23.紛れもなく不味い
ミキサが神殿と言ってたから、てっきり巨大な木造建築を想像していたんだけど……全く違った。いや、木造だが。いい意味で期待を裏切られた。
「これが神殿!? 本当に、これが?」
「はいっ! まさに神秘的な場所でしょう?」
「ふぇー……いつ見てもおっきいですねぇ~」
巨大樹。
天高く伸びた、一本の巨大樹。
改めて実感する。ここは異世界なのだと。
「そういえば、森へ入る前に何か見えたような……? 全然気にしてなかった。まさか、こんなものが生えてるなんて――」
思わず、言葉を失ってしまう。
人間はガチで驚いた時。驚き過ぎて、逆にリアクションが薄くなる。今回はそのパターン。
だって、考えてもみてよ。森のダンジョンを歩いていたら、突然! 前方に謎の壁がズドン! 最初は山かと思ったけど、よくよく見れば巨大樹! こんな木がある!? 呆気に取られて、驚くタイミングを完全に逃した。
「……で、幹の根元に開いてる穴が入り口って訳か。巨大樹を丸ごと使って、神殿に仕立て上げちゃうとは。人間の大工もビックリだよ」
やることのスケールがデカイ。これと比べたら、僕が何かを食べて「不味い!」って叫んでることすら、ちっぽけに感じてしまう。全然、大した悩みじゃなかった。
「では、参りましょう! 中を見たら、もーっと驚きますよっ!」
「もっと驚くの? そりゃあ、楽しみだなぁ……行こう!」
「うえっ!? 待ってくださ~い! まだ食べてる途中ですぅ~!」
僕たちは三人並んで、薄暗い穴の中へと突き進む。
☠
かつて、数百万年前の人類は洞穴で生活していたらしいが、最近はそんなこともない。現代社会では、洞穴に入る機会すらめっきり少なくなってしまった。
こういう穴の中は、鍾乳洞みたいに音が響くと思い込んでいたけど……。
「あー! あー! スゴイ……音が響かない!」
「グルメ様、魔石が作動中ですよっ」
「あ、そっか。じゃあ、手で覆って……あぁ~! ほら、やっぱり響かないじゃん! 洞窟なのに! 多分、木だから! 壁がぜーんぶ、天然の木だから!」
神殿へ入って、まず最初に気付いたこと。
音の聞こえ方が不思議なのだ。なんと説明すれば良いのだろう……くぐもった音があちこちから聞こえてくる。なのに、ほとんど音が反響しない。
もう、こればかりは! 実際に体験してもらうしかない! 近所に巨大樹があったら、是非とも中に入ってみて欲しい!
すると、何を思ったのか。クリムまで僕の真似をし始めた。
「あぁー! あぁー! おおっ、ホントに響かないですねぇ~」
「がああああああああああああっ!? 急に耳元で叫ばないでぇ――!? 例え音が響かなくても! 直にだと脳に響くっ!!」
「グルメさんの叫びも響かなーい。スゴーイ」
「感心してる場合!?」
さすがクリムとしか言いようがない。僕は耳をキーンとさせながら、狭い通路をさらに奥へと進む。凸凹していて足場は悪いが、壁に吊り下がったランプが十分に明るく照らしてくれる。ツンとカビ臭さが鼻を突き、ジメッとした空気が肌を撫でる。
行き交う人と擦れ違い、時には道を譲り譲られ、最終的に辿り着いたのは――とても広い空間だった。
「えっ、外……? じゃないよね……待って待って! えええぇー!? 樹の中なのに! どんだけ広いのさぁ!? しかも、めっちゃ明るい! えっ、雪!? 嘘ォ! マジかよォ!!」
「ですから、言いましたよね! もっと驚くって!」
これを幻想的な世界と言わずして! 何と言うか――!!
