25.ドチャクソ不味い
ぐるぐる、ぐるぐる、世界が回る。
パレットに落とした水彩絵の具が混ざるように、グニャグニャと景色が歪む。自分がどうやって立っているのかも分からない。ただ混然とした空間にポツンと一人。
これは……夢だな。
まぁ、あれだけクッソ不味いものを食べれば、変な夢だって見る。順当な結果。
そう思った矢先、どこからともなく声が聞こえてきた。
――あ……聞こえ……か……
「誰っ!?」
自分の夢だと分かっているのに、思わずビクッとしてしまう。とっさに辺りを見回せど、誰もいない。
それでも謎の声は止むことなく、途切れ途切れで僕の耳に届く。
――ぐる……目覚め……す……
「えっ? 何だって?」
こっちの声は聞こえないのか? あぁ、魔石のせいか。そう思って首元に手をやるが、何もない。魔石どころか、首輪もない! 一晩で無くすなんて……多分、クリムに怒られる。
って、夢か! さっき自分で断定したじゃん!
今の僕は、異世界に来た時の格好。一周回って、こっちの方がセンスない気がしてきた。
――ぐるめさん……目覚めの時間……
「目覚め?」
朦朧とした頭が、徐々にはっきりと――
☠
「グルメさん! お目覚めの時間ですよぉ!」
聞き覚えのある溌剌とした声に、僕の意識は呼び起こされた。
「……クリム?」
「当ったり前じゃないですかぁ~! もしかして、まーた記憶を無くしちゃったんですかぁ? グルメさん! あなたの名前は、グルメさんっ!」
「……いや、大丈夫。それは……覚えてる……ぐぅ」
「うえっ!? なーんで、この流れで寝ちゃうんですかぁ~!?」
どうして二度寝を決め込んだのか。その答えは至極簡単。
まだ暗いから。窓の外、真っ暗。太陽の「た」の字も出てないよ。
絶対に起きる時間じゃないって。深夜でないにしても……早朝? 朝4時くらい? さすがに眠い。全身が起きることを拒否している。
そもそも、クリムがこんなに元気なのは何故? 徹夜でもしていたのか? 徹夜明けのテンション?
そんな取り留めのないことを脳内でぐるぐる掻き回しているうちに、再びあの夢の中へ、ゆっくりと意識が……。
「起きてくださいぃ~! お目覚めの時間ですよぉ~!」
「……ちょっと、うるさいから……静かにして……」
「ワザとうるさくしてるんですぅ!」
「うーん……あと2時間……」
「そんなに待ったら、朝になっちゃいますよぉ!」
何が何でも、クリムは僕を起こしたいらしい。ただ、タイミングが悪かった。今がちょうど、僕の眠りの一番深い時間帯。あらゆる思考回路が、外界の一切を無視して眠れと指令を出している。
クリムは遂にボコボコと僕の頭を叩き始めた。こちらも必死に布団を被って抵抗。不用意に腕を取られて、関節だけは極められないように十分警戒しながら。
「むぅ~……そっちがその気なら、こっちもこの気ですっ!」
「……ん?」
謎の捨てゼリフを吐いて、クリムはドタドタと部屋から出ていった。
やれやれ。やっと安眠できる。
まどろみに誘われるがままに、僕は惰眠を貪り続ける。
――グルメさん……グルメさん……
――うえぇ……全然起きない……
――もぉー……知りませんからねぇー……
――ポイッ
………
……
…
「ヴォゲエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエェ!? ベばッ! ノガルテッ!! みゃおおおぉ!? ガべしッ! マッッッズ!! ドチャクソ不味いッ!! な に ご と か ! ? 空襲か!? オッゲ……口の中に空襲を受けたァ!! なっ、何をしただァ――!? バッハぁ! 不味すぎて! 不味いの概念が生まれ変わるゥ! 一周回ってドチャクソ不味いッ!! ズバッと全身を駆け抜ける鋭い痛みが! 吐くほどに狂おしい個性的なクセのある不味さが! こりゃあ! ハ ー ブ の 類 か な ? ? ごが……確信が持てないっ! とにかく草である! モサッとした得体の知れない草ァ!! 100万年生きたペパーミント――!! 奴らが攻めてきた! 舌の上に一部の隙なく絨毯爆撃を仕掛けてきたッ! 舌の根から侵略されるぅ~!! この味が! 不味いと僕が言ったから! 今日はマズイ記念日ィ!!」
我が人生において、間違いなく最悪の目覚め。最悪だぁ……。
「ふふっ。無事に起きましたねぇ~」
「おぼぉ……殺す気か――!!」
「大丈夫ですよぉ。これくらいじゃ、グルメさんは死にませんっ!」
「死ななきゃ何をしてもいい訳じゃないからね!?」
確かに、目は覚めた。完全にパッチリ。二度寝は物理的に不可能。あぁ、怖ろしい……どんな目覚まし時計よりも怖ろしいシステム……。
断言しよう。次回からは絶対にパッと起きる。
「という訳で、おはようございますっ!」
「はい。おはようございます……おうえぇ……」
「グルメさんは、今日も平常運転ですねぇ」
「はぁ……クリム。一体何を、僕の口に……入れたの……?」
「えっとぉ、エルフの間でも使われている、噛むとスッキリする眠気覚ましの植物です!」
「あぁ、そういうの……あるんだ……」
クリムが手に持ってぶらぶら揺らしているのは、異様に茎が太いペンペン草みたいな植物。なかなか噛み応えがありそうだ。口に入った瞬間、無意識に噛んでしまったのか。
「で、それの名前は……いや、当てる。メザマシ草?」
