8.なかなか不味い
その昔。僕が小さい頃。
悪いことをしたら、母さんから言われたものだ。
『晩ごはん抜きだからねっ!』
これは、とても効く。
そんなぁ! 今日の夕飯が食べれないなんて――!?
圧倒的、絶望感。子供ながらにして、この世の終わりを見た表情。
しかも、その日に限って。献立が僕の大好きなハンバーグだったり、手間暇掛けて油で揚げたジューシーなトンカツだったり、未だに隠し味の正体を知らぬ我が家秘伝のカレーだったり。
即、猛反省――!! 手の平を返したかのように! 僕は必死で謝る!
ごめんなさい。もう二度としません。僕が悪かったです。今日から心を入れ替えて生きていきます。どうか、許してください。
もう、泣きながら。知っている限りの謝罪の言葉を並べ立てる。それほどまでに、母さんの晩ごはんとは偉大であるのだ。
今思えば、当日にレシピを変更していたのではないだろうか……? もちろん、母さんは家族みんなの好物くらい把握しているはず。ハンバーグに、トンカツに、カレー。これは余りにも出来過ぎたシナリオ。
ただ――なんやかんやで、最終的には食べさせてくれる。ちゃんと反省さえすれば。幼少期を振り返っても、本当に晩ごはんを抜きにされた記憶は無い。それでも、脅し文句としては一級品だろう。
晩ごはん抜きは、この世の終わり。
そして、今現在の僕は――この世の終わりを迎えていた。
「はぁ……どうすればいいんだ……。果実もダメなら、水も飲めなくて、魚も食べれない。完全に陽も沈んじゃったし、今から食べれる物を探しに行くなんて不可能。どう足掻いても、今日は晩ごはん抜き――!!」
圧倒的、絶望感。
もっと言えば、今日の昼ごはんすら食べていない。更なる空腹が追い打ちを掛ける。何でも良いから胃に入れろと、腹が不平不満を漏らす。
さすがのクリムも見ていられない。
「あのぉ……さっきから、ぐぅぐぅうるさいですよぉ。食べにくいったらありゃしないです」
「いや、気にせず食べて。僕のことは気にせず……ぐぅ」
「気になりますぅ!」
口ではそう言いながら、彼女は既に2匹目の魚に手を付けていた。いや、めっちゃ食べれてるじゃん。
「はぁ……お魚さんも、どーせ食べられないと分かっていたのに……どうして食べちゃうんですかぁ?」
「そりゃあ、スッゴイ美味そうだったから――っていうか! 君の方から自慢してきたじゃん! 目の前でこれ見よがしに齧ってさぁ!」
「あれは、ちょっとした意地悪ですっ! お部屋を荒らされた仕返しですよぉ! 分かるでしょう? そこまで美味しい訳じゃなかったけれど、大袈裟に食べただけですってばぁ」
「ええぇ……」
わざわざ味を誇張していたのか。道理でクッソ不味かった訳だ。
「もぉー、せっかくグルメさんの分まで一応お魚さんを捕まえてきたのに。やっぱりダメでしたねぇ」
「えっ? 僕の分まで? だって、最初は一口もあげないって……」
「嘘に決まっているじゃないですかぁ~。よくある脅し文句ですよ」
何だろう……。少し……ほんの少しだけ、クリムが母さんの面影と被った気がした。なんだかんだで最終的には、僕にも食べさせてくれるつもりだった。物理的に食べれなかったけど。
僕を助けてくれた時から薄々は感じていた。やはり彼女は根が優しい人間なのだ。いや、訂正。根が優しいエルフ。
だったら、もっと彼女のことを信頼しても……良いかもしれない。
「ねぇ、クリム」
「ダメでーす。もう一口もあげませーん」
「まだ何も言ってないって! その、お願いがあるんだけど……」
「うえっ? 急に改まってどうしたんですかぁ? グルメさんらしくもない」
「酷い言われよう!」
「でもでもっ! 良く考えたら……ちょくちょく出てきますよねぇ。グルメさんらしくない方の人格」
「らしくない方の人格って!? 全部同じ一人の人間っ!」
「もしかして、変なものでも食べましたぁ?」
「変なものは確かに食べたけど! それが原因ではない――!!」
違う違う。彼女に合わせていたら、一向に話が進まない。
どうしても! 晩ごはん抜きだけは、絶対に避けたい! そんな切実な想いから浮かんだ、起死回生の一手。ただ、一人だと物凄く心細い。頭を下げても、クリムに頼むしかないだろう。
一息だけ深呼吸。
「――ふぅ。実は、あの……モジャの実の食べ方を、教えてくれないかな?」
☠
~モジャの実の食べ方講座~
①縦半分に切る
②中の種を取り除く
③果肉にかぶり付く
④不味いッ!
