第七話 仕事を辞めよう。円満に
本日2話目
「こういう寂しいのも、なんとかしたいな。」
食べた物の美味しさの共有が誰ともできないことの一抹の寂しさについて、ぼんやりと考える。
なんのかんの言っても、人は人を求めるのだろう。程度の差はあれど誰しも寂しがりや。この孤独という存在もまたストレス源になりうる。
「まぁ、それもボチボチ解消していくしかないか。とりあえず腹ごしらえも終わったし、まずは辞表でも書こう。」
健康第一という目標を決めてしまったから、もう仕事を続けるつもりはない。
ノーストレスで楽しく生きる為には、ストレスの多い仕事など排除一択。これはもう決定事項。
だが『仕事』というのが完全にストレス源かというと、一概にそうとは言い切れない面があるのも確かだ。仕事人間と呼ばれる人にとっては仕事こそが逃げ場になっていたりもする。
それに仕事というスパイスがあることで生活にメリハリが付き、onとoffをしっかり区別して無駄なく効率よく生きることもできたりするし、仕事をしていないと馬鹿になったりしやすいなんて話も聞く。
定年まで勤め、退職したら一気に老けた。なんて例は枚挙にいとまがない。
仕事は人によってはストレス源ではなく、有用な物になりうる。
だが、こと俺にとっては、仕事はストレスの元でしかないと断言していい。
なぜなら俺は仕事なんかしたくないのでござる。
いっつ、そー、ベリーしんぷる.
それに仕事でなくても、メリハリのある生活はできる。なにせ、これから俺は目標の為に精力的に動くのだ。『働く』という字は、人偏に動くと書くように、人が動いていれば働いていることになるのだと思う。
自分から行動を止めて動かなくなった時には、それこそ馬鹿になったり老け始めたりすると思う。だから何かしら目標を持って行動し続けてさえいれば、そうはならないはずだ。
『仕事』と『働く』は似ていれど完全な同義ではないと思う。
それに、もしやっぱり仕事が自分には必要だと感じた時には、その時にまた仕事に就けばいいだけのこと。
ゆえに今の俺の第一の行動として『仕事を辞める』という決断は揺るがない。
俺は俺の人生の為に。
金による豊かな人生を得る為に動き始めるのだ。
しかし……
いざ会社勤めを辞める為に動き出すと、考えただけでも意外と緊張する。
社会的に考えれば労働基準法なんかで労働者の権利は守られているのだから、辞めることも権利のうち。その権利を行使しても何の問題もない。
だが、いかんせん人間関係というやつは、そう簡単に括ることができない。
会社勤めの中で嫌な思いもしたが、嬉しい思い出もあったり、同僚という名の友人とまではいかなくとも他人以上には親しみを感じている仲間だっている。これが嫌なヤツばかりだったのならば辞めることで清々もするだろうが、表面的な付き合いだけとはいえ、そこまで関係の悪い人間は俺の周りにはいなかった。
だからこそ悩む。
「ん~……弁護士とかに一任してしまうかな?」
別に嫌なことからは逃げても良い。
嫌だと思うことから逃げるのは、悪いことじゃないのだ。
『逃げちゃダメ』なんて言葉は、逃げたことで被害を被る人以外、誰も言わない。
誰しも辛いことは嫌。面倒なことは嫌。苦しいことは嫌だ。
『逃げていい』なんて口に出すと責任がないとか言われそうだが、責任自体は果たすことはできる。
誰かにやってもらう。その誰かを用意すればいいだけ。責任を果たす役目を本人がやるか、はたまた代理人がやるかの違いでしか無い。ただ手段が変わるだけで責任は果たせる。
そう。金さえあれば、退職一つとっても、多くの手段を用意できるのだ。
これこそが金の力の真骨頂。
金はその時その時の選択肢を増やしてくれる。
ここまで考え、実際に弁護士に退職に関わる作業を委託した場合を想像してみる。
「……アカンな。」
上司やなんかが真っ青な顔になっているのが容易に想像できた。
なんというか、これはあまりに可哀想な気がする。
俺は『幸せのお裾分け』も目標に掲げているのだから俺が退職するに当たって嫌な思いをする人がいるというのは、なんか違う気がする。
お世話になった上司なんかにも俺が退職することを喜んでもらえるほうが良い。
だが、退職となれば周りの人間は迷惑を被るのは確実。どうやっても迷惑になる。
であれば、その迷惑を感じたとしても、それ以上に嬉しいと喜べることがあれば良いと言えないだろうか?
またも想像を始める。
まぁ……金だわな。
結局、人間、金が一番嬉しい。
『いやー宝くじが当たりまして、もう働きたくなくなっちゃいましたー! すんません! みんなにも幸運のお裾分けやでー! ほな!』と上機嫌でご祝儀をバラ撒いて消える。そんな流れが思いついた。
これなら突然の退職に腹は立てども、思いもよらぬ現金収入というメリットで溜飲も下がるはず。しかもその現金が予想外に高額であれば、諸手を挙げて送り出してくれよう。
そんなことを考えると、とても良さそうな案に思えた。
だが『宝くじが当たった』だの、そういう情報を大っぴらに発信するというのは集りなんかが寄ってくるようになる気もする。
同僚とは気が向いたら飲みに行く程度の付き合いだから、自宅や実家の詳細を知る人間はいないが、会社には履歴書を提出している。会社の中に潜んでいる集り人が本気を出したら、あっという間に実家の住所までをも調べてしまいそう。
『お歳暮をー』とか『お礼をー』とか、『忘れ物の送り先をー』とか、個人情報はザルで水を掬うくらいに筒抜けになるだろう。うん。なんとなくマズイ気がしてならない。
「いや、待てよ? ということは、個人情報だけ消せばいいのか。」
俺の無い頭がキラリと閃いた。
−−*−−*−−
あっという間に準備を整えた俺は、翌日。
始業開始時刻を少し回ってから会社に顔を出した。
「おはようございますっ! 男、吉成忠幸! 働く必要がなくなったので会社を辞めにきましたー! いやー! 突然ですみません! あっ、これ餞別です! これまで有難うございました。どーぞどーぞ! ささ、ど〜ぞど〜ぞ。」
近くにいた同僚達にグレードの高いご祝儀袋を次々と渡しながら、担当課長の元まで進む。
一番最初に渡したヤツが、わかりやすいように書いてある『金壱拾萬圓』の文字から慌てて中身を確認したのか、困惑した声が波紋のように広がり始めている。
「いやぁ課長おはようございます! そしてお世話になりました! まずは、こちらをどーぞ! あっ、あと、こちらの方が私の退職について詳細を詰めてくれることになってますので、お手数をおかけしますが対応よろしくお願いします。あ。こちら、餞別とは別に、心付けです〜。」
『金壱拾萬圓』の祝儀袋と、別に『金伍萬圓』の祝儀袋を合わせて渡す。
20万円にしなかったのは、雑所得の申告を考慮した結果だ。
なぜ、こんな細かいことを気にしたかといえば、
今、俺の後ろには
「突然申し訳ございません。私、吉成様の弁護士。可児名楼法律事務所の今村と申します。今回の退職に関わる代理人を務めさせていただくこととなりましたので、よろしくお願いします。」
弁護士の先生がいらっしゃるのだから。
俺は先生に一礼して、踵を返す。
「それでは皆様! さーよーおーなーらーーー!」
もう俺は自由だーっ!!




