6.かなり不味い
不味い。かなり不味い。
いや、口の中だけじゃない。今の僕が置かれている状況が不味い。
異世界に来てウキウキ気分だったのに、初日で心が折れそう……。
この世界の食べ物は。少なくとも、この世界で僕が口にした食べ物は――総じて吐き出された。何一つとして、一切喉を通らない。
僕の舌は知らず知らずのうちに、現代社会の美味い食べ物に毒されてしまったようだ。彼女が仰る通り、さぞかし美味いものを食べて生きてきた。毎日毎日。もう、最低でもあのレベルでなきゃ受け付けない――!!
一度、文明の利器に慣れてしまったら、生活水準を落とせない。具体例を挙げれば、蛇口を捻ればお湯が出るのが当たり前の現代。随分と昔はそんなことなかった。しかし、僕らはもう蛇口からお湯の出ない生活なんて考えられないだろう。
これと同じく。
一度、美味い食べ物に染まり切ってしまったら、それ以下の食べ物なんて無理! 不味くて、不味くて、拒絶反応を起こす――!!
分かって欲しい。どうか、この気持ちを異世界の人々にも理解して欲しい。まぁ、それは無理な話だ。トンカツを食べたことのない人に、トンカツがどれだけ美味い食べ物か力説しても、理解は不可能。
という訳で、怒らせてしまった彼女にひたすら平謝りをするのだった。
「ごめんっ! せっかく、また作ってもらったのに……不味いとか言っちゃってごめんなさいっ! 僕だって、食べれるならば残さず食べたい。作り手と食材に感謝を込めて。ただ、申し訳ないけれど、僕の口には合わない――!!」
「ふーんだっ! どうせ私のご飯は不味いですよーだ。こんなことなら、拾うんじゃなかったぁ。はぁ……あそこで勝手に、野垂れ死んでれば良かったのに」
「急に辛辣っ!?」
「こんな我がままな人間さん。私の手には負えませんっ! 今度こそ飼えると思ったんだけどなぁ……元々置いてあった場所に返して来なきゃ」
「捨てられたペットみたいなノリで拾ったの!?」
くっそぉ……!! このエルフに、現実世界の美味いものを今すぐ喰わせてやりたい! 死ぬほど、たらふく食べさせてやりたい!
絶対に美味いって度肝を抜かすはず!!
いや、こう言うな。「お、おおお……美味しいいいいいいいいぃ!! 何これぇ!? 良い意味で、何これえええぇ!? ごめんなさーいっ! 全部全部、私が間違ってましたぁ~!!」って。確実に、ピョンピョン跳ねながら言う。全身で美味さを表現すること請け合い。
ホッカホカ炊きたての真っ白なご飯。滅多に食べれない高級和牛のしゃぶしゃぶ。魚市場の新鮮なマグロ丼。脂こってりの背徳的な深夜の屋台ラーメン。本場中国のシェフが作ったフカヒレスープ。スーパーで買った安い豚バラ肉の生姜焼き。作り過ぎて冷蔵庫で寝かせた三日目のカレー。電話一本で届くトロトロチーズの乗った宅配ピザ。急に食べたくなるなる骨付きチキン。速くて安くて美味いネギたっぷりのつゆだく牛丼。注文したら一分と待たずに出てくるハンバーガー。いや、もうこの際……まとめ買いした板チョコの欠片でもいい。
食べてみろ! 僕の世界の食べ物を! 一口でも食べてみろ!
卒倒するぞ。逆に。美味すぎて。
どう足掻いても、それが不可能であるのが何とも歯がゆい。
あっ、ヤバイ。こういうこと考えちゃうと――
――グウウウゥ……
二人の会話に割って入ったのは。
僕の腹の音だった。
思わず一瞬、無言で見つめ合う。
「……えええぇー!? 不味い不味いって文句を言いながらぁ! お腹が空いたって主張するのぉ!?」
「いやいや、鳴らしたくて鳴らした訳じゃないから! 制御できないでしょ! お腹の音は、どんな偉人も制御できないっ! 生理現象!」
そう、最も不味いのは――このままだと空腹で! 飢え死にしてしまう!!
何も食べられなくて! 脳が拒否して! 舌が受け付けなくて! 喉を通らなくて! 目の前に食べ物があっても! 不味くて食べれない!
修行僧でもないのに、強制断食! こんな見ず知らずの世界で、即身仏になんてなりたくない――!!