モジャの実の大きさと形を具体的に表現すれば、アボカドに近しい。ただ、表面全体がモッサリとした緑色の毛で覆われている。長さ15~20センチくらい。どうして毛で覆ってしまったのか。恥ずかしがり屋なのか。一見すると、トウモロコシのヒゲを連想するが……触ってみると髪の毛みたい。うえっ。
実に手際良く。クリムは小さめのナイフで、実をスパッと真っ二つに切った。なるほど。この世界には、ちゃんと刃物もあるのか。少なくとも、金属を使いこなす程度の文明は存在する。
しかし、そのまま皮ごとガブッとかぶり付くタイプの果実じゃなかったとは。ちゃんと聞いてよかった。緑の外見とは裏腹に、トロピカルな黄色い果肉が顔を出す。いや、黄色というか、橙色というか……熟したパパイヤの色。
あとは、実の中心部に固まっている茶色っぽい種を、スプーンで無理矢理ほじくり出せば――皿に乗せて、完成。
「はい、どーぞっ!」
「ありがとう!」
木の皿の上に、半分に切った果実。これは、よくある光景だろう。ただ……毛が凄い。毛の量が半端ない。もう、皿がほとんど見えない――
「そういえば、皮は剥かないんだね」
「失礼なぁ! 私だって、頑張れば果物の皮くらい剥けますー!」
「違う違うっ! 君が器用かどうかの話じゃなくて! 皮の厚い果物なら、半分に切って食べるのは分かるけど……これは皮が薄いのにそうやって食べるから。疑問に思っただけ」
「モジャの実の皮を剥く訳がないでしょう。大変ですよぉ?」
「そうなの?」
「毛が」
「……うん。納得した」
この毛は、引っ張ってもちぎれそうにない。根元はガシッと実の表面にくっ付いている。すると、皮を剥く前にハサミか何かで無駄毛処理が必須。どう考えても二度手間だろう。
「厚いのは、グルメさんの面の皮だけで十分ですっ」
「それどういう意味!?」
「気にしない、気にしなーい。ほらほらぁ~、ガブッといっちゃっていいですよぉ」
「えっ? 半分にした実を持って、そのまま果肉にかぶり付くの? スプーンは?」
「木のスプーンじゃあ、掬えないに決まっているじゃないですかぁ~。果肉もすこーし繊維質ですからねぇ。柔らかいのは真ん中の種の部分だけ」
「なるほど」
異世界にも、独自の食の知恵があるようだ。これは勉強になる。すると、食事の作法やマナーも存在するのだろう。いつかその内、覚えなきゃ。
さて、遂にモジャの実を食べる段階にまで来てしまった訳だが……まだ十分な覚悟ができていない。
本当に食べなきゃダメ? もう引き返せない?
