27.堪らなく不味い
エルフの住む村といえば、人間が寄り付かないように不思議な力で守られている。何人たりとも無断で侵入することは不可能。かつての僕は、そんなイメージを持っていた。
ただ、実際のところ……全然そんなことない。僕が入っちゃってる時点でお察し。そもそも、こんなに広い村を隠し通せる訳がないよね。いや、仮に可能だったとしても、現実的ではないだろう。
不思議な力で守るためには、何らかのエネルギー源が必要になるから。例え魔法が存在する世界でも、無尽蔵のエネルギーなんて有り得ない。
じゃあ、どうやって村を外部から守っているか。簡単な話。「ここから先はエルフの住む場所だから、勝手に入っちゃダメだよ」と、お隣の人間の村では言い伝えられているそうだ。クリムの話を信じるなら。
平たく言えば、このメシマズの村は外縁がグルリと森で囲われている。森を抜けたら、エルフの村。だから入っちゃダメ。森が国境みたいな役割を果たしているとみた。
「グルメさーん? ちゃんと聞いてますかぁ~?」
「聞いてる、聞いてる。少し考えごとをしてただけ。それで、何の話?」
「うえっ!? 聞いてないじゃないですかぁ!」
クリムの家を出発して、既に20分くらい歩いただろうか。
相も変わらずピョンピョンと進む彼女を、ただひたすらに追い掛け続け――早くも疲れてしまった。
まだ仕事が始まってすらいないのに! はぁ……先行きが不安でならない。
「だーかーらー、お仕事のお話ですよぉ~」
「あぁ、何だっけ。植物が、どうとかこうとか……」
「植生調査ですっ! 重要なお仕事なんですからぁ! 気合いを入れてっ!」
「その、本当に調べるの? あの広大な森を……」
都会育ちの僕には信じ難いが。クリムの話では、村を取り囲んでいる森を歩いて調べるというのだ。樹木を一本一本。なんて気の遠くなる作業。
「もちろん、一人で全部は無理ですよ? ちゃーんとエリアを分担しています。ざっくり説明すると……決められた範囲の植生を、決められた期間ごとに定期的に確認して、監督の先生に報告する。これが私のお仕事の一つ目ですっ!」
「えっ、一つ目? 他にも兼業してるの?」
「兼業というか、同じ職業というかぁ……つまり、色々とやるお仕事だと思ってください。でもでもっ! 一番重要なお仕事がこれですからねっ!」
「ふぅん。何でも屋さんみたいな感じか」
「ミキサちゃんのお仕事よりも、自由に休めるのが良いですよねぇ」
概要は何となく分かった。メインのルーチンワークが植生調査で、その他の業務は別途依頼される。いつ働いて、いつ休むかも、自分の裁量次第。ただし、監督者がいるからサボってはいけないと。
同時に、クリムが住宅地から離れた場所に住んでいる理由も判明した。
通勤が大変だから――!!
実に人間らしい理由。僕も共感できる。そりゃあ、通勤は短い方が嬉しい。じゃないと、いつも今日みたいに死ぬほど早起きする羽目になる。
多分、そのエリアの仕事を担当する者の住まいとして、代々受け継がれているのだろう。
「なかなか興味深いなぁ。クリムみたいな職業のエルフが、村の端っこに点在してるってことか。ちなみに、どうして植生を調べてるの?」
「もぉー! 聞いてなかったんですかぁ! そういうお仕事だって!」
「違う違うっ! どういう理由で、植生を調べる必要があるの? しかも、定期的に。重要な仕事なんでしょ?」
「それはですねぇ……あっ、到着でーす! どうですかっ! ここが私の担当エリアですよ!」
「うーん……森。どうかと聞かれても、森。以上」
自慢げに紹介されても、森は森。良い森なのか、悪い森なのか、僕には区別が付かない。だって、森初心者だから。
「ありゃあ。グルメさんには早かったですかねぇ。でも、大丈夫ですっ! これから私が、森の良さを存分に教えてあげちゃいますからぁ!」
「森の良さ。クリムは森オタクだったのか。エルフの間では『森』っていうジャンルがメジャーなのか? うーん、不思議」
「へっへーん! グルメさんを森の沼に引きずり込んでやりますよぉ~!」
「森の沼!?」
初めて聞いたよ! 森の沼に引きずり込むって! 物騒だな!!