ただ、冷静に考えれば。
何も食べられなくても、あと三日くらいは持つと思う。そんなに持たせる気はないが。今すぐ何かを口へ運びたい。何でも良いから美味いもの――じゃなくていい。何でも良いから、不味くないもの。もう、妥協しよう。
彼女の手をガッと両手で掴み。精一杯の真剣な表情でお願いする。
「ホンットに……お願いします。空腹で倒れそうなんです。何か食べれる物を食べさせてください。料理じゃなくていいから。食材を。人間が生で食べても問題ない食材を――君がいつも生で食べている物を見せてください」
☠
冷蔵庫、というものは存在しないようだ。案内されたのは、こぢんまりとした部屋。彩り豊かな食材たちが、これでもかと押し込まれた食糧庫。
現実世界の何かと似ているような植物から、味も想像できぬほど奇抜な形の果実まで。誰も彼もが無造作に並べられている。なのに、全てが整っている。何だろう……こんな空間は、油絵でしか見たことがない。
「食べるのは良いですけどぉ……食べ尽くしちゃあ、ダメですよぉ?」
「分かってる、分かってる。そんなに大喰らいじゃないから。それだけは安心して。味にうるさいだけ」
なかなか自虐めいた一言。自分から「味にうるさい人間です」と自己紹介することほど、虚しいものはない。そんな大層な人間でもないのに。味覚に自信がある訳でもないのに。
「うーんとぉ……生で食べられるもの……あっ! これとかどうですかぁ?」
差し出されたのは、表面が緑色の毛で覆われた果実……果実なのか?
「これは、その――何?」
「モジャの実です」
「モジャの実」
「生で食べられる果物の一種ですよぉ」
触った感じは、何と言うか……気持ち悪い。細くてさらさらの毛が手に絡み付いて、植物らしからぬリアルさ。本当に、これを生で食べてるの……?
「チェンジで」
「どぉーしてですかぁ!? まだ食べてもいないのに!!」
「こういうゲテモノはちょっと……」
「ゲテモノじゃないですよぉ! 植物ですー! 見た目が若干アレな植物ですー!」
「見た目がグロいって認識はあるのね」
「例え外見が悪くても、味は悪くないんですからぁ! もぉー、人間さんは我がままですねぇ~」
「ごめんなさい」
なんか、さっきから謝ってばっかだな。
「すると……あれっ? どこにあったかなぁ……?」
「今度は何を探してるの?」
「ゲボの実です」
「チェンジで」
「どぉーしてですかぁ!? まだ見てすらいないのに!!」
「名前がちょっと……」
「そういう名前なんだから! 仕方ないじゃないですかぁ~! もぉー、人間さんは超我がままですねぇ~」
「マジでごめんなさい」
だけど、ゲボの実は食べたくないだろう。命名した奴が悪い。
「うええぇ……どれにしよう?」
「じゃあ、逆に僕から提案なんだけど。ここにある食材のうち、今までに君が生で食べて一番美味かったのは?」
まだ仮説の段階ではあるが。
恐らくこの世界の住人は味覚音痴ではない――!!
甘いもしょっぱいも感じる。美味いものは美味いし、不味いものは不味い。味覚のベクトルというか……方向性は間違っていない。僕と一緒。
ただし、ハードルが低い。美味いと感じるハードルが激低い。
故に、僕が不味いと感じたもので問題なく食べれるのだろう。
何だか、笑いの沸点みたいな話になってきたな。面白い番組を観賞すればするほど、笑いの沸点が高くなる。昔は爆笑していたネタでも、満足できなくなる。
つまり、彼女の味覚がおかしいのではなく! まだ、発展途上なのだ! 美味さの高みに到達していないだけ! 美味いものを食べさせて鍛えれば! 僕と同じ味覚レベルにまで成長する可能性はある――!!
唯一の問題は、その手段が全く思い付かない。僕は普段から料理をする人間ではないし、栄養士や調理師の資格を持っている訳でもない。ただの人。普通の一般人。美味い料理を作って異世界無双なんて絶望的。
「一番……美味しかったもの……」
彼女はそう呟いた。ごちゃごちゃに陳列された植物や果実を眺めて、ゆっくりと歩きながら。過去を思い出し、吟味しているようだ。こんなにも親身になってくれるなんて。有り難い。
「あっ! これです! これですよぉ!」
それは、何の変哲もない真ん丸な黄色の実だった。サイズはプチトマトくらい。一口で食べれそうだ。
「えっと、これの名前は?」
「ポペンの実です」
「ポペンの実」
「これは美味しかったですよぉ~! 生で食べたのはずーっと昔だけど」
「ホントに? 信じるよ?」
「こう、噛んだ瞬間にジュワァ……って。フルーティーな味が広がるんですよぉ。それがもう、病み付きになりそうで」
「ゴクリ……」
「皮も剥かないで、生で食べれちゃいますっ! あれは美味しかったなぁ……ほら、お一つどうですかぁ?」
そこまで言われたら。
断れるはずがない。
この世界の住人が生で食べて一番美味しかったと、太鼓判を押してくれたのだ。浮かべている恍惚の表情からも、間違いない。きっと、小さい頃の輝かしい思い出の一コマなのだろう。
美味いものを食べた思い出。歳を取っても、これだけは色褪せない。
勧められるがままに、一口で。果実を頬張り、噛み締めた。
――プチンッ
………
……
…
「オベロオオオオオオオオオオオオオオォ!? アッ、があぁ……ごオっ! ぐッふうううぅ……!! うっ……マッズ! かなり不味いッ!! 信じてたのに! 期待を裏切らぬこの不味さ――!! あっ、でもマシ! 今までに食べた何よりもマシっ!! 不味いけど! 死ぬほど不味いけど! 死ぬ気で頑張れば、どうにか呑み込むことが可能なレベルッ!! ゥオエエェ……でも、頑張る! 頑張って吐き出さずに食べるっ!!」
「頑張れ人間さーんっ!!」
彼女の応援を受け、涙で顔面をグシャグシャにしながら必死に食べる。
いや、そもそも食べ物って。泣きながら必死になって食べるものだったっけ……?
