10 淡い
ふわふわする。
体中が一つの球みたいに感覚が一つになっている。指が冷たいものに触れると全身冷たい、というふうに。
思考を行う芯のところが、強烈な睡魔に襲われたときのように頼りなくくすぶっている。
そこまで感じて、自分は瞼を上げていないと気付いた。瞼の裏は、太陽の輝きを反射する月のごとく青白い光で満ちている、ような気がする。ゆっくりと瞼を上げると、闇があった。
闇があった。その闇の中に、うっすらと輪郭がある。木だ、と思った途端、自分の周りにあるものが形をなした。瞼の裏と同じ青白い光を宿して、木々が、草むらが、石が、地面が、布を色水に浸けたときのようにパッと広がった。
闇があった。その闇の中に、うっすらと輪郭がある。木だ、と思った途端、自分の周りにあるものが形をなした。瞼の裏と同じ青白い光を宿して、木々が、草むらが、石が、地面が、布を色水に浸けたときのようにパッと広がった。
コボボコポ,クプィゥコ,タプン
あぁそうか。自分は川の上にいる。〈魂定めの儀〉をした、あの川だ。水面に触れる足を通じて、流れる水音を聞いている。
からだが、ほわほわする。この感覚を私は知っている。
私はこの感覚をよく知っている。
この感覚の中に身をおいていたことがある。
なにかもっと、恐ろしいところに。安心するところに。寂しいところに。あたたかいところに。
そこに、私はいたことがある。
ふと、何かの視線を感じた。イサクさんが〈境縄〉と呼んでいた、あの門のようなものの向こう側。対岸の森の奥で、何か青白い光がちらついた気がした。でも、辺りを泳ぎ回っている半透明の魚と草木が発する淡い光に紛れて、よく見えない。
ただ、なにかに見られているような気がした。
そう思った瞬間、いいようもない心細さが這い上がってきた。ひとりでお化け屋敷に入ったときのように。
帰りたい。
今すぐ帰りたい。
帰るって、どこに?
千葉の家。父さん母さん、ミユちゃんや星野さんがいるところ
ちがうよ
そこにはもう帰れない そこにはもう居ない
じゃあどこに、どうやって帰る?
瞼を閉じて、朱色の瞳があるところ
ついでに、もっと内にいこうか
*
目の前に、女の人がいる。茶色がかった髪が、その横顔も首から下も覆っている、若い女の人だ。でも、表情が読めないのは髪のせいじゃない。よく見ようとすると、その姿がぼんやりと霞んでしまうのだ。まるでうろ覚えの夢みたいに。
私は女の人の袖をつかみ、その顔を見上げている。不思議とそれが当然のように思える。
女の人は、きょとんとして座っている二人の子供に、何やら虫カゴのようなものを見せていた。それを床に置き、今度は二人のうなじに手を当ててから顔を上げた。その視線が向かっているらしき場所には、小さな子供を抱いた女の人がいる。この人も、顔は良く見えないけれど、なぜか違和感がない。
「だいじょうぶ。みんな、ーーとーーーさんによく似てる」茶色がかった髪の女の人は、そう言って二人の子供の髪を撫でた。
やがて、脇の下に柔らかい感触がして、私は抱き上げられていた。 懐かしい。
小さな子供を抱いた黒髪の女の人が、そばに寄ってきて言う。
「ーーーも、姉さんそっくりだね。髪とか目元とか、とくに。・・・もう〈魂の道標タァカィ〉を彫ってるのか」
「うん。・・・・・この子は、
***
どん、と背中に衝撃が走って、私は目を見開いた。水中から一気に浮かび上がったように、詰めた息が噴き出た。
戸の隙間から漏れ出る ぼんやりした光、ひんやりした空気。体を包む布の感触。板葺きの、さほど広くない空間。
ああ、もう朝か。だいぶ早いけど。
また背中に衝撃が走ったので、起き上がりざまに振り返ると、盛大に眠りこけるサリトの姿があった。上半身が完全に寝具からはみ出ている。この拳に殴られたのだろう。
右隣には寝具に顔をうずめるようにして寝息を立てるニマちゃん、サリトの隣にはサクが寝ている。
「・・・えぇ、タッちゃんとこ三人目うまぇるん?それはぁおめっとうさん。おれんとこぉ?おれはまだ結婚できてないから*&%#^¥@$・・・・・」
なんか今、年齢のわりに切ない寝言が聞こえたんだけど。私はそっとサクから目を逸らして、聞かなかったことにした。
額に手を当てると、春が近づいているとはいえまだ寒さが残っているというのに、私の肌は汗ばんでいた。
徹夜した朝みたいな重だるさが、頭の芯に こびりついている。耳鳴りがし始めた。
ええと、昨日の夜は、マナさんと話して、いつもより遅い時間に床に入った。ちゃんと寝たよね。それにしては変だ。
睡眠をとったのに、どっと疲れている。
なにか変な夢を見た。そんな気がするのだけれど、夢は夢だ。ただ、妙な既視感と・・・・・
「あれ、フー、もう起きてたの」
ニマちゃんが目をこすりこすり起き上がって、私は我に返った。無意識のうちに、胸に手を当てている。
ごそごそ衣擦れの音がして、サリトも目を覚ましそうな気配を見せた。今日もまた一日が始まるのだ。
胸に当てた自分の手を見下ろして、私は首をかしげた。
ここにいるのは、『私』だけじゃない? そんな言葉が頭に浮かんできて、また反対側へと首をかしげた。
「フー、何してんの? 」
ニマちゃんに眉をひそめられたので、私は慌てて寝具を片付け始めた。
気のせいか、いや、そうじゃない気がするのだけど。いろいろ落ち着いたら、ゆっくり思い出して考えてみよう。今は、やることが沢山あるから。




