10.やっぱり不味い
貧乏舌、という言葉がある。
簡潔に説明すれば、何を食べても美味い美味い言う人に対する蔑称めいた呼び方。頭に貧乏と付いている時点で、あまり聞こえは宜しくない。断じて褒め言葉ではないだろう。
昨今は不幸せの代名詞として定着した「貧乏」であるが――果たして、究極の「貧乏舌」は不幸せなのだろうか? よくよく考えてみて欲しい。
『何を食べても美味い――!!』
いや、絶対に幸せでしょ! 幸せの権化! 幸せが服着て歩いている! だって、何を食べても美味いんだよ!? もう、毎日が幸せっ! 明日のご飯を考えるだけでテンションアゲアゲ!
まとめ買いした知らないメーカーのカップ麺を食べても美味い。安い食パンに安いマーガリンを塗って焼くだけでも美味い。すると、寿司なんて食べに行った日には、死ぬほど美味いっ! 中トロ炙りサーモンを口に入れた瞬間! 感動して泣き出す――!!
何も悪くない。貧乏舌でも悪くない。むしろ、良い。
対して、究極の「肥えた舌」はどうだろうか? 舌が肥えている人間は、何となく幸せそうなイメージがまとわり付いていると思う。しかし、その実態は……。
『大体の食べ物が不味い――!!』
いや、幸せじゃないでしょ! 超絶に美味い食べ物しか受け付けない! 高価で高級なものしか食べれない! 逆に可哀想! だって、近所のスーパーの激安セールで買った豚バラ肉や、街中に立ち並ぶチェーン店の牛丼レベルでは、舌が満足できないんだよ!?
毎日三食、お抱えの専属シェフによるフルコースか、高級店の料理じゃなきゃダメ! とりあえず、トリュフ・フォアグラ・キャビア! 肥えた舌は! 金が掛かる――!!
以上を踏まえて。
本当に、肥えた舌が幸せと言えるだろうか?
……気付いてしまったな。世界の真理に。
では、どうして幸せな舌に「貧乏舌」という名が付いてしまったのか。
実に簡単な話である。貧乏舌とは、舌が肥えた人間の使う呼称だから。
貧乏舌の人間が、「アイツは貧乏舌だからさぁ」なんて言うだろうか? 否、絶対に言わない。
つまり! リア充の人間が「リア充」という言葉を多用しないのと同様に! 貧乏舌の人間は「貧乏舌」なんて言葉は使わない――!!
これは、ある種の僻み! 舌が肥えた人間による嫉妬! 何を食べても美味いなんて、むしろ羨ましいっ! そんな人間の醜い欲望から生まれてしまった言葉が、「貧乏舌」なのだ――!!
……というのが、僕の仮説である。学術的な根拠は特にない。ただ、しっくりくるだけ。
そんな僕も、つい2日前までは貧乏舌の一人だったのに――
今では舌が肥えすぎた人間の仲間入りを果たした。
世界が! 世界が不味いから! 相対的に舌が肥えてしまった!!
ねぇ、どうしたらいい……?
☠
僕はぐったりと俯いていた。料理は失敗するし、食べ物は不味いし、散々である。落ち込まない方がおかしい。
「はぁ……」
「どうしたんですかぁ、グルメさん。ほらほらぁ! 元気出ーしてっ!」
溜め息を吐きながらベッドに腰掛けていた僕を、クリムが無理矢理立たせようと躍起になる。
「痛い痛い痛いっ! そんなに腕を引っ張らないで! 分かった! 立つから! ねぇ、聞いてた!? 立つから!!」
「あれぇ? グルメさんって、体が硬いんですねぇ。こっちには曲がらないの? 試しに、ぐにーっと」
「ンギャアアアアアアアアアアアァ!! 違うッ! やめてっ! 折れる折れるッ!! 人間ならば誰しも――!! そっち方向に関節は曲がらないっ!」
「あっ、やっぱりぃ? だよねぇ~。えへへっ!」
いや、めっちゃ元気だな!