光が降り注いでいる。比喩じゃない。本当に。光の粒が、雪のように空間を揺らめいているのだ。
「な、ななな、何なのっ!? どういうこと!?」
「ご説明しますっ! 残念ながら、雪ではありません。胞子です」
「胞子……? つまり、キノコとかの?」
「キノコではなく、苔ですね。ほら、上の方を見てください。壁一面にビッシリ、光っているものがあるでしょう? あそこに苔が群生しているんです。ピカピカ光る苔なので、ピカリゴケと呼ばれていますっ!」
「ピカリゴケ!? ちょっと惜しい! えっ、本体だけ光るタイプじゃなくて、胞子まで光るタイプなのか。なかなか面白い奴だ。ところで、胞子は吸っても大丈夫なの……?」
これだけ胞子が舞っていたら、絶対に吸っちゃう。いや、もう吸ってる。手遅れ。あとは無害であれと祈ることしかできない。
「大丈夫です! 今のところ、健康被害は出ていないので」
「ええぇ……まぁ、確かに信頼できる情報だけど。もっと科学的な側面からアプローチして欲しかった。それにしても、綺麗だ……」
「ふっふっふ。もちろん、綺麗に決まっていますよ! だって、みんなのデートスポットに使われるくらいですからっ! あっ――!! つまり……これって……完全にデート……!? ま、まだ……告白なんて……心の準備が……ぐへへ……」
「おーい。戻ってこーい」
ダメだ。こうなると、しばらく戻って来ない。それがミキサらしいと言えば、ミキサらしいんだけど。
ここは巨大樹の内側なのに、天を仰げば夜空。否、天井が見えないのだ。吹き抜けなんてレベルじゃない。人力で掘ったのではなく、自然にできた空洞だろう。どんなに目を凝らしても、暗闇にしか見えぬほど高い天井。
そこにピカリゴケが点々と貼り付いてるもんだから、まるで満点の星々が煌めく夜空。落ちてきた光の精を、そっと優しく手の平に乗せる。まだ光っている。ふーっと息を吹き掛けると、再び元気を取り戻して、ゆらゆら飛び立っていく。その向こうには、存在感を放って鎮座する女神像。柔和な表情で、人々を見守っている。
未だに信じられない。こんな世界があるなんて。まさしく絵本に閉じ込められた気分。柄でもないのに、自然と感極まってしまう。
「うえっ? グルメさん、泣いているんですかぁ? 不味いもの食べ過ぎて、お腹が痛くなっちゃったんですかねぇ……? よしよーし。痛くない、痛くなーい」
「……いやいや、違うから。撫でないでいいって」
「あっ、分かった! 感動しちゃったんですねっ! ほらぁ、私の言った通りじゃないですかぁ~」
「どういうこと?」
「覚えてないんですか? この調子だと、奥まで入ったら大号泣って」
「あぁ、言ってた。確かに言ってた。でも、大号泣してないよね? よく覚えてるな……肝心なことは忘れるのに、変なことだけ覚えてる」
「失礼なぁ! バカにしないでください~!」
「ごめんごめん」
最近、クリムが本気で怒ってるかどうか、ちょっとだけ分かるようになった気がする。
さてと! いつまでも感動している訳にはいかない。道の真ん中でずっと突っ立ってたら邪魔だし、ここへ来たのはとある目的を果たすためなのだ。
僕たちは思い思いに戯れる人々の隙間を潜り抜けて、目的地の方へと突き進む。人が多いだけではない。まさか、神殿の内部にまで出店が広がっているとは。神聖な場所じゃないのか……?
「グルメさん、見てくださいっ! あれですよ! ほら、魔法で操られたお人形さんっ!」
「えっ……? あー、クリム。多分だけど。あの動きは、細い糸で操ってると思う」
「うえっ!?」
程なくして、到着した。
本日の旅の最終目的地。女神像の前へ。
彼女がラー・メーン様。別にラーメン屋の店主っぽくない。乳白色の岩を彫って造られた石像。飽くまで僕のイメージだが、ギリシャとかに置いてありそう。
そして――神様に祈願する。
次こそ美味いものが食べれるように!
「もっと長蛇の列を覚悟してたけど、そんなに並んでないね」
「はいっ! 神様にお祈りするだけですから。ささっと終わりますよ。それでは、私たちの番ですっ! こうやって……両手を合わせて、心の中でお願いして、一礼」
「普通だ」
「願い事は口に出しちゃダメですよ。効果が薄れちゃいますから。神様だけに伝えること。クリム、分かった?」
「もっちろーん! 分かってるよぉ~! ミキサちゃんは心配性だなぁ」
「アンタが一番心配なのっ!」
三人で一列に並んで、各々が願い事を思い浮かべる。
(どうか美味いものが食べれますように!)
(グルメ様と私に幸せな未来が訪れることを願いますっ!)
(うーん……明日も美味しいものが食べたいですねぇ……)
数秒ほど経って、ミキサが最初に口を開いた。
「どうですか? 無事にお祈りできましたか?」
「ばっちり。クリムは?」
「できましたよぉ~。完璧ですぅ~!」
「じゃあ、行きましょう!」
あっという間に終わった。これだけでいいのか。本当に、願い事を心の中で唱えただけ。
聞いてくれた? 女神様、ちゃんと聞いてくれた? 僕が願ったのは、美味いものだからね! 不味いものじゃないよ? どうか、美味いもの! お願いしますよ! 切実に!!
