17.誠に不味い
八百屋のおじさんにひたすら平謝りしながら、僕はクリムに次の場所へと引っ張られていく。
「はぁ……大丈夫かな。心配だ。八百屋さんの売り上げが」
「大丈夫に決まってますよぉ~。だって、あそこで売っているお野菜は美味しいって、みーんな知ってますからぁ」
「でも、お店の前で不味い不味いって騒いでたら、実は不味いのかなって……気になっちゃうでしょ?」
「どーしてですか?」
彼女は不思議そうに首を傾げて、僕の目を覗き込んだ。
どうして。そりゃあ、気になっちゃうから仕方ない。上手く説明できないけど。
「じゃあじゃあっ! 逆に聞きますけどぉ~? 自分がだーい好きな食べ物を、知らない誰かが不味い不味いって言い触らしているだけで、食べるのをやめます? やめないですよねぇ?」
「うーん……多分。絶対とは言い切れない」
「うえっ!? 自分の舌より、訳の分からない他人の評価を信じちゃうんですかぁ!?」
「残念ながら、その通り。人間って、そういう種族」
「ほえー、ふっしぎー」
なるほど。人間とエルフは外見的に似ていても、内面的には違うようだ。自分の意思が、他人の意見に左右されない。和して同ぜず。
もっとも、この世界の人間がどうなのかは断定できない。ただ、人間は人間だからなぁ……。
「そうそうっ! グルメさんも気になるお店があったら、言ってくださいね? 覗くだけなら、タダですからぁ」
「いやぁ、どれもこれも気になり過ぎて。遠巻きに眺めてるだけでも、お腹一杯」
「お昼もまだなのに、お腹一杯なんですか!? ご飯はいらないですかねぇ?」
「違う違う! そういう例えだから! 何があっても、お昼ご飯は食べるっ! どれだけ不味くとも!」
っていうか、さっきから寄り道ばっかりだな。今日中に目的地まで辿り着ければ良いんだけど……。
「あっ、グルメさん! 見てくださいっ! ほらぁ!」
「なになに?」
「ペット用の首輪が売ってますよぉ! あれとか、ピンク色で可愛いですねぇ」
「先を急ごう」
☠
商店街をうろうろして分かったけど、クリムって知り合いが多い。少なくとも、僕より多い。
行く先々のお店で声を掛けられたり、挨拶したり。小さい頃から、足しげく通っていたのだろうか。でも、どうしてだか。初めてのお使いにきた近所の子供を可愛がっているイメージが連想されてしまう。放っておくと危なっかしいから、見守っている感じ。
まぁ、分からなくもない。これもクリムの特権。
「ふぅ。やっと着きましたぁ」
「引き摺り回されて、疲れた。腕が痛い……って、ここ!? 初めての僕でも見覚えがある――!! 二、三回くらい素通りしたよね!?」
「えへへー」
こんな目立つ場所にあるのに……。商店街の中でも、一際大きな建物。外壁が植物で覆われながらも、ドシリと門を構えている。細かいことを言えば、少しオンボロな家屋。
「ここが集落の管理局ですっ! えっとぉ……色々と管理してる場所!」
「ふぅん。区役所みたいなものかな?」
「クヤクショ? 何ですかぁ、その美味しそうな名前?」
「美味そう!? どこがっ!?」
「いーからいーから。とっとと終わらせちゃいましょう。ごめんくださーいっ! ペット……じゃなくて。使い魔の登録に来ましたぁ~!」
クリムは躊躇なく中へ入って、透き通った声で叫ぶ。それにしても、声が通るなぁ。少しだけ羨ましい。
間を置かずに、奥からエルフのお姉さんが飛び出してきた。受付の人かな? ふんわりとした茶色のミディアムヘアー。毛先がクルリと丸まっている。服装は、全体的にシックな緑色。クリムの格好よりもカッチリしていて、動きにくそう。もしや、これがエルフにとっての正装? 現代人のスーツみたいな?
「はいっ! お待たせ致しました。本日は私が担当させて頂きます。窓口担当の『ミキサ』です――って、クリム!? あなた、クリムでしょ! 久し振り~!」
「うえっ? どちら様ですかぁ?」
「今、名前言ったじゃん! ミキサよ! ほら、学び舎で一緒だった!」
「……ああっ! ミキサちゃーん! おひさぁ~! 元気ぃ~?」
「もちろん、元気よ。あなたも相変わらずね」
相変わらず。つまり、クリムは昔からこうなのか……。
彼女が偶然にも旧友と再会したことは、とても喜ばしい。ただ、僕はちょっと気不味い――!! だって、相手と面識ないから! 知っているのはクリムだけ! この気持ち、何となく分かるでしょ!?