いやいや、沼は沼でもそっちの沼じゃない。クリムが言うのは、森というジャンルの沼だろう。全く、恐ろしいワードが飛び出した。
「物理的に引きずり込まないでね? もし沼にハマったら、助けてよね?」
「ふふっ。分かってますってぇ~。よーしっ! お仕事の準備はいいですね? グルメさんとの初めての共同作業、開始ですっ!」
「初めての共同作業――!?」
「うえっ? 何かおかしかったですかぁ?」
「いや、間違ってないけど!! でも違うんだよなぁ~!!」
「はいはーい。訳の分からないこと言わないで。まずは、あの木からっ!」
クリムが指差したのは、既視感のある赤い果実が生った木。
「あっ、あれは……ドロベチャの木!!」
「おぉー。グルメさん、よく覚えていますねぇ。優秀です」
「違うんだ! 忘れたくても、忘れられない――!!」
あのインパクトは! 不味さとのファースト・コンタクトは! 一朝一夕で忘れられる代物ではない!
今でも鮮明に思い出す! お前は二度と! 果物を名乗るな!!
「ではでは、さくさく行っちゃいましょう!」
「待って。まだ具体的に何するかも聞いてないし、そういえば質問にも答えてもらってないような……?」
「そんなの、やって覚えればいいんですよぉ! 見て学べばいいんです! 何度も繰り返して、体で覚えるっ! 失敗しても、挫けず何度でも挑戦するっ!」
「あっ、クリムが珍しく良いこと言ってる」
「えへへー。という訳で、グルメさん登ってください」
「……えっ? 木に?」
「木に」
実のところ、一度も登ったことはない。これが人生初の木登り体験。
クリムはニコニコ顔で僕の腕を引っ張っている。そんなに登らせたいのか……?
「……無理じゃない?」
「無理じゃないっ!」
「だって、落ちたら怪我しちゃうよ? 高いところも、得意じゃないし……」
「またまた我がままですねぇ~。言ったじゃないですかぁ。とにかく挑戦あるのみっ! 落ちても骨が折れるだけっ!」
「なおさら嫌!」
「いいから、行ーくーよぉー! のーぼーるーのー!」
「オゴオオオォ!? 首輪を引っ張らないで! 嫌だァ……!! あっ、これは! 動物病院を嫌がるペットだ! っていうか、スパルタ! クリムって思ったよりもスパルタ! 待って、せめて練習させてえええええええぇ!!」
☠
ダメだった。登れなかった。
練習とか、そういう次元の話ではない。根本的に才能がないと思う。木登りの才能が。まぁ、森で遊んだこともない人間に登れというのが無理な話だ。
「いいですかぁ? この木は、ここを持って、そこに足を掛けて、こうっ! ほらぁ! この高さまで来たら、あとは簡単でしょう? とっても登り易い木ですよぉ~」
「うわぁ。するする登ってるよ。人間技じゃない。いや、人間じゃなかった。さすがはエルフ。大自然の申し子。これがホントの森ガール」
「森がある? ここは森ですからねぇ。森があるのは当たり前っ!」
「もう、それでいいよ……」
身体の作りが違うのだろうか。そもそも僕の筋力が足りないような。異世界に来てから、死ぬほど痛感している。
仕方ない……筋トレするか。
「ただ、仕事を見て分かったんだけど、木に登る必要ないじゃん!」
「おやぁ? 気付いちゃいました?」
「ええぇ……なんで登らせたのさ」
「お仕事は飽くまで植生の調査ですからねぇ。記録するデータは、どの場所に、何の植物が、どんな状態で、どれだけ分布してるか。登らなくても、私はこの木なんの木か分かりますっ! でも、いざという時ために登れた方がいいですよぉ?」
「いざという時?」
「例えば、怖ーいモンスターさんに遭遇しちゃったとか」
「……出るの?」
「逆に聞きますけれど、絶対に出ないって言い切れます?」
「言い切れない」
森で仕事をするならば、木に登れて損はない。習得すべきスキル。筋は通っているし、納得もできる。唯一の問題は、登りたいと、登れるとは、天と地ほども隔たっていること。
……やはり、筋トレしかあるまい。筋肉は全てを解決する。
「ただ、安心してください。私でもまだ見たことないので。基本的に、この辺には凶暴なモンスターが生息していないですからねぇ。出てきたら村中で大騒ぎですよ!」
「だよね。だって、野生のモンスターは村へ自由に出入りしてるもんね」
「まぁ、登れた方がいい一番の理由はもっと別なんですけれど」
「そうなの?」
「木に登るとですねぇ、スッゴイ良い景色が見れるんですよぉ! それも、超オススメスポットがあるんですっ! あーあ。見せてあげたかったなぁ……」
そんな目論見があったなんて。
僕に絶景を見せたいがために。一緒に景色を眺めたいがために。今まで木登りの練習をさせていたのか。ちょっと胸が熱くなる。
そうまで言われたら! 登らざるを得ないだろうが!!
