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9 いかり

炎が揺れるたびに、自分の影も揺らぐ。

目頭を押さえて上を向くと、囲炉裏の真上にあたる天井からぶら下げられた魚や肉が飴色になりつつあるのが見て取れた。


この身体、光の少ないところで本を読むと目が疲れるタイプの人だ。深刻なほど疲れるわけではないけれど、三十分ほど読んでいると、目の奥が重く、わずかに痛くなる。この世界には電気がないから、夜は囲炉裏に頼るしかないのだけれど・・・昔の人が夜になったらすぐに寝ていたのには頷ける。火の明かりだけを頼りにして作業をするのは難しいからだ。今度から早起きして朝に読もうかなと独り言を漏らしつつ、目を閉じて開いてを繰り返した。

「あまり根を詰めちゃよくないよ。何を読んでるか知らないけど」

部屋の左手の壁に、細身の影が映って揺れた。廊下からマナさんがひょっこり顔を出したのだ。マナさんは、そのままこっちへ来て、私の隣に腰を下ろした。風呂上がりの温かさが、ほんのりと伝わってくる。

「それ、こないだ『幸』へ配達に行った帰りで出会った人が下さったっていう?」

「うん。異界輪廻妄想譚っていう小説」

「そうかい。お礼をしたいんだがねぇ。・・・あぁ、その時にシヤト兵が」

家の梁が きしんだ。

マナさんは、ちろちろと燃える粗朶を見つめている。やがて、躊躇うように唇を嚙んでから、ぽつりと言った。


「・・・すまんかった」

私は黙って 瞬きをした。マナさんは、私の目を見て、なんともいえず申し訳なさそうな顔をしている。

「何日か前の。もっといろいろ、前もって言っておくべきだった。危ないめに遭わせちまったね」

一拍挟んでその意味が頭にしみとおると、そわそわして落ち着かなくなった。いや、もう過ぎたことだしマナさんだって悪気があったわけじゃないんだから、そんな。それを言っても、マナさんは口元にうすい笑みを浮かべただけだ。いつもの気っぷの良さが鳴りを潜めてしまっていて、私の方まで申し訳ないような気持ちになる。


「〈魂の道標(タァカィ)〉…‥身体を抜け出た魂が、もとの身体へ戻るための道しるべ。朱墨で彫られた、『目』の文様。〈境の民(ハィダ・スィピ)〉の証」

節をつけて独り言のように、マナさんは ふいにそう呟いた。私の首筋を見ているようでいて、どこか遠いところを眺めている。何か語ろうとしているのだ、と、私の勘が告げた。




「あたしは、彫ってもらえなかった。・・・・・〈境の民(ハィダ・スィピ)〉が受け継いでいる力を持っていないから」

宙を睨みつける、マナさん。その横顔を見つめながら、囲炉裏の明かりが届かない部屋の隅に滞っている夜闇に、今更ながら背筋が寒くなった。


「鹿や馬、鼠、その他もろもろの生き物には、稀に、真っ白な仔が産まれてくる。いつもいつも、両親の特徴をに受け継いだ子が産まれてくるとは限らないのは、人間も同じだろう? 手先が器用な父親と、縫い物が得意な母親の息子が、こまごました作業はてんで駄目だが頭の回転は速い青年に育ったりする。・・・あたしだって、それと同じ。

そもそも魂ってのは、どの人間でも、寝ている間に体を抜け出すことはあるんだよ。初めて来た場所のはずなのに既視感がある…こういうの、ありふれた話ね。あたしだって、そういうことはある。〈境の民(ハィダ・スィピ)〉は、ただ、ただそれを自分の意志(・・・・・・・・)で自在に行うことが(・・・・・・・・・)できる人が多く生(・・・・・・・・)まれる(・・・)民族だというだけなのに

それが出来て当然(・・・・・)の民族だと自負している。〈境の民(ハィダ・スィピ)〉全体がね」

マナさんは、堰を切ったように言い切ってから、深く長く息を吐いた。

かすかな家鳴りが、うるさい。自分は今どんな顔をしているのだろう。

置き所のない沈黙のあと、マナさんは膝を抱いて苦笑した。


「ごめん、やっぱり実家のことが絡むと大人気なくなっちまう」

私は慌てて かぶりを振った。

「私は、だいじょうぶ。今、私よりつらいのはマナさんだと思うし、そういうところを見せてくれたのは、嫌じゃ、なかった」

えーとえーと、と言葉を探してあわあわする。こういう時に気の利いた言葉が浮かばない自分が憎らしい。ようやく言いたいことを整理して、私は ひとつ頷いた。

「私は今も楽しく過ごしてるし、シヤト兵に絡まれたことも、注意するようにはなったけど気に病んではいないから。

・・・カイラさんが行っちゃったら、ちょっと寂しくなったけど」

それを聞いて、マナさんはようやく笑った。カイラは人一倍賑やかな男だからねぇと言って。いつものマナさんに、少し戻った。

「あれが初めてうちの店に来たときもね、まあなんとも騒がしい少年(ガキ)だったよ。親父さんにたしなめられてるところを何度見たことか。もっとも、あたしも捻くれた小娘だったけどね」


「そうなの、か。カイラさん、そんなに昔からのお客さんなんだね・・・・・」

思い切って、何か面白い思い出話でもないのか聞いてみると、マナさんは ひょいと眉を上げた。じゃぁ寝る前のお話に、カイラが飲んでた酒を幼い頃のサリトが間違えて飲んじまった時の話でもするかね。そう言ってマナさんは、瞳に穏やかな光を浮かべた。やっぱりマナさんは、こういう顔をしているときの方が綺麗だ。


なんの前触れもなく、ひとつの風景が脳裏に浮かぶ。

常夜灯をつけただけの、薄暗い部屋。ふかふかの羽毛布団。普段は隣にいる人がいない、人が少ない時の静けさ。【王子さまは…‥】しんなりとした静寂を振り払おうともがくような、聞き飽きるほど聞き慣れた声。頭の奥にたゆたう、とろんとした眠気。

小学校低学年の冬。母さんがインフルだかノロだかに罹って、私や父さんとは別の部屋で寝ることになった。いつもは家族全員で川の字になって寝ているから、布団ひとつぶん空いた空間が寒々しくて、怖かった。そんなとき、諸々の家事や看病を終えた父さんは、枕元で『星の王子さま』を読み聞かせてくれたのだ。母さんが治るまでの間、毎晩。不思議と今でもありありと思い出せる。

蛍光灯のオレンジ色をぼんやりと見つめながら、王子さまに思いを馳せ、遠く奇妙な星々を思い浮かべた夜。



何故かそんな思い出が蘇ってきたのだった。




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