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第二十四話 責任と生き様


 日本人は、その国民性として責任を負うことを嫌う。


 これが私が20年以上働いてきて得た、賢く生きる為に知っておくべき事実のひとつだ。

 同じ日本人として心理的に避けたくなる事実だが、この事実を真正面から直視し認識しておくと想像以上に便利に生きることができるようになった。

 情報が溢れるようになった現代においては尚のこと重要な事実だろう。


 責任を負うことを嫌うのは誰しもそう。

 日本以外の海外を見ても好んで責任を負いに行く者はいない。


 だが海外では英雄志願者が日本人から見て驚くほどの浅慮さで気軽に責任を負う者がいるということが決定的に違う。


 この差を生み出す要因は多くある。

 まずは『メリットを主体に考える』ことと『デメリットを主体に考える』ことの差だろう。

 日本以外ではメリットとデメリットを比較し、50%の確率でどちらかに振れると判断すれば行動を起こす者がいる。だが日本では半々の確率ではデメリットを重視してまず動かない。


 これは、海外では失敗してもチャレンジしたことを評価する姿勢があり、再起を計りやすい環境がある。なにより、そもそもにして明日、もしかする死ぬかもしれないという犯罪や事件に対する危機感が根底に根付いているから、やらずに後悔するよりも、やって後悔する方が良いと考えやすい。


 対して日本は、失敗は減点として残り、そして失敗するようなチャレンジは無謀と評価され嘲られる。そして、その評価が元いた環境から一線下がった格下での復帰以外を認めないという環境を生み出す。さらに、ほぼ病気・寿命での死しかあり得ないと信じてしまう程に安全な国であるという意識があり、いかに長く幸せに生きられるかを考えやすい。


 こうした環境から、海外は『今』を生きていて、日本は『未来』に生きていると言える。


 未来に生きているからこそ、より良い未来にする為の努力の一環として人生の減点となることを異常に嫌う。結果として減点が起こりえる責任を嫌うのだ。


 この『責任』の嫌いっぷりは仕事に限った事ではなく、私事にまで及ぶ程に徹底して心に刻まれている。


 例えばプライベートで食事をしに行き、そこで嫌な思いをしたとする。この時に思うことは『ハズレの店を選んだ自分の見る目がなかった』ではない。これでは自分に責任があると認めてしまうからだ。

 『教えてもらった店は良くなかった』『WEBの評価を参考にしたがダメだった』そう。第三者に、その失敗の責任を押し付けるのだ。

 だからその責任を気軽に押し付けやすいクチコミサイトなんてものが重要視され、それに関わるビジネスが生まれる。

 利用者もバカではないから『金で評価を買っている』と知っているが、それを知っていても尚、自分で責任を負いたくないから利用を続ける。食事のような数千円の責任程度でも負いたくないのだ。


 さらにもっと言えば、たかが100円くらいの商品ですら責任を負いたくない。『一番売れています』『誰それのオススメ』なんていう便利な言葉が使われ、その言葉を信用する。差額で考えれば類似品と数十円の差であっても自分が責任を負わなくて良い方を選ぶのだ。

 ブランドだって『大多数が良いと言っている』という雰囲気を信用するのであって、そこで買う物に対する自分の評価は必要ない。

 芸術でも『なんとか賞受賞』『なんとか審査員絶賛』と、まったく自分の知らない人間の太鼓判があるだけで信用する。特に海外の名前が付けば、同じような思考の日本人以外が評価したという信頼感が水増しされ、その評価はうなぎのぼりだ。だから『金賞』を買うような格付けビジネスが流行る。


 『自分の目』以上に『誰かの評価』を重視する思考を持つのが日本人の特性。

 この特性の根底にあるのは『責任の回避』なのだ。

 ビジネスにおいて、この特性を理解して利用すれば、利用すればする程に成功の確率は上がる。


 また、これを知っておくと、人は自分に責が回ってくるような時、誰かに必死に押し付けようとするという行動の予測もしやすい。


 だから私は、あらかじめ何かの仕事を依頼する時には


 『この仕事は、貴方が責任者です。もし仮に部下にやらせて問題が起きたとしても、その責任を取るのは貴方で、確実に貴方に責任を取らせます。』


 ということを伝える。必ず伝える。

 暗に表現する場合が多いが、人によっては直接そのまま言うし、その任命する責任者の上司を同伴させ、その上司を証人として意識させる。


 すると、どうやっても自分に責任が回ってくると判断した人間は、驚くほどに良い仕事をするようになるのだ。


 こうして私は社内で起きる問題のトラブルバスターとしての地位を手に入れていた。

 だが、やはり責任を負わされる人間にしてみれば、私、西にし剛久たけひさという人間は恐ろしく見えるようで、飲み会などでコミュニケーションを取り仲良くなると「西さんも人間だったんですね」「青い血が流れてると思ってました」なんて言葉をよくかけられたものだ。

