26.一段と不味い
薄暗い夜道を黙々と歩き続ける。灯りも持たずに。いや、正確に言えば灯りが必要ない。てっきり真っ暗だと思っていたけど、外に出ればそうでもなかった。
空は少し曇り気味で、星々は息を潜めるように隠れている。しかし、それを補って余りある月明かり。距離が近いのか、サイズが大きいのか、元の世界よりも一回り大きな月。それが二つ。
雲にも負けず堂々と頭上に浮かんでは、世界をやんわりと照らし出している。目が慣れれば、十分に周囲が見えるほどに。
「夜なのに明るい。不思議だ。月も丸々と肥え太って美味そうだし。満月じゃないのが惜しい。本当に、手を伸ばせば届きそう。ねぇ、クリムもそう思わない?」
「…………」
「あの、クリムさん。そろそろ機嫌を直して頂けないでしょうか……」
「……ふーんだ!」
クリム家を騒がせた下着盗難事件の黒幕が見付かって以来、ずっとこんな調子である。僕は犯人じゃないと声高に叫びたかった。でも、完全に冤罪だと主張できない点が辛い。
外まで見送ってくれたカスタには、僕の語彙力が許す限りの感謝の言葉を伝えて、きちんとお別れした。でも、クリムは依然として怒っている。それも当然か。
生ポペンの刑に処されても文句は言えない。
「もう、二度としませんから。反省しています。申し訳ありません。許してください。何でもします」
「……さっきからうるさいですよぉ。変態グルメさん」
「変態グルメ!? 何そのパワーワード! 舌が肥えた変態って、どう考えても史上最悪の組み合わせ――!! お願いだからやめて!」
「……じゃあ、下着泥棒さん?」
「グルメはどこに!?」
名付けられた当初は、そこまで気に入っていなかったはずなのに。グルメという名前にこんなにも愛着が湧いてしまうとは。
変態と呼ばれるくらいなら! グルメの方が100倍マシ!!
「ほら、クリムが素敵な名前を付けてくれたじゃん。グルメって。申請しちゃったでしょ? 僕はグルメ! よろしくどうぞ!」
「……そういえば、管理局にも出しちゃいましたねぇ。今から変えられるかなぁ?」
「えっ、ご冗談ですよね!?」
「これが冗談で済むかどうかは、今後のグルメさんの行動次第でーす」
「ひえっ」
多分やらないと信じているが。一方で、クリムならやりかねないと思ってしまう。本当に怒ったら、ミキサに止められても変えてしまうだろう。
クリム、恐ろしい子……!!
肝が冷えて青ざめる僕を目の当たりにして、多少は溜飲が下がったのか。彼女はいつもの呆れ顔に戻った。つまり、僕が不味いものを食べた時に見せる、「またか」という表情に。
「はぁーあ。過ぎちゃったことに腹を立てても、しょうがないですよねぇ。全くもぉー! グルメさんはっ! 普通、ペットでもこんなことしませんよ」
「やはりペット以下」
「多少のことは、大目に見みますけどぉ。だって、グルメさんだから……」
「だっての使い方がおかしくない?」
「散々我がまま言って、今さらなーに言ってるんですか。それで、どう落とし前つけてくれるんですかねぇ~」
「落とし前……? えっと、じゃあ……同じ痛い目を見るために、クリムには僕のパンツを」
「いーりーまーせーんー!! どぉーしてそうなるんですかぁ!? やっぱり変態グルメさんじゃないですか~!!」
「面目ない」
良かれと思って提案したのが、裏目に出てしまった。ただ、クリムも元気が出たみたい。
そんなこんなでクリムの家に辿り着いたころには、僅かに空が白んできた。それでも、まだ静かな時間帯。鳥の声一つとして聞こえない。起きているのは僕と、クリムと、二つの月だけ。
「……待って。クリム」
「待ちませーん。変態さんのことなんて知りませーん」
「せめてグルメは付けて! じゃなくて! 真面目な話! 何か臭わない……?」
「うえっ?」
扉の前に立って、二人してくんくんと空気を嗅ぐ。
