5.ヤベー不味い
僕が元々いた世界には、こんな言葉がある。
『プディングの味は食べてみなければわからない』
随分と抽象的な物言いだけど、プディングとはプリンの総称。どれだけ事前情報で味のことを詳しく知っていようと。そのプリンを実際に食べてみなければ、絶対に分からないってこと。万物に対しても似たようなことが言える。
ただ、この発言をした人物は――食べたプディングが美味かったから、こんな呑気なことを言っていられるのだ。
もし、クッソ不味かったら……。
『ウエッ、マッズ! このプディングの味、食べてみたらクッソ不味い――!! 二度と食べたくない! こんな味なら一生わからなくて結構っ! おい、誰だ!? このプディングを作った奴は! さっさと出て来いッ!!』
こうなる。絶対にこうなる。
かの有名なフレーズは、決して生まれなかった。
不味い食べ物というのは、存在するだけで歴史を塗り替えるほどの! 圧倒的なパワーを秘めているのだ! それこそ、下手したら美味い食べ物以上に――!!
そして、現在。
不味い、不味いと、部屋中をピョンピョン飛び跳ねて騒ぎながら。
舌を出して涙目になっている、忙しないエルフの女の子。
「スッゴイ! いつまでも口の中が苦ぁーい!! 後を引く不味さだよぉ~!!」
「うん、だよね。ただ……大体の不味い食べ物って、そう」
どうして、僕は不味い食べ物の普遍的な見解を述べているのだろうか。あたかも、ニュース番組に呼び出された「不味い食べ物の専門家」みたいな。そんな称号、絶対に嫌!
しかし、誠に遺憾ながら――異世界の不味い食べ物については詳しい。転移一日目にして、めっちゃ詳しくなってしまった。
この程度の後味の悪さならば! 平静を保てるくらいには! 達観した――!!
いや、クッソどうでもいいスキル! 不味さ耐性なんてステータス、どんな異世界でも絶対に流行らないよ!
「ああぁ~! 不味いよぉ~!! なんでぇ~!?」
「ねぇ、そろそろ落ち着かない?」
「どぉーして、そんなに落ち着いてられるんですかぁ!」
「そういう方向に成長しちゃったから……」
それから、さらに数分くらい経って。
やっと一段落したようだ。ピョンピョン跳ね回ることを終え、今はグッタリとベッドに端に顔を埋めている。余程ショックだったのか。さっきまで漲っていた活力が、嘘のように消失している。恐るべし、不味い料理。
「うええぇ……無理ぃ……。不味いだけならまだしもぉ。初対面の人間さんにドヤ顔でこんなの出して。死ぬほど恥ずかしい……っていうか、ごめんなさいぃ……」
「いや、謝らなくていいよ。言っちゃアレだけど、この世界で僕が食べた物の中では――相対的に一番美味かったから」
「どんな人生、送ってたんですかぁ!!」
「ホントだよね」
うん。そこまでフォローにならなかった。失敗失敗。
しかし、一つだけ気付いたことがある。
このシチューもどきは、彼女にとっても不味かった。即ち、普段はここまで酷い味じゃないはず。作る料理が全て不味くなるなんて、特異的な稀少スキルを持っている訳ではない。
と、いうことは。原因が存在する――!!
偶然にも、料理が不味くなってしまった原因が! 何らかの理由がある! 絶対に!! でなきゃ、おかしい! こんな味は、意図的に創り出そうと思って創り出せるレベルを、遥かに凌駕している――!!
「一つ、質問をいいかな?」
「うえっ……なんですかぁ……」
「これを作る時に、レシピは間違ってなかった? 例えば……独自のアレンジや隠し味をこっそり加えちゃった、みたいな」
「失礼なぁ! ちゃんと教わった通りに作りましたぁ~!!」
「おおう。メシマズの常套句」
「普段は不味くないんですってぇ! 普段は!!」
僕が思うに、生粋のメシマズ料理人の「ちゃんと教わった通りに作った」は、「何もしてないけどパソコンが壊れた」に通ずるところがある。
果たして、真実は――
「じゃあ、甘い調味料としょっぱい調味料を間違えたなんてことは?」
「そんな初歩的なミスで! こんなに不味くなりませんよぉ~!!」
「なるほど。一理ある。つまり、調味料はシロ。ちょっとやそっとの隠し味では、隠し切れぬこの不味さ。故に、作り方も正しいと仮定すれば、もっと根本的なところに要因が……」
「な、なんか、スッゴイ冷静に分析してる……。もしかして、アナタは不味い食べ物の専門家ですかぁ?」
「否定できないことが辛い」
持てる限りの脳味噌をフル稼働して、真剣に考える。理論を構築し、仮説を検証し、真理を暴く。どうして不味くなってしまったのか。
そう! 全てはいつも通りの、美味い料理を取り戻すため――!!
断言しよう。
人間とは。ピンチに陥った時、覚醒する生き物であるが。
美味いものを食べたいという一心でも、覚醒できる!
この根源こそが、人類の食の歴史。遺伝子レベルで刻み込まれた、美食への飽くなき探求心。初めてナマコを食べた人類。死をも恐れず青梅やフグの解毒を試みた人類。
美味いもののためならば! 体を張ることも、時に命を賭けることすら厭わない! 停滞は退化と同義である! 未知への挑戦なくして、美味いものなど得られぬ! こうやって、人類は食と共に進化してきたのだ――!!
