第四十四話 反社会的組織、やだなにそれ怖い
「そんなことになってんの!?」
「なってるんですねぇ……。」
指を広げた右手。その人差し指でクイっと眼鏡を直しながら、落ち着きと諦めの混じったような声を吐き出す西さん。
「マジで?」
「ええ。」
俺の伺うような再確認に、気怠さすら感じる返事が返ってきた。
話していた内容が内容だけに気疲れからくる気怠さだと分かっている。俺もその気怠さにつられ溜息がひとつ漏れる。
「はぁ……ヤベェっスな芸能界。」
「ヤベェですよ。」
俺が腕を組むと、西さんもまた腕を組んで頷いた。
家でサトミさんが珍しく渋い顔をしていたので、その理由を問いかけてみると、西さんからサトミさんの手には余る相談内容が上がってきたという。美しいサトミさんに渋い顔は似合わないぜと、一つ久しぶりに社長として働こうとしたら、サトミさんが「私は一切関わらない方が良いと思うの」と言って詳細を話さなかったので西さんとサシで会うことになった。
夜。ホテルのレストランの個室で飯を食いながら話を聞いてみれば納得も納得。
サトミさんは、やっぱり賢明だった。
俺も働く気になるんじゃなかった……いや、もしかすると乗せられた? いやいや、気のせい気のせい。
さて、西さんの話は、以前に自由に使って良いとしたお金の使い道や、その使った結果できた情報網で得られた情報や反応。そしてそれらから考えられる今後の進展と新たに発見された課題についてだったのだが、まるっきり任せていたけれど芸能界やマスコミなどの情報発信業界は想像以上に腐肉と腐敗臭の漂う業界だという事が分かった。
株式会社YOSHINARI芸能事務所が進む道だけ綺麗な道が出来れば良いと掃除をしてくれていた西さんだったけれど、辛うじて綺麗に出来たのは『ある程度』の筋道まで。ある程度以上の道を掃除しようとすると、あまりにも複雑に汚れすぎていて難しいのだ。
その難しさの理由は株式会社YOSHINARI芸能事務所が『まっとうな道』しか引いていない為。
例えて言うなれば株式会社YOSHINARI芸能事務所を乗用車だとすると、車道が引ける場所はある程度限定されてしまうのだ。獣道や裏道、茨の道に綱渡り、時には蜘蛛の糸まで歩く。そういう場所に車道を引くことは難しい。だが、ある程度以上の芸能人を作るためには、それらの道を行かなくてはならないのだ。
他の車道を引けそうな道には関所が既に作られていて中にいる兵士が睨みをきかせていて弾かれる。
この睨みをきかせていたり、進みにくい道を管理しているのが、法律からうまく隠れながら逆に利用して活動している反社会的勢力なのだ。
芸能界や情報発信業界は反社会的勢力と密接に関わっていた。
当然証拠さえあればウチの得意とする法律による断罪の出番になるけれど、最初に法律の剣を持っていることを見せてしまった為、表だって証拠を残すような真似をしないよう警戒感を持たれてしまった。
そして逆に彼らの支配する道に入れなくなったことで、ある程度の有名人までしか作れなくなったのだ。
反社会的勢力がそれらの業界をどうやって牛耳り活動しているかは内情を知り少し考えれば誰でも分かる。
例えば芸能界等で、芸能事務所やプロダクションが頑張って有名人を作り上げるとする。だが、その有名になった人間は、バックアップがあったからこそ有名になれたのであっても、時間と共に自分の力で有名になったと思いはじめ、すぐに独立だの移籍だのの話が出てきてしまう。
当然ながら有名人を作り上げた側からすれば、その人間に出ていかれることは損失にしかならない為、独立や移籍を阻止して、その人間を事務所に囲い込み、生みだす利益を貪らなくてはならない。
では、どうやって有名になった人間を事務所が囲い込むのか。
まっとうな方面で考えて、すぐに思いつくのは『マネージメント』。事務所が良い仕事を選び、そして効率よく仕事を段取ってくれる。事務所があるからこそ金を稼げると有名人が理解する。
だが、この方法は弱い。
メリットを説明して縛る方法は弱いのだ。
