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一人ぼっちの夜

 「陽平さん、気をつけていってきてね」

 改札口の前に立つ和樹の声はどことなく暗い。沈む和樹に、向かい合って立っていた陽平がニコッと笑う。

 「たった数日だろ。そんな顔するなって」

 「そうだけどさ…」

 陽平が和樹の頬をぷにっとつまんだ。今日の陽平は紺のスーツに茶色のコートをまとい、スーツケースを手にしている。今まさにこれから、陽平は出張に向かうところなのである。

 「それより、こんな朝早いのに、送ってくれてありがとね」

 「そんなの全然気にしなくていいよ」

 荷物の多い陽平のために、和樹は市内のターミナル駅まで車で送ってきたのだった。まだ朝の五時過ぎとあって、改札口を行き交う人もまばらである。

 「向こう着いたら、連絡してあげるから。また何かあったら連絡してきて」

 「ホント?」

 陽平は無言で頷き、和樹の肩を軽くポンとたたく。和樹が差し出した手を、陽平は両手でギュッと握り返した。さすがに人目を憚り、陽平もそれ以上のことはしてこない。

 ほんの数秒二人は手を取り合った後、陽平がゆっくりと手をはなした。

 「…じゃぁ、いってくる」

 「気をつけてね」

 和樹は改札口から陽平の姿が見えなくなるまで、その場に立ち続けていた。

 


 その日の夕刻。

 一人侘しく夕食を済ませた和樹は、居間のソファーで酒を飲んでいた。

 朝は寝起きの悪い陽平を起す手間が省けて大助かりだと思ったのだが、やはり陽平がいない家はどこか物寂しく感じられる。今日に限って好きな野球の試合もなく、何となくで点けたテレビを見るともなしに見ていた。

 ──陽平さん、今頃何してるかな。

 ふと陽平に電話をかけてみようかと思った。ただ、こっちから先にかけるのは、何だか負けを認めることのような気がする。

 たった一日足らずで電話をかけて、もう寂しくなったのかと陽平にバカにされる様子が、ありありと目に浮かぶ。

 和樹は日本酒をあおり、グラスの中に入れていた梨をかじった。陽平が梨を薄切りにした物を冷凍庫にストックしておいてくれたので、それを日本酒の中に入れて飲んでいたのだ。前に陽平が教えてくれた、とっておきの梨の食べ方だった。

 空になったグラスを見ながら、和樹はもう一杯飲むか迷っていた。

 いつもなら間髪入れずに二杯目を飲むところだが、なぜだか今日は飲む気が起きなかった。いつも飲みながら絡んでいる、恋人が隣にいないせいだろうか。

 和樹はふと壁の時計を見た。

 ──なんだ、まだ十時過ぎか。

 今日は時間が過ぎるのが、いやに遅く感じられる。いつもなら、あっという間に寝る時間になってしまうというのに。

 ──これから何しようかな…。

 二人で同居を始めてそれなりに経つが、陽平が何日も家を空けるのは今回が初めてのことだった。そもそも陽平が出張にいくこと自体が珍しく、それも今までは日帰りとか一泊程度のものだったのだ。

 今回の出張は、三泊四日の予定だという。

 これから三日ばかりの時間、和樹はこの家でどう過ごせばいいのか本気で悩んでいた。

 和樹の方は仕事柄よく出張にいくのだが、自分が出張にいく側の時は案外何とも思わないものなのだ。確かに出張先で寂しいと感じる時もあるものの、きっとそれ以上に仕事を無事に終わらせようと気が張り詰めているのだろう。

 ──陽平さんって、家で一人の時何してるんだろう?

 陽平の場合は、案外普通な気がする。

 自分が数日家を空けたぐらいなら、寂しいと心の中で思いつつも、平然としているに違いない。

 あの人なら何事もなかったように家事をして、残りの時間は狂ったように小説を書いているだろう。一人だと食事を抜くクセがあるから、きっと机にかじりついたまま、作業の合間にゼリーとかで済ませてしまいそうだ。あれだけ料理ができるクセに、自分の食事には全く無関心なのが本当に不思議でならない。集中すると夜更かしをするクセもあるから、明け方まで机に向かっていそうな気もする。

 和樹は一人家にいる陽平の姿を想像していた。どことなく生き生きとして見える。

 そして、ふとこんな疑問が頭をよぎった。

 ──あれ、そういえば俺…、一人暮らしの時って何してたっけ?