確かに変な臭いが漂っている。騒ぐほど強烈ではないが、明らかな異臭。どちらかと言えば、あの温泉のような硫黄臭さ。腐った卵みたいな。例の劇毒が頭をよぎる。
「まさか、僕らがいない間に……誰かが侵入した?」
「えっ……またまたぁ~。怖いこと言わないでくださいよぉ~」
「いやいや。飽くまで可能性の話だから。ただ……入ろうと思えば入れちゃうよね。ドアの鍵だって簡素だし、窓は格子しか嵌まってないし。多分、頑張れば僕でも侵入できちゃう」
「うーん……下着泥棒さんが言うと説得力がありますねぇ……」
「だからそれは誤解なんだって!!」
この村のセキュリティは、なかなか甘いと思う。王族の住処とか、A級エリアは警備が厳しいんだろうけど。村の境界や個人の家屋は、今のところガバガバ。巡回中の兵士にさえ見付からなければ、どこまでもうろうろできる。
裏を返せば、世界が平和で、基本的に良いエルフばかりということ。
しかし、中には少数の悪いエルフが……いるかもしれない。
「知らないエルフか、流れ着いた人間か、はたまた謎のモンスターか。まだ答えは分からないけど、十分に警戒しておいた方がいいかも」
「うええぇ……扉を開けたら、何か飛び出すんですかぁ?」
「そこまでは言ってない」
「こうなったら、覚悟を決めて入るしかないですぅ」
「気を付けてね。慎重に」
クリムはドアノブに手を掛け、恐る恐る……。
直後、パッと顔を上げて、ポンと手を叩いた。何かを閃いたご様子。
「グルメさんっ! 出番ですよ!」
「え?」
「ほらほらぁ! ゴー! グルメさん、ゴー! ハウスッ!」
「嘘でしょ!? 今まさにクリムが入ろうとしてたよね!?」
「いいから、先に入るんですよぉ! 御主人様からの命令っ! 罪滅ぼしのチャンス!」
「罪滅ぼしというか、恩返しはしたいんだけど。その、心の準備が」
「あれぇ? 何でもするって言いましたよねぇ?」
「ぐっ!」
言った! ついさっき言った! 口走っちゃった!
さらに、クリムには恩も負い目もあるから逆らえない――!!
「覚悟を決めて入るんですっ!」
「分かった。分かったから! 押さないで! 自分のタイミングで行かせて!」
「気を付けるんですよぉ。慎重にですよぉ」
「立場が逆転した……ふぅ。グルメ、行きます!」
「どうかお化けが出ませんよーに。ただいまぁ~」
――ギイイイィ……
木の軋む音が、静寂に響き渡る。ドアの音なんて今まで全く気にしていなかったのに……めっちゃ気になる! そして無駄に木造だから軋む!
むわっと異臭が広がる。何なんだ。本当に、何が起きてるんだ……!?
中を覗き込めば、闇の帳。いや、ぼんやりと見える。ただ、外よりも屋内の方が暗い。分かっていたけど。僕だって怖いものは怖い。
「……どうですかぁ? 何か出ました? 飛び出したお化けに憑りつかれてませんかぁ?」
「縁起でもないこと言わないで!」
「それとも凶暴なモンスターさんですかぁ? 私は食べても美味しくありませんよ~。グルメさんの方が丸々太って美味しいですぅ~」
「そうかもしれないけど! 僕を売らないで!? はぁ……中に入るからね。ランプはどこだっけ」
「あっ! 置いて行かないでくださいぃ~!」
「グエッ! 首が締まる!」
クリムは僕の服を急に引っ張って、背中に顔を埋めてくる。苦しい上に、歩きにくい事この上なし。ただ、恐怖を紛らわすのには良いかもしれない。
それにしても、こんなにお化けを怖がるなんて。クリムも子供っぽい一面が……沢山あるか。全く。お化けなんて出る訳が――
ちょっと待て。ここは異世界だ。モンスターがいれば、エルフだっている。
つまり、クリムが怖がっているのは恐らく……
お化けはお化けでも! ガチのゴースト!! コイツはマジで出るっ! えっ、出会い頭に相手を呪い殺すタイプなの!? ひえええぇ……!!