なぜならメリットを重視して考えてしまった場合、より良いメリットを提示されてしまうと、そちらを選ばない理由がなくなってしまう。そしてメリットは提示すればするほど貪れるはずだった利益が減る。
他にも事務所の人間の人柄や情で縛るという方法もあるが情は所詮、情。実利には弱い。
では、事務所はどうやって人間を囲い込むのか。
メリットがダメであれば、当然ながら逆に位置するデメリットを持ち出すのだ。事務所から離れた場合の『デメリット』を強調するのだ。
仕事を取る大変さや、税金などの対応など、面倒だと感じる点を全て事務所が代わって『してあげている』と説明する。
専門的な事にあまり詳しくない人間であればある程、面倒な事を自分からやろうとは思わないし、それ相応の給料がもらえて不満が少なければ、人間は『とりあえず現状のままで良いか』と考えるようになる。
もっと単純に事務所の力が大きければ『出たら潰す』と伝えれば良い。潰されるような厄介を抱えるのであれば残るだろう。
このようにメリットを提示するのではなく、発生するデメリットを教える方が有名人となった人間を、より利用し易い。
そして、このデメリットは、より強いデメリットを『作りやすい』のだ。
例えば、未成年の飲酒・喫煙など、有名人として作り上げた『ブランド』を壊しそうな事実の隠蔽などもデメリットとして使える。それらの公表を阻止しているのが事務所となれば有名人は事務所を信頼するし、その他、ストーカー被害から事務所がしっかり守ってくれるだの、美人局にあったのを事務所が誤魔化してくれるだの『強力な盾』としての役割を事務所が持つことでデメリットを避けることができると信じれば、有名人側から囲い込まれたいと言い出すようになる。
つまり『公言しにくい事実』や『都合の悪い事態』から事務所が『強力な盾』となってくれると認識させさえすれば、事務所は、それだけ有名人を長く利用でき利益を貪れるのだ。
例え、公言しにくい事実が行われる場所を作ったのが事務所と結託した組織だったとしても、その事実の証拠を握る人間が事務所と結託した人間だったとしても、ストーカーをするのが事務所と結託した人間だったとしても、全てがマッチポンプであっても、有名人ただ一人の視点から、そう見えれば良い。自分が原因で起こしてしまった不利益や事態から『事務所が守ってくれている』とさえ感じられれば良いのだ。
なので、この『公言しにくい事実』や『都合の悪い事態』を事務所は積極的に作り、有名人を事務所に依存させる。
そういった機会や場を作る組織、証拠に関わる人間や犯罪すれすれのことを行う人間を用意するのが反社会的勢力の担う仕事となる。もし万が一、部外者が証拠を握った場合、それらを奪ったり公開させない手を打つ事も仕事の一つだ。元々法律面で表に出せないような事態の場合、結局は暴力が一番強い。そして死人に口はない。
さらに言えば、この例のような『囲い込み』はまだ優しく、人間としても尊重されている部類になる。
酷い場合は、完全に事務所の意図した通りにしか動かない人形となるよう『飼育』される場合があるのだ。というよりも飼育の方が多い。完全に依存させて事務所無しでは生きていけないと信じ込ませて動く限り使い切るのだ。
その最も簡単な依存方法が『麻薬』。
特に活動期間が短く稼げる時期が決まっている賞味期限の短い女性アイドルにはよく使われる。
食べ物への混入から自然とシャブ漬けにされてドラッグと離れられなくなり、様々な用途でとことん使われて金を搾り取った後は捨てるだけ。またすぐに別の稼げる人間を作れば良い。
当然、その際にも利用するのが反社会的勢力だ。人形に出来そうな若く美しい子はすぐにドラッグの餌食となってしまう。
こういった物の用意や場所、人を得る為に、芸能界は反社会勢力と密接に関係し、そして情報発信業界も芸能界と密接に関係しており、それゆえに情報発信業界もまた反社会勢力と密接に関係しあう。
すでに完成された三つ巴の形でやってきているのが、進もうとしている世界だったのだ。
というよりも反社会的勢力そのものが事務所や情報関連近辺の企業をやっていたりもするのだから、あまり隠れていなかった。
