5 誘い
熾火が爆ぜる音。
その音を聞いて心を落ち着かせながら、私は、返事を絞り出す。
「__急にそんなこと言われても困ります。だいいち、私は あなたたちのことを知らない・・・記憶がない」
「そこは問題ない。おまえ、視えてるだろ」
真っ直ぐに目を見つめられて、息が詰まった。目を通して、私の奥の何かに触れようとされている。そんな感覚だ。
「断続的にではあるが、おまえは精霊が視える。そうだろ? それに、以前、リンジァン川でおまえの魂が と戯れているのを見たぞ。ケマルが持っていた〈境の民〉としての力は、まだその身体に残っている」
背中を、なまぬるい汗が伝っていった。
この人たちは、私を連れて行って何をしようとしている?
「ヤマさん、でしたっけ」
唇を湿して、この高圧的なおばあさんを睨みつけるように見据える。
「私はここで不自由なく暮らさせてもらっています。どうして、私を〈|境の民《ハィダ・スィピ〉のもとに連れ戻そうとするんですか」
「おまえの力は、もっとこのダクシナのために役立てることができるからだ。ここで商人の養子として生きるよりも、ずっと」
婆さんの鋭い眼光は ぶれない。
「あなたたちは、私を巻き込んで何をするつもりなんですか」
「ダクシナのためになることをする。今すぐに、というわけではないが」
だから、それは具体的にどういうことなんですか___そう食い下がる台詞は、空気を割るように差し込まれた声に追い払われた。
「ばあさん、少し黙っててくれ」
ふいに、ボゼと名乗った若い女性が おばあさんを押しのけるようにして身を乗り出したのだ。
咄嗟にマナさんが私を囲炉裏から離すように引き寄せようとしてくれたが、それよりも速く、ボゼさんは私に顔を近づけた。半身が囲炉裏に落ちそうな勢いで。
「ケマル….いや、あんた《・・・》は、知りたいだろ?」
薄紅色の唇が、私を試すかのように挑発的に動く。
「なぜ、あんたがこちらに来たのか。あんたがこちらに来る前、何があったのか。俺についてくれば、俺が知ってることは話してやる」
心臓を暴かれたような気分になった。
この人にはわかっているのだ。私が『ケマル』ではないと言うことを。私が、自分の異世界転生について考えていることを。
私はもともと音楽演奏が得意ではないけれど、心臓というドラムはうまく叩けるらしい。
「おまえさんも、なに訳のわからんことを言ってんだい」
マナさんが声を荒げても、ボゼさんは 私の瞳を覗き込み続けた。
「このさい、俺の隣の この婆さんが言ったことは一旦忘れてくれてかまわん。
知りたかったら、デガ山地方面の山に入りな。俺たちは、いつでも あんたのことを見ているから。
・・・では、我らはここでお暇しよう。ばあさん、行くぞ」
言うが速いか、ボゼさんはヤマとかいう婆さんを ぐいっと引っ張って立ち上がった。
おい待て話はまだ終わっとらんと喚く婆さんを引きずって、強引に勝手口の方へ歩いていく。その背中にマナさんが何か怒鳴ろうとしたのは、イサクさんがなだめて止めた。
なんと、あっけない退場だ。
勝手口を出るとき、ああそうだと呟いて、ボゼさんは私の方を振り向きニヤリと笑った。
「カルサ様の縁談が持ち上がったようだぞ」
そう囁いて、ボゼさんは不満顔の婆さんと共に大通りの喧騒の中へ消えていった。
「サリト、麻縄と火打石を持ってきとくれ!もう変な客人が来ないように勝手口を清めるよ!」
そう声を張り上げるマナさんの姿を、ぼんやり眺めた。どうやらマナさんは玄関前の塩撒きにあたる行為をしようとしているらしい。
ちょっと疲れた。
身体も頭も、じんわりと重い。
いろいろ衝撃的なことが重なって疲れたな。
勝手口の扉に寄りかかって、私は ただ ぼうっとしていた。




