04 ダークウェブ
(五城雄哉 ごじょう・ゆうや 二十九歳、この件では彼がウチのエースだから、夏織さんよろしくね)
警察庁生活安全部の岸田氏が電話でまくし立てるだけまくし立て、後はよろしくと言って電話を切った。
ーー警察庁 情報通信局 情報技術解析課 サイバーテロ対策技術室 通称「サイバーフォースセンター」所属の主任(警部補) 五城雄哉。都住夏織においては五城の協力下にて特殊捜査されたし
どう言うルートで岸田氏に降りて来た命令なのかは、詮索したところでまるで意味を成さないのだが、長年警察庁から依頼を受けて仕事をしていた夏織にとって合同捜査など初めての事。
「委託業者」に対して専属の職員を協力に付けるなどあまりにも異例なケースである事からも、警察庁トップたちとその国会議員がどれだけ謎の解明に前向きになっているのかが垣間見れる。
だが、その道に精通する者同士が並び立ったからと言って、相乗効果がすぐに現れるだろうと考えるのはあまりにも楽観的。
いくら専門分野のエキスパートであっても、チームとして互いの性格が合わないならば、下手をすれば足の引っ張り合いになってしまうからだ。
興味半分、そして合同での捜査と言う可能性半分を原動力として自分の背中を押しながら、都住夏織はある日の午後に、都内の某所にある指定された駅前で五城雄哉と落ち合う。
初日は挨拶のみなどと言う呑気な状況ではなく、一刻も早く問題を解決せよとのお達しのため、二人は早々に打ち合わせと情報交換を行おうと、店に入って顔を付き合わせたのだが……
「……ないわあ、ドリンクバーのみとか、ないわあ」
二人が入ったのはファミリーレストラン。
ランチの時間は終わり、午後の気だるい時間を過ごそうと奥様連中の楽しげな声が行き交う店内で、都住夏織は仏頂面を隠しもせず、自分で入れて来たアイスコーヒーをズルズルと飲む。
「急な命令だったもので、活動費の申請が間に合いませんでした」
眼鏡の奥から冷たくて鋭い視線を放ちながら、五城はずるるとハーブティーをすすり、情報の擦り合わせを行いましょうと冷徹に宣言する。
するとホール係の女性が、旨味を含んだ湯気を放つ熱々の料理をトレーに乗せ、五城の目の前で立ち止まったではないか。
「お待たせいたしましたぁ、ミックスグリルのセット、大盛りライスと味噌汁にございます」
「お、お前ふざけんなよ! あたしがトイレ行ってる間に自分だけ注文しやがったな! 」
「これは自腹です。忙しくて昼食を取る時間も無かったもので自腹で今食べます、つまり問題はありません」
会って早々に「お前」呼ばわりする夏織も夏織だが、それを涼やかに受け流して自分の正当性を主張する五城も五城。夏織よりも三歳年下と言うハンデもなんのその、中々のコンビネーションが期待出来る二人ではある。
「くっそ、見てろよ」と鼻息荒く、テーブル備え付けのチャイムを鳴らし、現れた店員に向かってオーダーする夏織。
五城に向かって勝ち誇った顔をしながら、1ポンドステーキとライスの代わりにチキンドリア、そして勢いに任せて生ビール中ジョッキを注文すると、そこで五城の待ったが入る。
「都住さん、仕事中なんですから、いくら自腹でもアルコールは無しですよ」
……きいいいっ!