「ふうっ、ふうううぅ……ウッ! グううううぅ……手強いッ……!! んぐっ……最初は行けると思ったけど! 噛んだ瞬間ッ! 奴は弾けた――!! 口の中一杯に広がる、史上最悪の青臭さ! この味は! フルーティとは言わないっ! 人はこれを! 青臭いと呼ぶんだッ!! 熟れてない果実独特の青臭さを! グッと一ヶ所に凝縮したかのようなぁ! があああッ……!! だが、僕は負けない――!!」
――ゴクン
最後まで。
最後まで、呑み込んだ。
完食した! この世界に来て初めて――食べ物を完食した!!
世界は不味い食べ物で溢れているが! それに屈する現代人ではない! 死ぬほど不味かろうと、餓死するよりはマシというもの! 遂に、最後まで食べ切った!
此度の戦いは、現代人類の勝利である――!!
「ぐっ、はあっ……はぁ……食べたぞおおおおおおおぉー!!」
「やったあああああああっ!!」
「ありがとうっ! 応援してくれて……ありがとうっ!」
「えへへ。はぁ、良かった良かったぁ~」
多分。彼女の応援がなかったら。負けていたと思う。これは食べられなかった。呑み込めなかった。
しかし、完全勝利した! 彼女のお陰で! 彼女こそが、勝利の女神だった!
その時。ふと気付いた。出会った当初から、はちゃめちゃな事態が目白押しで……すっかり忘れていた。大事なことを一つ。
「ふぅ……そういえば、名前は?」
「ポペンの実です」
「違う違う! 君の名前は?」
「あっ、そっちかぁ~!」
そっちしかない。今の流れは、そっちしかない。
「私は、『クリム』。クリムって言うの」
「へぇ……美味そうな名前だなぁ……」
「それ、褒めてるつもりぃ~!?」
「ごめんっ! 最上級の褒め言葉だから! 今の僕にとって! 美味いは最高の褒め言葉っ!」
「はいはーい」
これにて一件落着。
少なくとも、この世界で餓死する心配はなくなった。
まぁ、色々と……無念な気もするけど。背に腹は代えられぬ。
「ところでぇ、人間さんの名前は? やっぱり、ニンゲンさん?」
「そんな訳ないでしょ。僕の名前は……名前は……」
思い出せない。
……何故?
現実世界の記憶は残っているのに。自分の名前だけが思い出せない。もしかして、不味いものを食べ過ぎた? そのショックで、忘れてしまった!? そんな、まさか……。
「名前は……えっと……」
「うえっ!? 思い出せないのぉ? もぉー、しょうがないなぁ~人間さんは。じゃあ、私が付けてあげるっ!」
「おおう。嫌な予感がしてきたぞ……」
「うーんとねぇ……『グルメ』! あなたは今日からグルメ! 決定っ!」
「えっ、マジで!? そんな、ペットに付けるみたいな名前……いや、最初からペットみたいに思われてたけど! そもそも、このネーミングセンスは……異世界では有りなのか?」
分からない。異世界のセンスなど絶対に分からない。
「グルメっていうのはねぇ。この集落の言葉で、『美食家』って意味なの」
「いや、そのまんま! そのまんまの意味! ピッタリだけど! ある意味で! 僕にはピッタリだけど!」
「気に入ってもらえて良かったぁ!」
「えええぇ……」
こうして、僕はグルメになった。
これはこれで、一周回って便利かもしれない。自分の名前を言うだけで、アイツはグルメなんだと理解してくれる。どれだけ不味いと叫んでも、グルメだから仕方ないと。みんな寛容な目で見てくれるはず。多分……。
「……あれっ? 何だか、急に身体中がかゆくなってきたんだけど……」
「あっ、それはポペンの実を食べたからですよぉ」
「生で食べれるって言ったよね!?」
「だーかーらぁー。食べられたじゃないですかぁ。グルメさんも、今までに私が生で食べて一番美味かった食べ物って、リクエストしましたよねぇ?」
「したけど! こういう……副作用があるなら! 先に言って! あっ、かゆい! 今までに感じたことのないかゆさ――!!」
「大丈夫ですよぉ。命に別状はありませんからぁ~!」
やっと気付いた。彼女の言葉の真意に。
『生で食べたのはずーっと昔だけど』
『それがもう、病み付きになりそうで』
『あれは美味しかったなぁ……』
生で食べれるけど! 副作用があるから普通の人は食べない!
普段から人々が生で食べている食材ではない――!!
これはもう、調理用! 恐らく加熱したら副作用の成分が分解されるとかの、調理用!!
「あっ、ああああああっ!! かいいいいいいいいいいいいいいいぃ!!」
少なくとも餓死はしないけれど。
これからの僕の異世界ライフは、困難を極めそうです。