足がガクガクしてきたぁ。
「ほら、早くっ! グルメさん、早くっ!」
「いやあああああああああぁ!! やめて! 押さないでぇー!」
「うえっ!? 女々しいこと言ってる場合ですかぁ~! ゴーゴー!」
「急に強気! あっ、僕を盾にしてるからか! チックショオオオオオォ!! こうなったら、覚悟を! 有りったけの覚悟を! おらあああああぁ! 出るなら出て来いやあああああああああぁ!! でも呪い殺さないでええええぇ!」
☠
結論を言おう。何も出なかった。
「もぉー! グルメさんが怖いこと言うからですよぉ~!」
どうにか無事にランプへ明かりを灯して、クリムはキッとした表情で僕を睨む。
「クリムも便乗してたじゃん! お化けとか、肉食モンスターとか! あぁ、怖かったぁ……異世界って怖い」
僕も負けじと睨み返す。
数秒後、お互いに安堵して笑い出した。
「ふふふっ。グルメさん、まだ足がガクガクしてますよぉ~! そんなに怖かったですかぁ~!」
「はは……クリムだって、怖くて泣きそうだったんじゃない?」
「うえっ!? 泣いてませんー!」
「へぇ。ムキになるところが怪しいよね~」
「あー! ムカッときましたぁ! えいっ! このぉ!」
「いだだだだっ! 折れるから! 暴力反対っ!」
どうやら、すっかり機嫌を取り戻したみたい。数分前までのご機嫌斜めが嘘のよう。
これにて一件落着。
「って、異臭は!? やっぱり変な臭いがするよ!」
「うーん……あっちの方からですねぇ」
ランプを持ったまま二人で奥へと進み、小部屋の扉を開けると……。
異臭の正体が判明した!
「ああっ! そうか! 数日も家を空けたから! 卵が腐ってやがる――!! 腐った卵みたいな臭いじゃなくて! 腐った卵の臭いだったァー!!」
「うえっ!? 忘れてましたぁ~!! そういえば食べ物って腐りますっ!」
完全に納得した。例え、家の涼しい場所に食糧庫があっても……暑い季節に数日間も放置すれば、絶対に腐る。卵は腐る。確定事項。この世の必定。
「あーあ。グエグエさんに申し訳ないですぅ~」
「おお、凄いな。この卵は腐ると自壊するタイプなのか。殻が薄いから。それと、他の果物も心配だよね。パッと見だと、アウトなのは卵だけみたいだけど。いや、僕には判断できない……」
「そうでした! 危ない果物が一つだけありますっ!」
突然、クリムは食糧庫で何かを探し始めた。なるほど。エルフは消費期限を感覚的に記憶しているのか。いつまでに食べればセーフなのか。便利だなぁ。
僕は例え期限が表記されていても、すぐに忘れるから。もしかしたら、現代人って大体そうかも?
「危ないところでしたぁ~。ギリギリ腐っていませんっ!」
「えっ、それ果物?」
思わず目を疑った。どう見ても果物じゃない。真っ黒な皮に覆われて、石みたいな――黒曜石みたいな表面。微妙にテカってる。具体例を挙げるならば、ナスに近い。とても太陽光を吸収しそう。
だが、そこではない。その果物は、四角いのだ!
そんな果物ある? 丸でもない、長細くもない、凸凹でもない。果物なのに、立方体! 多少は歪だけど。そういう人工物にしか見えない。
「もちろん、果物ですよ。ほら、ヘタが付いてるじゃないですかぁ」
「ホントだ。石のオブジェじゃないのか。で、恒例のお名前は?」
「マシの実です」
「マシの実」
……何もピンと来ない。今回ばかりは、命名者の意図が分からない。
しかし、それよりも気になることが!
「待って。ギリギリ腐ってないということは……」
「そうですっ! 今すぐに食べなきゃダメになっちゃいます!」
「やっぱり~!?」
☠
そこから一分と経たず、クリムは次々とマシの実をナイフで半分に切り始めた。そして、数の多いこと多いこと。10個は下らないだろう。
その全てを彼女に押し付ける訳にはいかない。僕も微力ながら協力する。少し早い朝ご飯も兼ねて。
つまり、食べないという選択肢は有り得ないのだ――!!
「どーぞっ! もう、ささっと食べましょう! いっただきまーす!」
「い、いただきます……」
果たして、これは果物の中でも美味い部類なのか。一番の論点は、モジャの実とどっちが美味いのか。それと、僕が我慢して食べれる限界を超えているか、否か。
見た目は、普通に美味そう。果汁こそ溢れていないが、とっても柔らかそうな果肉が瑞々しさを放っている。一身に太陽を浴びて実り育った果実。ならば、どう考えても美味いはずなのだが……そうもいかないのがこの世界。
「あーん……モキュッ。あっ、スゴーイ! 美味しいっ! きゅうっとした甘酸っぱさが堪りません!」
「マジで美味い? ただ、クリムは大体美味いって言うからなぁ」
「うえっ!? グルメさんなんて、全部不味いって言うじゃないですかぁ!」
「確かに」
「食べないんですか? 早く食べないと、無くなっちゃいますよ? あー、美味しいっ! 腐りかけが一番美味しいって本当なんですねぇ~。完熟で最高ですっ!」
僕も聞いたことがある。腐りかけが一番美味い。
追熟という言葉がある。要は、収穫した果物を一定期間置いて、食べ頃になるまで熟すという手法。これで甘さが増したり、果肉が柔らかくなったりする。スーパーで売っている果物は、追熟済みのものが多いらしい。
基本的に、果物は熟せば熟しただけ美味くなる。ただし、腐ったらアウト。
そして、どんなに美味い果物でも――全く熟してないと不味いッ!!