……ちょっと言い過ぎかもしれない。ただ、間違ってはいない。
数秒後。
僕が導き出した結論は――別に大したことなかった。
「料理に使った材料を、確認してもらえないかな?」
☠
それから程なくして、異物混入事件の主犯が判明した。
「ごめんなさいっ! 材料を取り違えちゃってましたぁ!」
「だから、謝らなくていいって。まぁ、そうなるよな」
「あの、とっても言いにくいんだけど……キノコと間違えて、マイコニドさんを入れちゃった」
「モンスター入れちゃったの!?」
マイコニドと言えば、キノコの魔物。異世界でも共通らしい。
そして、この世界のモンスターはゲロ不味いのだろう。実食した感想であるが。スライムも不味ければ、マイコニドも不味い。冷静に考えて。あんな得体の知れない生き物、美味い方がおかしい。百歩譲っても、珍味が落としどころ。
「でもでもっ! どうして分かっちゃったんですかぁ~!? スゴイッ! 不味いもの専門家の人間さん、スゴイッ!!」
「その呼び方はやめて」
と、いう訳で。
正しい材料を使って、同じ料理を作ってもらうことになった。
不味い方の料理は……スライムの餌にするしかない。アイツら、何でも食べるから。美味かろうが、不味かろうが。
ちなみに、彼女とは初対面なのに、すっかり打ち解けてしまった。これも全て、不味い料理のお陰である。もう、これだけ! 不味い料理の良かった点は、これだけ!!
同じ釜の飯を食った仲。もとい、同じガチ不味い飯を食った仲! 二人にとって数少ない共通の話題! それが、不味い飯! 誰も知らない二人だけの秘密! それが、不味い飯!
「はいっ! お待たせしましたぁ。今度こそ! 絶対に大丈夫だからぁ!」
「……いや、さすがに信じてるよ」
「えへへ」
見た目も香りも、前回と変わらない。マイコニドも広い分類で捉えれば、キノコの一種なのだ。あれは、ゲロ不味いキノコ。今回は、ちょっとキノコの種類を変更しただけ。エリンギからマイタケにチェンジ、みたいな。
つまり、鮮やかな野菜も、温かな湯気も、芳醇な香りも、健在である。とても美味そう。そして、今度こそ確実に美味い。
「では、改めまして。いただきます」
――あむっ
………
……
…
「ブッヘエエエエエエエエエエエエエェ!! なァ!? あっ、ゲええエッ!? アベっ! ぬおおおおおっ!? 何がどうして、こうなった――!? マッズ! ヤベー不味いッ!! 相も変わらず! ちょっと向上心は感じるが!! やっぱり不味い! いや、おかしいっ! これは絶対、何かがおかしい!! 確実に美味いと信じて食べた――!! 不味い料理ほど罪なものは他にないっ! 数十年来の親友に、がっつり裏切られたような気分ッ!! あー、不味いっ! あの苦さとは、また違ったベクトルで不味い! 鈍い味が混ざり過ぎて! ごちゃごちゃした何とも言えぬ不味さ――!! うげええぇ……何でやねんッ!」
思わず関西弁で突っ込んでしまう不味さ。
恨めしそうな目で、彼女を見る。イタズラじゃないよね……?
あっ、これは怒ってる。謝らなきゃ。
「ごめんなさいっ! でも、やっぱり料理は不味かった! それでも料理は不味かった! 不味いと言わずにいられないっ!」
「はぁ!? 嘘でしょう!?」
「ちなみに、ちゃんと味見は……」
「しーまーしーたぁー!! 人間さんの味覚が変なんじゃないのぉ!? 貸しなさいっ!!」
またしても、彼女はボウルを引ったくる。そのまま端に口を付けて……。
――ズズッ
………
……
…
「――ほらぁ!! そんなに不味くないじゃん!! 噴き出すほど不味くないって! 美味しいか、と聞かれたらぁ……お世辞にも美味しいとは言えないかもだけどぉ! 苦くもないし! 甘すぎもせず、辛すぎもせず! 絶対に許容できるレベルの不味さ――!! じゃなくて! 不味くないんだって!!」
心から分かり合えた仲だと思ったのに。
早くも決別の時が訪れた。
まさか、こんなにも味覚に違いがあるなんて――!?
「えっ、これがいつも食べてる味!?」
「そうですよぉ! 私をバカにしてるのぉ!? はいはーい。人間さんはそりゃあ、さぞかし美味いものを食べて生きてるんでしょうねぇ!!」
「いや、バカにしてないって! 気を悪くしたなら謝罪するから! そう、前のよりは! 前回よりは美味い――」
「全然フォローになってなーいっ!!」
彼女はぷりぷりと怒り出した。多分、本人は本気で怒っているのだろう。それすらも、僕の目には可愛らしく映ってしまう。これも、種族の違いかもしれない。
ほら、ペットの犬が怒っても可愛いだろう。犬とエルフを同一視するのは、申し訳ないが。
ただ――ここまで来て。
僕も遂に気付いた。
おかしいのは、この料理ではない。
この世界は――何かがおかしいっ!
これは不味いことになった。二重の意味で。