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柚貝家と生霊、そして呪いの元凶

(今どき、公衆電話からの電話に出てくれる奴がいるだろうか……)



 『日本の当たり前』があまり分かっていないのを、卜部(うらべ)はよく自覚していた。

 それでも、非通知の電話を取らない者が多数派であろうとは、想像がつく。


 どうでもいい話だが、公衆電話の台数は、コンビニの二倍くらいあると聞く。

 ならば、いい加減あってもおかしくないだろうと思いながら、卜部は走った。


 民家がたくさん並ぶ、細い道の角。そこに、目当ての緑電話がちょこんとある。



(こんな場所で使う人などいるのだろうか。いや、俺がそうか……)



 はぁはぁと荒れる息を整えながら、電話ボックスの重たいドアを押す。

 身体を少し丸め、『出てくれよ』微かな望みを、卜部は緑の電話機に託した。

 コール音が聞こえる。狭い電話ボックスの正面には灰色の壁。気圧されそうだ。



「……もしもし? 卜部くん、何をしているの?」


柚貝(ゆずかい)か? いま、どうしている? いきなりで悪いんだが、話がある」


「へぇ……。もしもし? 私は柚貝さん。いま、あなたの後ろにいるの」


「は?」



 柚貝の平坦な声に、こんな時に何の冗談を、と卜部は首を振る。

 背後から、こんこん、と何か叩かれる音。振り向くと、まさかと思う姿が、目に入った。


 細身で小柄な体躯。威圧するような目。

 逆立ちをした生首姿、『柚貝三矢(ゆずかいみや)』がそこにいた。



◇◆◇



「いくら私でも、いつもなら公衆電話からの非通知電話なんて、出ないですよ」


「そうだよな……。よかった。まさか、ちょうど柚貝の家の前だったなんてな」


「都合が良かったということで。はたして、これは幸運なのですかね?」


「どうだろうな。お前と俺では、違うかもしれない」



 どれから話せばいいか、卜部はいろいろ迷っていた。

 鏡のこと、柚貝の名前のこと、さっさと直してやりたいこと。


 自分がここで役に立たなければ、これまでの日々は何だったのか、と。

 迷った挙句、やっと出てきた言葉は、気も利かないし、ぶしつけかもしれない。



「……家に入れてもらえないだろうか?」


「卜部くんって、けっこう、いや、めちゃくちゃ大胆なんですね」



 柚貝は呆れている。

 逆立ちで器用に、肩をすくめたようなポーズをして、歩き出した。



「構いませんが、何かわかったから、なのですよね?」


「そうだな。念のため聞いておくが、本当に戻りたいんだよな?」



 柚貝は家の扉を開けながら、振り返る。足に乗せた生首の表情は笑っている。

 獲物を見つけた猛禽類のように。にいっと口角をあげて、目を細めていた。



「えぇ。もちろん」



◇◆◇



(家具もなく、割れたガラスまみれ。こんな家に住む女子高生……どうなっているんだ?)



 柚貝の家に入った瞬間、卜部は目を疑っていた。外見はよくある一軒家だった。

 気になった点はある。玄関脇の花壇がなおざりで、草花が茶色く枯れていた。


 なにせ、今は五月。手入れが適当で、伸び放題になっているなら、まだ分かる。

 いつから放っておかれた花壇だろうか、と暗い考えが頭をよぎった。



(さしずめ、信州観光ホテルみたいなものか? いや、外観はよそと変わらないし、違うな)



 とにかく、家の中は荒れて見えた。

 柚貝が描いた絵だろうか。額入りの絵が落ちていた。

 気にする様子のない柚貝は、たまに振り返りつつ、少し急な階段を上っていく。


 柚貝の部屋は、意外にも片付いていて、卜部はようやく一心地ついた。

 部屋まで入れてもらったのはいいものの、どうにも口が回らない。

 卜部は唇をぎざぎざにすると、柚貝の目を見た。



「なにか言いたそうな顔をしているようだけど」


「そうだな」


「どうぞ。ここまで連れて来て、いまさら私があなたに警戒していると思う?」



 柚貝の言はもっともだった。

 休みの日に、いきなり押しかけた男子生徒を部屋に上げる。

 それ相応に丁重な扱いをしてくれているのは、明らかだ。卜部にだって分かる。


 しかし、だからこそ言いにくいこともある。

 これから、すごく傷つけるかもしれない。



「分かっている。しかし、これからの話をどう受け取られるか分からない」


「そうかもしれないですね。でも、ここら辺が潮時かもしれませんよ」



 卜部の眉間に、深くしわが刻まれる。家に見たかったのは、最後の確認だった。


 誰が、柚貝の姿を『ばらばら』にしたのか。

 逆立ちした、胴体と首の物別れした姿に。



「……どうして、自分を呪ったりしたんだ? 柚貝」



◇◆◇



(悪い予感、そういうものばかり当たる……それは人の常……か)



