序章2 異変
パチパチと木が爆ぜる音がする。状況はいまだに訳分からないけど、右の頬に感じる火の気配が、ほっとするほど暖かい。
「ツォングラを作ったから、飲みな。少しは楽になるから」
女の人…マナさんとかいう人は、焚火に小さい鍋をかけて作っていた何かをお椀に入れた。
しなやかで、がっしりした腕が、首と背中を支えて抱き起してくれる。
ツンとした匂いが鼻先に広がって、熱い液体が口に滑り込んできた。苦くて渋くて酸っぱくて、おいしくはない。
でも、口から食道、胃へと熱さが広がっていくと、潮が引いていくみたいに身体の痛みが薄れた。まだまだきついけれど、さっきよりはマシだ。
張りつめていた何かが少しだけ緩んで、だんだん頭がクリアになってきた。
「・・・あの」
「ん?」
「ここ、は、どこ、ですか。・・・ケ、マル、って、だれ」
マナさんは、焚火を始末する手を止めて、横たわっている私に目を据えた。
「おまえさん・・何も覚えてないのかい?」
「はい」
「自分が誰かも、分からない?」
「たぶん」
「・・・・・・・そうかい」
ふぅっと息をついて、マナさんは微笑んだ。その瞳が一瞬、哀しそうに揺れたのは気のせいか。
そんなことを考えて微睡んでいる間に、マナさんはテキパキと動いている。
地面の雪が冷たい。
「さて」
マナさんの、うなじで束ねた黒髪が揺れた。
「日が暮れる前に街まで下りて、あたしの家に行くよ。おまえさんの怪我、とりあえず血止めをしただけだから、ちゃんと医術師に診てもらわないと。何があったかも、これからのことも、それからゆっくり話すから」
出発する前にこれを飲みな、と言って、マナさんは唇に竹筒をあててくれた。
あれっ。さっきのような不味い味を覚悟したのに、これは甘い。甘くて爽やかだ。口の中に、花畑みたいな香りが広がる。
「うまいだろ。あとは、おぶってやるから、眠っちまっていいよ」
フードごしに、マナさんの首のぬくもりが頬に当たる。私たちがいたのは結構山の中だったようで、マナさんが歩く振動が身体の痛みに響く。雪が音を吸ってしまって、あたりは逃げ出したいくらい静かだ。
あとはもう、よくわからない。なぜかというと、眠いから。最初の混乱と緊張が緩んだからだと思う。
異世界転生。
心の中に浮かんだその単語を、私は必死に揉み消した。そんなこと、あるわけない。このまま眠ったら、またあの暗闇の中なのだろう。切ないような、寂しいような、それでいてどこかゆったりとした、あの暗闇。
周りの様子がどんなふうなのかは気になるけれど、今はとにかく、眠い。
瞼を閉じると、水に潜っていくように、すっと意識が遠のいていった。
このとき、私は想像もできなかった。これから私が歩んでいく世界を。これが、すべての第一歩であることをー