だからこそ法律事務所という剣をみせてしまった株式会社YOSHINARI芸能事務所は、ある程度の道までは進めても、それ以上は完全に弾かれてしまう。
むしろこのまま進むと、初期の内に刈り取られる可能性すらあり、逆にピンチを迎えそうな気配もある。
そう。
『出る杭』
として目立ってしまったのだ。
ここまでが西さんの話の要約になる。
「と、いうわけでですね。ここは一つ毒を以て毒を制すのが、一番手っ取り早いかなと思いまして。」
「……ん?」
若干の嫌な予感と共に西さんに視線を向けると、指を広げた右手の人差し指でクイっと眼鏡を直す西さんの姿。
「いえね、あくまでも仮定の妄想のような話ですけれども……自分が反社会的な人間になったとして相手側の立場になって考えてみますと、出る杭を叩こうとしたら、そこに地雷があった。っていうのが一番イヤだと思ったんですよ。」
「ほう? 地雷。」
「反社会的勢力、まぁ暴力団。文字のとおり様々な種類の暴力が振るわれることが予想ができるワケですが、現状、我々の持つ法律を利用する力というのは、結局のところ暴力を振るわれてからが本番になりますし、それだと、まずは無抵抗で殴られなきゃいけないわけです。それに証拠が残らなければ殴られ損。もしかすると最初の一撃で致命傷を負わされる可能性も有り得ることになります。」
「ふむ。」
「なので暴力が振るわれる時点で、こちらが殴り返しておくのが一番手っ取り早いんじゃないかと。」
「うーんっ! 反論しようにも納得しかできない。」
「いえ、もちろん社長に何かしろとか、私が何かするってワケじゃないんです。ただ、そういうことができるような用意しておくべきじゃないかと思いまして。」
「えぇ~? それって……暴力団を持つってこと?」
「いえいえまさか、そんなことできるわけがないじゃないですか! あくまでも自衛の為の組織です! ……と言っても日本の自衛隊のように誰かが殴られて殺されてから、ようやく反撃が許可されるような形ではなく、日本以外の国のように殴られる動作を確認したら防衛の為に殴ることができるような自衛組織ですけれど。」
「えっ? 日本の自衛隊って、そんななの?」
「おや? ネガティブリストとポジティブリストの差をご存じない?」
「ないです。」
「まぁ、興味があったら調べてみてください。要は被害が起きてからでは危険すぎるので、被害を未然に防ぐ為の組織を準備しようということ。予想以上に敵だらけの世界になりそうですから石橋を叩いて渡るように、転ばぬ先の杖の準備です。」
「そう言われると必要そうですわなぁ。」
「実際問題このまま芸能界に進出するのであれば絶対に必要だとは思いますね。まぁ大々的にそうなる種を撒いてしまったのが私なので、少し責任を感じているということでもあるのですが……予想をはるかに超えた腐った世界だと読み切れませんでした。」
「いやいや、西さんが動いてくれたおかげで進もうとした先の危険が分かったんだから、むしろ有難いと思ってますよ。」
「そう言っていただけると救われます。」
とりあえずグラスに入っているビールを一口飲んで転調を図る。
「で? 実際のところ具体的には、どういう風に組織するつもりなんです?」
「もし可能であれば、会社に絡まない形で現金を融通いただければ、ある程度形にはできるかと……申し訳ありませんが、この場合の出た金額についてはカタチ以外で戻ってくることはありません。」
「会社に絡まない金……ね。俺個人からの出金で良いなら都合はつけられるよ? 出す先とかは任せるし……どれくらい必要になりそう?」
「とりあえず2~3千万円あれば地雷のひとつくらいはセットできると思います。継続的な守りの形を整えるならば……余裕があれば1億円ほどあれば、それを元手にして回せる組織も作ることができるかと。」
金額を聞いて頭の中のそろばんを弾く。
今、建物や財団法人とか、なんやかんやで25億円程の金額を出資や貸付をしているので、結構使い過ぎている。これまでに使った分を考えると手持ちの現金に1億円も残っておらず余裕はない。
