表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/36

7.マジで不味い

 現代人は弱い。


 否、弱く()()()。生まれてこの方、文明社会に頼り切りの生活で……すっかり弱くなってしまった。


 一昔前の人間と、今現在の人間を比べても。その違いは如実に表れるだろう。


 ましてや異世界人と比べたら、言わずもがな。長らく自然から離れて生活し、野性の勘を失い、困ったことがあればネットで調べ、必要なものは家から出ずとも注文すれば届く。


 この鈍り切った現代人の身体は――とりわけ、()()が下がった。何の、とは言えない。全体的な耐久力。あらゆる物に対する耐性全般。


 一つ、例を挙げるならば。みんなも怪我や病気をしたら、すぐ病院へ駆け込むだろう。もしくは、症状に対応した薬を使用する。結果、自然治癒力やウイルス耐性が下がってしまう訳だ。


 以上を踏まえて。


 異世界の住人にとっては大したことないかゆみの症状でも……現代人にとっては! 死ぬほどかゆい――!!


「あっ、かゆいかゆいかゆいっ! 身体中がぁ!! 身体中が隈なく! かいいいいいいいいいいいいいいぃ!!」

「そんな、大袈裟なぁ」

「いつまでぇ!? これ、いつまで続くのおおおおおぉ!? ぐおおおおおおおぉ!! かゆいいいいいいぃ!! 掻いても掻いても! 掻き足りぬ――!!」

「そうですねぇ……安静にしていれば、陽が沈む前には収まるかなぁ?」


 地獄のかゆみ耐久試験の始まりである! 少なく見積もっても数時間!!


 辛い。これは辛い。()()()とはまた違った方向で辛い。それが、かゆい。


「ぬがああああああああああああぁ!? 全身を――!! 全身を無数の蟻が駆け回るようなぁ! 余すところなく1000匹の|蚊に刺されたかの如くッ!! どうしようもなく、精神が狂いそうなほどかゆいいいぃ~!! どうにか! どうにかならないのぉ!? ねぇ!!」

「ふふっ」

「笑いごとじゃないってえええええぇ!!」


 盛大に床を転げ回っている僕を、まじまじと見下ろして。クリムは笑顔を浮かべていた。


「うふふっ。グルメさん、さっきから動きが面白いですよぉ~! 動きが! あっ、あれに似てますよぉ! 魔法で操られたお人形さんみたい」

「悠長なことを! 言ってる場合かぁ!! があああああああッ!!」


 不味さも通じなければ、かゆみも通じない。言語は通じるのに。


 どれだけ本人が切羽詰まった状況でも、第三者から見れば「大袈裟だなぁ」で終わってしまう。こういうこと、よくあるよね。


 悩みの度合いは、当事者にならなきゃ分からない――!! だから、そんな人を見掛けたら助けてあげて! 僕も今日から助けてあげるから!


「ねぇ、かゆみ止めとか! 無いのぉ!?」

「かゆみ……止め……? あぁ、状態異常を治す魔法か何か? 使えたら便利だよねぇ」

「おがあああぁ!! 違う違うッ! かゆい症状を和らげる……薬っ! かゆみ止めの薬ぃ!」

「あっ、お薬ねぇ。うーん……無くはないけど、効果があるかなぁ? 良かったら、飲みます?」

「飲むタイプ!? 新しいっ! 飲むタイプのかゆみ止め! 新しいこと、この上なし! いや、塗るタイプは!?」


 彼女は首を振るばかり。無いのか。飲むタイプしかないのか。そんなバカな。


「のああああぁー!? もう、それでいいからっ! 可及的速やかに! 早くっ、下さあああああぁい!!」

「ちなみに、スッゴイ()()()けどいーい?」

「不味いのは嫌!」

「でもでもっ! お薬が()()()()のは当たり前じゃないの?」

「そうだけど! 嫌なものは嫌! 飲める未来が見えない――!! あぁ、不味いのは嫌だ、不味いのは嫌だ……」

「もぉー、グルメさんは超々我がままですねぇ~」


 良薬口に苦し。薬は苦くても我慢して飲む。これ常識。


 ただ! 異世界の住人が確実に()()()と! お墨付きを与えた薬を口に入れるほど! 僕は愚かではない――!!


 絶対にクッッッソ不味いって!! さっき頑張って胃にぶち込んだ果実を、床に吐き散らかすよ!? いいの!? ダメでしょ!!


 クッソ不味いか、クッソかゆいか。最悪で究極の二択。しかも、不味いの方を選択したからと言って――かゆみが収まる保証はない。


「ぅごオオおおおおッ!! ガアッ!! この世界に! 神は居ないのか――!? いっそ殺せえええぇ!!」

「はぁ……ちょっとかゆいくらいで騒ぎ過ぎですよぉ」

「ちょっとじゃない!! ちょっとの定義を! 辞書で引け――!!」

「はいはーい。分かりましたよぉ。かゆいのを止める、塗り薬ですね」


 あるのか!? ちょっと前は首を振ってたのに! あるのか!


