29.シンプルに不味い
森は広い。狭い森は森じゃない。あれは林。
つまり、僕が何を言いたいのか。
森ではぐれたら、二度と合流できない――!!
少なくとも、僕の力だけでは不可能。右を見ても、左を見ても、木、木、木。みーんな同じ木。ここはさっき通った場所と言われても、おおぉ……? としか思えない。
しかし、今の僕は一人じゃない。頼れる仲間がついている。いや、本当に仲間かは……これからの展開次第。
まぁ、兵団とコネを持っていて、一人でも戦える武力を保有している時点で、僕よりは絶対に頼りになる。ヤバイ揉め事に巻き込まれたら助けてもらおう。そのためには、十分な恩を売っておく必要がある。言い方は悪いけど。
ブレンに連れられて、洞窟を脱出し、森を歩くこと数分。突然、彼は足を止めた。
「ここだ」
「ここ……? もしや、僕が誘拐された場所?」
「その通り。見覚えがあるだろう」
「ありません。僕の記憶力は不味い食べ物にしか発揮されないから。それにしても、よく迷わず真っ直ぐに辿り着けたね」
「逆に聞こう。自分の庭で迷子になるか?」
「あっ、なるほど。森はエルフにとって庭なのね。ちなみに、人間にとっては森」
ところで、元の場所に戻ったのはいいが、もちろんクリムはいない。今頃、僕を探して森中を駆け回っているのだろう。あぁ、心配してるかな。
唯一の救いは、僕が眠っていたのは短時間だったこと。まだ近くにいる可能性がある。
「それで、どうやってクリムと合流すれば」
「しっ! 静かに……風がざわめいている……」
ブレンはその場で目を閉じて、耳を澄ます。
マジで風の声が聞こえるの? そういう自分だけの設定じゃなくて? 僕が同じことをやったら、完全に痛い人だよ?
まぁ、エルフなら聞こえてもおかしくないよね。だって、エルフだもん。証明終了。
「……こっちだ」
「スゴイ。たったこれだけで、クリムの居場所が分かっちゃうなんて。さすがはエリート」
「ふん。褒めても何も出ないぞ」
「その割には嬉しそうにしてるよね」
「さっさと行くぞ!」
話し方はぶっきらぼうで、表情も変化に乏しいけれど、人並みの感情はあるらしい。気持ちが行動に表れるタイプか。出会った当初よりも柔らかくなった。強い口調でも、そんなに殺気立ってない。
何かきっかけがあれば、仲良くなれると思うんだけどなぁ。
☠
ブレンの勘は間違っていなかった。草を掻き分け、蔦を振り払い、森の奥へと突き進むと――遠くから人の声が。
クリムの声だ!
「やった! これで無事に合流できる! まずは謝らなきゃ」
「おい。約束を忘れるなよ?」
「任せて。ちゃんと紹介してあげるから!」
「ふっ、ふぅ……緊張してきた……」
「吐かないでよね!?」
「善処する」
すぐさま、僕は声の方へと駆け出した。ほんの数十分だけ離れていただけなのに、体感では何時間も離れ離れになっていた気さえする。安堵と共に、懐かしさまで込み上げてきた。
「おーい! グルメくーん! グルメさーん! どこですかぁ~? もう、私の負けでいいですからぁ! そろそろ出てきてくださいよぉ~! おーい、ここに隠れていますか~?」
遂に……遂にクリムを発見!
彼女は通る声で叫びながら、必死になって木の幹に開いた小さな穴を覗き込んでいる。例えるならば、リスでも住んでいそうな穴。
「って、そんなとこに隠れてる訳ないでしょ! 僕を何だと思ってるの!?」
「うえっ!? あーっ! こんなところにいましたぁ~! 勝手にかくれんぼしちゃダメでしょう! もぉー! グルメくんさんはっ!」
「グルメくんさん!?」
「次から私が降参って言ったら、すぐに出てくるんですよっ!」
「あれ? 思ったより心配されてなかった……」
しばらく誘拐されてたのに。神隠しならまだしも、かくれんぼ? 勝手に遊んでたと思われてるよ。まぁ、大事にならないで良かった。
クリムは僕を見付けるや否や、猛然とダッシュ! これはヤバイ。本能的に危険を感じ取り、ヒラリと彼女の突進をかわす――あっ、かわし切れない!
「ぶへっ!?」
僕の身体は吹っ飛んで木に衝突!
からの、為す術なく地面に押し倒された。クリムはそのまま僕の上で馬乗りになる。とても綺麗なマウントポジション。物理的にマウントを取られてしまった。ペットに上下関係を教え込むつもりか。
からの、殴る殴る!