あとは三人で綺麗な景色を十分に堪能したら――今日のスケジュールは全て終了。気を付けて家に帰るだけ。
何故だろう。少しだけ寂しい気分。帰りたくないというか……みんなで遊んだ楽しさに比例して、帰り道も寂しくなる。クリムも、ミキサも、さっきまでとは打って変わって、ちょっと浮かない表情。
そのまま、僕たちは家路へと歩き出す。
「……今日は一日、色々あったけど。不味いものも沢山食べたけど。とっても楽しかった! 二人のお陰だよ! ありがとう! 大切な思い出の1ページとして、僕は今日という日を! 絶対に忘れない!」
「ふふっ。私だって、楽しかったですよぉ~! こんなに遊んだのは久々ですっ! 最初は遊ぶ予定じゃなかったけどぉ。ミキサちゃんに会えて良かったぁ~。ありがとねっ!」
「……嫌。アタシ、帰りたくないっ! このままずっと遊んでたいっ! 無理なのは分かってるけど! ねぇ、いいでしょ!? もっと一緒にいよう! だって、グルメ様とお別れしたくないぃ~!!」
こんなミキサは初めて見た。ぐずる子供のように、今にも泣き出しそう。
それほど楽しい一日だったのだ。別れが辛くなるほどに。
「ミキサちゃん……」
「ズルイよぉ……クリムだけズルイ……!! ねぇ、アタシに頂戴よっ!」
「うえっ!? ダメでーす! あげませーん! ペットを監視下に置いておくのが主人の務めですぅ~!!」
「いいじゃん! 一日くらいっ!」
「貸したら返って来ない気がするからダメ~!」
あっ、この流れは不味い。両腕を引っ張られる未来が見えた。それだけは回避せねば。
思わず、言い合う二人の間に割って入る。居ても立ってもいられず、飛び込んでしまったが……さて、どうしたら良いものか。
「グルメさんっ! 分からず屋のミキサちゃんに言っちゃってくださいよぉ! 誰が本当の御主人様か、教えてやるんですっ!」
「だから、なんで喧嘩腰なの……? しかも、なんか小物臭い。強い用心棒を雇った人のセリフっぽい。じゃなくて! クリム、少しだけ黙っててくれない?」
「うえっ!? グルメさんまで、ミキサちゃんの味方をするんですかぁ……?」
「大丈夫。あの時の約束は破らない。だから――今だけは僕を信じて」
「……分かりました。信じますっ!」
クリムは素直に口をつぐんでくれた。
改めてミキサの方を向き直れば、完全に拗ねた顔。説得は難しそうだ。それでも、やらねばならぬ。本当に楽しい一日だったから。最後の最後で台無しにしたくない。みんなの心の中でも最高の想い出として、ずっとずっと残って欲しい。
そして何より、僕のせいでクリムとミキサの友情が壊れるなんて! 絶対に嫌だ!
「ふんっ! いつもいつも……クリムばっかりチヤホヤされて……いっつも、そう! 不幸をおっ被るのは! 真面目に努力して生きてる方! 不公平じゃない! あなたは違うでしょ? 我慢しなさい? アタシだって、我がままの一つや二つくらい言いたいのっ! もう、我慢ばっかりなのは――そんな理由で諦めんのは、うんざりっ!!」
「……ミキサ、聞いて。僕の話を聞いて」
「ぐすっ……グルメ様ぁ~!!」
目に涙を湛えて、彼女は僕に顔を向けた。
何ができる……今の僕に何ができる……?