「……分かった。今日は、無理だと思うけど。いつか必ず! 登れるようになってみせるから! ちゃんと筋トレするから! だから、その日を楽しみに待ってて」
「うえっ? 筋トレする日をですかぁ……?」
「登れるようになる日を!!」
「ふふっ。分かりました。待ってまーす。ちゃんと練習するんですよぉ」
優しく微笑んで、クリムは仕事に戻った。
彼女が手に持っているのは、マス目状の記録用紙。チェックシートに近いかもしれない。
担当エリアがさらに細かく分けられていて、該当地域にどんな植物が自生しているか、何の木が何本生えているか、特に異常はないか。一つ一つ数えて、確認して、記入していく。なかなか大変な作業。
断言しよう。僕だけじゃ、この仕事は絶対に無理っ!!
まず、植物が分からない。大体全部、同じ木に見えてしまう。しかも、生えてる植物がどのエリアに該当するかも、自分がどこにいるかさえ判断できない。「グルメさんには無理ですよぉ」と言っちゃう訳だ。
しかし、クリムの仕事振りを見ていると、目印や測量器具もなくそれらが完全に分かっているらしい。つまり、感覚的に。マジで体で覚えてる。エルフってスゴイや。生まれし頃より自然に囲まれているだけはある。
そう! 今の僕は! クリムの仕事を見てるだけ――!!
完全にお荷物! 何も手伝えてないよ!
なんてこった。仕事を舐めてた。異世界でも、世の中そんなに甘くないっ!
「あっ! グルメさん、こっちこっち! 来て来てぇ~」
「はい、何でしょうか! クリム先生!」
「へっ? クリム先生? 私が、先生!? ええええぇ! 一体どうしちゃったんですかぁ~!? 変なキノコでも食べちゃいましたかぁ!? 拾い食いはダメって言ったでしょう!?」
「食べてない食べてない! 今の僕にできるのは学ぶこと! だから、クリム先生っ! どうぞ、ご指導よろしくお願いします!」
「うええぇ……何だか、背中がむずかゆいですぅ……」
そうは言いつつも満更でもない表情。加えて、耳がピーンと立っている。僕の持論だけど、先生と呼ばれて嬉しくない人はいないっ!
仕事中は、クリム先生と呼ばせてもらおう。
「先生って呼ばれるなんて、初めてですよぉ~! クリム先生……ふふふっ。仕方ありませんねぇ。じゃあ、生徒のグルメさんに手取り足取り教えちゃいましょう! いや、グルメ君! いいですか、生徒のグルメ君!」
「グルメ君……!? また新しいワードが飛び出した」
「ふっふーん。そういえば、前に質問していましたねぇ。どうして定期的に植生を調査しているのか。周辺環境や生態系の把握、新種や外来種の発見、悪い侵入者の痕跡を察知。理由は多々ありますが、一番はこれなんですっ!」
「これは……」
クリムが示した先には、一本の古樹。
その幹には、ドス黒い斑点模様が浮かび上がっていた。
明らかな異常。植物に詳しくなくても一目瞭然。
「木の病気、ですかね……」
「おおっ! 正解ですっ! さすがはグルメ君! この地域では、こういう事例がよくあるんですよぉ。植物の風土病が。ホントに困りものですよねぇ。人には害を与えませんが、長く放っておくと一帯の植物がぜーんぶダメになっちゃいます」
「なるほど。だから、定期的に見回る必要があるのか」
「私が病気を早期発見・報告して、駆除担当の部隊が出動する。こうして、私は森の平和を守っているのです! ねっ! とっても重要なお仕事でしょう?」
「めっちゃ大切だぁ……! ちなみに、病名は?」
「ダメダメ病です」
「ダメダメ病」
間違ってはいないけど! そのネーミングセンスでいいのか!?
まぁ、とにかく。メシマズの村の周囲を全て巡回するのは、とても大変な作業になるだろう。それを人海戦術とエルフの特性で解決したのが、この職業ってことか。
病気の感染を、村の外縁で食い止めるため。内部への侵入を未然に防止するため。そう、全ては神聖な巨大樹を守ることに繋がるから。飽くまで僕の推測だけど。
「ではグルメ君も、発見したら私へ教えるように! ふふんっ!」
「はい、クリム先生っ!」
先生と呼ばれて気を良くしたクリムは、普段よりも堂々とした態度で受け答える。これは新鮮で楽しいかもしれない。
すると、彼女は大樹の陰に消えていった。次の調査エリアへ向かったのだろう。僕もクリムを追い掛けて――
「動くな」
それは唐突に訪れた。
突然の低い声に、僕は全身が凍り付いた――!!