「もぉー! グルメさんのバカァ! 黙っていなくなっちゃって! ホントに心配したんですよぉ! うえぇ……」
「ごめんなさいっ! 勝手にどっか行って、ごめんなさいっ! 許してください! だから、一方的に殴るのは止めてぇ! 痛いっ! があああっ……抜け出せぬ! 全く抵抗できないっ! 完封された! これなんて総合格闘技――!?」
ひとしきりボコボコにして満足したのか。クリムは殴る手を止め、悲しげな表情で俯いた。
健気に振る舞っていただけで、やっぱり心の底では心配していたのか。もしかしたら、初代と二代目よろしく、愛想を尽かされて逃げ出してしまったのではないかと。
「……ごめん、クリム。約束を守れなくて。君の傍にいるって言ったのに。主人を置いてどこかへ行っちゃって。これじゃあ、使い魔失格だよね」
「ううん。いいんです。だって、ちゃんと戻ってきてくれましたからぁ。私は、グルメさんを許します」
「……ありがとう」
「でもでも、次はないですよっ! 勝手にいなくなったらオシオキです!」
「分かってる。もう約束は破らない。次にクリムの期待を裏切ったら、生ポペンの刑でも何でも甘んじて受ける!」
「ふふっ。グルメさんの覚悟、しかと受け止めましたっ! 何でも受けるって、言いましたよねぇ~?」
「勢いに任せて喋り過ぎた。ちょっと、何でもは勘弁……」
一転して、彼女は安堵の表情を浮かべる。いや、安心し切ってニンマリとしている。楽しげに、僕へのオシオキを想像しているのだろうか。不味いのは止めて。
とにかく無事に丸く収まって、めでたしめでたし――
あっ、忘れてたァ!!
やっと思い出した。木陰から僕たちの仲睦まじい様子を窺っている、ブレンの存在を。
ヤバイ。怒ってるよ。乏しいはずの表情が変化してる。あれは、「いちゃついてるじゃないか!」の顔。このままじゃ消される。クリムと永遠のお別れになっちゃう。
そう。こっちの約束も果たさなければ。
「クリム。重いからどいて」
「うえっ!? 重くないですぅ~!! 失礼なぁ!」
「違う違う! 体重の話じゃなくて! 誰でも馬乗りにされたら重いっ! ふぅ……話は変わるんだけど、クリムに紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい人……? 別の人間さんですかぁ?」
「訂正。紹介したいエルフがいるんだ」
僕は立ち上がると、手招きしてブレンを呼び寄せる。彼はおずおずと姿を現した。うーん……めっちゃ緊張してるな。お願いだから、吐かないで。頑張れ。
「こちらは、僕が森で迷っていたところを、助けてくれたエルフの兵士です。じゃあ、まずは自己紹介をどうぞ」
「ひいっ!? あわ、あわわ……」
「あわわ? アワワさんですかぁ? 不思議な名前ですねぇ~」
「や、ちがっ……クリム……あの、ひさし……おぶっ!」
「ストーップ! はい、ストップ! どうやら緊張してるみたい! 僕が代わりに紹介するね! 彼の名前はブレン。兵団に所属していて、輸送……なんちゃら任務に携わってる……エルフの兵士! 仲良くしてあげて! ちなみに、クリムは会うの初めて?」
「ブレンさんですかぁ。うーん……全然知りませんねぇ」
そういえば、ブレンから事前に何も聞いてなかった。二人の関係性が分からない。友達ではないにしても、顔見知りじゃないのか……?
頭の上にハテナを浮かべるクリム。対照的に、ブレンはこの世の終わりを見た表情。
「忘れ、られてる……。ガーン……ダメだ……死ぬしかない……」
「早まらないで! えっ、紙メンタル!? これだけで死んでちゃあ、命がいくつあっても足りないよ! ほら、クリムってそんな感じだから! 友達の名前でも忘れちゃうから! せめて、思い出させる努力を見せよう!」
「うえっ? でも、知りませんよぉ? こんな人、見たこともないですっ! ホントに、どちら様ですかぁ?」
「クリムも追い打ちを掛けないで――!!」
僕の予想だと、多分二人は会っている。ただ、そんなに深い仲ではないのだろう。昔に数回だけ話したとか、ちょっとした顔見知り程度。
それがブレンにとって印象的な出来事でも――クリムにはそうでもない。何でもない日常の一コマ。だから、完全に忘れちゃった。どうぞ初めまして。
約束通り、ブレンをクリムに紹介したのに。この展開は読めなかった。一向に進展しないぞ。僕が二人の間を取り持たなきゃダメなのか!?
「いや、もう初めましてでもいいから! クリム、友達になってあげられない? 彼は友達になりたいって」
「えっとぉ、ブレンさん? クリムですっ! 初めまして。私のグルメさんを助けて頂き、ありがとうございます」
「わっ、わたしの……!? グルメ……謀ったなァ……」
「だから、ペット! わたしのペットって意味! 僕は騙してないよ!」
「あのぉ~、どこかで会いましたっけ? 話してくれたら、思い出すかもしれませんねぇ。思い出さないかもしれませんねぇ」
「あぐっ……俺が……会ったのは……。そっ、その……ごふぅ……」
「もぉー! さっきからモゴモゴして、何を言ってるんですかぁ? ちゃんと喋らない人は嫌いですよぉ!」
「くっ、クリムに嫌われた……!? この世に未練はない」
「早まるんじゃねえ――!!」
もう見ていられない!
とっさにナイフを取り出そうとしたブレンを制止する。すぐにナイフで解決しようとしないで! もっと命を大切に!