いやいや、自分で宣言しただろう。彼女のことを信じると。
生で食べれるものと聞いて、クリムがいの一番に思い付いた食材。それが――モジャの実。
真っ先に迷いなく勧めたということは、彼女にとって間違いなく美味い部類に入るのだろう。ポペンの実には及ばずとも、それと近しいレベルには。
つまり、僕にとって許容できる不味いレベルの範囲内に! モジャの実は入っているかもしれない! 不味いけど頑張れば食べれるレベルに! 飢えて死ぬよりはマシなレベルに!
だから――彼女を信じて食べる!!
覚悟完了。
下から両手で果実を持ち上げる。うええぇ……もさっとしてるよぉ……。
でも、挫けない。
ゆっくり顔を近付けると、ふわっと甘い香りが広がる。南国のビーチで飲むトロピカルジュースを想像させるような、実に爽快で清涼な果物の香り。
グッと握る手に力を込めれば、ジュワリと果汁が溢れ出す。長い毛を伝って、皿の上へピチョンと滴り落ちる。瞬間、香りがさらに広がった。
ギュウギュウに詰まった黄色い果肉は、天井から吊り下がったランプの光を反射し、てかてかと煌めいている。まるで夜空に輝く満点の星々。そう、見た目は凄く美味そうなのだ。これまでと同様に。
いや、違う。
これまでは――実は心のどこかで「不味いかもしれない」と思っていたのでは。初めての場所で食べる、得体の知れないもの。絶対に美味いと信じる方が難しい。だから、不味く感じてしまった。
つまり、信じることが大事。確実に美味いと。断言する。誰が何と言おうと。どこまでも盲信的に。最後の最後まで、この食べ物を信じ抜く!
そう! モジャの実は、美味い――!!
「これは美味い……絶対に美味い……クッソ美味いっ!!」
――ガブリッ
………
……
…
「ブゲエエエエエエエエエエエエエェ!? あっ、グエェ……! ゴッ、がぁ! オオオォ……!! マッズ! なかなか不味いッ!! うーえっ! どれだけ美味い美味いと思い込んでも! 不味いものは不味いッ! それが世界の真理!! 食べる前まで脳裏に浮かんでいた南国のビーチが――!! 一瞬で毒の沼に早変わりっ! 泳いでいた観光客、全滅ッ!! トロピカルの『ト』の字もねえ!! 確かに果肉が繊維質とは言ってたけど! ここまでとは聞いてないッ! 噛んでも噛んでも噛み切れぬティッシュの如し――!! べえっ! 僕は今ァ!! 毒の沼に浸したティッシュを食べてます!! もう、ひっでえよ……死ぬ気で食べるけど! これが今日の晩ごはんだから! ん……があっ! 噛み切れねええええええぇ!!」
見た目がモジャの実かと思えば、今は口の中までモジャモジャしてる。噛み切れぬ繊維がモジャモジャ。命名した奴は天才か。
「グルメさん、相変わらずのリアクションですねぇ……」
「引かないで! そんな露骨に引かないで!!」
「大丈夫ですよぉ。もう慣れました。一日に5回も聞けば……ねぇ?」
「そんなに!? そんなに叫んでた!? ……あっ、ホントだ! めっちゃ叫んでる! 超ヤベー奴じゃん!! これは引かない方が異常――!!」
もし、みんなで一緒に昼飯を食べている時、友達が突然「クッソ不味い!!」と連呼し始めたら。確実に引くだろう。いや、縁を切る。絶交する。この時点で、そいつは友達ではなくなる。
むしろ5回も聞いて! それでも、ここまで付き合ってくれるなんて! 滅多にいないよ! クリムはスゴイ! この僕が断言する! 彼女は偉い! これは、ある種の才能!!