「ミキサ。寂しいのも、辛いのも分かる。例え望んでなくても、別れの時間はやってくる。人生って、上手くいかないことばっかりだから……だって、見てきたよね? 今日一日、僕のことを。あれだけ食べて! 一つも美味くないっ! 全部全部不味いっ! こんなことある!? みんな美味そうに食べてるのに――!!」
「あっ……」
「安心して。不幸なのは君だけじゃない。もっとヤバイ奴が、すぐ目の前にいるっ! だけど、僕は諦めない! いつか美味いものを食べる、その日まで。どれだけ不味い食べ物にぶち当たっても、二度と折れない! 未来を信じて食べ続けるっ!! 僕のことを応援してくれる、二人のためにも」
ふっと、ミキサの表情が変わる。泣きそうな彼女は、既にどこにもいなくなっていた。何かに気付けたようだ。大切なことに。
「……ごめんなさい。私ばっかり、我がまま言って……」
「いやいやいや! 別に一つも我がまま言っちゃダメなんて、言ってないからね? むしろ、言える立場じゃない! 僕が我がままだから! 何を食べても不味い不味いって! もっと美味いものが食べたいって! これこそが、究極の我がまま!!」
「ぷっ……」
「はぁ、やっと笑ってくれた。やっぱり泣き顔より笑顔の方が似合う。それに、別れが辛くても……またすぐ会える。いや、会わなきゃならない。だって、ミキサは言ってたよね? 思わず美味いって叫ぶくらい、美味いものをアタシが食べさせてやる――!!」
「言いましたけどっ! あれは、その場の勢いというか……改めて掘り返されると、ううぅ……ちょっと恥ずかしいです……」
照れ隠しのつもりか、ミキサはそっぽを向いてしまう。だけど、ちょっぴり嬉しいみたい。耳がぴょこりと動いたのが、何よりの証拠。
しかし、僕もまぁ……臆面もなく恥ずかしいセリフを言えたものだ。なんか、物語の主人公みたいなこと言ってなかった? そんなキャラじゃないのに。何を食べても不味いと絶叫する主人公。うーん……異世界ファンタジーとしては致命的。
「何はともあれ。円満に解決して、めでたしめでたしっ!」
「ありがとうございます。私なんかのために……」
「そんなに卑下しないで。誰もが持ちつ持たれつなんでしょ? 困った時はお互い様っ! それに、ミキサにはこれから頑張ってもらわないと。僕がA級エリアへ侵入するために!」
「……へへっ。お任せくださいっ! きっと成し遂げてみせます! あと、私だって諦めませんから! グルメ様のこと、いつか私のものにしてみせますっ!!」
「ん……? まぁ、いっか。じゃあ、クリムと仲直りしてね」
「はいっ! クリムっ! 酷いこと言っちゃって、ごめん! ……あれっ?」
「――え?」
やっと異変に気付いた。
道理で静かだと思ったら……いなかった。
とっさに二人で周囲をキョロキョロ見回すが、見当たらない。どこにも、どこにもいない――!? さっきまでここにいたのに!? 嘘でしょ!? いや、僕を信じてくれたのは有り難いけど! ふらっと、勝手にどっか行っちゃうなんて!!
「クリムっ! クリムっ! マジかよ!? はっ、はぐれた……この人混みの中で……!! 僕は! どうやって帰ればいいんだあああぁ!?」
「えっと、うちに泊まります? 私は……そのっ……別に、良いですよ」
「いや、探そう! 心配だから!!」
☠
ミキサと二手に分かれてクリムを探す羽目になった。いい感じの雰囲気が完全にぶち壊し! 全然円満じゃないよ!!
早くクリムを見付けないと! しかし、こんなに広いのにどうやって探せば……おまけに少々薄暗いし、声も響かないときた。
探す当ては――ある。彼女がふらっと行きそうな場所。そう、屋台! まだ買ってない食べ物の屋台っ! そこを順番に見ていけば、きっと発見できるはず!
僕の予想は、的中した。
とある屋台の前で呆然と立ち尽くす、見覚えのある姿。
「いたっ! おーいっ! クリム~! 返事をして~! あっ、魔石が起動中だったァ! なーんか、おかしいと思ったんだよ!!」
仕方なく、彼女の元までダッシュで駆け寄る。
その時。
思わぬ一言が耳に届いた。うっかり届いてしまった。
「おとーさん……」
少し悲しげに、今にも消え入りそうな声で。クリムは確かに呟いた。
果たして。ここから先は、僕が踏み込んでいい領域なのか――
自問自答しつつも、彼女を見過ごす訳にはいかない。だって、やっと見付けたんだから! 意を決して、クリムの肩に手を掛ける。
「クリムっ! 見付けたっ!」
「うえっ!? あっ、なんだぁ……グルメさん。もぉー! どこに行っちゃってたんですかぁ~!? 探しましたよぉ! ミキサちゃんも一緒にはぐれちゃって、困りものですねぇ~! 全くぅ」
「それ全部こっちのセリフ!!」
はぐれたのは! どう考えてもそっちだから! 責任転嫁しないで!