だがビルの建設の終わりが見えはじめ、これまで月に2億円以上貸付していた分の大きな出費の額も減るだろうから、少し我慢すればこれからは余裕が生まれる事も考えられる。
「これからの会社関連の出費って結構大きそう?」
「会社関連ですか? 財団法人を含めると人をそこそこ雇っていますからね、竹田がやっている部門は採算が合ってきましたけど、マイナスの所が多いですし、芸能事務所に至ってはこれから出費が増える可能性がありますので、月3~4千万円くらいは出ていくかと思います。もちろん抑えた額であって、もっと出して良いのであれば、より金額を出してよければ早めの収入につなげますが。」
「ふむ……じゃあ、もし出費が増えたとしても、今、俺が貸付してる月2億ペースの貸付金額から考えれば大分減るし、しかも収入になり始めれば、貸付しなくてもよくなる可能性もある。か……」
「ええ。今定期的に月に約2億円を貸付いただいていますが、そこまでの金額である必要はなくなる予定です。」
「おっけー! 分かった。ちょっと数日くらい余裕もらえれば1億円出すよ。防衛組織つくろ。」
俺の返答に西さんが息を吸いながらゆっくりと背もたれによしかかり、静かに息を吐ききってからニヤリと微笑んだ。
「分かりました。それでは期待に応えられるよう動きましょう。」
「うん。お願い。」
西さんがグラスを持ったので、俺もグラスを持ち上げ乾杯する。
空になったグラスを置く西さん。
「これからの芸能事務所が一層楽しみです。ネットに押されて弱くなった媒体とは言え、まだまだ金は渦巻いてますから。ビルの賃料で会社に利益が出るよう、しっかり稼ぎます。」
「うん、よろしくですわ。」
「ちなみに社長は現時点で事務所に所属している人間の中で、誰か押したい人間はいます?」
「いんやー、その辺は特にないかな?」
どうやらグレーな話は終わりのようだ。
西さんの表情も、半グレ感を感じない柔和な顔に戻っている。
この半グレ感を感じちゃうような表情も、大分業界に染まったという感じがしないでもない。朱に交わればなんとやらなんだろう。
……ちょっとカッコイイと感じないでもない。
そんな印象を持った俺は、これから西さんがどんなことをするのかが気になってしまう。
敢えて詳細を話さないことは分かっているけれど、俺は『やると思ったことはやる!』と決めた男なのだ。
「で? どんな組織をつくるの? ねぇねぇ教えて!」
聞きたいと思ったことも聞くのである!
俺の言葉に変な顔になる西さん。だがすぐに笑いだした。
「聞いちゃうと色々知ってるってことになりますよ?」
「うん。いやぁ、知りたいと思っちゃったんだなコレが。」
「ふはっ! 気を使ったのがバカらしくなるじゃないですか。まぁ……私だけが動くと思っているより片棒を担いでもらえて心強くもありますけどね。」
「おぉ、西さんの支えになるとか俺も出世したなぁ。」
「ははっ、支えも何もこれ以上、出世しようのないトップでしょうに。」
西さんのグラスに瓶ビールを注ぐ。
「それじゃあ、まずは触りの部分だけでもお伝えしておきましょうか……まずは表向き一切会社に関連や関係の無い輸入会社を作らせようと思っています。」
「ほう? 輸入?」
「アジアと南米方面が中心になるでしょうね。」
「ほう!」
「で――
――西さんからヤバめの話を結構聞けて、俺、満足。
いや、違う。俺は何も聞いてないんだった。
うん。何も知らない。
別に更なる出資も約束してないし、色んな場所の用意とか、ホームレス支援があっても、まっとうに働けなかった線から完全に外れてしまったホームレスとの連携とかについても話してない。
今日は、ただ西さんと決算やばいなーってトップ会談しただけ。そう。ちょっと粉飾決算しちゃう? 的なグレーっぽい話は出たかもしれないけど、まっとうな会社だから真っ直ぐに行こうって決めただけで他にはなにも変な話なんてしてないのだよ。うん。変な話はナニもしていないのだ。
いやぁ、力を持った悪に鉄拳制裁できるのは、別の力を持った悪しかないんだから仕方ない。