 かならず責任を果たしたら旨味も用意していたつもりだが、負の面のイメージは強い。

 私は、責任を負わせる立場であり、その負わせた責任含め、それ以上の全てを背負う気概で仕事をしているというのにな。


 もちろん社内での評価は高く『トラブルは西に任せればどうとでもなる』という会社の評価も得ていた。

 中小企業でも大企業になる必要が無い中小企業だから、この評価は強い。年齢より早く部長の椅子が回ってくるくらいには重視される程に活躍した。


 そうして重用される内、本来、上が負うべき責任も私に被せられる未来も見えてしまったのだがな。



 責任は重い。



 日本人が、ここまで責任を回避するのは、責任感が無いからじゃない。逆なのだ。

 責任感が強すぎるから拒否感が生まれるのだ。


 戦国時代から失敗には腹を切る程の責任を負って生きてきたという歴史があり、そのDNAはしっかりと受け継がれている。

 だから責任を負った時には背水の陣に他ならない程に捉え死力を尽くすから驚く程の力を発揮するのだ。つまりそれは命を削る程の頑張り。


 日本人は責任を負った時、命を次に置く程にそれに取り掛かってしまう。これが特性の真実。


 外国人のよく言う『日本人は怒らない』『すぐに謝る』という認識は正しい。

 これも日本人独特の責任の回避であり、この態度を侮る外国人も多い。だが、これは日本人の持つの特性を深く理解していないだけ。


 日本人が怒った時、それは責任を負っても良いと考える程に怒った時に他ならない。つまり『刺し違えてで息の根を止めてやる』となる。

 限界の一線までは堪え、耐える。だが、一線を越えた場合、自分の何もかもを投げ出す勢いで死なば諸共と反撃する。

 そこには、ある程度まで反撃したから良いなどという中途半端な慈悲は無く、根源は断たねばならぬとばかりに執念深く、根切り、根絶やしするまで反撃は続くのだ。


 それほどに『責任』という物を重く捉えている。


 その重くなり過ぎた責任に、生活自体が重圧を感じ始めるようになっていた時、責任から解放される誘いがあった。しかも給料倍額で。

 誘いをかけてきたところが、それなりに信頼できる筋だったこともあって二の句を告げずに乗った。


 そしてその賭けは正解だった。

 

「計画かなり修正入るなぁ……」

「難しいですか?」

「いや全然。」

「それじゃあお願いします。」

「ただ、容易に計画変更すると、こっちへの信頼感が薄れるから、あまり無い方がありがたいね。遅れにもつながる。」

「分かりました。次なにか出てきたら計画を修正するのではなく違う計画を立案する方向で進めます。」

「助かる。あぁ、それと今更だけど、婚約おめでとうございます。」

「有難うございます。」


 発した言葉に対して、ようやく以前は、よく見た笑顔を浮かべる女。

 笑顔のつくり方一つにしても明らかに以前は無かった『壁』を作り出しているのが分かる。もう私が彼女の『女』としての顔を見ることは無いのだろう。そして私もそれを望むべきではない事が態度からよく理解でき、これまでは許されていた砕けた言葉を、そっと絞める。


「婚約に絡んで、今後、私はタダユキさんのアシスタントがメインになりますので、こちらの方は別のアシスタントを探してもらいたいのですけど良いですか?」

「えぇ構いませんよ。やろうと思えば今のところ一人でも全然問題ないですからね。ただ、細かい点では誰か一人いた方がありがたいですね。」

「誰かしら心当たりはありますか?」

「まぁ、それなりには。」

「それじゃあ、それもお任せします。」


 つい笑いがこぼれる。


「ちょっと待ってくださいよ。給料とかその辺は流石に方針くらいいただけませんか?」


 私の言葉に、どこか嘲りが混じってそうにも思える雰囲気で口角が上がった。


「タダユキさんから一任されているんですから、そこも西さんが一番良いと思う対応で進めてください。あぁ、安心してくださいね。何をしても、どうなっても責任はタダユキさんが取ってくれますから。

 まぁ、全て、タダユキさんの信頼を裏切らなければの話ですけど。」


 一拍の静寂。


 そして再びこぼれる笑い。

 私からこぼれた笑いを聞き、女は席を外した。


「あーあ。まったく面白いったらないね。」


 何を決めても良いし、資金も何もかも自由に使ってよい。

 そしてその責任は上が負ってくれる。


 責任はない。

 だが、それらは信頼で託される。


 これほど重く、そして面白い仕事は他にはないだろう。


「どれ、いっちょ結果出すために本気でやってやりますかね。」

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