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14.激しく不味い

 僕は薄暗い回廊を彷徨(さまよ)っていた。


 どこまでも続く曲がりくねった廊下を、ただひたすらに歩き続ける。窓一つとして存在しない。唯一の光源は、点々と壁に掛けられた松明のみ。紫紺の炎を揺らめかせ、怪しく道を照らし出す。


 どうやってこの場所へ辿り着いたのか。どうして歩いているのか。分からない。まるで自分の意志ではない、大きな力に操られているかのように。自然と足が進んでいく。


 しばらく歩き続けると、広い空間に出た。例えるならば、巨大な地下神殿。石の柱が何本も立ち並び、至るところで篝火(かがりび)が煌々と焚かれている。そして、正面には荘厳な祭壇――


「あっ、あれは……?」


 祭壇の御前に祀られていたのは――


 一切れのチョコレートケーキ。


 ……いや、なんで!?


 僕は困惑しながら、ケーキへと近付く。果たして、誰がどんな理由でケーキを供えたのか。別段、ケーキをお供えすることが悪い訳ではない。むしろ、よくある。


 ただ、妖しげな神殿の供物に! チョコケーキは合わない! 雰囲気的に! 辛うじてマッチしているのは色味だけ!


 もっと、何というか……おどろおどろしい捧げ物があるだろうに。確かに、チョコケーキは美味いけど。信者が一口食べて、「これは神様にも食べて欲しい!」と思うくらいには美味いけど。


 ほら、甘いチョコの香りがしてきたじゃないか。これじゃあ、信者もお祈りに集中できないって。絶対に一世一代の儀式が失敗するパターン。なんと、ご丁寧に小さなフォークまで添えられている。


 その時! 悪魔的な考えが脳裏に飛来した!


「……誰もいないし、これ()()()()いいかな……?」


 いや、ダメでしょ! 僕の中の理性が叫ぶも、本能が抑え付ける。確かに、あまり宜しくない行為だろう。勝手にお供え物を食べたら、(ばち)が当たるかもしれない。普段の僕なら、絶対に食べない。


 しかし! 今の僕は正常じゃない――!!


 ここ最近、不味いものしか食べてないから! そこにチョコケーキなんて出された日には――理 性 決 壊 !


 そう、僕は悪くない。ここにケーキを置いた奴が悪いっ!


 見るからに濃厚なガトーショコラ。ケーキと言えば、ショートケーキもチーズケーキも好きだが、やっぱり一番はチョコレートケーキ! 特に、甘さを控えてない奴!


 フォークを手に取る。鋭角に尖ったケーキの先端から2センチほどの地点で、一口大にカットしようと。そっとフォークを押し付ければ……すうっと切れた。スゴイ。こんなに柔らかくてふわふわなスポンジは、生まれて初めて。


 断面にはぎっしりと、何層にもわたってチョコが敷き詰められている。おおっ! トロリとチョコソースが溢れ出した! どうやって作ったんだ!? 強いカカオの香りで、脳がくらくらしてしまう。もう待てない。切れ端を刺して、持ち上げる。美味そうだ。口元へ運ぶ。食べる、食べる、食べる――


――が、直前で! フォークを持つ手が止まる。


 僕の頭の中で、一つの疑念が浮かんでしまったのだ。



『実は、不味いのでは……?』



 分からない。食べてみなければ、分からない。


 ただ、食べて後悔するほど不味い可能性はある。思わず絶叫してしまう不味さ。そんな経験を多々してきた。どうする。食べるか、否か。これは悩む。美味いなら絶対に食べたいが、不味いなら絶対に食べたくない。あぁ、どうすれば……。


 チョコケーキを前に、僕は延々と悩み続ける――



   ☠



 ふと、目を覚ました。太陽の光も、鳥の声も、全く関係なく。極々自然に目を覚ました。


 ……大丈夫。ちゃんとベッドの上で寝ている。床に落ちてないし、体も痛くない。最高の寝覚め。起き上がろうと、伸びをしながら身体を起こし――


 ここで気付いた。


「あれっ? チョコケーキは……?」


 無い。


 どこにも無い! 綺麗さっぱり! 跡形もなく消え失せてしまった! いや、違う。最初から存在してなかった。あれは全部、()――!?

 

「あ、あぁ……うっ、嘘だろ……?」


 美味いものを食べたいという願望によって、あんな夢を見てしまう。それ自体は問題ではない。誰にでもあること。


 違う。()()じゃない。あれが、夢だったなら……夢の中のチョコケーキだったら!! 間違いなく美味かった!!