「ざんねーん。メガサメ草でーす」
「なるほど。目が覚めそう」
ふぅ、と一段落したところで。
大いなる疑問が頭をよぎる。最初からおかしいと思っていたけれど。今の今まで、それどころじゃなかったから。
小さなランプの灯りに、ぼんやりと照らされたクリムの輪郭に顔を向けて。問い掛ける。
「ねぇ、本当に起きる時間なの? まだ真っ暗だよ?」
「もちろんですっ! だって、今日はお仕事ですからねぇ。早起きしなきゃ」
「……そういうことは、先に言って?」
「うえっ? 聞いてなかったんですかぁ」
「うーん……多分、言ってない」
「えへへー」
えへへー、で全てを済ませてしまう。いや、クリムだから済んでしまう。底抜けに明るい彼女の特権なのだろう。だって、僕がえへへーって言っても……済まされないよね。
「待って。クリムは、その……よく起きれたね」
「もぉー! バカにしないでくださーい! 私だって、起きようと思えば起きれるんですぅー!」
「仕事だと早起きできるタイプなのか。羨ましい。えっ、仕事? 僕も一緒に行くの?」
「あれぇ? 私のお仕事を手伝いたいって、言ってませんでしたっけ……?」
「言ったけど。僕の記憶が正しければ、却下された」
確かあれは、クリムと出会って2日目の朝だった。
僕が仕事を手伝おうかって申し出たら、クリムは「無理無理~」とか、「グルメさんには無理ですよぉ」だの、「なーに、おかしなこと言ってるんですかぁ~」みたいなこと言ってなかったっけ?
絶対に言ってた。よく覚えてる。
あの時は、余りにもダメ人間でショックを受けたから。ただ、未だにダメ人間を抜け出せていない……。
だから、クリムの仕事を手伝うのだ!
「ほらほらぁ、早く着替えて出発しますよぉ~」
「了解。ちょっと待ってて」
「二度寝しちゃダメですよ?」
「しないしない。あれで目が覚めない奴はこの世にいない」
「それにしても、グルメさんテンション低いですねぇ。朝が苦手なんですか?」
「朝から不味いもの食べたから!!」
こうして、僕は異世界に来て4日目の爽やかな朝を迎えたのだった。
爽やかって何だっけ?
☠
着替えてリビングへ向かうと、二人分の話し声が耳に届いた。起きたのは僕が最後だったらしい。みんな早いな。
「大丈夫? 忘れ物はない? 何かあったら連絡しなさい? たまには顔を見せに帰ってくるのよ? いい?」
「問題ないって! おかーさんは心配性だなぁ」
「はぁ……心配でならないわ」
親が子供を心配してしまうのは、仕方ない。クリムだからって訳でなく。僕も分かる。親じゃないけど。
「おはようございます、カスタさん」
「あら、おはようございます」
「グルメさん、おっそーい! お寝坊さんですよぉ!」
「今日はね。明日は負けないよ」
快活にピョンと跳ねるクリムの背中には、黄緑色のリュックが背負われていた。ここへ来る時は、ほぼ手ぶらだったはずなのに。
実家へ帰省すると、行きよりも帰りの荷物の方が多くなる。異世界でも共通。
「それで、こっちがグルメさんのバッグですっ!」
「えっ? 僕の分のあるの?」
これまた自然味の溢れる青緑色のリュックサック。恐らく、準備してくれたのは……。
「もしかして、カスタさんが……?」
「はい。クリムと一緒にお仕事へ行かれるのでしょう? 途中で困ってしまうといけませんからね。勝手ながら、お荷物を詰めさせて頂きました」
「あっ……ありがとうございますっ! 何から何まで至れりつくせりで! 本当に、何と御礼を申し上げれば良いのか!」
「大したことではありません。お荷物の中身は、ちょっとした日用品に、食料を少々、それとグルメさんの着ていた衣服になります。もちろん、洗濯済みですよ」
「うおおおっ! 綺麗になってるー! 感激ですっ! この御恩は決して忘れません!」
「ふふっ。大袈裟ですね。それと、着ている服も差し上げます」
「いいんですかっ! 助かります!」
シミ一つない洋服を広げて仰天する僕に、カスタは優しく微笑む。
会って間もない人間に、ここまでしてくれるエルフがいる!? 他種族だよ? 僕は村の部外者なのに……クリムもカスタも女神様に見えてきた。
僕が荷物を漁っている間に、二人は何やら話し込み始めた。
「そういえば、服で思い出しました。クリム、ちょっと来なさい」
「私? ええっとぉ……何かしたっけ……?」
「あなたの服がね。その、一枚足りないみたいなんだけど……」
ごにょごにょと内緒話。僕を差し置いて。いや、僕が立ち入ったらいけない領域なのだろう。めっちゃ気になるけど。
直後、クリムの盛大な叫び声が。
「うえっ!? ちゃんと履いてきたよぉ~!!」
「そう。おかしいわねぇ。無くなるものではないけれど」
察するに、何かが足りないようだ。
泥棒でもいたのか? 人の物を勝手に盗むなんて。けしからん奴だな。
……待て待て待て。雲行きが怪しくなってきたぞ。
「じーっ」
「クリム、どうかしたの? 僕の顔に何か付いてる?」
「怪しい……」
「いやいやいや。怪しくない。怪しくないよ」
「でも、怪しい人はみんなそう言いますよねぇ……」
「怪しくない人も言うけどね!」
おおう。尋常でない疑いの眼差し。気持ちは分かるけど。身に覚えのない罪で疑われては、堪ったものじゃない。
第一、こんなに良くしてもらって! 勝手に人の物を盗む訳がないじゃん!