無意識で勝った負けたに一喜一憂する夏織、精神年齢的には一歩遅れた不利な状況なのかも知れない。
やがて無言で味気ない二人の食事は終わり、やっと本題へと入る。
先ずは技術的な側面から分析をと、淡々と五城が説明を始める。
ーーサービスが終了したはずのゲームにアクセス出来る噂、そして何故か通信プレイが可能となり、そのゲームフィールドで他のプレイヤーに出会うと死ぬ。そのプレイヤーは死神だと呼ばれているーー
「ブレイブワンを製作したゲーム会社は現在存在しません。買収や経営統合を経て三回社名が変わり、今はアメリカのフロリダに本拠地を構えるエターナルビジネス社傘下の子会社がデータ管理のみ行なっています」
「子会社のイマジンファクトリー社ね。ブレイブワンのストーリーモードだけをネットでフリー提供してるのは知ってる」
「はい、低年齢層から大人まで遊べるメジャーなゲームをエターナルビジネス社が配信し、年齢制限の必要な残酷なゲームはイマジンファクトリー社の名前で配信しています。両社とも経営は良好でトラブルの歴史はありません」
ーー健全と評価を受ける親会社の元で、何かと批判を浴びそうな戦争ゲームを製作・配信しているイマジンファクトリー社。過去に醜聞は無く、極めてクリーンな経営に終始しているーー
ならば何故、ブレイブワンのメニュー画面に異変が起きたのか。通信対戦メニューにログイン出来て対戦出来るのか?
「ハード的な話は良く分からん。あんたはどう見てるの? 」
さすがに冷静さを求められる場面においては「お前」を封印したのか、あんたと呼びながら専門家としての見解を促す夏織。何を言われても超然としている五城は一切自分のペースを崩す事無く、自身の見解を披露し始めた。
「不正アクセス……ですかね? コンシューマゲームを提供する企業のゲームサーバーに不正に侵入して、深層webあたりで作った自作のミラーサイトを繋げ、アクセスした者の個人情報を引っこ抜く手法かと考えてます。死神に関してはこの段階では何とも言えません」
ーー深層web? ミラーサイトって何?
ゲームプレイヤーとしての歴史が長く、アーケードからTVゲーム、そして通信と渡り歩いて来た夏織だが、だからと言ってパソコンスキルに明るい訳ではない。彼女のパソコンはせいぜいネットニュースや動画を見る程度であり、あくまでもライトユーザー程度のスキルしか持っていない。
そこから説明しなければならないのかと呆れる五城を前に、バカヤロお前だってオカルト世界の私の話なんか分からないだろと胸を張り、堂々と説明を求める。
「都住さん、今あなたが生活の中で目にするYahoo!やGoogle。ネットの世界はそれらが全てだと思ってませんか? 大手ポータルサイトなんて、砂漠に転がる小石なんですよ」
ーー今名前を出したヤフーやグーグルなど、普段我々一般人が目にするサイトは、全インターネット上のデータの中で数パーセントでしかありません。ですがこれらは一般大衆が自由に閲覧出来る健全なウェブ媒体である事から、俗に『表層web』と呼ばれています。
誰もが気楽にアクセス出来る『表層web』に対して、その対義語になるのが『深層web』。誰もが気楽にアクセス出来ないweb媒体であり、実はこの深層webこそが表層を遥かに凌ぐ莫大なデータ量を持っているのです。
例えば企業の独自ドメイン下の業務用クラウドなどがそれに該当しますし、もちろんそれは企業だけでなく病院や学校そして官公庁……政府にも存在する。ホームページで一般人が閲覧出来る場所とは全くの別の世界で管理されるこれらは、もちろん大手検索サイトで検索してもヒットする事は無く、アクセス権利を持つ者だけがその世界にいます。
「それ聞いて何か思い出したけど、アメリカ国防省の自立サーバーにハッカーが忍び込んで問題になったとか、そんなイメージで良いの? 」
「そうですね、通常の一般的な検索サイトではヒットしない世界、そう言う認識でいてください。それが深層webです」
ーーそして、簡単に他者から閲覧されないwebデータ環境を構築出来ると言う事は、その利点を活かして悪用する者も現れる。深層webの更に奥の奥に、ダークウェブと言う世界があります。
グーグルやヤフーは海面に浮かんだ氷山の山、氷山自体は人々が自由にアクセス出来る個人ブログや企業ホームページなどオープンサイトのインターネット社会。そしてその氷山を浮かばせている海自体が深層web。