僕とは対照的に、クリムは凄く元気が有り余っている。その原因は、一つしか思い当たらない。美味い料理を食べたから。個人的には失敗だったけど。お腹を壊さないか心配なくらい。まぁ、僕より胃腸は丈夫だろう。
美味い朝食は、一日の活力を漲らせる! 今日も頑張ろうと! 気分までポジティブに! 何なら、朝ごはんを抜いた人間よりも、しっかり朝ごはんを食べた人間の方が、仕事や勉強が捗るという科学的な証明までされている!
やはり、朝ごはんは偉大である。もう、お昼に近いけど……。
いつまでの過去の不味い飯を引き摺って、くよくよしていても仕方ない。話題を変えようと、僕は彼女に問い掛ける。
「あっ、そういえば……ここはエルフの住んでいる集落なんだよね?」
「当たり前じゃないですかぁ~! 私は、どう見たってエルフでしょう?」
「違う違う。まだ、君しか見てないからさ。エルフ1人しか見てない」
「ふふっ。安心してくださーい。もっといーっぱいエルフが居ますからぁ。このメシマズの村には」
「――えっ!?」
瞬間。耳を疑った。
「待って。今、なんて……?」
「いーっぱいエルフが」
「そこじゃなくて! この村の名前は……?」
どうか。どうかお願いだから、聞き違いであってくれ――!!
「メシマズの村です」
「やっぱり!! 聞き違いじゃなかった!! えっ、メシマズの村なの!?」
「ちーがーいーまーすぅー! メシマズの村じゃなくて、メシマズの村ですよぉ! メシマズの村だと、ご飯が不味い村みたいじゃないですかぁ~!」
「あっ、ごめん。……いや、でもっ! アクセントが微妙に違くても! メシマズなのは変わりないって!」
「メシマズですぅ~! もぉー!!」
待って。僕のせいじゃないでしょ。これも、命名した奴が悪い!!
「分かった。分かったから、叩かないで! 痛っ! 地味に痛いっ! 現代人よりも! 力が強い!!」
「えっ、そんなに痛い? 思ったんですが……グルメさん、色々と弱くないですかぁ? これまで、よく生きてこれましたねぇ」
「うん。僕もこの世界だと生きていけない気がする」
「こんなに弱いのは、スライムさんくらいですよぉ?」
「そんなに!?」
「あっ、でもでもっ! スライムさんは体が柔らかいですからねぇ。グルメさん、負けてますよ?」
「スライム以下!?」
愕然としてしまった。この世界でも最弱であろうスライムにすら劣るなんて……。いや、待て。さすがにおかしい。そもそも、柔軟性でスライムに勝てる奴なんていないだろ!
スライムには無くて、僕には有るもの。人間には――知性がある! 考えるために進化した脳が! スライムに足し算ができるか? 否、できない! そう、人間が! スライムに負ける訳がない――!!
はて、何が悲しくて僕はスライムにマウントを取っているのだろうか。
「……まぁ、エルフの村ってことは理解した。ちなみに、クリムはこの村で何をやっているの? こう、仕事というか、役職というか……」
「失礼なぁ! 私だって、ちゃんと働いていますよぉ~! バカにしないでくださいっ! 昨日も今日もお休みなだけですからぁ!」
「無職だと疑ってる訳じゃないって! 被害妄想がスゴイ! そうじゃなくて、恩返しに仕事を手伝ってあげようかと」
「うえっ!? グルメさんが? 私のお仕事を……?」
実に数秒間。
彼女は明後日の方を向いて、じーっと固まっていた。恐らく、思い返しているのだろう。僕と出会ってから、今現在までの出来事を全て。
そうして、最終的に出した結論は――
「……ふふっ、無理無理~。グルメさんには無理ですよぉ。なーに、おかしなこと言ってるんですかぁ~」
「ええぇ……僕に対する評価が低くない? どれだけダメ人間だと思われてるのさぁ……いや、妥当な評価か。客観的に見れば、我がままで、よく部屋を散らかして、何を食べても不味いと文句を言う、ペット……」
ダメ人間も甚だしい――!!