できることなら、そーっとこの場から立ち去りたい。
そう、今の僕は空気。空気なんだ。極限まで影の薄い存在。何人たりとも認識できぬ。
そんなことを考えながら息を潜めて立ち尽くしていると……気付かれた。遂に、初対面のお姉さんに気付かれてしまった。僕の方を見てハッとしてる。絶対に「誰、コイツ」って思ってるよ。どうにか取り繕おうと、精一杯のぎこちない笑顔で返してあげる。
瞬間!
ミキサはクリムの首にガッと右腕を回し、奥の方へと引き連れていく。からの、二人でひそひそと話し始めた。うわぁ……露骨。
内緒話のつもりだろうけど、内容は僕のところまで全部筒抜けなんだよなぁ……。二人とも声が通るから。
「クリム、クリム、ちょっと来なさい」
「ええっ? なになにぃ~?」
「しっ! 声が大きいっ! で……誰よ、あの爽やかイケメン。アンタの彼氏?」
「さわやかいけめん……? あぁ、グルメさんのことね~」
「グルメかどうかは、今の話と関係ないでしょ! 違う。アタシの質問に答えて。彼氏なの? 違うの?」
「みーんな、何を言っているんだろうねぇ? 彼氏な訳ないじゃーん」
「……紹介しなさいよ」
「うえっ?」
「アタシを、紹介しろって言ってんの……!! 分かるでしょ……!?」
「あっ、なーんだ。今日はグルメさんをここへ紹介しにきたんだよ?」
「紹介しにきたの――!? アタシに紹介してくれるの――!?」
「もっちろーん!」
「クリム……アンタと友達で良かったって、初めて思ったわ」
「うえっ!? それ、どーいう意味ぃ~!?」
おおう。不味いことになってるぞ……。
紹介の意味が違うから! クリムが言ってるのは、男としての紹介じゃなくて、ペットとしての紹介だから! 男として紹介されるのは、僕には荷が重い――!!
あと、やっぱりエルフの感性って人間と違うんだな。イケメンって初めて言われた。
そんな僕の気も知らずに。会話が筒抜けとも知らずに。
にこやかな笑みを浮かべて、二人が戻ってきた。
「じゃあ、紹介しますっ! まず、こちらが……私のお友達のミキサちゃん! エルフですっ!」
「エルフに決まってるでしょ。余計な一言を入れないっ。あの、初めまして。私、この管理局の窓口で働いている『ミキサ』と申します。趣味はお菓子作りです。どうぞ仲良くしてください」
「あれぇ? ミキサちゃん、別の人格が出ちゃった?」
「クリムっ!」
こんな時でも、クリムは平常運転。
そして、次は僕が紹介される番――!!
「それでぇ、こっちの子が……私のペットのグルメさん!」
「……待って。ペット? ごめん。アタシの聞き違いだったら、悪いんだけど。今、ペットって言わなかった?」
「そう言ったんだよぉ~」
「……ペットオオオオオオオオオォ!? アンタ、イケメンを家で飼って……? 羨ましいっ!!」
「ちなみに、人間ですっ!」
「人間ンンンンンンン!? 耳が! 尖ってないっ! 本物の人間っ!!」
うん。もう慣れた。
「僕は、クリムさんに命を助けて頂いた、人間です。グルメと名前を付けてもらいました。ペットとして扱われているのは……成り行きです」
さぞかし、幻滅したことだろう。いや、別に騙すつもりはなかったけど。ほら、見るからにショックを受けて呆然としてる。
「もしもーし? ミキサちゃん、大丈夫?」
「……いいわ」
「へっ?」
「もう、この際! 人間でも良いわっ!! 男なら――!!」
「うええええええっ!?」
幻滅してない――!? むしろ、やる気に満ち溢れてる――!!
開いた口が塞がらない。エルフにも婚期とかあるのだろうか。話から察するに、クリムと同い歳なんじゃ……? そもそも、エルフだから何歳かも分からないっ!