 卜部はようやくたどり着いた。『柚貝三矢』の受けた、ひどい霊障の原因に。


 犯人は、自分で自分を呪った女子高生『柚貝三矢』こと『かずみや ゆい』


 『柚貝三矢』、彼女は胴体と首が繋がっていない。いつも逆立ちの姿勢だ。

 手を足のように使い、足を手のように使う。

 己の生首を足に乗せ、にやっとした不気味な笑いを、卜部へ向けてくる。



「どうして分かりましたか? 私たちは、昨日出会ったばかりでしょう」


「ヒントはいくつかあった。でも、確信を持ったのは、ここに来て、だよ」



 割れたガラスにまみれ、家具のない荒れた家。手入れのされていない花壇。

 そんな家の中、柚貝の部屋だけは片付けられていた。


 そして、柚貝が霊障に気づいた最初の日、四月十一日のこと。

 悲鳴を聞きつけて、家族ではなく、『隣のおじさんが来てくれた』

 これらから、考えられることは、そう多くはないだろう。



「他の家族はもう、住んでいないのか……?」


「父は、よその女と消え、母は、どこにいることやら。兄弟はいません。それだけ言えば分かりますかね」


「……言っていることは分かる」


「そうですか。さっき卜部くんは『どうして自分を呪った』って私に言いましたけど、それはちょっと違うかもしれないですね」


「どういうことだ?」


「私は呪ったつもりなんてありませんから。ただ、『私の何が悪かったんだ』と鏡に向かって聞いただけですから」



 柚貝は淡々と言ってのけた。しかし、目や表情はどこか暗い。

 卜部からすれば、それは十分に呪いにあたる代物だと言えた。


 呪いとは、儀式ではない。供物や道具がなければできないわけじゃない。

 心の歪みこそが呪いなのだ。呪った者は、すべからく心の形が歪んでいる。


 きっかけが後悔だろうと、憎悪だろうと、どういうものであっても同じだ。

 歪んだ感情が、心の中にとどめておけなくなり、どす黒くあふれ出す。

 それこそが呪いの本質だ。


 そして、そういう心に犯される人間を、卜部は見てきた。

 『心霊現象』、『生霊』それらは、人の心から溢れた物の、副産物に過ぎない



 柚貝は己の姿を鏡で見て、何かを強く思ってしまったのだ。

 自分の心から溢れ出たどす黒い感情を、鏡で自分に向けてしまった。


 あるいは、『見ようとしなかった』だけで、すでにその時には、『かずみやゆい』から『柚貝三矢』へ、変容していたのかもしれない。



(なんてことしてるんだ。親のやったことで、自分を責めても意味がないだろう)



 卜部は柚貝へ向き直る。さっさと終わらせてやりかった。

 ぼろぼろになった家で、ひとりで過ごさせるのも、自分を責めるのも。両方。



「今夜、このまま解呪しようと思うがいいか? 下の階を借りて準備するから、制服に着替えて後で来てくれ。夜中になるから、まだ時間はある。何か話しておきたいことはあるか?」


「私はそこで何をするの?」


「対話だ。『かずみや ゆい』との」


「……まだ、私は受け入れられているのか、分かっていない」



 卜部は、思わず、柚貝に近づいて、きっと睨みつける。



「クラスで普通に接されていただろう。『絵を描ける生活に戻りたい』それだけでいいじゃないか。親は親だ」


「この家は? 私はどこに行けば?」



 自分も一歩間違えば、柚貝と同じだったかもしれない、と卜部は思う。

 書置きがあった分、マシだったのかもしれない。いや、家がある方が羨ましいか、と思い直す。


 父母が突然いなくなったのは卜部も同じだった。

 理由は違うし、卜部の両親二人は、おそらく仲も悪くないのだろう。

 それに、いつか戻ってくるものと、楽観的にしている。


 しかし、柚貝は違う。両親の仲は破綻し、寄る辺を無くしていた。

 だから、自分の存在理由まで問うたに違いない。

 まだ、時間が必要なのだろうか―――。卜部がそう思った時だった。



「あなたが、何とかしてくれないの?」



 柚貝が、逆立ちした生首の姿が。いや、『生霊』に憑かれた人間が。

 邪悪な臭いをぷんぷんさせながら、狂気と絶望を携え、卜部へ迫ってきた。



(まずい……。『かずみや ゆい』の名前を出したのが、まずかったか?)



 もう、それは『柚貝三矢』ではない、憑りつかれた何かだった。


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