「があああああっ! チックショオオオオオオオオオオォ!! 食べておけば! 食べておけば良かったァ!! どうして()()()躊躇(ためら)った!? 今までずっと! クッソ不味いものを迷わず食べてきたのに! うおおおおおおおおッ! 最悪だァ!! 最悪の寝覚めっ! 食べずに後悔するよりも! 食べて後悔する方が百倍マシ――!!」


 こうして、起き抜けの絶叫と共に。


 僕は異世界に来て3日目の、清々しい朝を迎えたのだった。



   ☠



 リビングへ向かう途中で、何やら物音が聞こえてきた。どうやら、今日は一番乗りじゃないらしい。


 ただ、仮に一番早く起きたとしても。絶対に朝ごはんは作らないからな!


 果たして、起きているのはどっちだろうか? 十中八九、()()()だろうな……。


「おはようございます」

「あら、グルメさん。おはようございます」


 落ち着き払った優しい声で、ニコリと僕を迎えてくれたのは――カスタだった。うん。だと思った。


「昨日はよく眠れましたか?」

「あっ、はい! お陰様で! もう、ぐっすりと。二度と目覚めないんじゃないかってくらいに」

「うふふっ。でしたら、良かったです」


 物音から判断するに、さっきまで忙しなく動いていたはず。なのに、僕に気付くや否や、手を止めて話してくれる。やっぱり良い人だ。良いエルフだ。


 もしかして、この世界は良い人で溢れ返っているのか……? 食べ物は不味いもので溢れ返っているのに! まぁ、現代人よりも心にゆとりを持てるのは、確かだと思う。


「ちなみに、クリムは……」

「もちろん。まだ起きていませんよ」

「ですよね」

「はぁ……あの子のお寝坊さんには困りものです。放っておくと、昼前まで起きないなんてこともありますからね」

「確かに。どうしましょうか。起こしますか?」

「いえ、まだ少し早いです。もうちょっと、寝かせてあげてください」


 そういえば、前々から気になってはいたが……エルフという種族は、時間感覚に優れているようだ。部屋に時計が存在しなければ、日時計のような物体すら見ていない。時計のない生活……現代人にはとても厳しい。


 振り返ってみれば、これまでの会話の中で「何時何分」という言葉を一度たりとも聞いていなかった。「こんな時間」とか、「もう遅い」とか、「陽が暮れた頃」とか。ざっくりしている割に、本人たちは分かっているようだ。


 時間の概念が無いとは考えにくいが――恐らく、感覚的に分かるのだろう。今の季節と、現在の陽の傾きから。何とも不思議だなぁ。僕には絶対に無理。


「ところで、カスタさんは朝から何をされていたんですか?」

「今日のご飯の仕込みです」

「なるほど。えっと、()は……?」

「大丈夫ですっ! ご心配ありません。もう焦がしませんよ。そういえば、グルメさん。朝ごはんはどうされますか? 食べるのでしたら、今から何か作りましょうか?」

「えっ、今からですか!? いえいえ、そんな。わざわざ僕のために作る必要は……そう、軽い朝食で問題ありませんよ! 調理の必要がないもので!」

「ふふっ。でしたら、私と同じく果物で済ませちゃいましょうか」

「果物……」


 この世界に来て。果物には余り良い思い出がない。


 ドロベチャ、モジャ、ポペン。三種類の果実を生で食べたが、三者三様どれも不味かった! これ以上、未知の果物を開拓して良いものか……?


 いや、臆してはならぬ。この世界に存在する全ての果物が不味いとは――まだ言い切れない。偶然にも、この3つが不味かった。そんな可能性だって……極めて低いけど、ゼロじゃない。


 それに、自分でも言ったばかりだろう。



『食べずに後悔するよりも、食べて後悔する方が百倍マシ』



 もう、格言。『プディングの味は食べてみなければわからない』に次ぐ、この世界の格言。


 勝手に不味いと判断して! みすみす美味いものを逃すくらいならば――!! 片っ端から食べる! どれだけ不味かろうと! いつか美味いものに辿り着くまで!!


 そう決心してからの返事は早かった。


「お願いしますっ! 僕も果物で!」



   ☠



 僕は後悔した。


 まさか、そう来るとは……。


 テーブルに出されたのは、黄色っぽい歪な形の果物。全体的にグニャグニャしていて、何とも形容し難いが……わりかし平べったい。そう、アレに似ている! もんじゃ焼きに!


「えっと……最初に聞いておきます。これは、何という名前の果物ですか?」

「あら、ご存じありませんか? 生で食べられる果物としては、メジャーだと思っていたのですが」

「……いえ、知りません。まだ断定はできません。教えてください」

「分かりました。この果物の名前は――」

「名前は――!?」

「ゲボの実です」

「ゲボの実」


 遂に! 遂に来てしまった――!!


