7 この心
お湯を体にかけて初めて、自分の体が冷えていることに気付いた。お湯の熱に全身の皮膚がびりびりと痺れて、痛みさえ感じるほどに。
冷えきった環境で、火ほど有難いものはないのだとこの世界で目覚めてからつくづく思い知らされている。囲炉裏端はほんとうに暖かい。それでも、冬は自然と体が冷えている。千葉でもそれは変わらなかったけれど、こっちの世界の方が顕著だ。
「~っ」
鳥肌が立つときの感覚を10割増しにしたような痺れに耐えて肩まで湯につかると、今度はだんだん心も体も緩んでいく。お風呂の心地よさは、どんな世界でも変わらないんだと思う。まぁ、ここのお風呂は五右衛門式で、浴槽に触ったら結構熱くてビクッとさせられるんだけれど。
みじかく切り揃えられた髪から、湯船にぼちゃりと水滴が落ちていった。
お湯につかっているときは特にすることがないから、ついつい色々考える。
「・・・・・・・・・体が覚えている、か」
さっきの、サンばあさんの言葉。これはケマル君の体で、ケマル君の体が覚えているから、私はここの言葉が分かるし字も読めるのか。
じゃぁ、今のこの私としての意識は、いったい誰のものなのか。宇野万葉である私の意識が、ケマル君の体の中に入った?いやそれは転生でなくて憑依でしょ。別世界をまたいじゃってるけど。
死んだ後、この世界で目を覚ますより前の記憶は、うっすらと残っている。あたたかいようなつめたいような、ゆらゆらとした永遠の闇だったような気がする。でも、聞いたことのある異世界転生ものの設定では、死後に神様の姿を見たり話をしてから転生した、というのも多い。私には、そういう記憶はない。
ー『そのマンガの主人公はね 』
ある部活仲間の、イキイキとした声が蘇ってくる。それを呼び水に、彼女の姿も、好きなマンガをプレゼンしているときの、満点の星空みたいに輝く瞳も、閉じた瞼の裏にありありと蘇ってくる。
部活のなかで、私と仲良くしてくれていた子で、部活が違うミユちゃんとも仲が良かった。ミユちゃんの他に友達は?と聞かれて、真っ先に名前が浮かぶのは間違いなくこの子…星野さんだろう。よく私を聞き手として、最近キテる作品プレゼン会をひっそりと開いていた。
ー『つまり、「ルイ」が前世の「健司」としての記憶を受け入れたってことね。それでルイは健司としての記憶を持ったまま育って、16歳で領主として・・・・・・・』
これが私にも当てはまるとしたら、今の私は『ケマルくん』の意識の中で『前世の記憶』が完全に蘇った、ということになる。
私の心とこの体がどこかで切り離されたものだから、私が知らなくてもこの世界で自然と知っているものがあるのか。それともこの心が今世の記憶を忘れているから、そう感じるのか。
前者であってほしい。
私は両手で顔を覆った。湯に濡れた手の暖かさが目にしみる。
もし後者の場合に当てはまっているとしたら。
私の『宇野万葉』としての意識は、ミユちゃんや星野さん、千葉の家族を親しく想うこの感情は。宇野万葉という人間として感じているすべてのことは。
ぜんぶ、ケマルくんの『前世の記憶』の残骸でしかないことになるから。ただの『記憶』によって作り出された感情というか、何というか・・・・・・ただ、ひとつ言えることは、私の場合は赤ちゃんの時から異世界転生したわけではなく、それ以前に『ケマル』としての意識しかなかったところへ急に『宇野万葉』になったから・・・・この体の中の心というか魂は完全に宇野万葉だとはいえなくて・・・・・・・・あぁもう私って何なんだろう・・・・
だめだ、一人で考えに浸っていると感傷的な方向にいってしまうのが私の悪い癖だ。
ぺちりと両の手で頬をはたく。それにしても、興味ないからと右から左へ聞き流していた星野さんの転生ものトークが、今になって重宝することになろうとは。
のぼせかかった頭を振って、私は湯船から出ようとした。が。
ガタタッ
木戸が外れる音がして、朗々とした声がたっぷりとエコーを含みつつ、狭い浴室に響き渡った。
「フー、風呂出るの遅せぇぞ! せっかくだから、おれも一緒に入るな」