本当に、どうやってこの世界を生きていけばいいんだ……。
「あっ、そうだ! グルメさん、美味しいものが食べたいんですよね?」
「食べたいっ!!」
脊髄反射で答えてしまった。
そりゃあ、食べれるなら食べたい。存在するのならば。
何か良いアイディアでも思い付いたのか。彼女はポンと手を叩いて、ニカッと満面の笑みを見せた。ところで、どうして嫌な予感しかしないのだろうか……?
「そうそうっ! 丁度良かった! あのですねぇ、会わせたい人がいるんですよぉ~」
「僕に?」
「グルメさんを」
僕に会わせたいのではなく、僕を会わせたい。さては、ペットを紹介するノリだな。
まぁ、この際は何だっていい。ペット扱いだろうが、相手が誰だろうが。
そう! 美味いものが食べれるなら――!!
「よしっ! 早速、会いに行こうっ!」
「おっ、グルメさんも元気が出てきましたねぇ~!」
僕らは二人してウキウキ気分で、お出掛けの準備を始めるのだった。
☠
家から外に一歩出ると。
カラフルな花畑が僕を出迎えてくれた。いや、どうやら花壇のようだ。それにしても広い。ガーデニングという規模を遥かに超えている。花々が精一杯に咲き誇り、草木はぐんと天に向かって伸びている。
それでも、伸び放題ではない。きちんと手入れが行き届いた、広大な庭。さすがは自然と共存する種族の代名詞、エルフ。ここ一帯の植物の世話を、クリムが一人でやっているのならば……彼女の評価を改めなければならない。
「ほえー……スッゲェ……僕には真似できないなぁ……」
「ほらほらぁ、行きますよ? こっちでーす! あっ、ちゃーんとフードを被ってね?」
「フードを被るの? はい」
「よーしっ! しゅっぱーつ!」
花に気を取られて、どうしてフードを被るのか聞きそびれてしまった。まぁ、言われた通りに行動するけど。僕はエルフの文化を全く知らぬ新参者だから。
てっきり、庭を自慢されるかと思ったのだが……そんな素振りすらない。この程度の庭くらい、さも当たり前かのように。こういう小さな気付きからも、彼女が人間とは別の種族なんだなって、改めて思い知らされる。
「っていうか、待って! 速い! 歩くのが速いっ!」
「そーんなにゆっくり歩いてたら、陽が暮れちゃいますよぉ~」
「どれだけ歩くの!?」
そう言い残して。クリムはピョンピョンと跳ねるように先へ先へ進んでいく。
絶対に速いって! 歩く速度じゃない! もう走ってるよ! 待って、置いてかないで! もっと、現代人のことを労って――!!
☠
いつ以来だろうか。こんなに走ったのは。体育の授業か。体力測定か。
「やーっと来たぁ。グルメさん、おっそ~い!」
「はあっ、はぁ……ちょっ、まっ……はっ、はあぁ……」
肩で息をしながら、僕はその場に倒れ込む。疲れた。死にそう。まず、喉が渇いた。何か……何を飲みたい……。水……いや、川の水はやめて……。
そういえば、この村のエルフは何を飲んでいるのだろうか。川の水が飲めないなら、果物を搾ってジュースを作るのか、専用の井戸でもあるのか……。
「がはっ、はあっ……あぁ……まだ、着かないの……?」
「もう少しですっ!」
「そっ……さっきも、同じ……あっ、いいや……何それ……」
「ん? これ?」
クリムが手に持っていたのは、可憐な薄ピンクの花だった。イメージとしては、花びらが厚いチューリップ。僕が到着するまで待ちくたびれて、花で遊んでいるのかと思いきや……ちょっと違った。
花の頭の部分だけをちぎって、その根元側を口に咥えているのだ。いや、吸っている。花をチュウチュウ吸っている。
同じ光景を、小学校の帰り道に見たことある――!! やってる女子いた!