はぁ……メッチャ焦った。僕一人じゃ絶対に帰れないもん。
こんなことなら、もげる覚悟で手を繋いでおくべきだった、いや、首輪にリードを付けておくべきだった。僕がはぐれるんじゃなくて、クリムがはぐれちゃうから!!
「で、何を見てたの? あの屋台? もしかして、まだ食べる気?」
「うーん……食べられなくはないんですけれどぉ……」
「本当によく食べるね、クリムは。まぁ、そこが良いところなんだけど」
「――えっ?」
彼女はパッと目を見開き、驚いた表情をする。まるで、幽霊でも見たかのような。
「ん、どうかしたの?」
「あっ、いやぁ……なんか、おとーさんみたいだなーって。そうですねぇ……むかーし、似たようなことを言われたんですよぉ……」
「その、辛い思い出だったら申し訳ないんだけど。クリムのお父さんって――」
「違いますよぉ~! おとーさんはですねぇ。私が小さい頃に旅へ出ちゃったんです。やることがあるって。でも、それっきり。お手紙も届かない」
「ごめん……」
「もぉー、大丈夫ですっ! 行方が分からないだけですからぁ! きっとどこかで元気にしてますってぇ~!」
「――そうだね。だって、クリムのお父さんだもんね」
「うえっ!? それ、どーいう意味ですかぁ~!?」
少々しんみりした雰囲気になっちゃったけど。とりあえず、いつものクリムに戻ったみたいだ。無理に明るく振る舞ってないと信じたい。
あとはミキサと合流すれば――
「あ。もしかして、あの屋台で売ってる食べ物を、お父さんに買ってもらってたの?」
「おおっ、鋭いですねぇ。この季節になると、お祭りへ行く度に……買って買ってとおねだりしたものです。良い子にしていれば買ってくれました。だけど、いつも決まって半分こ。美味しいものは、分け合って食べた方がもっと美味しいって……うえぇ……おとーさぁん……」
……ダメだ。このままじゃ、僕まで釣られて泣きそうになってしまう。そうじゃないだろ! しっかりしろ! 僕は何のためにここにいる!? クリムに恩返しするためじゃないか――!!
果たして、どうしてそんなことを口走ったのか。
思わず口を衝いて出てしまった。
「……食べよう」
「うえっ?」
「僕と一緒に、半分こして食べよう! クリムのお父さんの代わりには、なれないけど。食べ物を分かち合うことなら、僕にもできるから!」
コクリと、彼女は無言で頷いた。力強く。
それを見計らって、僕は屋台へと歩みを進める。
「おじさん! これ一個くださいっ!」
「あぁ、15オエーになるよ」
直後、気付いた。
勢いよく飛び出したはいいが――僕はお金を持ってない!
「……クリム。その……お金、貸して?」
「えええぇー!? しょうがないですねぇ~! グルメさんは!」
「面目ありません」
養ってもらっている上に、支払いはいつもクリム。完全にヒモじゃないか! いや、最初からペットだった!!
そうして、僕がおじさんから受け取ったのは……。
「えっ、氷? 薄黄色の、まるでレモン味のアイスみたいな……棒が2本刺さってる。ほら、あれじゃん! 真ん中でパキッと割れるタイプのアイスバー!」
「あいすばあ? 違いますよぉ。ほら、そこに書いてあるじゃないですかぁ~」
「ごめん。僕には読めない」
言葉は通じるけど、文字が読めないタイプの異世界だから! そういう世界、よくある。
「へっへーん。じゃあ、教えてあげましょう!」
「お願いします」
「あれはですねぇ、ヒヤリって読むんですよぉ」
「ヒヤリ」
何故だろう。とても失敗しそう。いや、失敗する直前……?
「ほら、貸してくださいっ! 綺麗に割るには、コツがあるんです! ん~、よいしょ! パキッ!」
「……いや、全然綺麗に割れてない! 片方めっちゃ小さいよ!!」
「あれぇ? おっかしいなぁ……グルメさんは小さい方で良いですよね?」
「もちろん」
全体の五分の一ほどの大きさになってしまったヒヤリを受け取り、ハッとする。
ほのかに漂ってきたのは、どこかで嗅いだことのある甘い香り。
僕は、これを知っている……? でも、思い出せない。一体どこで嗅いだのか。
まさか、この世界に来る前?
僕が異世界に来れたのだ。食材の一つや二つ、元の世界から流れ着いてもおかしくない。例えば、空間に裂け目が存在して、異世界と現実世界とを行ったり来たりできるとしたら。うん。十分に有り得る。
つまり、元の世界の食材で作られたアイスの可能性が――!!