 お前とは、いつか巡り会うだろうと! いつか訪れる未来だと、予想していたけれど! 思っていたより早かった――!!


 チェンジしたい。


 まさか、名前だけじゃなくて。その、()()()まで……。ちょっ、おま……。


 命名した奴は天才だった。


 どうする? さっきの格言を撤回するか? これは食べずに後悔してもいい。



『食べずに後悔するよりも、食べて後悔する方が百倍マシ』

(※ただしゲボの実は除く)



「グルメさん、大丈夫ですか? 顔が青いですよ?」

「これを、本当に食べるのですか……?」

「ちょっと見た目は宜しくありませんが、味はなかなかです」


 クッソォ……!! ゲテモノを喰う人は、みんなそう言う――!!


 どれだけ歩み寄っても、僕には理解できないが。世の中には、虫を食べる人だっている。イナゴやハチノコに始まり……いや、もう言えない。(おぞ)ましくて。


 どれだけ美味いと言われても! ゲテモノだけは食べれない――!!


 ただ、虫を食べるのと比べたら……こっちの方が百倍マシだろう。一応、果物だから。一応。


「ほら、こうやってガブッと齧るんですよ」

「そのままいけちゃうの!?」

「ただ、噛んだ部分から果汁が飛び出しますので。十分に気を付けてください」


 皮も剥かずにそのままで! これは勇気が試される。


 引き返すか……? いや、待て。冷静になって考えろ。これが()()()の果物だ。


 最初の3種類が、不味い、不味い、不味い、と来て……4番目にも不味いを引く確率! かなり低い! 仮に、美味いと不味いの割合を50パーセントとすれば――確率16分の1! 約6パーセント! 消費税より低い!!


 それに、もしゲボの実がクッソ()()()()()ら。


 食わず嫌いで避けていたのに、死ぬほど美味かったら。


 多分、一生後悔する。


 あの日、あの時、食べなかったことを。


 それだけは……絶対に嫌だ!!


 決死の覚悟で。不退転の決意で。


 僕は()()を手に取る。なかなか大きいし、重い。直径20センチは超えている。うえぇ……触った感じもグニャグニャしてる。そういう玩具みたい。ただ、匂いはしない。噛んで、皮を破ると、果汁と共に香りが溢れ出すのだろう。


 思わず、手が止まってしまう。


 頭に飛来した言葉は――



『実は、不味いのでは……?』



 分からない。食べてみなければ、分からない。


 ただ、後悔だけはしたくないっ!!


 食べられなかったチョコケーキの! 二の舞を演じてなるものか! ならば、最初から進むべき道は決まっている! それが(いばら)の道だろうと!!


 動け! 動け、動け、動け! 僕の手よ、動け――!!


 食べる、食べる、食べる――!!


――ガプッ





………





……









「ゲボオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!! ゴボエエエェ!! あばァ……!! ぎゃぼォー! ボゲエエェ!! マッズ! 激しく不味いッ!! 最初はちょっと! 良い香りが溢れたかと思えばァ! 即座に打ち消すクッソ不味い汁! コイツ、果物の癖に上げて落とすぞ――!! そう、これは果汁じゃなくて! ()()()()っ!! ギャッ! 大人しく不味くしてれば良いものをォ! 噛んだとこから、噴き出しやがった!? 目がァ――!! 目が不味いぃ~! 顔中に不味い汁がぁ~!! ネチャネチャして苦い汁がァ! オベェ!! 貴様を果物とは断じて認めん! 果物の皮を被った、対人殺戮兵器――!! あっ、ただ味は思ってたのと違う! 名前のような味じゃないッ! ただひたすらに苦い汁! 食べて後悔したぁ!! オゲエエエェ……」


 噴き出した不味い汁を全身に浴びながら。椅子から転げ落ちて叫び尽くした。


「あらあら、大変っ! だから、気を付けてと言ったのに……」


 直後、タオルのようなもので顔を拭かれる感触が。ただ、何も見えない。目が不味くて……。いや、決して痛くはない。何故か()が不味い――!! 脳が不味いと警鐘を鳴らす! これ、どういうことォ!?


 一つだけ言っておくけど! ちゃんと気を付けてた! でもね! 知ってた!? 不味いとそれどころじゃなくなる!!


「があああああっ! チックショオオオオオオオオオオォ!!」


 こんな感じで、僕は朝食を終えた。否、強制的に終わらされた。


 不味い汁と、後悔の念に(まみ)れて。


 はぁ……今日も騒がしい一日になりそうです。

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