「ミキサちゃん! 早まっちゃダメだよぉ~! だって、人間さんだよ?」
「人間を彼氏にしちゃダメなんて! 誰が決めた!?」
「もぉー! ミキサちゃんは相変わらずなんだからぁ~」
「くっ……これが勝者の余裕か……!! イケメンを家で飼ってる者の驕りかっ! 嫌味かっ!」
クリムもクリムで癖のある性格だと思ったけど……こっちも相当だよ!? もしかして、エルフってそういう人が多いの!? 我の強い人が! 他人の意見に左右されないから――!!
「ねぇ、グルメさん……? よろしければ、私のペットになりませんか?」
「……えっ、本気ですか!?」
「ダメでーすっ! 私のグルメさんを取っちゃダメッ! もぉー!」
「いいじゃん。ちょっとくらい分けてくれても。減るもんじゃないし」
「減ーりーまーすぅー! ズルイよぉ! 私が拾ったんだからぁ!」
「半分だけっ! 半分だけでいいからっ!」
「半分こにもしてあげませんー」
「いや、僕は一人しかいないからね!? 待って、待って。二人して、腕を持って何する気……? ンギャアアアアアアアァ!! 半分に裂けるううぅ~! 痛い痛いっ! 左右から腕を引っ張らないで! これが、リアル大岡裁き――!!」
もしや、今日は腕を引っ張られる日なのか!?
普通なら、女性に取り合われるのは男として嬉しいはずなのに! ちょっと、この取り合いは嬉しくない――!!
☠
結論を言おう。
揉めた! 揉めに揉めた――!!
いや、違う。取り合いの方じゃなくて。手続きの方。
それも当然。人間を使い魔にするなんて、前例がないからね。
また、その他の案件についても。つまり、メシマズの村の正式な滞在許可。外部の人間を招き入れるならば、本来は事前に認可を取る必要があるのだが……今回は特例中の特例。色々と面倒な対応をしてくれたミキサには、頭が上がらない。やはり、その道の専門家に任せるのが一番。クリムと友達なのは幸運だった。
一応、兵士から口頭で許可を貰ったとは伝えたけど。彼女曰く「兵団は兵団! 管理局は管理局!」とのこと。まぁ、根本的に組織が違うんだろうな。恐らく、兵団は管理局の悩みの種。
「ありがとう! 初対面なのに、何から何まで!」
「いえ。別に大したことはしていません。これも仕事です。ただ、どうしても御礼がしたいって言うんなら……聞いてあげなくもないですよ?」
「うん、分かった。考えておくよ」
「期待してます! また何か困ったことがあれば、是非とも来てくださいっ!」
ミキサはクルリと向きを変えて、僕の前から去っていく……いや、去り際にガッツポーツを決めた! そういうのは、僕が完全に見えなくなってからやるもんじゃない!?
そこへクリムがピョンと駆け寄っていく。
「ミキサちゃーん! はい、書けたー!」
「あぁ、やっと? 使い魔登録の書類……待ちなさいっ! 名前が『グルメさん』で登録されてるんだけど!?」
「それで良いんだよぉ~」
「違うって! このままじゃ、『グルメさん』さんになっちゃう!」
「……あっ! えへへー」
「はぁ……全く。こっちで修正しておくから。それ以外は……大丈夫そうね。はいっ! お疲れ様。手続き完了。これなら多分、認可も下りるはず」
「ホントにありがとねっ! ミキサちゃん! はぁ、お友達で良かったぁ~」
やれやれ。やっと帰れる。
いや、昼飯を食べてから帰る。これを忘れちゃいけない。
「そういえば、この後はグルメさんと一緒にお昼ごはんを食べるんだけど……ミキサちゃんも来るぅ?」
「行くっ!!」
即答! 僕は遠くから離れて二人を見ているのに。ここにいても、物凄いパワーと圧力をひしひしと感じる。
ただ、仕事中なのでは……?
