2.メチャ不味い
僕は飛ぶように森の中を駆けていた。
立ち並ぶ木々の隙間を潜り抜け、出せる限りのスピードで。
「はっ、はっ……はあっ……クソッ……」
枝からぶら下がって揺れる邪魔なツルを払いのけ。足下に絡まる見たこともない植物を引きちぎり。樹の幹に開いた穴や木陰から顔を覗かせ、物珍しげに目を輝かせるモンスターも意に介さず。
どうしてそんなに急いでいるのか。このままでは出会い頭に他の誰かとぶつかって、中身が入れ替わってもおかしくない。それくらいの速度。
急がねばならぬ理由がある――!!
ヤバイ奴に追われてる訳じゃない。だけど、事態はそれ以上に緊急を要する。
「はあっ、早く……今すぐにでも……口の中をすすぎたいっ!!」
まだ残ってる! あの不味さの権化とも言える最悪の味が! いつまでも口の中に居座り続けている!
美味い食べ物は、食べて少ししたら口の中からすっかり味が消え去るが!
不味い食べ物は! いつまでもいつまでも後を引く――!!
だから、全力で走っている。この不味さを打ち消すある物を探し求めて。
っていうか、そもそもの話。不用意だった。不用意に見知らぬ食べ物を口に入れるべきではなかった。もし、アレが猛毒だったら……確実に死んでた。せっかくの異世界を満喫することなく、第二の人生をリタイアしていた。
そう考えれば、不味かっただけで有り難いと思わなければ。
いや、有り難いとは思えないけど! だって、クッソ不味かったから!!
それに、スライムだって喜んで食べてたじゃないか! まぁ、人間の味覚とモンスターの味覚を比べている時点で、何かおかしい気もするけど……。
一つだけ学習した。この世界のスライムは、味音痴。もしくは、何でも喜んで食べるのだろう。まず『味覚』が存在するのかも怪しいぞ。
「って、うわっ!?」
さすがに急ぎ過ぎた。
草に足を取られて、盛大に転んでしまった。さらに運の悪いことに。異世界ではよくある光景だが――飛び込んだ先は絶妙な斜面。
「わあああああああああああぁ!? 最悪だああああああああああぁ!!」
どこまでも、どこまでも、僕は転がり続けていく。
異世界に来てから踏んだり蹴ったりじゃないか。この先、本当に大丈夫なのか……?
「……ぁああああああああああ!?」
――ベシャッ!
止まった。
平たい地面の上に、うつぶせの状態で。
……もう起き上がりたくない。しこたま打ち付けた全身が痛い。今は顔面が特に。柔らかい草の上だから、まだマシだったけど。
異世界に来て、早十分。
既に心が折れ掛けた。
クッソ不味い食べ物というのは! それほどまでに精神的ダメージを受けるのだ!! 心が落ち込む。気力を失くす。全てが嫌になる。
みんなだって、美味い食べ物で元気になるだろう。それとは真逆の効果――!!
あぁ、ダメだ……ピクリとも動けない。気分が乗らない。
うつぶせのまま、時間だけが過ぎていく――
……
静かだ。
風の声と、木々のざわめきと、変な鳴き声しか聞こえない。
大自然を全身で感じる。まるで、世界にたった一人だけ取り残されてしまったかのような。
耳を澄ませば、微かな音が――
――チョロチョロ……
「はっ!」
見付けた。
遂に――遂に見付けた! 探し求めていた物を!
瞬間。
その場から駆け出していた! なんか、さっきから走ってばっかだな!!
音を頼りに進んで、あっという間に目的地へ到着。
「すっ、スゲエ!! 透き通ってる……!!」
川である。
渓流、とでも呼ぶべきだろうか。苔むした岩に囲まれた、幅の狭い川。3メートルも無さそうだ。流れも穏やか。僕が何よりも驚いたのは、その透明度。川底まで、くっきり見えている!
都会では絶対に拝めない光景。ホタルが生息すると言われても、何らおかしくない。綺麗に澄み切った水流。木漏れ日を受けて、水面が輝いている。
今、この瞬間だけは。口の中の不味さを忘れていた――
「……やっとだ。やっと、口をすすげる! 口直しができる!!」
川辺にうずくまり、恐る恐る右手を水の中へ浸す。
あっ、冷たいっ! 照り付ける日差しとは対照的に、心地良い冷たさ。
きめ細やかな優しい感触が、そっと手の平を撫でる。
おもむろに両手で川の水を掬う。
綺麗だ。どんな宝石よりも綺麗だ。これが、大自然の生んだ結晶。
渓流独特の、落ち着き澄み切った空気を胸一杯に吸い込んで深呼吸。
安らかなせせらぎの音色に耳を楽しませながら。
喉を鳴らして、僕は一気に呑み込んだ。
――ゴキュッ
………
……
…
「ゲエエエエエエエエエエエエエェ!? ブホッ!! ぐえっ、がペっ! おァ……んべええッ! ぅおえぇ……!! マッッッズ!! メチャ不味いッ!! はあぁ!? なんでだよっ! 川の水が! どうして不味い――!! 冗談が過ぎるぞ! キレイな川の水が美味いのは定番ッ!! なにこの、泥水をじっくりコトコト煮詰めて! 上澄みの不味い部分だけを選りすぐって抽出したかのような! 手間暇惜しまぬこの不味さ――!! 得も言えぬ口当たりの嫌悪感! 今までに飲んだ不味い物ランキング! 断トツでお前がナンバーワンだよ!! もう、悪魔っ! 大自然が産み落とした悪魔ッ!! 俺が神なら! この川の水を干上がらせる――!! マジで……ウッソだろ……!! 口をすすぐどころか、相乗効果でさらに不味い……ペッ! ウエッ!」
河原をのた打ち回りながら。
腹の底から魂の雄叫びを上げるのだった。
あぁ、現実世界の美味い水道水が恋しい……。