ちなみに、僕を疑っているのはクリムだけのようだ。カスタからは信頼されていて良かった……。
「グルメさん? 正直に吐くなら今の内ですよぉ?」
「吐くもなにも、吐くものがないから! 何を吐けばいいの!?」
「むぅ~。いつも散々、吐いてる癖にぃ~」
「最近はあんまり吐いてないって!!」
スライムとか、ゲチョリ川とか、マイコニドとか、この世界に来て序盤は吐いちゃったけど! ちゃんとした料理とか食べ物は、なるべく吐かずに頑張って……あっ! 今朝のはさすがに吐いた!!
「むむむ……飽くまでしらばっくれる気ですか。じゃあ、致し方ありませんねぇ……」
「ちょっと、クリム。何が始まるの……目が怖いよ?」
「何が始まるってぇ? そりゃあ、決まっているでしょう?」
「ゴクリ……」
「グルメさんを、生ポペンの刑に処すっ!」
「ごめんなさい。それだけは、マジで勘弁してください」
「こら、クリムっ! やめなさい!」
「はぁい」
ただただ不味い刑ならば、そこそこ耐えられる自信はあるけれど。
生ポペンの刑だけは! 絶対に無理っ! 奴は別格! 言うなれば、延々と続く生き地獄――!!
かゆみは一瞬で終わらないから。しかし、不味さにはピークがある。そこを過ぎれば、少し鈍ったクッソ不味い後味だけで済む。いや、不味いんだけど! 後味もクッソ不味いんだけど!!
「クリム。証拠もないのに、グルメさんを疑ったらダメでしょう? それにしても、どこへ行ったのか……あら?」
何ということか! カスタもじーっと僕を見始めた!?
違う。僕じゃない。僕の後ろ……?
「失礼ですが、グルメさん。その、首の後ろにかけているのは……」
「えっ? フードです。着替えに混ざっていたので」
「あのですね。少々、言いにくいのですが……」
「もしや、フードではない――!?」
ここまできて、遂に僕も察した。
今の今までフードだと思っていたけど!
多分これは! フードではない――!! その確率99.8パーセント!!
「うえっ!? ちょっと貸してっ!」
紐のように首に巻いてあった結び目をほどき、クリムがそれをひったくる。そして、恐る恐る裏返すと……。
「あああああああああああぁ!! こんなところにあったぁ!!」
「ええええっ!? これが、そうなの!? 例のアレなの!? あっ、そういえば! 変な布だとは思ってたァ!! ごめんっ! 知らなかった!」
「やっぱり! グルメさんが盗ったんじゃないですかぁ!!」
「待って! 誤解だって! 逆に聞くけど、気付かなかったの!? 昨日もずっと着てたよ!?」
「うええええええええええええぇ!? この格好で街を歩いちゃったんですかぁ!? 嘘でしょう! グルメさんの変態っ! 人でなしっ! 下着泥棒っ!!」
「 下 着 泥 棒 ! ? ! ? 」
遂にペットの枠を脱した! 否、格下げされた――!!
クリムは鬼のように怒り始めた。ならば、カスタに助けを……あっ、無理そう。詰んだ。
「どぉーするんですかぁ!? もう恥ずかしくて街を歩けませんー!!」
「いや、誰も気付いてなかったからセーフ! じゃなくて! 本当に知らなかったんだって! お願いだから信じてくださいっ! 痛っ! ボディはやめて! 的確に胃を狙わないで! オゲッ! 別のものが! 別のもの吐いちゃうからああああぁ!! ごめんなさあああああああああああああぁい!!」
こんなことになるなんて! 最初から聞いとけばよかった!!
もう4日目だけど! 異世界で生きるのって大変――!!