「えへへー。これ大好物なんですよぉ。もう、お祭りの食べ物で一番大好きっ! 今回も売ってて良かったぁ~。そういえば、おとーさんも好きって言ってたっけ……どこかで元気にしてるかなぁ……?」
クリムは少し遠い目をしたかと思えば、次の瞬間にはあむっとかじる。からの、今日一番の笑顔! 彼女にとっても、これは極めて美味い部類に入るらしい。仮説に信憑性が増してきたぞ。
正確に表現するならば、アイスバーというよりも、棒の刺さったシャーベット。少しだけ透き通った黄色が、宝石の琥珀を連想させる。
白い霧のように、ひんやりとした空気がたなびく。棒を持つ僕の手を冷やす。とても心地良い。暑い季節にはピッタリの食べ物。徐々に融けてきたのか、表面からタラリと液体が溢れ出す。
ピチョン。雨音のように軽快な音色を奏で、キラキラと一滴、流れ落ちた。周りの幻想的な景色も相まって、ますます美味そう。光の精霊に祝福を受けた、魔法のアイス。そんな表現がピッタリ。
それら全てに目を奪われながら、僕は無意識に口へと運んでいた。
記憶を辿りながら――
――シャク
………
……
…
「ヴェアアアアアアアアアアアアアアアアァ!? ボゲェ! ゴボオオぉ!! ベバァ……バベルッ! ゑ!? マッズ!! 紛れもなく不味いッ!! 思い出したァ――!! この猛烈な雑味は! 全身に染み込む地獄の不味さは! 奴だ! 五臓六腑の暗殺者ッ!! 姿を変えて、二度も僕を殺しに来たねっ!? そう、コイツの正体はァ! 花の蜜を凍らせたアイス――!! ごっふ……あの時の甘い香りかぁ……!! 道理で知ってる訳じゃあああぁ! 相も変わらず甘くねえ! ってか、不味くね!? 分かち合ったが最後! 輝かしい思い出の1ページが不味さで上書きされるっ! 不味すぎて歴史が改竄されるレベルゥ!! 僕は今日という日を! 決して忘れないだろう――!! 逆に!! マズェ……」
全て僕の勘違いだった。
いや、確かに嗅いだことはあったけど! この世界に来てからだった! 不味さの衝撃で忘れてただけ!!
「あーあ。もう無くなっちゃったぁ……美味しいものって、すぐに無くなっちゃいますよねぇ……?」
「僕に、同意を、求めないで。のあああぁ……不味いものは、いつまでも残るぅ……」
「あれぇ? グルメさん、棒に何か書いてありますよぉ?」
「うええぇ……だから、僕には読めないんだって」
「んーと、おおっ! 当たりですっ! 初めて見ましたぁ! 当たりですよぉ~! 運が良いです! 当たりが出たらもう一本っ!」
「当たりが出たらもう一本!?」
二度では飽きたらず! 三度も殺しに来た!? 地獄の果てまで、執拗に僕を追い詰める気かァ!?
「スゴーイ! 早くもご利益がありましたねぇ」
「こんなご利益いらないっ!! 女神様! ちゃんとお願い聞いてた!? こんなこと願ってないよ! 何度も何度も、暗殺者を差し向けないで――!!」
「えっと、グルメさんは小さい方で良いですよね?」
「 い ら な い ! ! 」
もう、一杯一杯だから! これ以上はさすがの僕でも、分かち合えそうにない! だって、紛れもなく不味いから!!
「うえっ!? 一人で食べちゃっていいんですかぁ!」
「それでいいから。早くミキサと合流して、家に帰ろう!」
「はーいっ!」
こんな感じで、僕の初めてのお散歩は幕を閉じたのだった。うん。お散歩って何だっけ? とりあえず、無事に家へ帰れそうで良かった。
色々なことがあったけど、今日一日を一言で表すとしたら――不味い。
逆にスゴイよ、この世界。だって、最後まで不味さたっぷりだもん。
しかし、僕は気付いていなかった。仲良く家路につく僕らの様子を、陰から覗いていた一人の存在に。
「ひいっ!? あわ、あわわわ……くっ、クリムが……!? みっ、見ず知らずの男を! 男を連れて……楽しげに歩いてる――!? そっ、そんな……あっ、ショックで吐きそう。おげえええええええええええええええええぇ!! はっ、はぁ……ダメだ。もう、こうなったら――奴を消す」