と、僕は心の中で絶賛しながら。
二人で晩ごはんを再開するのだった。
「あー、不味い。クッソ不味い。しかも繊維が多くて、食べれるとこが少なくない? 腹が減ってるから食べるけどさぁ。うーん……ギリ許容できる絶妙な不味さ。それにしても不味い。なかなか不味い」
「ちょっとぉ! 食べながら、不味い不味い言わないでくださいよ~! こっちまで不味くなるじゃないですかぁ!!」
そう言いつつも、彼女は3匹目の魚を平らげていた。4匹目に突入。
いや、見た目の割にめっちゃ食べるな! エルフって、小食のイメージがあったけど……それはさすがに偏見か。人間にだって、小食と食いしん坊がいるんだから。エルフは体質的に太らないのかもしれないが。
「ごめんごめん。いや、思わず口からポロッと出ちゃう不味さ。これでも頑張って控えてる方なんだけど……あー、不味いっ! もう一つ、おかわり!」
「うえっ!? 文句言いながら、まだ食べる気ですかぁ!? はぁー、我がまま過ぎて逆に尊敬しちゃいますよ」
「そんなとこ尊敬されちゃっても……」
「今のは皮肉ですぅ!」
「君が言うと、マジなのか冗談なのか判断できなくて」
「それ、どーいう意味ですかぁ!?」
こうして、二人で楽しく食卓を囲んだのだった。
そういえば、誰かと二人きりでお喋りしながらご飯を食べるなんて……久々かもしれない。一人暮らしを始めてから、必然的に独りで寂しく食事をする機会が多くなってしまった。そう考えると、少し胸が熱くなる。
違う違う。別に胸焼けしている訳じゃなくて。感情的な意味で。
ほら、言うだろ?
『一人で食べるよりも、二人で食べるご飯の方が美味しい』
ただし、元のご飯がクッソ不味い場合は効果が薄い! そこまで美味くはならない! 精々、不味さを紛らわせる程度! 実際に経験した僕が言うんだから、間違いないっ!!
その後、モジャの実を追加で3個食べて、僕は夕飯を終えた。
「ごちそうさまでした」
「お魚さん、今日もありがとうございましたぁ」
「ふぅ……食べた食べた。不味いし食べ足りないけど食べた」
「もぉー」
クリムは呆れ顔で笑っていた。
うん。出会って初日にしては、かなり心が通じ合ったんじゃないか? 色々と不味いことはあったけど、彼女とは上手くやっていけそうだ。
しかし、ここで問題が!
今後のことを、全く考えていなかった!!
クリムには晩ごはんまで食べさせてもらった手前、これ以上の迷惑は掛けられない。「これでお腹も膨れたでしょう? じゃあ、出て行きなさいっ!」と言われたら。従うより外にあるまい。
ところが、外はすっかり陽が暮れてしまった。真っ暗ではないが、かなり暗い。さらに僕には行く当てもない。人間の村がどこかも知らないのだから。
はてさて、どうしようか。考えあぐねていると……なんと、彼女の方から切り出した。
「そのぉ……もう遅くなっちゃったし、今日は泊まっていく……?」
「ほっ、ホントに!? いいの!? やったぁ! いやー、スッゴイ助かる! ありがとうっ!」
「じゃあ、一緒に寝よっか!」
「……えっ!?」
いやいやいや! それは、なかなか不味いんじゃ……!? いや、待て! 仮にも! 僕は男だぞ!? そんな、初対面で見ず知らずの男と一緒に寝る!? いやいや、有り得ない――!! 無防備にも程があるって!! 待て待て待て。落ち着け、落ち着け。一旦、冷静なって考えよう。まずは、深呼吸。すぅー、はぁー……。
これがァ!! 落ち着いていられるかァ――!!
完全に固まっている僕をよそに、クリムは嬉々としている。そんなに楽しみなのか? 僕と一緒に寝るのがそんなに楽しみなのか!?
「えへへー。誰かと一緒に寝るなんて、久々だなぁ~! 確か、前に飼ってた子と一緒に寝たのが最後だったような? でもでもっ! グルメさんと一緒に寝ても……あんまりモフモフしてなさそうだよねぇ……?」
あっ、違う。男じゃない。これは男として見られてない。そう、これは――
ペットと一緒に寝る感じだ!!