1 おつかい
色が薄く高い空のどこかで、ピ〜ヒョッヒョッヒョッという独特な鳴き声がした。スーミャオという鳥が獲物の取り合いをしている声だと、サリトが教えてくれた。
延々と続くのかとさえ思わされる六通りの街道を抜けて、川とは反対方向に山の麓へ上っていく道を、私とサリトは歩いている。
荷車を引いて石畳の道を進んでいくと、突然瓦葺きの建物が道の両側に立ち並んでいるところに出た。かすかにお風呂屋さんのような匂いがする。
「ここが、六通りと合わせて『ダクシナの海なき港』と名高いツォングル宿場町だよ」
荷車の後ろから、サリトの滑らかな声が凛として聞こえた。
***
イサクさんにおつかいを頼まれたのは、20分ほど前のことだ。
「注文が入ってるから、これをツォングルの『幸』という宿に届けてくれ」
そう言って渡された、ランドセルくらいの大きさの包が3つ。中にには、油紙やら携帯食やら、カラビナみたいな金具やらがそれぞれ入っていた。『幸』は、旅道具屋メオの良い品揃えを見込んで、ときどきこうやって商品を買ってくれるんだとサリトは説明した。うちのを仕入れて、旅道具を切らしたけど事情があって六通りまで買いに行けない客のために向こうで提供してるんだとさ、と言いながらも、その手は手際よく包を荷車に乗せる。
「サリト、もう犬に驚いて荷車ごとすっ転んだりするなよ」
店先にいたカイラさんという旅芸人は、わざわざ裏口まで来てサリトにそう声をかけてきた。カイラさんはこのあたりで冬を越す間、たびたびこのお店の前で琵琶や歌を披露している。紅い石のついた耳飾りを揺らしてよく笑う。からかい好きな近所の兄ちゃん、といった印象の人だ。
「あれはもうずっと昔の話だろ。今はそんなドジ踏まねぇし、今日荷車を引くのはフーだよ。おれは後ろから支えて道案内すんの」
にやにや笑うカイラさんに、サリトは鼻へ皺を寄せた。
「サリト、犬苦手なの?」
六通りに出、荷車を引いて歩きながら、私は後ろに向けて訊いてみた。すぐに返ってきたのは、沈黙だ。ややあって、ぶすっとした声が聞こえてきた。
「・・・昔の話だって言っただろ。今はもう怖くなんかねーし」
ふぅん、と疑いの意を込めて振り返ると、頬をちょっぴりピンクにして仏頂面になっているサリトが見えた。
年齢は同じになっているとはいえ、やっぱり年下だな。
ちょっと笑いが込み上げてきたのと、よそ見してちゃ危ないのとで、急いで前を向く。
視界に映るこの街道には、本当に色んな人が行き交っている。冬だから地元の買い物客が多いけれど、それに混じって褐色の肌の人、肌も髪も色が薄い人。分厚い毛皮の外套を来た人、布を何枚も重ねてある羽織を着込んでいる人。褐色の肌で、萌黄色の鳥の羽がついた耳飾りをしているのは、隣国・ラト王国からヤルツァ(冬の風邪によく効く薬草の一種)を売りに来た行商人だ。カイラさんが教えてくれた。
なまりのある言葉や、何を言っているのかわからない言葉が渦巻いているのにも流石に慣れてきた。この世界で目を覚ましてから、もうすぐ一月になろうかというところなのだ。
そんなことを思っていると、心臓がヒュッと大きく跳ね上がった。 視界の端に慕わしい物が入り込んだからだと気づくのに、少し間がいった。
「あ」
知らず知らず声が漏れていたらしく、どした、とサリトが訊いてきた。
「こんなところに、本屋ってあったんだ」
サリトへの返事とも独り言ともとれる言葉が、自然と口から滑り出した。胸の底から、ふつふつと浮いてくるものがある。
「え、フーって書物とか好きなの? つか、あの山中じゃ書物なんか手に入りにくいよな。高価いし」
「っあぁ、えっとね、そう。一度読んでみたいなって、ずっと思ってたから」
適当に返事をする間も、頭はさっき通り過ぎたお店のことでいっぱいだった。広く開いた扉から、大きな棚と・・・そこに詰まった、山のような巻物。限界を試してるんですかと訊きたくなるほど、ぎっしりと並んだ紐綴じの本。途端に、あのなめらかな感触や紙の匂い、インクの匂いが鮮烈に蘇る。見慣れていたそれとは違うけど、どうしようもなく私の心を踊らしているものたちが、そこにはいた。
***
さっきから時折頬を叩く風が冷たい。冬も終盤らしくなってきたとはいえ、首巻きと頭巾はまだまだ手放せないな。
ゴロゴロと荷車を引き、一軒の宿屋の裏へまわる。
砂利の敷かれた、建物と塀との細い隙間の一角に裏口があった。サリトに促されて、私はおそるおそる拳を上げた。木戸を叩くと、トントントン、と軽い音が響いた。
「こんにちは、旅道具屋メオです」
意識してこんなに声を張り上げたのは、学校の体育大会以来だ。




