4 七日目
「はい、おしまい」
『医術師のおじさん』ことチイさんは、私の右手をボンと軽くはたいて道具を片付け始めた。
マナさんの家に来てから、はや一週間。
チイさんは、そろそろ抜糸していい頃だ、と、怪我を診に来てくれたのだ。抜糸するところは怖くて目を瞑っていたから、どんなふうにしていたのかは分からない。
チクチクした痛みが残る腕と肩を気にしつつ、なんとか上着を着直すと、私はなんとはなしにチイさんの姿を眺めた。
40歳になるかならないか、といったところだろうか。色白の肌に、すっきりと短髪にした髪。ちょっと癖っ毛なのか、ところどころフワンと跳ねた毛束がチイさんの動きに合わせて揺れて、見ていて飽きない。
「俺の周りに、なんか飛んでる?」
チイさんはからかうような目でにやっと笑った。
「傷はくっついてるけど、まだ動かしすぎるなよ。傷口が裂けないように、しばらくの間は包帯で固定しておいたほうが良い。明日からは風呂にも入っていいからね」
「はい、ありがとうございます」
いやいや、と手をひらひら振って笑い、チイさんは思いついたように廊下の奥へ声をかけた。
「マナさん、サンばあさんの腹痛の薬はまだあるの?」
「あー、そういえばそろそろ買おうかと思ってたところなんだよ。今手持ちがあるなら買わせとくれ」
「うん。あと、ツォタ草が結構よく採れたから、よければお裾分けするよ」
「ありゃ、それは有難い」
水面を滑るようななめらかな会話だなぁ、と、いつも思う。ここの人たちは、本当になめらかに喋る。商人というのは、そういうものなのかもしれない。
チイさんが廊下を進んで右の突き当りにある木戸を開いたとたん、遠く聞こえていたざわめきが溢れ出るように大きくなった。ここは、マナさんとそのお連れ合いさんが営む『旅道具屋 メオ』の、言わばバックヤード的なところだ。
「ありがとうね。これ、お代。腹痛薬のぶんもね。それから、昨日新しい保存食の試作をしたから、ちょっと持って帰って食べてみてよ」
マナさんが差し出した貨幣と何かの葉っぱで包まれた包みを、丁寧にお礼を言いつつ受け取り、今度はマナさんに小さい三角形の紙包みの束と薬草を手渡して、チイさんは帰っていった。
「さてと、ケマル」
マナさんは部屋の隅の棚に今チイさんから受け取ったものをしまい、かわりに懐から貨幣を何枚か取り出して、私の掌にのせた。
「今忙しくてね。昼飯を準備してる時間がないから、頬落屋で弁当買ってきておくれ。冷えるから、首にこの手ぬぐいを巻くんだよ」
「うん」
厚手の手ぬぐいを首元に巻き、貨幣…銅貨をぎゅっと握りしめて、私は勝手口から外へ出た。
石畳の道路を踏みしめる硬い音。
風に乗って流れてくる、動物園みたいな匂い。
うすく積もった雪が解けて、水っぽくなった地面。
人々の息遣いと、客寄せの大声。
ぜんぶが、一つにまとまって渦巻いている。療養していた部屋から遠く聞こえたざわめきはこれだったのかと、初めて表へ出たときはびっくりした。
ここ『六通り』は、この地域が属する『シヤト帝国ダクシナ領』屈指の商店街なのだそうだ。
人々の間をすり抜けつつ、私は旅道具屋メオの斜向いにあるお店を目指す。
2,3歩近付くと、甘辛くて香ばしい匂いが胸をくすぐる。『頬落屋』は、一昨日も来たことがあるので、行くにしても心が軽い。
「やぁ、たしかあんた、メオさんとこの甥っ子だったよね。今日もお互い商売繁盛だねぇ。弁当ね、今日は安い新商品が発売中だよ、もちろん味は最高傑作の自信あり!それにするでしょ、ね」
「えぇ、じゃぁそれを六つ」
「それと、ゴリュ(川魚)の酢漬けもおまけしとくよ。辛子と一緒に漬け込んであるから、体もあたたまるでしょ。あぁでもサリトは食べないか、あの子は昔っから辛いのだけはダメだからねぇ」
喋る口も、大きな葉っぱに料理を包む手も止めないおかみさんは、慣れた手付きでほかほかの弁当を手渡してくれた。
「わー、頬落屋の弁当だ!」
勝手口の戸を開けると、ちょうど店先から戻ってきたサリトが歓声を上げた。
「うん、新商品だって言ってたよ」
「おぉ、食おう、食おう。あ、ケマル、これ食い終わったら母ちゃんたちと交代で店番な。できる仕事でいいから」
「うん」
「よっしゃ、うぉっ美味そう」
「んあぁ~、やっぱ頬落屋の弁当は美味いな~」
サリトの、温泉に浸かった時みたいな伸びやかな声につられて、私もうんうんと頷きまくる。
葉っぱの包みの紐を解くと、ほわあっと熱い湯気が舞い上がり、甘辛い香りが広がるのだ。この時点で、もう、たまらん。
「ふふっ、忙しいのも、結構いいもんだな」
甘辛いタレが染み込んでところどころ焦げ目がついた焼きおにぎりを頬張りながら、サリトが声を低めて囁いてきた。初対面の時から薄々感じていたけど、やっぱりサリトって人との距離が(物理的に)近いタイプの子だな。
そう思いながら、私も焼きおにぎりにかぶりついた。うわ、おいし。中に具のお肉も入ってる。
「・・・そういやさぁ」
野菜を香ばしく炒めたのも、コリコリと歯ごたえのいいお漬物も完食し、二つ目の焼きおにぎりも平らげたサリトが、指についたご飯粒をなめとりつつ不意に真面目な顔になった。
「ケマルはさ、ここに担ぎ込まれて以来ここの生活にも慣れ始めただろ?でもやっぱり、襲われる前の記憶がちょっとでも蘇ったとか、そういうわけではないんだよな?」
炒め物の最後の一口をごくりと飲み込んで、私は瞬きをした。
「・・・・・うん、そうだけど」
ふぅん、と言って、サリトは前掛けの端で手をぬぐった。
「じゃ、明々後日には<魂定めノ儀〉なんだな」
「たまさだめのぎ?」
この七日間で、オウム返ししてばっかりだ、私は。