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4 『異世界転生もの』

月ノ満(つきのみち)堂』の前に立った途端、静かに、でも確実に速く心臓が拍を刻んだ。ちょっと古い紙の匂い。ふんわりしたような、香ばしいような、鼻をつくような匂い。

本屋や図書館に入るといつも、新しい紙の匂い、人に使われてきた紙の匂いがして、それが堪らなく好きだった。お店によって匂いがちがうというのも面白かった。

このお店はー習字教室みたいな匂いもする。墨の匂いか。

紙が音を吸い込んで、しん、としている。中にいる人の足音や、紙をいじる音だけが、楽器の独奏みたいに響く。


開け放たれた扉をくぐると、そこには3つの書架があった。左右の壁と店の真ん中に、デンと。書架と書架の間が通路だ。その間にお客さんがちらほらといて、奥の方に店の人らしき女性が草鞋を編んでいるのが垣間見えた。


カルサ君は再び三度笠を跳ね上げ、ご飯を前にした子犬のように目を輝かせて書架へと向かっていった。飛びつかんばかりのその勢いに、私も慌てて駆け寄る。



「噂には聞いておったが、流石は『ダクシナの海なき港』。書物屋も品揃えがちがうのぅ」

カルサ君は満足そうに、ほうっと息を吐いた。ふわふわと夢を見ているような、恍惚とした気分さえも、その吐息から伝わってきた。

「カルサさんが住んでるところは、そんなに違うんですか? 」

「カルサでよい。気楽に喋ろうではないか」

カルサ君はフフッと笑って、書架から一巻の巻物を抜き取った。


 「私のうちには、書物は山ほどある。じゃが、地図や星図、歴史書やら神話やら、やたらと堅い内容のものばかりで、飽きてくるのだ」

もっと俗な物語も読みたいのじゃがのぅ、と歌うような調子で言って、カルサ君は手に持っていた巻物を差し出した。思わず手に取ると、安心する重みが指にかかった。深緑の紙が滑らかだ。普通の本とは違うけれど、指に吸い付く紙の感触は慕わしくて、胸が詰まった。


「オシュン・ヤーンの『異界輪廻妄想譚』 近頃、帝都で流行っているようじゃ。知っておるか? 」

「・・・読んだことない。どんな物語なの」

読んだことない、と言っても、カルサ君は口元をほころばせた。

「主人公は冒頭で天に昇ってしまうのじゃが、神の情けで、生前の記憶を保ったまま異界に輪廻し活躍していく…という話じゃ。前世では恵まれぬ人生であったが、輪廻した後は前世での知や経験を活かして下剋上してゆく。その様が痛快で、面白いぞ」

自分の唇の端がひくりと動くのが分かった。 

苦手な食べ物を前にした時と同じ気持ちが、むわりと湧き上がってきた。  

あぁ。心の中で、声の限り叫ぶ自分のイメージが鮮明に。 『あるんかい! こっちの世界にも! 異世界転生もの!』








「どうしたのじゃ、顔ノ筋が動いておらぬぞ」

カルサ君が怪訝そうに首を傾けた。その澄みきった瞳で見られると、申し訳ない気持ちも混じって複雑な気分になった。私の苦手な熟れすぎた柿に美味しいソースをぶっかけたみたいだ。

この世界で目を覚まして…異世界転生を身をもって体験してもなお、異世界転生ものに抵抗を感じている自分がいる。それがどうにも情けない反面、闘争心のような感情もある。



「カルサ君は、さ。そういう、異界に輪廻して活躍するとかいう物語、どう思うの? 理屈とかさ」

考えがあってとかじゃなく、意識しないうちに私は口を開いていた。炭酸飲料の缶を振って開けたときみたいに、言葉が吹き出した。

「 私には、どうもよく分かんなくて。変だよね、仏教の輪廻転生観は面白いと思えるのに。ラノベの異世界転生ものは何故か受け付けない。興味がないというか、『なんかムリ』でさ。そういう物語が好きな友達が魅力を紹介してるのも聞き流すくらい」

言ってしまってから、冷や汗が背中ににじんだ。仏教とかラノベとか、サラッと言ってしまった。大丈夫なのかな?


私の焦りなどつゆ知らず、カルサ君は眉をひそめた。

「何を言うておるのか分からぬところもあるが、そなたは・・・意地を張っておるのか? 真の書物好きならば、その書の分類ではなく内容で選ぶと、わたしは思うのじゃが。分類だけで突っぱねては、そなたの友とやらにも失礼であろう」

「・・・っ」

脳天を殴られた気がした。


それは分かっている。

星野さんが好きな異世界転生ものについて語るのを右から左へ聞き流していた。

それは、そういう小説だけじゃなく、そもそも星野さんにちゃんと向き合っていない。それを突かれると痛いけど、でも。


「それは確かに、カルサ君の言うとおりだよね。 でも本当にさ、知ろうとする気も起こらなくて。惹かれない、というか。そもそも、異世界へ転生するってどういうことだ? ってなっちゃって、読む気が失せるの」

私が小声で言い返すと、カルサ君も片方の眉を上げた。


「ふぅん。一つの世での輪廻は受け入れられるのか」

「そういう思想は古代から世界中にあるし、生まれる前の記憶を持って生まれてきたっていう人も中にはいるからね」

「そこまで受け入れられるのならば、この『異界輪廻妄想譚』でも何でも、思い切って読んでみればよいのに」

「いや、だから、異世界ってのが出てくると、魂はどうやって異世界へ移動するのさ?ってなっちゃうから」

「それは神の力であろう」

「その神の力ってのが訳わかんないんだってば。あとさ、そこから活躍しまくるのも虫が良すぎない? 」

「そこを面白く違和感なく書くのが作者の技量ということじゃろう。物語にも様々あるのだから」


カルサ君と話をしていると、星野さんのことが頭をよぎった。

私は星野さんの話を聞き流すだけで、今カルサ君とやっているような議論をしたことがなかったのだと気付かされる。読んでみなって! という言葉をのらりくらりと躱し、読む読むと言っても結局読まない私。それでもいろいろプレゼンしてくる星野さん。右から左へ流す私。

傍から見たら酷いよな、私。友達どころじゃないだろ。

私がなかなか異世界転生ものを読もうとしないのに、星野さんはめげずに語ってきた。それだけ、私と『好き』を共有したかったんだろう。


異世界転生ものを読まなくても、こんなふうに星野さんとも話してみればよかったな。



私はそれをしなかった。




「なんにせよ、そなたは異界に輪廻するということの意味が分からんのだな? わたしも、それがいかなる仕組みなのかは、よう分からん」

「ほら、分かんないんじゃん」

「じゃが、どのような出来事であれ、何か意味があってそうなるのじゃろう。蝶は生きるために羽ばたく。そのような小さき事も、寄り集まれば一つの風となる。それぞれの意味を持った小さきことが集まりて、一つの出来事が起こるのだと、わたしは思っている」


そう言ったカルサ君の凛とした目つきが、眩しかった。

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