「ただ、今の季節は材料が稀少なんですよねぇ。誰かにお裾分けしてもらえるといいんだけど」

「今から作るの!? 今から材料を調達して! 調合するの!?」

「当たり前じゃないですかぁー。早ければぁ……陽が暮れた頃には完成すると思いますよ」

「待てない! そんなに待てない! そして恐らく! その時点ではかゆみが収まっている――!!」

「あっ、確かに」


 もう限界である。


 どうしようもない。ただひたすらに、かゆみを堪えるしか道は無く――


「うわっ!? 危ないっ!」

「え?」


――ゴンッ!!


 ……少々はしゃぎ過ぎたようだ。


 床を転げ回った拍子に、近くの棚へ頭をぶつけてしまった。


 すると、落ちてくるのだ。棚に乗せてあった物品が。脳天を目掛けて。


 一番上の段に置いてあった、木を彫って作った謎のオブジェ。ぐらりとバランスを崩し、真っ逆さまに落下。実のところ、木の塊というのはなかなかの質量がある。


 それはそれは、盛大な鈍い音が部屋中に響き渡った。


 どうして重い物を棚の上に置いたのか。そんな疑問はさて置いて。僕の意識は徐々に遠くなっていくのだった。


 最後に、一人残されたクリムは。ぐちゃぐちゃに散らかった部屋を見て、一言。


「あーあ。やっぱり拾うんじゃなかったぁ~!」



   ☠



 結果的に。


 過程はどうであれ、結果だけ見れば……とても良かった。


 寝ている間は、かゆみなんて基本的に感じないだろう。つまり、意識を失ったお陰で。僕は無事に地獄のかゆみ耐久試験を乗り切ったのだ。


 世の中、何が功を奏するか分からない。万事塞翁が馬。醤油と間違えてポン酢に付けたら美味かった。


「う、うーん……」


 最初に感じたのは。


 不味さでもなく、かゆさでもなく、痛さ。


 頭がガンガンする。割れるような痛み。まぁ、当然か。あれだけ思いっ切りぶつけたんだから。コブになっている気がする。ただ、頭は割れていない。とりあえず命が無事で良かった。


 次に感じたのは。


 パチ、パチリ。何かが弾ける音。それと同時に、ジューッという音色がハモりを効かせてきた。


 この美味そうな二重奏(デュエット)は――間違いない。


 食材を……食材を()()()()()音……!!


「――はっ!?」


 もちろん、パッと目を覚ました!


 ちっちゃい果実の一つでは! とてもじゃないが、空腹は満たされぬ!!


 依然として腹ペコなのだ! そこに美味そうな音の一つでも聞こえたら!


 そりゃあ、誰だって飛び起き――れない。


 なんで!? どうして!?


「あらぁ? お目覚めですか?」


 聞き覚えのある声。その姿に既視感すら覚える。


 一つしかないベッドを占領している我がままな僕に、透き通った優しい声を掛けてくれた。なるほど。またしても、迷惑を掛けてしまったようだ。


 ただ、そんなことは気にしていないかの如く、彼女は明るく振る舞っている。まるで、僕が散々面倒を掛けた一連の騒動を、すっかり忘れてしまったのではと錯覚してしまうほどに。


 いや、マジで忘れてないよな? うーん……断定はできない。クリムならば、有り得てしまいそうなのが恐ろしい。


「もしもーし! お目覚めですかー?」

「ちょっ、痛ってぇ!! 頭を! 頭をペチペチしないで!」

「あっ、起きてた」

「起きてますけど! ちょっとは学習して!」


 ワザとなのか、天然なのか。それは、まだ分からない。


 彼女のことをちゃんと理解するには、付き合いが短過ぎる。


「……ごめん。また迷惑を掛けたね」

「別に大丈夫ですよ。グルメさんが我がままだって、知ってますからぁ」

「ちょっと心外」


 いや、それよりも。


 どうしてベッドから起きれないのか。


 僕の身体が! ベッドに縛り付けられている! 植物のツタでグルグル巻きにされてる!?


 確かに、暴れてたけど。棚に置いた物をぶち撒ける程度には、盛大に暴れたけど。それでも、これはさすがにやり過ぎじゃないかなぁ……?


「あの……助けて」

「もう暴れない?」


 彼女はニコリと、僕に笑顔を投げ掛けた。


 あっ、これは分かる。付き合いが短くても分かる。表面上は笑っていても、内心では怒っている。自分の部屋を散らかされて、怒らない人なんていない。


「あ……暴れません。もうかゆみは収まりましたから。二度と誓って暴れません。だから、助けてください! お願いしますっ! どうか! ご慈悲を――!!」


 今の僕は、まな板の鯉そのもの。


 生かすも殺すもスライムの餌にするも、全ては彼女の気分次第。



   ☠



 思ったりより、あっさりと解放された。良かった良かった。


 まさか、そんなことはないだろうと考えつつも……内心は冷や冷やしていた。人生最大のピンチ。身動きが取れないだけで、ここまでの恐怖を感じるとは。


「そんなぁ! 人間さんを取って喰おうだなんてしませんよぉ!」

「うん、だよね。僕もそんなエルフ知らない」

「だって、見るからに不味そうじゃないですかぁ……」

「美味そうだったら食べたの!?」

「……かも?」

「えっ、冗談だよね!?」


 そんな他愛もないやり取りで、彼女も心の底から笑顔が戻ったようだ。


 では、本題に入るとしよう。


「ちなみに、()を焼いてたの……?」

「あっ! 忘れてたぁ!」


 クリムは一つぴょんと飛び跳ね、向こうへと姿を消した。多分、キッチンの方へ。もしや、火を掛けっ放しだったのか? この家、完全木造住宅だからよく燃えるぞ? 大丈夫なのか?


