10 悪魔祓い
効果はてきめんだった
パソコンに備え付いているカメラでこちらを覗いているのか、のたうち回る悪魔の悲鳴がスピーカーから聞こえて来る。
「マタイの福音書六章九節から。だからあなたがたはこう祈りなさい 天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように」
『……イイイ……ギャアアアアッ……!……』
「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行かれますように」
イマジンファクトリー社のサーバーにほぼダイレクトに繋がれた五城のパソコン。アメリカのFBIを通じてイマジンファクトリー社の許可を受けたこれは今、エクソシスト二人による悪魔祓いの儀式の中心へと変わった。
須藤神父が聖書の一節を読み上げる中、ロドリゴ神父は右手の十字架をカメラの前に向けてひたすら祈りを捧げており、二人の背後には椅子に拘束された夏織が不敵な笑みを浮かべ“その時”が来るのを待っていた。
オフィスの壁際に立ち、儀式を成り行きを見詰める五城の表情は不安半分・驚き半分のひどく不安定な顔付き。
パソコン知識と勉強に明け暮れた少年期を経てエリート街道に乗った彼が、始めて見る宗教儀式の荘厳さに驚きつつ、依り代として自らの身体を差し出した夏織がどう変化するのか見ていられないと言ったところ。
(準備は万端だ)
五城自身は各部局を説得して海外とも交渉しながら、被害拡散を抑えるために苦心して独自の回線を設けるに至った。
須藤神父とロドリゴ神父は悪魔との直接対決を前に、聖別の儀式を行い、この五城のオフィス自体を聖なる礼拝堂へと格上げし、自らが持ち込んだ祈りの道具以外にも、パソコンや置かれたテーブルや椅子までも聖器物として昇華させた。つまり二人の神父の力をもって、この事務所は教会にクラスチェンジしたのである。
そして最終兵器と化した夏織。イマジンファクトリー社のブレイブワンを管理するサーバーが独立しているとは言え、いざ悪魔祓いの儀式が始まった途端に悪魔がどんな手段を持って逃げるかまでは分からない。二度と無いチャンスを確実にモノにするため、苦しんだ悪魔が飛び付くためのトラップとして、夏織は望んで対峙したのだ。
ーーこれだけの準備が整えば最早怖いものは無い。
後はやり抜くと言う確固たる決意を行動で示すだけ。
ここにいる誰もがそれを胸に秘めて闘いに臨んだのだが、やるべき事を終えて傍観者の立場に落ち着かざるを得ない五城だけが、ハラハラドキドキの連続に目を白黒させていたのである。
「わたしたちの日ごとの食物を、今日もお与えください。わたしたちに負債のある者を許しましたように、わたしたちの負債をもお許しください」
『……イタイ、イタイ!……ヤメロ! ……ギャアア……』
ブレイブワンの管理ページで早々に発見した負の言霊の集合体、そしてそれに憑依した悪魔は聖なる言葉に耐えられず、悶絶の悲鳴を繰り返す。
「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください」
『……クソ神父ドモメ! 今スグヤメナイト……! ヒギャア』
聖書の朗読による聖なる言葉の降臨と、祈りを捧げた十字架に照らされ続ける悪魔であったが、簡単に負けを認めようとはせずに、苦しみながらもありとあらゆる罵詈雑言を神父たちに投げかけて儀式を穢そうとする。
しかしエクソシスト二人の圧倒的な力に抗える訳が無く、やがて悪魔の咆哮も次第に弱々しくなって来た。
時間にして一時間ほどであろうか、二度読み終えて三周目に入ったマタイの福音書朗読が中盤に差し掛かった頃、突如夏織の身体に変化が起きた。「負の言霊が浄化した! 」と夏織が叫んだと思ったら、急にぐったりとうなだれて「ううう」と唸り出したのだ。
闘う相手は負の言霊と悪魔。祓いの秘法に耐えらずに負の言霊が浄化したとなれば、後残すは悪魔だけ。そして悪魔は単体で晒されると脆く、手近なところで身代わりになれる存在を探す。
ーーつまり今、夏織はーー
須藤神父とロドリゴ神父がハッとして背後を振り返る。椅子に拘束されたままの夏織は一切身動きが取れないまま、見た事も無いような悪意の笑みを浮かべて神父たちを見ていたのだ。
「須藤、ロドリゴ……ソウカ、オマエタチカ!俺ノ兄弟タチ二酷イ事ヲシテイタノハ! 」
そう、須藤たちの計画通り悪魔は夏織に憑依したのだ。そして悪魔は夏織の記憶を読み、神父二人がどう言う存在なのかを知ったのである。
「立ち去れ悪魔よ! 」
「誰ガ立チ去ルカ、オ前ラニハ積年ノ恨ミガアルカラナア! コノ女ヲボロボロニシテヤロウカ! 」
「夏織さん! 」と心配した五城が声をかける。するとロドリゴ神父が夏織に十字架をかざしたままの姿勢で、慌てる五城を制しながら言うーー今がチャンス、回線のシャットダウンを!
言われるがまま身体が反応し、咄嗟にパソコンの前へと進んだ五城は回線遮断の操作を始める。
「もしも、あなたがたが人々のあやまちを許すならば、あなたがたの天の父も、あなたがたを許して下さるであろう」
「ギャアアア、ヤメロヤメロクソ神父! 」
「もし人を許さないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちを許して下さらないであろう」
白熱する聖職者と悪魔の攻防ではあったが、それが長続きする事は無かった。
逃げ場を失った悪魔が後先考えずに飛び込んだ夏織の身体は袋小路、つまり行き止まりのデッドエンド。
逃げる事も隠れる事も出来ず、夏織の身体を操作して暴れる事すら出来ない悪魔は、自分で自分の棺桶に入ったと言っても過言では無かったのである。
「クソ神父ドモ、ソシテクソ女メ! オボエテロヨ、イツカ、イツカ復讐シテヤル……ギャアアアッ! 」
浄化されてしまえば復讐のチャンスすら無いのに、最後まで罵詈雑言の絶えない悪魔ではあったが無事終わった。悪魔祓いの儀式は成功し、ネットの奥底に潜む悪意とともに浄化されたのである。
「夏織さん、これ……」
二人の神父から労いの言葉を受けながらな拘束バンドを外してもらった夏織。目と鼻と口から血を滴らせながらも壮絶な闘いを終わらせた彼女に、そっとタオルを渡す五城。夏織は笑顔でそれを受け取りいそいそと拭い始めた。
「身体は大丈夫ですか? 」
「何とかね。それよりもさあ、私お腹空いたよ」
「夕飯ぐらいご馳走しますけど、まだ正式に退院してないからお酒はダメですよ」
「あっ、お前ふざけんなよ。ひと仕事やり終えた時の夕飯は、ビール八割ご飯三割って決まってるだろ」
「まず割合が合ってないし、ご飯じゃなくておつまみだろそれ」
二人の会話を聞いて笑う須藤とロドリゴ
ここにいる四人が四人とも安堵の笑みを浮かべた事、それはつまり事件の終わりを意味するのであった。
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