序章 異変
本は大好きだ。児童文学、ミステリ、冒険、純文学、もちろんファンタジーも。
でも、異世界転生・・いわゆる「なろう系」の世界観はムリ。あんなの絶対に認めない。私の知っている世界とはかけ離れすぎているし、なんだかファンタジーとして軽々しい感じがするし、そもそも異世界転生の仕組みってどうなってんのって思ってしまう。
そう思ってきた。いま、この瞬間までは。
「・・・おまえさん、生きてんのかい?」
***
「あーっっ、終わったねぇ」
テスト期間の凝り固まった鬱屈を押しのけるように、親友のミユちゃんは、うーんと伸びをした。その紺色のセーターから、アリエールの洗剤の匂いが飛び出す。
資料集は空っぽの机に放り込み、教科書とノートと筆記用具だけ学校指定のリュックに詰め込んで、私達は学校を出た。11月も終盤になると、さすがにもう冬の気配しかしない。枯れ葉を引きずって吹く冷たい風がうらめしかった。
「ご飯食べたら、スズキ書店行こうね」
「もちろん、言われなくても。カズ、最近オススメの小説は?」
「うーん、そうだねぇ・・」
ありふれた平凡な町。こうやって、国道沿いの歩道をのんびりと下校するのが好きだ。小・中学校時代は、あまり深く本の話をできる友達が周りにいなかったから、ミユちゃんに出会えて本当によかったと思う。
2学期のテストも終わったし、久々に本屋でじっくり過ごして爆買いしよう。最近話題のあの小説とあの小説は絶対読みたいし、あの先生の新作も出てるって聞いた。スズキ書店の後に古本屋にも行こうか。掘り出し物があるといいなぁ。
そうやって本のことを考えていると、外の雑音なんてシャットダウンされて、私(ときどきミユちゃんも含めて)だけの世界ができるみたいだ。
ふいに右半身に、一万人の人に一気に飛び蹴りを食らわされたかと思うほどの衝撃を受けた。
ありえないほど速く揺れ動く視界の端に、大きめのトラックと、ミユちゃんが強張った顔でこっちへ手を伸ばす姿が映った。その口から、私を呼ぶ声が漏れたのも聞こえた。
「カズッ!!!」
・・・あ。今死んだら買おうと思ってる小説が読めないじゃん。
そう思ったのを最後に、ぷっつりと何もかもが途切れ、私は闇の中に放り出された。
宇野万葉。千葉県在住の女子高生。自動車事故により、享年17。
***
宇野万葉、享年17。
・・・の、はずだった、よね?私は確かに死んだ。
じゃあ、この全身が燃えるような痛みは何。背中や後頭部を覆う冷たいものは。口の中が鉄臭いんだけど。
ギュッギュッギュッと、何かを踏む音が近づいてきた。閉じた瞼に、光が当たっている感触がある。
「・・・おまえさん、生きてんのかい?というか、気がついたかね」
低めで落ち着いた、よく通る声が降ってきた。自然と、身体が強張った。
おそるおそる、重い瞼を開ける。
そのとたん、目が痛くなるほどのお日さまの光と、薄青い空と、ひとつの人影が目を突いた。
フードのようなものを被った、私のお母さんと同じくらいの年齢に見える女性。見たことない・・・強いて言えば、どこかの民族衣装っぽい服を着たその女性が、私を見下ろしている。
「気がついたんだね。よかった」
声とともに吐き出された息が、寒さで白く凍って空気に溶けていくのを、見つめることしかできなかった。
女の人は、フードを取って私に顔を近づけてきた。ちょっと日に焼けた、気っぷの良さそうな顔立ち。頭のてっぺんでまとめられた黒髪と、髪飾りらしき鳥の羽根が揺れている。
「あたしはマナだよ。覚えてるかい、ケマル」
いや、そんなこと訊かれても。ケマルって誰ですか。そもそもここは何処なんですか。
尋ねたいことは山ほどあるのだけれど、全身の痛みと体を覆う冷たさとが鬱陶しくまとわりついてきて、口を動かす気力すら失せてしまう。そんな私の混乱などつゆ知らず、鷹のような鳥が高すぎる空を横切っていった。