセイゴは、鱗が変異したものであり、残っていると口当たりが悪くなるのだ。

 身を削らずセイゴだけを取り除けるよう、陽平は数回に分けて尾の方から削いでいく。それが済むと、包丁の切っ先を使って全体の鱗をこそげ落とし、胸ビレの根本から頭を切り落とした。

 「うわぁ、やっぱグロい光景だよね」

 鯵の中から出てきた赤黒い内臓を見て、和樹が思わず顔をしかめる。

 「何言ってんの。魚を美味しく頂くためには避けて通れないことだよ」

 陽平は何食わぬ顔で腹を割いて内臓を取り出し、塩水を張ったボールの中で丹念に腹の中を洗う。洗い終わったら水気を拭き取り、鯵を三枚下ろしにしていく。

 割いた腹の切りこみから背骨に当たるところまで包丁を刺し入れ、刃先に骨の感触を感じながら頭から尾に向かって包丁を滑らせていく。この時いかに骨ギリギリの部分に包丁を入れ、中骨に身を残さないかが鍵となるのだ。そのためには正確な包丁捌きが求められる。

 鯵の上下を返すと、今度は背ビレの上ギリギリに包丁を入れた。同様に背骨がある辺りまで包丁を刺し入れると、頭の方から包丁を滑らせていく。最後に身を外すように腹から背まで貫くように包丁を入れ、尾の方から動かしていくと、まず鯵の半身が中骨から外れた。

 「何だか鯛の時と同じような捌き方なんだね」

 横から陽平の作業を見ていた和樹が口を挟む。

 「ま、そうだね。けど、魚が小さい分こっちの方がキレイにやるのは難しいかも」

 「へぇー」

 鯵の表裏を返し、今度は背の方から裏も同様に捌いていく。鮮度を落とさぬよう、身をボロボロにして味を損なわないよう、陽平の包丁捌きは鮮やかだ。身を崩さないなように、一度身に刃を入れたら迷いなく引いていく。あっという間に、一匹の鯵は中骨と二枚の半身に切り分けられた。

 切り分けた半身は最後に腹骨をすき、背骨に沿った中心部分に残る血合骨はピンセットで丁寧に抜いていく。

 「さ、とりあえず今刺身にする分だけ皮を引こっか」

 陽平は皮の端をしっかりとつかみ、ゆっくりと手で鯵の皮を剥ぎ始めた。「銀皮」と呼ばれる鯵表面の体色をある程度残すのが、見た目よく仕上げる肝だ。この点もまた、鯛の時と変わらない。

 皮を剥ぎ終えると、身の表面には銀皮が所々残っていた。銀箔を貼ったかのような銀皮の間から、鯵の赤みを帯びた身が覗いている。

 「とりあえず、刺身にして今すぐ味見するだろ?」

 「うん!」

 「じゃぁ、この一匹分だけ全部刺身にしちゃうか」

 「俺、醤油と小皿用意しとくねー」

 陽平が鯵を刺身に引く前から、和樹はもう浮かれている。和樹が慌ただしく準備をしている横で、陽平は身の表面に斜め格子の飾り包丁を入れ、鯵の身を刺身に切り分けた。

 「はい、完成」

 「わー、いつも見てる鯵の刺身だー」

 「この表面に切れこみ入れる刺身を『鹿の子造り』って言うの」

 「へぇー。食べていい?」

 「俺の話聞いてた?」

 「だって早く味見したいんだもん」

 「せっかくなら生姜と葱用意するか…」

 パクッ。

 陽平が言い切る前に、和樹は既に鯵の刺身を頬張っていた。

 「んー、やっぱ新鮮だから美味いわ。プリプリしてて美味い」

 「生姜と葱添えればもっと美味いのに…」

 「いや、醤油だけで十分美味いよ」

 「だからって、あんまべったりと醬油つけんなよ」

 「わかってるって」

 「あっ、辛子ってウチあったよね」

 「さっき冷蔵庫のポケットで見た気がするけど」

 陽平が冷蔵庫から練り辛子のチューブを取り出してきた。

 「鯵って、辛子醤油で食べても美味いんだよね」

 「え、辛子?」

 「うん、少しだけ辛子入れるとサッパリ食べれるよ」

 和樹が持つ醬油の小皿に、陽平が少量辛子を足す。鯵の刺身に辛子をつけ、和樹はゆっくりと口に運んだ。その小皿を拝借して、陽平も鯵の刺身の味見をした。

 「あー、これ俺好きな感じだわ」

 「そう?」

 陽平はまだ鯵の身をゆっくりと咀嚼している。確かに脂の乗った鯵の身に、辛子醬油がよく合っていた。

 「めっちゃポン酒飲みたくなる」

 「お前は結局それかよ…」

 「いいじゃん今日日曜だし」

 「多分今日の料理みんな酒の肴みたいな感じだよ?」

 「えー、マジ?」

 「だからポン酒はお預け」

 「そんなぁー」

 ヘコむ和樹を見た陽平は、夕飯前に少し呑ませてやろうか大いに迷うのだった。

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