「行く。行きたい、けど――ああぁ……待ってて! ちょっと待ってて! やること片付けちゃって! 絶対に行くからっ!!」
「はいはーい」
こうして、僕はクリムと合流し、管理局の建物を後にした。いや、建物の前でミキサを待つことになった。
「グルメさん。どうでしたかぁ?」
「……どれが?」
「ミキサちゃんに決まってるじゃないですかぁ~」
「どうって……」
「お友達になれそうですか?」
「あっ、そっちね。そりゃあ……大丈夫でしょ。最初のインパクトは凄まじかったけど。だって、クリムのお友達なんだから。それに、とっても良い人だったし」
「そう、ですかぁ……」
突然、クリムは悲しそうな顔をした。違う、不安だ。不安に思っているのだ。もしかしたら、僕が取られてしまうんじゃないかって。せっかくのペットが。
「……心配ないって。今朝、言ったばっかりじゃん。僕は他のペットとは違う。君を見限って逃げたりなんてしないっ!」
「あっ……そうでしたね。じゃあ、私はグルメさんを信じますっ! ちゃんと躾けます! 最悪の場合は、首輪を付けちゃえばいいんですっ!」
「だから、それだけはやめて」
「はぁ……ほっとしたら、お腹が空いちゃいましたねぇ。ミキサちゃん、まだかなぁ……?」
ちょうど、その時。
僕たちの目の前に、一台の屋台が停まった。
それを引いてたエルフの兄ちゃんが、すかさず声を掛ける。
「お二人さんっ! 腹ペコなら、お一つどうだい? 買ってかない?」
「あっ、買いまーすっ!」
「これからお昼ごはんなのに!?」
答えるや否や、彼女の動きは速かった。
止める間もなく、あっという間に屋台へ走る。
「お一つ下さいなっ!」
「よっしゃ! なら、12オエーだぜっ!」
「12オエー!? まっ、まさかァ……!! この世界の通貨単位は『オエー』なの!?」
最悪だ……史上最悪の通貨単位……。
そんな僕の突っ込みも気にせず、クリムはすぐに戻ってきた。その手に持っていたのは……。
「……串に刺さったパン? 例えるなら、白くて丸いアメリカンドッグみたいな……」
「違いますよぉ。ただのパンじゃありませんっ! これは――」
「これは?」
「モッチリーノです」
「モッチリーノ」
あっ、まさかの美味そうな名前。いや、違うな。元からそういうシステムだった。
つまり、不味そうなのはどれもこれも食材の名前! 料理の名前はそんなことない!
そして、その名を冠する通り。もっちりしているのだろう。
「この中にですね。もっちりしたものが入っているんですよぉ。だから、モッチリーノ」
「はい、予想通り」
「じゃあ、いっただきまーす!」
「あっ……マジで食べるんだ。お昼ごはんの前なのに。よく食べるなぁ」
今回ばかりは、さすがの僕も我慢する。
クリムが先端にカプッとかぶり付き、そのまま引っ張ると……。
ムニュ~っと中身が出てきた! まるで、お餅のような、チーズのような。もっちりした黄色の中身が、伸びる伸びる。もう、見てるだけで面白い。
「あっふ! あっふ! もひもひ~」
「お祭りで似たような食べ物を見たことあるなぁ。異世界でも、現代社会でも、みんな考えることは同じか。確かに、あれは釣られて買いたくなるよね。はぁ、めっちゃ美味そう……あぁ、ほら。調子に乗って伸ばすと――あっ! 落ちる! もっちりした中身が! 落ちちゃうからっ! ヤバイヤバイ! ああああああっ! 危ない――!!」
――ぱくっ
………
……
…
「ウボアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!! ねああぁ……!! にょわぁー! あッ、アばああぁ! マッズ!! 誠に不味いッ!! もっちりさせればァ! 全てが許されると思い上がるな――!! どれだけもっちりしていようが、味が最悪なら使っちゃダメッ!! うばあああぁ! 完全に腐ってやがる! もう、去年の正月のカビ生えた餅ッ! 見映えのために味を犠牲にした! 不味さの確信犯――!! あれっ!? 確信犯って、意味が違うんだっけえええぇ!? べはぁ! のえええぇ……!! 僕に精神的ダメージ100万ッ! っていうか、そんなにもっちりもしてないよ! ねりけし程度のもっちり感! これをもっちりと称するならばァ! この世の大抵の柔らかい物体がもっちり――!! チックショオ……食べるつもりじゃ、なかったのにぃ……」
モッチリーノの屋台は、既に遠くへ行っていた。それだけは良かった。
こんなハプニング不味いが起こるなんて! アンラッキー不味いにも程がある!
絶対に! 不味いものを食べさせようとする、変な力が働いてるって――!!