これは真理である。かつて身を以って体感した。みんなも気になったら試してみるといい。オススメは、ドリアンとマンゴー。もう、吐くほどに不味い!
だが対照的に、完熟したら――それはそれは美味いッ!!
唯一の問題は、本当に腐るか否かのギリギリのラインを見極めるのが難しいのだが……今日は偶然にも巡り会えた。今が完熟の完熟。今日の昼には腐る。
ここまで美味さが増していれば! かなりの希望がある! だって、完熟だよ!? これ以上はない美味さ! 果物の限界!
マシの実……増し? 熟せば熟すほど、美味さが増す?
あっ、そういうことね。分かった。完璧に理解した。この果物がギリギリ腐らなかったのは、完熟を維持していたのは、全て僕のため。
僕に果物の真の美味さを教えるべく、神に導かれし必然。
「そういえば、完熟した果物なんて……食べてないっ! この世界で、まだ食べたことがない! そうか。ずっと足りなかったピースは、熟成だったのか――!!」
天啓。まさに天啓。雷に打たれた気分。
恐る恐る、柔らかな果実を両手で持つ。確かに熟している。フワリと甘さが立ち込める。これだ。
世界は僕を見捨てていなかった! どれどれ。まずは一口。
――もきゅ
………
……
…
「ばよええええええええええええええええぇ!? んがぁ! へヴぇ!! ボブルッ! おじゃ……マッズ!! 一段と不味いッ!! 完熟詐欺――!! ああっ、騙されたっ! 常識的に考えて! 腐りかけが美味いなんておかしいよね!? だって、腐りかけなんだからァ!! 今までの常識なぞ通用しない世界ッ! があ……!? 果肉が柔らか過ぎて背脂や! なのに甘酸っぱい! どんな青春よりも甘酸っぱい! レモンなんて目じゃねえ! お酢とみりんの直飲み――!! おっふ! なんぞこれ! 成分調整ミス!? お前は調味料を吸って育ったのか! がへっ! どこからともなく不味さが次々降ってくるぅ! 此れ即ち、不味さの16連鎖ッ!! 対戦ありがとうございましたァ――!!」
今日も外見と味のギャップに戸惑いながら、僕は目を白黒させるしかなかった。
「ありゃあ……これもダメですかぁ。うーん。ちょっとキツめの甘酸っぱさが絶妙なんですけどねぇ」
「多分だけど。君のちょっとキツめは、僕の死ぬほどキツめ! おぼぉ……何がマシって、食べずに餓死するよりはマシ!!」
「えぇー? そんなにですかぁ?」
「のわぁ……半分しか食べれない……ごちそうさま。あとは任せた」
「はーい、喜んでっ!」
もりもりと嬉しそうに食べるクリム。食べながら、うんうん唸ってる。
お化けとか、侵入者とか、そんなことで騒いでいたのが嘘みたい――
「あれっ? クリム、一つだけいい?」
「うえっ!? やっぱり一つ食べるんですかぁ!?」
「違う違う! 言い方が不味かった。一つだけ聞いていい?」
「なーんだ。それで、どうかしましたぁ? へっ?」
瞬間、クリムも僕の異変を察知したようだ。
きっと、恐ろしいものでも見たかのような顔をしているのだろう。鏡で確認しなきゃ、何とも言えないが。
「僕たちは、二人で家に入ったよね? 僕が前で、クリムが後ろで」
「ん? とーぜんですよ」
「あの時は必死だったから、気にしなかったけど……僕の記憶が正しければ、ドアを閉めなかった気がするんだよね。いや、クリムはドアを閉めた?」
「うえっ? 閉めてませんねぇ。それが、どうかしたんですか?」
「あれ……」
ゆっくりと、僕はドアの方を指差す。
クリムもその先を視線で追う。
「……気付いた? ドアが、閉まってる――」
………
……
…
「建て付けが悪くて、勝手に閉まっちゃうんですよ。ここは木のお家ですからね」
「焦ったぁ~!!」




