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【蓮根の小噺】其の肆 蓮根の歴史と栽培地

 蓮根が我が国に入ってきたのは、少なく見積もっても今からおよそ千三百年前。例によってこれも中国大陸から入ってきたと考えられますが、蓮根の原産地というのは、現在でもよく分かっておりません。

 蓮根が取れる蓮自体は、有史以前から存在していたことが化石などから分かっているのですが、いつ、どの段階で、食用に向く蓮根を持った蓮が誕生したのかは未だ不明なのです。有力地とされているのは、中国、エジプトやインドといった地域。

 蓮と言えば水辺に咲く白やピンク色の花が連想されますが、この花を咲かせる蓮と、食材の蓮根が取れる蓮は同種。細かな品種の違いこそあれ、元をたどれば同じ蓮という植物でございます。 

 蓮は仏教において神聖視されておりますから、やはり我が国への流入の過程には、仏教との関わりがあったのでございましょう。

 蓮という植物自体も中々に面白いのですが、今回のお話は、あくまで食材としての「蓮根」について。

 そうそう、ここで豆知識を一つ。

 蓮根は「蓮の根」と書きますが、我々が食しているのは実は「蓮根の茎」。

 地下茎と呼ばれる、泥の中にある茎の部分が肥大化した物を蓮根と称しているのでございます。元々蓮の地下茎は今ほど大きくなかったと考えられていますが、長い時間をかけて、食用に向く種、花の観賞用の種といった風に枝分かれしていったのです。

 奈良時代には、既に食材としての蓮根の記述が登場いたします。ただ、現在が我々が食している蓮根の大半は、明治期に中国から入ってきた種類。いくつかの品種が日本に入ってきて、その土地土地に合った種が栽培されてきた結果、それが後に関東関西の違いに繋がったという訳でございます。

 そもそもそれ以前は、蓮根は全国的にメジャーな食材ではなかったのだそう。僅かばかりに残る在来種も、中世期に中国大陸からもたらされた物と考えられております。

 あくまで個人的な意見でございますが、沼地や湿地では稲作も畑作もできませんから、蓮根は荒救作物のような一面を持っていたのではないかとも考えております。

 このような経緯から、現在名を馳せる名産地の多くも、栽培が始まったのは明治から昭和にかけて。茨城の大躍進も、戦後になってからのことなのです。

 茨城の霞ヶ浦然り、いずれの土地でも、川や海など、水辺の低地が蓮根の栽培地となっております。

 先に挙げた愛知県は木曾川流域が主な栽培地ですし、佐賀県の場合は、有明海に面した干拓地が広がる白石町が主な栽培地。鳴門の蓮根も、塩害で使えなくなった田を転用したことが始まりと伝えられております。

 蓮根の収穫は、蓮根を傷つけないよう、現在でも一本一本手作業が基本。体の自由の利かない泥の中での重労働は、大変骨の折れる作業と言われております。

 その形状から、「先が見通せる」ということで、今ではすっかり縁起物の仲間入りをしている蓮根。

 ひょっとしたら、その考え方も案外新しい物なのかもしれませんね。

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