全く聞き覚えのない声。どこかに身を潜め、僕の背後から忍び寄ったのか。一切気付かなかった。
間違いなく、男。エルフかどうかは、分からない。
ドスを利かせて、動くなと言った。いや、動けない。動ける訳がない。
視線を下げると――喉元には鋭利なナイフが。
頸動脈を狙って、真っ直ぐに突き付けられていた。
「動くな。動いたら殺す。抵抗したら殺す。喋ったら殺す。妙な口答えしても殺す。そして、俺の質問に答えなかったら殺す」
……えっ? 詰んだ!
喋ったら殺されるのに!! 質問に答えなくても殺される――!!
どうすればいい!? どうすればいいんだァー!?
間違いなく人生最大のピンチ。脳がパニックに陥る。圧倒的な死を目前にして、何もできない。動くなと言われる以前に、身体が硬直してピクリとも動かせぬ。冷や汗が玉になって零れ落ちる。恐怖に寒気を覚える。頭の中は真っ白。
「お前は、なんだ?」
……えっ? ここで訳の分からない質問――!?
正しい答えが分からない! 絶対に殺す気だろ! 最初から殺す気満々だったろ!? 助けて! クリム、助けて――!!
が、届かない。心の声では届かない。
どうして命を狙われているのか。心当たりは……色々とあり過ぎる。ただ、悪いことはしてないんだって。信じてください。お願いします。
「ちっ、だんまりか。仕方ない。場所を変えよう」
よく分からないけど、質問に答えなくても殺さないでくれた。
でも、場所を変えるって……? つまり、誘拐されるの? そうなったら、絶対にクリムには助けてもらえない! どうする、どうする!?
両手が紐で固く縛られる。さらに、叫べないように猿ぐつわを――
――ギュッ
………
……
…
「おえええええええええええええええええええぇ!! ぶはっ! ベエッ! ごぼぁ……!! マッッッズ! 堪らなく不味いッ!! さっ、猿ぐつわァ――!! 噛ませられた布がっ! クッソ不味いぞおおおぉ! ペエッ! ねぇ、ちゃんと洗った!? カビとホコリの味がするんだけどォ! まさか、そういう手口で殺しにくるとはぁ! 吐き気を催す不味さッ! 年末の大掃除で使った雑巾――!! 零した牛乳とか拭いたでしょ!? 猿ぐつわに使っちゃダメェー!! 誘拐した人質が! 輸送中に死んじゃう! 不味すぎて! メーデー! メーデー! メーデー! 舌が救難信号を発してるぅ~! 許さんぞ! 貴様はタダじゃおかねえかんな――!! ぼおぉ……」
「ひいっ!? おい、騒ぐな! 騒ぐんじゃねぇぞ!!」
誘拐犯すら怯む地獄の叫び。それも当然。
さっきまでビクビクしていた男が、猿ぐつわを噛ませた瞬間! 豹変したっ! 物凄い力で拘束を引きちぎった! 初見じゃ誰だってビビる!
「くそっ、大人しくしやがれ!」
「こんなに不味くて! 大人しくできるかあああああああああぁ! だったら貴様が噛んでみろッ!! おらぁ!」
――グワッ
………
……
…
「ゲボオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!! あがっ……ぎえええぇ! 何じゃこりゃあああぁ!? マズゥ! とにかく不味いッ!! カビとホコリの味がする! 雑巾だ! 確かに雑巾だこれ! 不味い不味いっ! 何というか、あれだ! 凄く不味い! 不味くて吐きそう! 吐きそうな不味さ――!!」
「おいおい! 語彙力ねえなぁ! そんなんじゃ、不味さ伝わらないよ!?」
「どうしてお前が上から目線なんだよぉ!?」
初対面の二人が不味さを叫び合う。傍から見れば、楽しそう。
いや、僕は必死なんだけど! ここまで謎の男と渡り合えるなんて! 奇跡! 不味さが産んだ奇跡! 忘れてたけど、相手はナイフ持ってる!
そして、真っ向勝負で敵うはずがない。筋トレしてないから。
「いいから! 大人しく! しろぉ!」
「ごふっ……」
ナイフの柄でいい感じの一撃を貰い、僕は為す術なく気絶する。
薄れゆく意識の中で、考える。こんなに叫んだのに、どうしてクリムは気付いてくれないのか……あっ、音声吸収されてたァ!!
そのまま、僕はどこかへと連れ去られるのだった――
「……あれぇ? グルメさーん? じゃなくて、グルメ君っ! どこですかぁ~? むぅ、おかしいですねぇ……さては、かくれんぼですね! よーしっ! 負けませんよぉ~!」