 直後、軽やかに舞い戻ってきた彼女の手に握られていたのは――


「ギリギリセーフですっ! ほらほらぁ~、良い焼き加減でしょう?」


 真っ直ぐな木の枝に刺さった、一匹の魚だった。


 焼き魚。とても原始的な調理法の、焼き魚。


「お昼に罠を仕掛けておいたら、見事に掛かりましたぁ! 大漁ですっ! へっへーん! どうですかっ! 私だって、やればできるんですよぉ!!」

「いや、知らないって。普段の君ができるのか、できないのか。それは、さすがに知らない」


 多分、できないのだろう。


「お昼……もしや、()()()お昼?」

「そうですよ? その時にグルメさんを見付けて、拾って帰ったんです。もう、重くて大変だったんですからぁ~!」

「あっ、ごめん。じゃなくて! 論点はそこじゃない! まさか……()()()だけど。この魚を捕まえた()は――」

「とーぜんっ! ゲチョリ川です」

「やっぱり!?」


 瞬間。


 口の中に水の味が思い返される。あのメチャ不味い川の水。


 そこで捕まえた魚……うーん……。


「ああっ! グルメさんのその顔……()()()不味いって思ってるんでしょう!?」

「すっ、鋭い……」

「誰だって分かりますよぉ! いいですよーだ。我がままなグルメさんには、一口もあげませんからぁ~!」

「こっちこそ、願い下げ――」

「あーあ。もったいなーい。こーんなに美味しいのに……はむっ」


 これ見よがしに。


 クリムは僕の目の前で焼き魚をかじる。


 パリッという、小気味よい音を奏でて。ド真ん中から噛み切った。


 ほんわりと塩の香りが漂ってくる。捕ったばかりの新鮮な川魚を、無造作に火で炙り、味付けはシンプルに塩だけ。彼女が自慢していた通り、絶妙な焼き加減。表面の焦げ目は、絵に描いたかの如く完璧。


 これで美味くない訳が……無いだろうっ!


 ゴクリと喉を鳴らすのは、辛うじて我慢した。しかし、ほっとした瞬間――舌なめずりをしてしまう。このままでは、お腹がグゥと文句を言うのも、時間の問題。


 それに、川の水がメチャ不味くても……そこを泳いでいる魚までメチャ不味いとは限らない!


 美味い野菜の育つ土壌は! 口に入れると不味い! 土だから!!


 ならば……可能性はゼロじゃない。


「んんーっ! お魚さん、良いお味ーっ!」

「ぐっ……」

「ん? どうしたんですかぁ? グルメさん」


 ダメだ……抗えない……もう、どうとでもなれ――!!


()()だけ……」

「うえっ!? 本気ですかぁ!?」

「お願いしますっ! どうか、一口だけ!!」


 必死の懇願に観念したのか。クリムは渋々と焼き魚を渡してくれた。


「一口だけですよ?」

「分かってる」


 落ち着け。大丈夫。何も心配ない。まだ、この世界の()()が不味いとは限らない。それに、今まで食べてきた()()とは違う。今回は()である。挑戦する価値はあるだろう。ひょっとしたら、マジで美味いかもしれない。確率は低くとも、ゼロじゃない。


 ならば、その可能性に舌と胃袋を懸ける――!!


――ガブッ





………





……









「ガベエエエエエエエエエエエエエエェ!! ンにゃあああぁ!? ゴッ! ゴゲッ!! ぐっはァ! マッッズ!! マジで不味いッ!! ぶへぇ! だと思ったよ!! だって、()()()だもん! あのメチャ不味い川に住んでるんだもんっ! 不味くない訳がない! 川の水が不味ければァ!! 住んでる魚もクッソ不味い――!! 水中で生活しているとは思えぬパッサパサ感! 川の水を髣髴(ほうふつ)とさせる泥みたいな味! 一つだけ褒めるとすれば! よくぞ、あの川に生息して! ここまでの不味さに抑えた――!! だが、不味いことには変わりないッ!! っていうか、硬いッ! 皮が硬ければ、肉も硬くて、骨まで硬い――!! 絶対に食用の魚じゃねえ! があっ、クッソ……!! 骨が口の中に刺さったぁ……もう最悪……」


 ほら見なさいと、冷たい視線を送るクリムだった。


 ただ、成長したから! ほら、こんなに不味いのに……()()()()()()()()! 着実に成長している! 変な方向だけど!


 だから、ちゃんと食べたことだけは、うんと褒めて欲しい――!!


 もう二度とゲチョリ川の魚は食べないと、僕は誓った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