その深層web世界の海の底の底……深海とも言うべき暗い世界に、ダークウェブと呼ばれる危険な世界があります。
「ダークウェブって、危険なの? 」
「危険です、極めて危険です」
「あんたがそう言うぐらいだから、犯罪とかに関係するサイトがあるって事? 」
「はい、先程ブレイブワンに対して何者かが不正アクセスをしている可能性を説明しましたが、不正アクセス自体犯罪ですから、その者は深層webではなく、ダークウェブ世界の住人かも知れません」
ーー深層webに過剰な負の感情を持ってはいけません。企業や銀行や政府など、一般人には関係の無いデータがあったり、大手ポータルサイトではブロックされるような過激ポルノサイトやグロ動画サイトなどのアングラサイトも含まれますが、それでもまだ閲覧者に対する危険度は低いと考えますーー
五城のメガネがキラリと光るが、それは夏織に対して心して聞いてくれとのサインにも見える。
「違法薬物の売買、人身売買、殺人依頼、誘拐依頼、犯罪教唆、ありとあらゆる犯罪に満ちた世界が、ダークウェブと呼ばれる世界です」
「一時期話題になってた“闇サイト”のようなものか」
「それならまだ可愛いです。あの程度ならいくらプロキシ使って偽装IPアドレスをぶち込んで来ても、地獄の果てまで追いかけられますから。アクセスすら絶対にしてはいけないのがダークウェブです」
ーーこんな都市伝説を知りませんか? ダークウェブ上で、誘拐して来た少女を部屋に閉じ込めて、監禁の実況中継を配信するサイトがあって、閲覧者は仮想通貨を払って拷問人にどう痛めつけるかを指示出来る事が可能で、払う金額の大きさによって拷問の程度もグレードアップし、大金を払えば殺人も可能。知る人ぞ知るスナッフ(殺人生中継)サイトとしてアクセスを集めていた。
ある日、遊び半分の興味本位で深層webを泳いでいた若者が誤ってダークウェブ領域に入り込み、このスナッフサイトにたどり着いた。最初こそ眉間に皺を寄せながら目を細め、嫌悪しながら痛めつけられる少女を眺めていたのだが、本当に起きている現実なのかどうか疑念が湧いて来る。そして若者は我慢出来なくなったのか、リアルに進行しているのか確かめるために、少額の仮想通貨を支払いながら「少女の左頬を狙って張り倒せ」とチャット入力した。そしたら、拷問人は少女を左頬から張り倒したのだーー
「怖い……怖いな。オカルトより怖いじゃねえか」
「怖がるのはまだ早いです」
五城は入れ直したハーブティーで乾いた喉を潤し、再び夏織に向かって前のめりに語り出した。
ーーリアルに生中継している。つまりは画面の向こうで泣きじゃくる白人の少女は、誰かが大金を積んで殺せと命じれば、快楽のためにあっさり殺されてしまう! その若者は胸をムカムカさせる最悪の気分に我慢出来ず、ネットの接続を遮断してパソコンの電源を落とした。
しかしダークウェブの恐ろしさはここからです。若者は忌まわしい映像の記憶を忘れようとしながら、何事も無かったかのように普通に生活を始めたのですが、ある日、若者のスマートフォンがとあるメールを受信しました。送信先は不明ですが、メッセージが若者の心を凍らせたのです『拝啓 ●●様 新しい少女を入荷しました。是非とも参加をお待ちしております』ーー
「パソコンのメールに送られて来たんじゃないのです、その若者のスマートフォンに送られて来たんです。閲覧してはいけないと言う意味が分かりますか? その若者の情報も全て抜かれていたと言う事なんです」
「何だろう……心霊に強い私が今日だけは夜中トイレ行きたくない」
「死神が現れたとか、死者が出た原因までは私には分かりませんが、ゲームプレイヤーの個人情報を引っこ抜くために、ダークウェブの住人がブレイブワンのサーバーに不正アクセスし、本物そっくりの偽サイト【ミラーサイト】を通信対戦に繋げたのではと考えています」
「だけどさ、何で配信サービスが終わってる場所に仕掛けるの? そこら辺が私には解せないな」
難しい顔をしながら黙り込む二人。
とりあえず五城の見解は見解として次は夏織の見解を聞かせてくれと要求されるのだが、ダークウェブの話であまりにもビビリまくった夏織は撃沈。
猛烈にビールを要求して引き下がらなかった事で、五城は泣く泣く次の店に移る旨を承諾。
情報交換の再開は、夕方から居酒屋で一杯やる方向で決まってしまったのである。