つまり、花の蜜を直に吸っている!
「あっ、グルメさんは知らないですよねぇ。これは水分補給ですっ! この村では、飲めるお水がちょっと貴重ですから。私たちは果物を搾って飲むか、花の蜜を吸って、喉を潤すんですよぉ。ほらぁ、こうやっへ、おくひにくわえへ――んっ。……はぁ、あまーいっ!」
不思議な文化があるものだ。学校では先生に見付かったら、お腹を壊すから止めなさいと怒られるのに。この世界では許される。
そして、今の僕にとっては……魅力的すぎる!
さっきから喉がカッラカラ! そこへ降臨した、大自然の恵み。天然のジュース。多分、そこそこ吸えるのだろう。厚い花弁に秘密があると見た。その中にたっぷりと貯め込んだ、あまーい蜜……。
思わず手が伸びる――
「待ってくださいっ! その、やめた方がいいですよぉ? グルメさんは、絶対にやめた方がいいですって! まーた、不味いって言うからぁ!」
彼女の忠告を無視して。一輪の花を手に取る。おおっ、花なのにプニッとした感触。アロエみたいだ。花の中心側に白のグラデーションが掛かった、儚げな薄いピンクの花びら。なのに、摘まれてなお、生命力に満ちている。
「もしもーし! グルメさーん! きっと不味いですってぇ~!」
違う。違うんだ。美味いとか、不味いとか、今はそういう次元の話ではない。喉が渇いた。
泥水を啜ってでも生き延びる、という表現があるだろう。つまり、そういうことだ。最初から不味いと分かっていようが、飲まねばならぬ時がある。それが、今。
「もぉー! どうなっても、知りませんよぉ~!?」
咥える直前。そっと甘い風が鼻腔をくすぐった。花の蜜というだけはある。彼女も言っていたように、味は甘いらしい。ちなみに、これが僕の初体験。小学生の時も吸ったことはなかった。
軽く口先で食み、唇でしっかり押さえ、一気に吸い込む。
――チュウッ
………
……
…
「オブエエエエエエエエエエエエエエェ!! ボゲェ! ゴホッ! ガアアアッ!! 気管にッ! 気管に入ったァ!! ウベアアァ! マッズ!! やっぱり不味いッ!! ゴッホォ! 吸っちゃダメ! 吸ったら地獄が待っているッ!! 甘い甘いと聞いていたのに! ビターチョコより甘くねえ――!! 糖分足りてないよっ! いや、雑味がスゴイ! 強い渋みと、鋭い辛みと、深い苦みが織り成す、とっても粗雑な協奏曲。いや、甘みはどこへ――!? ゴハッ!! ガッヘ! のっ、喉を潤すどころかァ! 喉まで不味いと悲鳴を上げる始末ッ!! 不味さが! 不味さが全身に染み込んでいくッ! 五臓六腑を殺す気だ――!! もし! これと泥水の二択ならば! 僕は喜んで泥水を啜ろうッ!! ゴホォ! 肺が、肺が助けてと叫んでいるぅ! 肺まで不味いッ!!」
どうして花の蜜を吸ったら先生に怒られるのか。
何となく、分かった気がする。
「はぁ……あれほど言ったのに。グルメさんこそ、学習してないじゃないですかぁ~」
咳き込む僕の背中を、彼女はドンドンと叩いてくれる。ただ、待って。やっぱり力が強い。地味に痛いよ。グーで殴らないで。
「ゴホッ! グオッヘェ!」
「よしよーし」
不味くて、痛くて、苦しい。こんな三重苦が他にあっただろうか。地獄ですら、親切に閻魔様が舌を抜いてくれるというのに。少なくとも、地獄は不味くない。
この世界は地獄よりもキツイ!
本当に、僕はどうしたらいい――!?