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5 書物屋で

「ーそれぞれの意味を持った小さきことが集まりて、一つの出来事が起こるのだと、わたしは思っている」


神殿とか、ギリシャ遺跡といった言葉を連想させる笑みをたたえて、カルサ君は私に手を差し伸べた。私の手から『異界輪廻妄想譚』が抜き取られる。

「これは、わたしが買う。そなたに贈ろう。変な意地を張っているのであれば、読んでみてほしい」

「・・・えっ!? いやあの、そんな、買っていただくわけには」

「案ずるな。わたしがそうしたいと強く思っておるからじゃ。それに、気が済んだら、そなたらの店でちゃんと買い物もする」

さぁまだまだ選ぶぞ、と言ってカルサ君は書架に向き直った。



ふたたび沈黙が辺りを包み、奥でお店の人が藁をいじっている音が大きくなった。

陽が、入り口から伸びて細く長く伸びている。


『王都叙景詩集』…なんとなく手に取った紐とじ本をパラパラとめくり、書架に戻す。その流れで指を右にいくらか滑らせ、また一冊抜き取る。紐とじで、背に何も書かれていないから、手にとって初めてタイトルを知ることができる。宝探しだ、なつかしい。宇野万葉として千葉で生きていたころ、私は図書館に入り浸り、よくこうやってのんびり本を物色していた。読み始めたらいつの間にか閉館時間になってしまうから、私はあまり図書館で本を読む派ではなかった。

だらだらと本や書架を眺める私とは逆に、カルサ君はきびきびと店内を歩いている。ほしい本があって本屋に来た人の動きだ。本人も言ってたけど、カルサ君が普段利用してる本棚? というかお家の本はよっぽど品揃えが偏っているのか。


このあたりはぜんぶ詩集っぽい。小説は、あのへんかな?

この『わが弓を』っていう本、冒頭部分からして好みだな。

わぁ、この本一冊分の値段で、うち(マナさんたち一家プラス私)の一ヶ月分の食費と同じぐらいなんじゃないの。  

あの巻物の紐、深い紫色で綺麗。

この、道具の図録もおもしろい。

 

そうやって見ていると、やはりここは交易が盛んなんだなぁと実感する。私が読めるものに混じって、全く読めない言語の本もあるのだ。なんか私は静かにハイテンションらしく、体が火照ってきたので首巻きを緩めた。


「『まだあげ初めし前髪の』ってね。恋の詩とかはどんなんが…」

「ん? 」

「いや、独り言」

一拍おいて、私は心臓も肩もびくりと跳ね上がらせた。沈むように本に見入っていたので、傍にカルサ君がいたのにも気が付かなかった。顔にかかった前髪を振り払って、カルサ君はにやにや私を見ている。

「その独り言、あれは恋歌の一節か? 」

「まぁ、うん。歌というか詩ね。なんとなく思い出して」

「詩はよく読むのか」

「いや、たまに読むくらいで。読んでも、芸術性? とかはよくわからないし。カルサ君は? カルマン・ジクの詩がどうとか言ってたけど」

カルサ君の瞳に宿る光が、一段と輝く。

「わたしも、さほど読むわけではないな。じゃが、カルマン・ジクの詩は好きじゃ。読んだだけで、目の前に風景が現れる。鳥の鳴き声や花の香さえも、その詩から溢れ出てくる気がする。文学士たちが言う芸術やら美やらはよく分からぬが、こちら側が意識せずとも風景が眼前に広がると・・・」

「あぁ、良い文章だなぁと思う」

私が言葉を引き継ぐと、カルサ君は手に持った書物を抱きしめた。

「そなたとは考えが合うようじゃの」

ほんとうに、うれしそうな表情だった。





一歩、店の外に踏み出すと、白くて黄色いお日様の光で目がちかちかした。ひとつながりの空気なのに、違う世界みたいだ。熱をもった頭が、キリリと爽快に冷やされていく。

急に後ろから引っ張られるような感覚がした。その瞬間から、首筋がシュッと冷たくなった。

「首巻きが引っかかったのか」

ちょうどお会計を終えて入口近くに来たカルサ君の声が聞こえた。首をひねって見ると、扉についている金具に首巻きの端が引っかかっているのが、ギリ、見えた。『異界輪廻妄想譚』を私の手に掴ませてから、カルサ君がほどいてくれる。

「この型の首巻きは、中途半端にほどけたまま巻いていると危ないのぅ」

「ごめん、ありがと」



「 ! 」



ふと、カルサ君の気配が止まった。

うなじに視線が刺さる。外気へ晒されたせいか、うなじが、首筋がとても寒い。



「〈境の民(ハィダ・スィピ)〉・・・? 」

その呟きは、積み上げていた何かが崩れ落ちそうな切迫感を孕んで…虫の羽音より小さく短く、震えていた。


本文31行目あたり  島崎藤村『初恋』より引用

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