 思えば都内で一人暮らしをしていた頃は、こんなに日々にゆとりを持って生活してなかった気がする。

 毎日起きて会社に行って、帰ってきて寝るだけ。

 残業などは少ない会社だから決して時間に余裕がなかった訳ではないのだろうが、それ以上に心の余裕がなかった。

 休日も丸一日家でゴロゴロしている内に、何となく過ぎ去っていっていた気がする。

 日々の食事を美味しいと思って味わいながら食べることもなかったし、休日に自分が着る服も、自分の体調も、何もかも自分に対して無頓着だった。

 それでも何ら疑問に思わずにいたのは、自分が鈍感なだけだったのか、はたまた社会人とはそういうものだという考えに毒されていただけか。

 別に孤独を感じてはいなかったし、やりたいことも趣味もちゃんとあったが、やはり今思えばかなり味気ない生活だったのだろうと思う。

 ──陽平さんとつき合った当時って、どうしてたんだっけ?

 今度は陽平とお互いの家を行き来していた交際当初のことを思い出そうとした。

 が、はっきり言ってあまり記憶がない。それほどまでに、この暮らしが当たり前のものとして自分の中に浸透しているということだろうか。

 その時、和樹のスマホが鳴った。和樹が素早くスマホの画面に目を落とす。

 ──陽平さんからだ!

 逸る気持ちを抑え、画面の応答ボタンを押す。

 「陽平さん、お疲れ様」

 「お前…、酒飲んだだろ?」

 陽平が少し和樹の声を聞いただけで、酒を飲んでいることを見破った。

 「さすがだね」

 「飲むなとは言わんけど、ほどほどにしとけよ」

 「はーい」

 「ちゃんとご飯食べたか?」

 「俺はペットじゃないんだから…」

 「同じようなモンだろ」

 和樹が少し頬を膨らませる。

 「さっき食べ終わったトコだよ」

 「どーせうどんかパスタだろ?」

 「そ、それは…」

 またしても陽平の図星だった。食卓の上には、和樹がさっき食べたうどんの残骸がまだそのままになっている。

 「まぁ…、俺がいないのも珍しいんだし、たまには気ままに好きなもの食いなよ。冷蔵庫に色々置いてあるから、気が向いたらそれも食べていいよ」

 「ありがと。んで、そっちはどう? 今日は仙台だっけ?」

 「うん。初日はまずまずかな」

 「お疲れ。明日ちゃんと起きれるの?」

 無意識にこう訊いてしまうあたり、面倒だと思っていながらも起すのが日常になっている証拠だろう。

 「うーん、何とかなると思う」

 「心配だなぁ。陽平さんは、今は何してんの?」

 「俺もご飯食べ終わって、ホテル帰ってきたところ。…どうだ、小言言ってくる人間がいないから気が楽だろ?」

 「うーん。一人も気楽でいいかなぁ、って思ってたけど、案外そーでもないかも」

 「やっぱ寂しくなった?」

 「まぁね。一人で何していいか分かんなくて困ってる」

 あれだけ強がっていたはずなのに、陽平と話しているとつい本音が出てしまう。

 「俺も逆の立場の時は寂しいしね。その気持ち分かるかも」

 「あんまそうは見えないけど?」

 「そういう時は原稿に集中するようにしてるからさ。俺だって別に何も思ってない訳じゃないよ」

 「また電話していい?」

 「あぁ。変な意地張らずに、いつでも俺に電話しておいで。連絡もらえた方が、俺も嬉しいから」

 やはり陽平にはそこまでお見通しだったようだ。それでも和樹には、陽平の言葉が嬉しかった。

 陽平との電話を切り、和樹は点けっぱなしにしていたテレビを消す。

 家の中に一人でも、さっきほど寂しいとは感じなくなっていた。

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