一方のクリムは、きょとんとしながら僕たちの様子を眺めている。未だに事情が呑み込めていないらしい。いや、待て。少しムッとしてないか……?
「むぅ~。ブレンさんも、グルメさんを助けちゃったんですかぁ~」
「俺……グルメ、助けた……」
「じゃあ、ライバルですっ! 私たちは敵同士! 仲良くなんて無理ですぅ! グルメさんは渡しませんよぉ~!!」
「ひいっ!? あわわ……なぜぇ……!?」
「えっ、どういうこと!?」
誰にでも優しいはずのクリムが、ここまで敵対するなんて――!?
そうか。彼女はブレンさんも、と言っていた。
今まで、僕を助けたのはクリムだけだった。それが、唐突に現われた第三者が同じく助けたと言い出した。すると……僕には命の恩人が二人いることになる。
クリムは察した。もしかしたら、僕がブレンに取られてしまうかもしれないと――!! 相手も命の恩人だから! 結果、ライバル認定! ブレンを仇敵と認識した!
最悪の展開になってきたぞ……。
「誤解だって、クリム。彼には助けられたというか、そんなに助けられてないというか」
「グルメさんはどっちの味方なんですかぁ?」
「もちろん! 僕はクリムの味方だって!」
「グルメ……話が違うぞ……」
「あーもう! めんどくせえ――!! 大体、ブレンもキャラ変わり過ぎだよ! あんなにクールだったのに! どうしてクリムの前ではポンコツになっちゃうのさぁ! 僕を誘拐した時の気概はどこへ!?」
「うえっ!? グルメさんを誘拐したんですかぁ~!?」
「しまった。口が滑った」
「やっぱり狙いはグルメさんだったんですねっ! キョドキョドして怪しいと思ったら、泥棒さんじゃないですかぁ! もぉー! 絶対に許しませんっ! ダメでーす! あげませーん!」
「おごぉ……ちが……いらない……!! あっ、おげえええええええええええええええええぇ!!」
「吐いた――!! もうダメだァ――!!」
がああああああああぁ! 収拾が付かないっ! 友達になるとか以前の問題! カオスだよ、カオス! どないせえっちゅうねん!
あーあ。全てが手遅れ。二人の関係は修復不能。多分だけど、逆恨みで僕は殺されるんだろうなぁ。短い人生だった。せめて死ぬ前に、回らない寿司を腹一杯食べたかった……。
瞬間、クリムの目の色が変わった。
「……ああっ! ブレンさーん! 思い出しましたぁ!」
「待って。今のどこに思い出す要素が」
「そういえば、初めて会った時も吐いてましたねぇ……」
「何それ!? 最悪の出会いじゃん! って、昔からそうだったの!?」
「ふふっ。相変わらずですねぇ。大丈夫ですかぁ? よしよーし」
「ごほっ……あぁ、クリム……女神……」
ブレンは今にも天に召されるかのような、とても満足げな表情を浮かべて。こっそり僕に向けてグッと親指を立てた。あっ、これでいいのか。
ここに、男と男の約束は果たされた――
「それにしてもぉ……急に吐くなんて、グルメさんみたいですね」
「なんてこと言うの」
はぁ……色々とあって疲れたぁ……。これを機に、二人が仲良くなってくれればいいんだけど。
僕も緊張が解けて、思わず大きな欠伸を一つ。
上を向いて、ふわぁと口を開けた――
――ポトッ
………
……
…
「バボラアアアアアアアアアアアアアアアァ!? けえッ! エアロォ!? フェデぇらァ……マッッッズ!! シンプルに不味いッ!! この実なんの実クッソ不味い実――!! 絶妙なタイミングで! 落ちてきたァ!? ニュートンもビックリだよっ! 思わず噛んじゃった! ガッ……口の中が激しくゴリゴリするッ! ナッツのようで、ナッツじゃない! めっちゃ硬いぞ! 防御にステータス全振りするな――!! 尋常じゃない苦味成分! これ食った後はにがりが甘く感じるレベル! なんじゃらほい……あっ、分かった! 雨の日に落ちてたドングリ――!! 外敵から身を守るために、数万年かけて不味く不味く進化したね!? その目論見は大成功だよっ! おげええぇ!」
三人中、二人も吐いた。吐く率が過半数を超えたよ。
「また変な実をぉ! 開拓してしまったァー!! 何ぞこれぇ……」
「ゴリの実です」
「ゴリの実」
多分、噛むとゴリゴリするから。ゴリラは関係ない。
そして今回は果実ではなく、木の実。この世界で初めての木の実。だけど、クッソ不味かった。木に生ってるものは、みーんなダメなのか……?
「オベェ……思わず僕も吐いちゃったよぉ……今日で2回目……」
「ほらぁ、私が言った通りっ! 似た者同士じゃないですかぁ~!」
「なぁ……嬉しくない共通点……!!」
「どちらも世話が掛かりますねぇ。全くぅ。よしよーし」
吐き散らかす男二人の背中を、クリムは優しく撫でる。
あっ……ホントに女神だ……。
どうしてブレンがクリムに惚れたのか。僕も理解できた気がする。




